東海道 (五畿八道)

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曖昧さ回避 この項目では、五畿八道の一つについて記述しています。江戸時代の五街道の「東海道」については「東海道」をご覧ください。

令制国 > 東海道 (五畿八道)

  • 東海道とそこにあった『国』の噂。
    • 令制国以外の『国』の噂も含みます。
  • ご当地の噂に範囲・名称がほぼ一致している項目がある場合はそちらに記載してください。

独立項目[編集 | ソースを編集]

常陸国[編集 | ソースを編集]

  1. Inspire the Next
    • それは日立
      • 同じ茨城だし語源一緒の気はする。
  2. 常陸国の範囲はほぼ後の茨城県。
  3. かつての日高見国。
    • 日高見国は日高の語源でもある。
  4. 令制国制度ができた頃は福島県の浜通り南部も常陸国であったとされる。
    • あのエリアが常陸から離れたのは浜通り全体を領域とする石城国が分立したから。でもその石城国もすぐに陸奥国に吸収された。

下総国[編集 | ソースを編集]

  1. 地図上だと上総と上下が逆。
    • 京都からだと浦賀水道経由で行き来してたので下総国の方が遠いからこうなった。
      • 当時の江戸付近は利根川河口の湿地帯のためとても通れたものではなかった。
      • 京都っていうよりは奈良から。都が長岡京に移る前にはもう武蔵国が東山道から編入され陸路で向かうルートに変わっていた。
    • 行基図とか古い地図だと南が上になっており、そういう意味でも昔の人は違和感なかったと思われる。
  2. 江戸の拡大に伴ってちょっとずつ版図が狭まった歴史がある。
    • 当初、武蔵国との国境は隅田川だったが、江戸の街ができると隅田川東岸地区への江戸拡大に伴い、旧江戸川まで国境が東遷した。
    • 江戸川区や葛飾区が千葉と思われる原因は荒川放水路の影響であり、国境の移動とは関係ないんだが、この歴史を見るとその勘違い自体にはそこまで違和感はわかない。
    • 国技館のある両国はほんとうに国をまたがっていた。

上総国[編集 | ソースを編集]

  1. 親王任国。
    • 親王だけが国守になれる三ヶ国の一つ。
    • 織田信長は上総守を名乗った。
      • 既存制度への遠大な思惑があったとかではなく単なるミスである。直後に上総介に改めた。
  2. 国府は今の市原市にあった。
    • ただ場所は推定の領域を越えていない。しかもその場所は今はただの農地になっているようだし。

武蔵国[編集 | ソースを編集]

国府跡に整備された公園
  1. 剣豪。
    • 本人は美作だか播磨だか出身らしい。
      • まあ、自分で名乗るなら遠い国の名にしとかないと、偉い人に睨まれそうだし。
  2. 埼玉県、離島部を除く東京都、川崎市横浜市をだいたいの範囲とする大国。
    • 神奈川東部も武蔵国なのは忘れられがち。
      • 南武線沿線に限ると、路線名自体が南「武」で武蔵○○駅が多く、武蔵アピールが強い。
      • 一時期、埼玉の南東部が「武南」を名乗ろうとしてたけど、実際あの辺だと武央にしても北東寄り。
        • サッカー強豪校の武南高校はその隣の蕨市にある。
    • 全部足すと2500万人を超えてる恐ろしい国。
      • 本格的に開拓が始まった江戸時代以前からも人口はかなりいた。水害地帯だったとはいえ広々とした平野だったわけだし。
    • 延喜式にも大国と書いてある。
    • この国がここまでの大国でなければ起こらなかったであろう「ムサコってどこ」論争。
      • 武蔵小金井、武蔵小山、武蔵小杉。多摩、23区、川崎と今となってはぜんぜん違うエリアなのに、令制国としては同じ武蔵国の領域だったがために、全部武蔵小○○。
  3. コジロウとコンビの人
    • こう説明すると剣豪と区別つかない。実際、由来は宮本武蔵・佐々木小次郎なんだろう。
  4. 東京スカイツリーの高さにその名を残している。
  5. 「武蔵野」といわれてもやっぱり大雑把。
    • どう考えても武蔵野市より広大な範囲を指す単語。
    • 武蔵野線でも旧国全体の半分くらいしか占めていないよな。しかも武蔵国じゃない所も通っているし。
      • 貨物線を含めると武蔵国範囲全てを通っていることになる。
  6. 大昔は東山道に属していた。
  7. ぶっちゃけ相模国との境がわかりにくいところもある。
    • どうも相模国とは元々同じ国であったとされており、そういう意味では納得がいく。
  8. 国府は今の府中本町駅の隣にあった。
    • 今は公園として整備されている。

知知夫国[編集 | ソースを編集]

  1. なんじゃそりゃ?と思うかもしれないが秩父神社が一宮を名乗っている国名。
    • 知々夫国自体は確かに存在した。ただそれは令制国制度ができる前の話で、こういった雑多な国を整理するために令制国制度が生まれた。
  2. 知知夫彦命が国造に任命された際に「大神を拝祠」したという。

相模国[編集 | ソースを編集]

  1. ごっつぁんです。
    • 「すもう」とも読もうと思えば読めるのもまた。
    • 某テレビ番組で「相撲」と「相模」をすり替えたらほぼ誰も気付かなかった。
  2. 鎌倉があったので、鎌倉時代は日本の中心地の一つ、室町時代も東国の中心地だった国。
  3. 国司たちの挨拶「ようこそさーがーみへ~」
  4. 古来よりこの地域は特産品が多くあった。そのブランドを総称してサガミオリジナルといい、イメージキャラクターにフリーアナウンサーの夏○三久(有吉▲行と結婚し引退)を用いて広告を打っていたこともあるとかないとか。
  5. 元は「相国」だった。

甲斐国[編集 | ソースを編集]

  1. 旧国名由来の市が甲府市甲斐市甲州市と3つもある。
  2. イメージ的には、甲斐≒武田信玄
  3. あると嬉しい、ないと辛くてやめたくなる。
  4. 山梨県の人口は下から数えたほうが早いが、令制国ではそこまで下位にはならない。
  5. 五畿七道では意外にも東山道ではなく東海道。
  6. 令制国名の苗字としては(上野を除けば)人口最多だが、多いのは日向国
  7. 浮気…もとい多くの女を抱える男の性格。
    • だらしない人が多い国だったからか、放蕩という名産が生まれた。
  8. 江戸時代には一揆多発などにより治めづらい土地として恐れられた。
    • 甲府藩は享保に廃され直轄領になっている。
      • 直轄領になって置かれた役職が甲府勤番支配。江戸で素行が悪かったり、チョンボした役人の左遷ポストとして活用されたらしい。

駿河国[編集