東海の神社
岐阜[編集 | ソースを編集]
岐阜護国神社[編集 | ソースを編集]
奈良公園のパクリである岐阜公園の端っこにある。春日大社を真似た……?- 鳥居をくぐらず社殿に参拝。
- 公園側からだとどうしてもこうなる。
- 岐阜県全体の護国神社。
- のはずなんだが、高山へ行くと飛騨護國神社が別に存在していたりする。
- 実は飛騨の方が歴史が古い。
伊奈波神社[編集 | ソースを編集]
- 岐阜市
- 稲葉山山麓にあるわりかし大きな神社。
- そして歴史も古く社格も、比較的高め。
- 天武天皇が壬申の乱の戦勝祈願をしたとか、亀が土地の神様を祀ったとか色々。
- そして歴史も古く社格も、比較的高め。
- 実は、移転してきました。
- 本来は、岐阜公園の辺りから、稲葉山山頂にかけての域内に鎮座していたらしい。
- それをマムシが移転するは、うつけがボコボコにするは……
- 本来は、岐阜公園の辺りから、稲葉山山頂にかけての域内に鎮座していたらしい。
- 結構そこら中に酒樽が置いてある。呑兵衛には正直きつい。
千代保稲荷神社[編集 | ソースを編集]
- 自称日本三大稲荷の一つで「おちょぼさん」の愛称で有名。
- 何処の稲荷神社もそれを認めてはいない。因みに、ここは伏見と豊川を推薦しているが、豊川は祐徳を推薦していたはず。
- 参道に中日と阪神で活躍したT豊のやってる飲み屋がある。
- 阪神時代を感じさせる物は全くないのが、虎党的にはかなC。
- 年明けには店の前に屋台を出して、餃子一人前300円なんかを売ってらっしゃる。それも55番TAIHOHって書いたドラゴンズのユニ着て。
- 参道の別の食いもん屋の中に黄金の便所があるらしい。決して×××の比喩などではなく、まじもんの黄金。
- 「金ピカ社長」の影響か?
- なぜこの界隈に移転したかと言うと、おちょぼさんの参道が故郷の台湾に似ているからと言う理由らしい。
櫻山八幡宮[編集 | ソースを編集]
- 高山祭の秋のほう。
- 豪華絢爛な屋台曳きもすごいが、個人的にオススメなのが「からくり奉納」という神事。
- 境内に展示施設がありオフシーズンでも屋台を見ることができる。
- 八幡様なので応神天皇を祀っているが、他にも仲哀天皇や日本武尊などを適当に集めている。
- 両面宿儺とかいう今でもオカルト話のネタになることが稀にある怪物を武振熊命とかいう将軍が退治した時に、その必勝祈願で当時天皇だった応神天皇を祀ったとかなんとか。
日枝神社[編集 | ソースを編集]
- 高山市
- 高山祭りの春の方。
- 正直、櫻山八幡宮に比べると地味。
- 高山陣屋の守護神として崇められていたという。
- 近江坂本の日吉大社の神様を勧請して創ったらしい。
- 高山の南外れに近いところにある。
- だからなのかもしれないが、観光客の数が櫻山八幡宮に比べると少ない。
- 位置的には少し離れているが飛騨国分寺とつながりが深かったらしい。
飛騨総社[編集 | ソースを編集]
- 高山市
- なんというか、落ち着いた趣きがある。
- 住宅街の中にあるのだが、静か。観光客もほとんど居ない。
飛騨護國神社[編集 | ソースを編集]
- 高山市
- 高山城跡のすぐ北麓にある。
- 飛騨地方の軍人や地域に貢献した人は、岐阜護国神社ではなく、こちらに合祀された。
- 全國護國神社會という連盟に加入していた主要52社のうち、唯一内務大臣の指定を受けていなかった。
飛騨天満宮[編集 | ソースを編集]
- 高山市
- 菅原道真と直接の関わりはない。
- 昌泰の変で左遷された道真の三男の左遷先が飛騨国権掾という役職で、この地に赴任したことがこの地に天満宮がある原因。
- 因みに、守>>介>>掾>>目の順で偉い。
- 昌泰の変で左遷された道真の三男の左遷先が飛騨国権掾という役職で、この地に赴任したことがこの地に天満宮がある原因。
- 太宰府で父親が客死したこと受けて追悼のために三男が父を祀ったのが始まり。
- その後、700年位廃れていたのを金森長近が税金を投入し再建したとか。
荒城神社[編集 | ソースを編集]
- 高山市国府地区
- 本殿が重要文化財。
- 14世紀末に造られたらしいよ。
- 荒城神社鉦打・獅子舞は県指定重要文化財。
- 創建年代は古すぎて不明。
- 神社明細帳には「創立は遠く上代」とあるとか。
飛騨一宮水無神社[編集 | ソースを編集]
- 高山市一ノ宮地区
- 熱田神宮から草薙の剣が戦中疎開していた先。
- 飛騨国一宮にして国幣小社。
- 櫻山八幡宮などと比べても格上だったんだなあ。
- 御神体は位山。
- 稲喰神馬は左甚五郎の手による。
- 地元の人々に崇められているそうな。
- 鳥居横の杉の木がとにかくでかい。
- 朝廷からは飛騨の鎮守社として崇敬の念を抱かれていたそうな。
走り乃神社[編集 | ソースを編集]
- 高山市朝日地区
- 通称、走り屋神社。
- マジで、走り屋から厚い信仰受けてるっす、夜露死苦。
- 鳥居を愛車でくぐると御利益があるとか。
御首神社[編集 | ソースを編集]
- 平将門の首がここまで飛んできたという。
- みくびじんじゃ、と読む。
- 東海道線の荒尾駅から歩いてすぐ。
- 駅チカで参拝しやすい筈なんだが、本数が少なすぎて、結局名阪近鉄バスで行くことになる。(すぐ前を米原~大垣の普通電車や特急が通過しているのに……)
南宮大社[編集 | ソースを編集]
- 垂井町が誇る大社。
- 国幣大社であり歴史、社格ともに非常に高いのだが、知名度はそれ程でもない。
- 神社が麓に位置する南宮山の方が関ケ原の戦いのおかげでまだ少しは有名。
- 美濃国一宮はここ。
南宮御旅神社[編集 | ソースを編集]
- 垂井町
- 南宮大社の摂社の1つ。
- 昔はここが美濃国総社だったらしい。
伊富岐神社[編集 | ソースを編集]
- 垂井町
- 御神体は伊吹山と思われているが、そうではないらしい。
- 伊吹山を背にしているから、そのように思われても仕方ない。
- 祭神が誰なのかすらわからないらしい。
- もはや神社の体をなしていない。
- 美濃国二宮だったりする。
- 創建時期は不明。
- ただ、和銅年間には存在したことが確認されている。
八重垣神社[編集 | ソースを編集]
- 垂井町
- 元々は後光厳天皇の仮御所があったところ。
- 垂井曳山祭りはこの神社のお祭り。
- 元々は、地元の民が、京都から逃げてこられた後光厳天皇を饗し慰めるために始めたものだそう。
静岡[編集 | ソースを編集]
三嶋大社[編集 | ソースを編集]
- 松坂大輔がここで結婚式をあげた。
- 鹿を飼ってる。
- 下田街道の三島側の突き当りにある。かつては伊豆各地からの参拝客でさぞや賑わったことだろう。
- で、下田街道とT字路になっている道、すなわち神社の前を通っているのが東海道。
- 伊豆国の一宮。
富士山本宮浅間大社[編集 | ソースを編集]
- 全国の「浅間神社」の総本山。
- 地球上の神社の中で一番高い所にある。
- 国外には神道系の神社なんて存在しないので当たり前と言ってしまえばそれまでだが……
- アメリカ(ワシントン州、ハワイ、サイパン)とパラオにも神社は存在している。
- それでもこんな高所の神社は海外には存在しまい。
- 歴史のぶっ飛び方が違う……
- 日本武尊に始まるとか何とかだそうでここまで歴史があるというのは静岡では珍しいと思う。
- 草薙神社も大和武尊の火攻めされたときに草を剣で薙ぎ払った事跡によるものだから、近しいところではあると思う。
- 富士山の八合目より上は登山道と旧測候所を除き、ここの境内。
- 日本武尊に始まるとか何とかだそうでここまで歴史があるというのは静岡では珍しいと思う。
- 富士宮市のには湧き水がコンコンと池から湧き出している。その名も湧玉池。
- 池にかかる朱塗りの橋とあいまって、良い景観になっています。
- 湧玉池のちょっと横のところで、汲めるようにもなっている。
- この湧き水があったから神社をここに置いたんでしょうね。
- 富士山女子駅伝のスタート地点。
秋葉山本宮秋葉神社[編集 | ソースを編集]
- 「あきば」じゃないよ「あきは」だよ。
- 京都の愛宕山と並ぶ火除けの神様。
- 東海道の宿場町の灯籠にはよく「秋葉大明神」の文言が刻んである。火除けの神様としての信仰の厚さがうかがえる。
- 地元を除けば愛知県からの寄進が多いような気がする。
- 火除けの神様なのに戦時中に丸焼けになった。
- 東海道の宿場町の灯籠にはよく「秋葉大明神」の文言が刻んである。火除けの神様としての信仰の厚さがうかがえる。
- 全国の秋葉神社の総本山。
- 秋葉原の名の起こりになった神社。
- 上社と下社があるが下社はあまり見るものがない。
- そもそも戦時中の火災で社殿の多くを失い祭祀を続けるためやむなく造営したのが下社。
- 火の神様らしく巨大な火打石が奉納されている。
- 他には金色の鳥居もなかなかインパクトがある。
- 公共交通機関でのアクセスは良くない。
- つづら折りの山道を登っていくバスはあるがマイカーの方が圧倒的に勝手が良い。
- 国鉄佐久間線が開業していてもほぼ影響はなかったと思われる。
猪鼻湖神社[編集 | ソースを編集]
- 恋が実るとか言うくっそロマンチックなことをTVで言ってたが、何処をどう見たらあんな小さい祠にそんなロマンチックさがあるのやら……
- そこだけちょっと取り残されたような感じ。
- 浜名湖と猪鼻湖とかいうミニ内湖を結ぶ海峡(?)上にあるのだが、対岸が綺麗に護岸されているのにこっちがそうでないため……
久能山東照宮[編集 | ソースを編集]
- やたら綺羅びやかな江戸初期建造の御廟が有名。
- 一部の装飾は保護のため透明のカバーで覆われている。
- 帰り道歩いて下っている時に見た駿河湾が美しかったのが一番記憶に残る。
- 海側から歩いて上る際には時々振り返ると絶景に癒される。
- 東照宮というと、やっぱり日光。
- 久能山というと石垣苺。どっちを取ってみても久能山東照宮は……
- 家康公の遺体を一旦こっちに埋葬して、その後日光に遷した。
- 北側はわりと断崖。ロープウェーで日本平に出られる。
- 江戸から見たら裏鬼門の方角にあたるのでここに神社を置いた、的な説がある。
- 創建当時(1610年代)の石灯籠が多く現存している。
- ただし400年もの歳月のせいで表面の剥落が激しい。
- なぜかこの神社オリジナルのもみじ饅頭が売られている。
- しかも製造販売は広島のにしき堂。
御穂神社[編集 | ソースを編集]
- ここは世界遺産に入ったのか?
- 清水区三保の神社。三保の松原がすぐ横、というか、アレ、神社の付属品ですんで。
- 日本武尊も立ち寄ったとか。
- まさかこの後、嫁さんを死なす事になるとは思ってなかったでしょうなあ。
- 画像の松、先代は「天女が羽衣を掛けた」ということになっていたが、枯れてしまった。根本付近だけ保存されている。
- で、後継の松を押したてて天女の松と言うことにしているが、すでに天女が来た時代になかった最近のものをシンボルにしてどれだけ意味があるのやら正直 疑問符がつくのだが。
石室神社[編集 | ソースを編集]
- 石廊崎の先端、いい感じの断崖上にある神社。
- 色々と奇っ怪な伝説が多い。
- 伝説の1つによると、ここは今でいうところの灯台の役目を誰も火を置いていないのに勝手にしたりすることがあったとか。
矢奈比売神社[編集 | ソースを編集]
- 東海一の学問の神様を祀っている。「見付のお天神様」という異名を地元からは頂いている。
- 「見付天神裸祭」という記載が一部では知られている。
愛知[編集 | ソースを編集]
熱田神宮[編集 | ソースを編集]
- 名古屋で神社といえばとりあえずここなのではなかろうか?
- 草薙剣を保護している。
- 昭和区にここの由来と思われる地名があるが、正直突拍子もない場所なので何故ここなのか全く謎。
- 一応御器所八幡宮の近くではある。マイナーだけど学問の神でツアーバスが来たりする。
- 全日本大学駅伝のスタート地点。
- ここからお伊勢さんまで襷を繋ぐことも考えれば格式のある駅伝のはずなのだが、箱根の陰に隠れがち。
- 箱根とは異なり全国の大学が参加していることを考えると不思議。
- ここからお伊勢さんまで襷を繋ぐことも考えれば格式のある駅伝のはずなのだが、箱根の陰に隠れがち。
- 熱田さんの鶏(とり)と言うと、「お高くとまっている」人を言うらしい。鳥居とか木の枝に留まっているんですかね。
- やたら鶏を見かける。金色なので名古屋コーチン。
- 地面にいることが多い。
- ここの境内にある宮きしめん、初詣で行列に並んでいるとうまい具合に匂いが漂ってきて…。
- 桶狭間合戦の前に信長が戦勝祈願をした場所。
- 信長が奉納した門が旧国宝になっていたが戦災で焼失し復元もされていない。
- 宝物の展示場所では重要文化財の刀や面とともに市電の停留所の看板や南極の石も飾られている。
- 市電最後の年となった昭和49年まで初詣客の輸送に活躍していた。
- 界隈の一角は住宅街だが、ポチポチと町工場があり正月には臨時駐車場を営業していた。しかし近年それができなくなったようだ。そのような駐車場への出入りは実は正月の臨時交通規制に反し、当局が黙認しなくなったため。
- 星型の絵馬もある。
- ベルリン五輪で前畑秀子がここのお守りを飲み込んで泳ぎ金メダルを獲得した。
- 「いだてん」でも描かれていたような記憶がある。
高座結御子神社[編集 | ソースを編集]
- 名古屋市熱田区
- なにこれと思った方、「たかくらさん」のことです。
- 熱田神宮はすぐ近く。一緒にいくのもアリ。
- 本来はセットで扱うべきなんだけどこっちが地味すぎて…。
- 虫封じ、井戸覗き。
- 戦後すぐのベビーブームの頃は、子供の集まり過ぎでカオスなことになっていたらしい。境内に写真が貼ってある。
- 今でも交通規制が敷かれる (といっても生活道路だけど) 位だからそこそこ人の出入りはある。
豊國神社[編集 | ソースを編集]
- 豊臣秀吉縁の地。近くには豊臣小学校という小学校もあり。
- 中村公園駅の大鳥居。ある割には駅から神社まで結構遠い。
- 市電とのツーショットが絵になったのも今や昔。
- 京都の平安神宮の鳥居よりさらに大きいとか。
- 神社が静か、という固定概念を破壊する神社。
- 近くに競輪場があるわ、簡単なライブに使えそうなステージとスペースがあるわ。
別小江神社[編集 | ソースを編集]
- 名古屋の神社で御朱印といえば、やっぱ別小江神社やと思う。
- 読み方がわからない。
山田天満宮[編集 | ソースを編集]
- 徳川光友が開いた神社。
- 尾張藩の学問祈願所と名古屋城の鬼門封じを兼ねる。
星神社[編集 | ソースを編集]
- 庄内緑地の横にある神社。
- 境内の外、庄内川の土手のところに、御神木のムクノキがある。
- 昔から土手に植わってるだけなんじゃないのかとかツッコんではいけない。(どれが御神木かわかるように、きちんとしめ縄を張って、地元の人が大切に守っていらっしゃる。)
- ここからちょっと離れたところ(3kmくらい)にある河原神社(通称:星の宮)とは関係あるんやろか。
成海神社[編集 | ソースを編集]
- 飛鳥時代に建てられた由緒正しき神社。延喜式神名帳にも載っている。
- 日本武尊が主祭神。
- 草薙剣が熱田神宮に返ってきたときにそれを記念して造られた神社らしい。
御器所八幡宮[編集 | ソースを編集]
- 熱田神宮の鬼門封じらしい。
- 仁明天皇の勅願社だったとか。
- 戦国時代には、織田信長に高野山追放という処分を食らった佐久間信盛一族の氏神もやっていたらしい。
真清田神社[編集 | ソースを編集]
- 尾張一宮
- すなわち、一宮市の由来でもある。
- 一宮市役所や尾張一宮駅も近い。
- 知名度が低い。一宮なのに。
- そのため、まきよだ神社、などと呼ばれたりする。
- 一宮の七夕祭りが一番人が賑わう…と思う。
- 隣に某葬儀ホールが。神社の
パクリ景観に合わせたと思われる建物の形が独特。- 元々はダイエーがあったらしい。あの上弦の月のマークを初めて使ったとのこと。
- コスプレした人がよく写真撮影とかしている。神社の雰囲気が悪くないのと、近所にコスプレの店があるからかな。
- 空襲で焼失した社殿を再建した際に無事だった楼門もなぜか建て替えてしまった。
大縣神社[編集 | ソースを編集]
- 尾張国二宮
- 実は、熱田神宮より格上。熱田さんは三宮。
- 徳川光友が色々整備してくれた。
- この時に建てられた御本殿は独特の形状らしく、大懸造という名前までついている。
田縣神社[編集 | ソースを編集]
- 犬山市
- 股間のアレを祭った神社。3月の豊年祭ではアレの神輿が出たり、アレの形をした飴が売られる。
- 上の大縣神社もそうらしい。
- ちなみに田縣神社が男性で大縣神社が女性。
桃太郎神社[編集 | ソースを編集]
- 犬山市
- 神社の名を借りたパラダイス。
- ネタをネタとして楽しめる人限定。
国府宮神社[編集 | ソースを編集]
- 尾張大国霊神社。
- 天下の奇祭と称する「はだか祭」。
- はだか祭と称する祭は他にもあちこちにある。
- 正式名は「儺追神事」だが公式HPでも「はだか祭」の方が多く使われている。
- お守りになる「なおいぎれ」という紅白の布を結び付ける場所をやや遠くから見ると絵になる。
萱津神社[編集 | ソースを編集]
- 漬物の神社なのだそうだ。
伊賀八幡宮[編集 | ソースを編集]
- 松平家・徳川家の氏神様。
- 今の社殿ほかは、だいたい家康か家光によって整備された。
- 三重県の伊賀とは全然関係ない。
- 岡崎市伊賀町にあるから伊賀八幡宮。
- 8世紀の位賀郷まで遡る由緒ある地名。
- 服部半蔵の出身地である伊賀とは、伊賀国じゃなくて、こっちのこと。
- 後に伊賀越えして伊賀衆を従えるのは、どういう因縁なんだか。
- いやいや、服部半蔵は伊賀地方の出やで。いまの名阪国道白樫IC付近の集落の出であることが記録として残っとる。
- 岡崎市伊賀町にあるから伊賀八幡宮。
- 家康行列の出発地。
- 蓮の名所。
- 蓮池のそばには神橋(石橋)と随神門の2つの国重要文化財がある。
- すぐ北に明願寺がある。
- まさに伊賀八幡宮創建の年に天台宗から浄土真宗に変わってるし、何か関係あるとは思うんだけど。
矢作神社[編集 | ソースを編集]
- 岡崎市
- 旧日本海軍の防護巡洋艦および軽巡洋艦「矢矧」の艦内神社だったことで知られる。
- 当時の軍関係者から1/100サイズの防護巡洋艦矢矧の模型が奉納され、今も現存している。
- 御朱印と御朱印帳には、これらの軍艦矢矧のイラストが描かれている。
- 創建自体は315年と相当古い神社。
砥鹿神社[編集 | ソースを編集]
- 三河国一宮にして東海地方の総鎮守だがどうも影が薄い。
- 同じ豊川市内にある豊川稲荷に比べると知名度が大幅に落ちる。
- 愛知県内で「一宮」といえば尾張の方を連想されてしまう。
- 里宮と奥宮があるが奥宮は元有料道路を経由する必要があるため行きづらい。
- それに対し里宮はJR三河一宮駅から徒歩5分とアクセス抜群。
- 駐車場も十分ある。
- それに対し里宮はJR三河一宮駅から徒歩5分とアクセス抜群。
- 一見さんとしての感想は神社を囲む木々の雰囲気は良いがこれという特徴があるわけではないという感じ。
- ある程度以上の規模がある神社としては珍しく「ポケモンGO」のポケストップやジムが一切設定されていない。
- だが広島の平和公園のようにポケモンが出ない設定になっているわけでもない。
知立神社[編集 | ソースを編集]
- 社伝によると2世紀に創建されたという古い神社で延喜式にも登場する。
- 江戸時代には三島大社、熱田神宮と並んで「東海道三大社」の一つに数えられたほど。
- 現在でも国道1号(旧東海道)から行きやすい。
- 江戸時代には三島大社、熱田神宮と並んで「東海道三大社」の一つに数えられたほど。
- 重要文化財の多宝塔が駐車場の脇に立っている。
- 運転操作を誤った車が突っ込んできそうでハラハラしてしまう。
- その横には南京事件の責任を問われ処刑された松井石根(愛知県出身)の筆による「千人燈」も置かれているが神社公式HPでは言及なし。
岩津天満宮[編集 | ソースを編集]
- 岡崎市
- 岡崎市やその付近で合格祈願と言えばこの神社らしい。
- 拝殿は大正時代の建築で岡崎空襲も逃れている。
- 後年に改修されたこともあり古いわりに塗装がきれい。
- ここの神職がかなり右の方で政治に関わっている。
- 神道政治連盟や日本会議といった左派の仇敵の名前が普通に出てくる。
津島神社[編集 | ソースを編集]
- 津島市の最大にしてほぼ唯一の観光スポット。
- 全国各地(特に東海)にある津島神社の総本社でもある。
- 「つしま」という名前だけあって長崎県の対馬と本当に関係がある。
- 主祭神のスサノオノミコトが対馬から当地に渡ってきて静まったのが由来らしい。
- ただし延喜式などには記載がなく実際は11世紀か12世紀くらいの創建ではないかとされている。
- 信長にかなり手厚く支援された神社だったが当時の建物は残っていない。
- それでも秀吉や徳川初期の建物は残り重要文化財になっている。
- その中の本殿は戦後に屋根が燃えるという危機一髪の事態に見舞われたことがある。
- それでも秀吉や徳川初期の建物は残り重要文化財になっている。
- 大量の提灯を飾った船が出る天王祭は見もの。
- 津島市のマンホールや山川出版社の『歴史散歩』シリーズ表紙(愛知県尾張)にも使われている。
- 初詣の際には結構な行列ができるが意外と進むのも早い気がする。
- 車での参拝者はやや離れた天王川公園へ駐車することになる。
三重[編集 | ソースを編集]
伊勢神宮[編集 | ソースを編集]
- 伊勢神宮(内宮)にカップルで参拝するのは縁起が悪い。天照大神が嫉妬するから。
- 結婚してれば問題無いらしい
- カップルは夫婦岩にお越しください。
- 参拝した日が吉日と言う事で、伊勢神宮の境内にはおみくじはない。
- 通常、一般的な神社では自分の幸せを祈ったりするがここだけはそういう所ではない。
- 本来は、天照大神に日本の平穏を感謝申し上げるための場である。祈るなら、天皇皇后両陛下の御長寿など国益に資することを祈るべし。
- ただし外宮の多賀宮、内宮の荒祭宮では例外的に個人の願い事をしていいそうな。このことが知られるまではガラガラだった両別社は今では初詣でめっちゃ行列できるところになってしまった。
- 本来は、天照大神に日本の平穏を感謝申し上げるための場である。祈るなら、天皇皇后両陛下の御長寿など国益に資することを祈るべし。
- 旅行といえば、ここへ行く。
- 江戸期には既に東国でもこれが確立されてたというのだから面白い。
- この頃は「おかげ参り」といえば沿道の住民が差入れをしてくれるということも多かったという。
- 『東海道中膝栗毛』や『東の旅』(上方落語)など東西問わず文学の題材にもされた。
- 天皇家の新婚旅行は、必ずここへ行くことが既定路線のようで。
- 関西圏の小学校の修学旅行でも昔から定番の行き先となっている。近鉄にはそれ専用の車両まであったほど。
- 昭和初期には国民意識醸成のため東京の小学校でも参宮旅行が普通に行われていた。
- 東京市の予算による補助や国鉄運賃無料サービスすらあったという記録もある。
- 昭和初期には国民意識醸成のため東京の小学校でも参宮旅行が普通に行われていた。
- 江戸期には既に東国でもこれが確立されてたというのだから面白い。
- 内宮と外宮があることくらいは日本人ならみんな知ってる話。
- どちらかと言えば内宮の方が取り上げられることが多いようだ。
- 観光用パンフレットとかでも、伊勢神宮のイメージ写真に使われるのは大体内宮。
- それも宇治橋が、特に冬場の日の出のシーンがよく使われる。
- 観光用パンフレットとかでも、伊勢神宮のイメージ写真に使われるのは大体内宮。
- 参拝は外宮→内宮の順番で行うのが正式。
- 読み方が「ないくう」「げくう」なのは気づいていない人が多そう。かく言う私も行くまでは気づいてなかったのですが。
- でも実は125社ある。外宮や内宮の中にも別宮や摂社があったりする。
- そのうち、御朱印を貰えるのは、内宮・外宮含めて7社だけ。
- 近年は、御朱印7社巡りなんかも流行っているが、一日で全て巡るのは相当キツイ。
- 宇治橋の守護専門の饗土橋姫神社をはじめとした7つの所管社が内宮近くにあるものの、その存在に気付く人はあんまりいない。
- そのうち、御朱印を貰えるのは、内宮・外宮含めて7社だけ。
- どちらかと言えば内宮の方が取り上げられることが多いようだ。
- 式年遷宮は20年に一度。
- 一体いつ頃から続いているのか?
- 1300年前、平城京への遷都前からだとか。気の長い話。
- 戦国時代と太平洋戦争直後には中断している。
- だが戦後直後でも、宇治橋だけは「老朽化が酷い」という理由で予定通り架け替えられた。
- 以降、宇治橋の架け替えは、式年遷宮より4年前倒しで行われている。
- だが戦後直後でも、宇治橋だけは「老朽化が酷い」という理由で予定通り架け替えられた。
- 戦国時代と太平洋戦争直後には中断している。
- 現在建物がある部分の隣には次回の遷宮に使われる用地が確保されている。
- 小さい祠のようなものも設置されている。
- 式年遷宮で真っ先に建て替えられるのは、饗土橋姫神社。
- この遷宮を定期的にすることで宮大工の技術を継承するという意味合いもあるそうな。ただ20年ごとに建物を建て替えるので伊勢神宮は世界文化遺産にはできないらしい。
- そもそも世界遺産なんか眼中の外。格が違いすぎる。
- あえて登録したいなら式年遷宮という行為そのものを無形遺産で推薦というのが妥当な気がする。
- 使い終わった古材は他の神社の修繕などに回される。伊勢神宮では式年遷宮用の計画的な植林も行っているが、日本中の神社の材料供給も兼ねているわけだな。
- 摂社が腐る程ある。
- 正式には単に「神宮」というらしい。
- だが公式HPのアドレスは「isejingu.or.jp」。
- グーグルで神宮と検索したら最初に出てきたのは神宮球場だった。
- 全国の神宮の総本山だから地名付かずの「神宮」が正式になる。でもただの神宮だと混乱するから「伊勢の神宮」ということで通称の伊勢神宮としているわけ。
- 2016年年始現在内宮で飼われている神馬は意外にも日本在来種ではなくアングロアラブ種。
- 外国語の案内表示がやけに少ない気がする。
- 年々訪日観光客のおかげで参拝客が増えてるんだから、いい加減公衆トイレを綺麗にリニューアルして欲しい。
- 年始になると全国の政治家が初詣にやってくる。
- 内閣総理大臣も参拝するのが慣習である。
- 皇室や首相が参拝するため、近くのターミナル駅には貴賓室がある。
- 内閣総理大臣も参拝するのが慣習である。
- 「先に外宮へ参拝し、その後内宮へお参りするのが礼儀」という話が存在する。
- さらには、「外宮参拝前に、二見興玉神社で禊を済ませる必要がある」なんて話もある。
- 二見浦で身を清めてから神宮に参拝することを浜参宮という。
- さらには、「外宮参拝前に、二見興玉神社で禊を済ませる必要がある」なんて話もある。
- 伊勢市は何を血迷ったのか、内宮近くの観光案内所に、イスラム教徒用の礼拝スペースを作ろうとしていた。
- そしたら案の定炎上したので廃案になった。
- 明治に入るまで天皇自らによる参拝がなぜか行われていなかった。
椿大神社[編集 | ソースを編集]
- 猿田彦大神を祀る神社の総本宮。
- 一方、内宮近くの「猿田彦神社」を総本宮とする説もある。
- 伊勢国一宮指定。
- ただし近年では多度大社こそが本当の一宮だったのではないかという説もある。
- 名前が読めない。
- まず、「神社」が「じんじゃ」と読まない時点で……
- 分社がワシントン州にある。
- 読みは「つばきおおかみやしろ」よく「つばきたいしゃ」とか「つばきだいじんじゃ」に間違えられる
- 神社周辺にはやたらと茶畑が多い。
- この神社にちなんだ「椿草もち」の広告も多い。
- 新名神鈴鹿PA併設のスマートICから至近距離。
- 佐渡ヶ嶽親方(元関脇琴ノ若)が部屋で使っていた鉄砲柱を奉納した。
香良洲神社[編集 | ソースを編集]
- 三角州の中にある。昔はさぞかし参りにくかったであろう。
- なのに、これへ参らないのは片参りとかなんとか言われたそうな。
多度大社[編集 | ソースを編集]
- いい加減このフレーズも聞き飽きたが天下一の奇祭があるという話。
- そのせいで一部の人々から糾弾されている。
- 馬に崖を登らせるあれ?興奮させるためにドーピング(飲酒)させたり、叩いたりしてるのが問題視されたんだっけ。
- なお現地の坂に立てられた立て札には「天下の奇祭」としか書かれていない。
- ここも参らねば片参りらしい。伊勢神宮に御利益はないんですかね……
- 伊勢神宮にご利益というのはない。あそこは世界平和を祈願する場所であってお願いする場所じゃないから。
- 別名・北伊勢大神宮。
- 「お伊勢参らば、お多度もかけよ」の多度。
- 門前の和菓子屋で売ってる多度ういろは、一度は食べておきたい。でも小田原とか山口とかの奴らは自分とこの方が美味いといって譲らんだろうな。
- 参集殿の入り口付近には角にアルファベットの「T」「A」「D」「O」が入ったタイルが敷き詰められている。
- 公式HPの背景も同じ柄。
猿田彦神社[編集 | ソースを編集]
- 伊勢市
- 社名も造りもそれなりのものだが、何しろ内宮に近すぎて存在感が削がれている。
- 多くの観光客には、バスで内宮に行くときに途中に道端にある神社、という程度の認識。
- 五十鈴川駅から内宮へ徒歩で向かった場合、「ついでに寄ってみようかな」って気にはなる。
- 多くの観光客には、バスで内宮に行くときに途中に道端にある神社、という程度の認識。
- 休憩所のトイレがやたら綺麗。
- 近くにある内宮のトイレがアレなだけに、余計綺麗に見えるのかも。
- 境内には「さざれ石」が置かれている。
- 境内には佐瑠女神社も鎮座している。
- 祀られている天宇受売命は、芸能に御利益があるということで、多くの芸能人が訪れているらしく、奉納の証として著名人の名前が入ったのぼり旗が立てられている。
- 意外な人物がのぼり旗を奉納していて、思わず感心してしまったり。
- 社がなんか現代的な造りになっている。
- 社と言うよりは家って感じ。
- 祀られている天宇受売命は、芸能に御利益があるということで、多くの芸能人が訪れているらしく、奉納の証として著名人の名前が入ったのぼり旗が立てられている。
- 全国の猿田彦神社の総本宮という説があったりする。
賢島神社[編集 | ソースを編集]
- 志摩マリンランドの館内に鎮座。総ヒノキ造りの社の内部に水槽があるという、大変珍しい形態をしている。
- 水槽内には縁起担ぎとして、上向きに泳ぐ「アオギハゼ」約50匹と、ウマくいくようにと「オオウミウマ」(タツノオトシゴの仲間)10匹が飼育されている。
- 社名の「賢島」は「かしこじま」ではなく「かしこいしま」と読む。
- 普段はマリンランド職員によって管理されてるが、祭事がある時は、阿児町の神明神社の宮司が呼ばれる。
二見興玉神社[編集 | ソースを編集]
- 伊勢市
- 夫婦岩で有名な神社。
- #伊勢神宮にも書いたが、ここで禊をしてから神宮に参拝する「浜参宮」という習わしがある。
宇治神社[編集 | ソースを編集]
- 伊勢市
- 足神さん。
- 足の調子が悪い人や陸上選手から根強い信仰を受ける。
- アテネ五輪の金メダリスト野口みずきも信仰者の一人。
- 境内に置かれている撫石には、身体の患部と交互に撫でることで治癒するというおまじないがある。
- 足の調子が悪い人や陸上選手から根強い信仰を受ける。
- 内宮駐車場のさらに奥にあるので、内宮目当てで来た人は、まず存在に気付かない。
- 社務所が午前中だけしか開いてないので、授与品目当てで行く人は注意。
伊射波神社[編集 | ソースを編集]
- 鳥羽市
- 志摩国一宮
- 社殿と社務所が離れスギィ!
- お参りするにしても、公共交通機関は壊滅的に便が悪いので、自家用車必須。
頭之宮四方神社[編集 | ソースを編集]
- 「おかしらさん」の愛称で知られる首から上の神様。
- 学問・受験の神様とかボケ封じの神様、あるいは頭痛の神様という類の神様はいるけど、首から上の物事すべてに御利益があるとされるのはここくらいかも。
- 唐橋中将光盛卿という桓武天皇の末裔の髑髏を祀る。
- 境内の脇を流れる唐子川で手を清める。
- 今は、手水舎もあるが、伝統的な参拝スタイルも維持できるよう、今でも川で手を清めることが出来るようにしてある。
- 本殿の辺りで水が湧いている。御神水として崇められている。
- この水、一升瓶に入れて9日かけて飲むと、体内のすべての毒素がデトックスされると言われている。ほんまかいな!
瀧原宮[編集 | ソースを編集]
- 伊勢神宮内宮の別宮。
- 和魂と荒魂を祀っている。
- ただし、荒魂は摂宮である瀧原竝宮において祀っている。
- 大東亜戦争末期に焼夷弾を落とされている。
- 当時、この辺りに軍需工場があったわけでもなければ人口が多かったわけでもないのに……
多岐原神社[編集 | ソースを編集]
- 大紀町
- 倭姫命が宮川を渡ろうとしたところであるという理由だけで神社ができた。
- 伊勢神宮内宮の摂社らしい。
尾鷲神社[編集 | ソースを編集]
- 例祭:ヤーヤ祭り
- 御神木のクスノキがとんでもなくデカい。
- 幹の一部が腐っていて、そこでボヤが起きたことがある。でも木が大きすぎて、ほぼほぼ無傷でリカバリーしたとか。
- 言い伝えでは大宝年間に創建されたとか。
- 安政の大地震の津波で記録が全部流されたため、ほんまかどうかはしらん。
花窟神社[編集 | ソースを編集]
- 伊弉冉尊が火の神を産んで死んだときに、祀られたところにある神社。
- 神社になったのは明治初期から。
- それまではどっちかと言うと神社というよりは古墳と同じく墓所として扱われていたようである。
桑名宗社[編集 | ソースを編集]
- 実は、桑名神社(三崎大明神)と中臣神社(春日大明神)の2社セット。
- その証拠に、拝殿を共用しているものの、本殿と賽銭箱は別々に置かれている。
- 地元では「春日神社」だとか「春日さん」と呼ばれること多し。
- 刀剣ファンからは、村正が奉納されてることで知られている。
- 第二次世界大戦中に、当時の宮司が漆を塗って刀身を保護していたおかげで、綺麗な状態で現存している。
- なお、他にも納められていた刀剣類があったが、空襲で焼けてしまった。
- 第二次世界大戦中に、当時の宮司が漆を塗って刀身を保護していたおかげで、綺麗な状態で現存している。
- ここから徒歩5分の場所にある境外末社・住吉神社は、木曽三川を眺められる絶景スポット。
- 境外末社の天武天皇社は、日本で唯一天武天皇を祀る神社らしい。
鎮国守国神社[編集 | ソースを編集]
- 桑名市
- 定綱系久松松平家を祀る神社で、桑名城跡に鎮座する。
- 地元からは「鎮国さん」として親しまれてる。
- 決して「く」を抜いて呼んではいけない。
- 地元からは「鎮国さん」として親しまれてる。
- 毎年GWの時期に金魚のお祭りをやる。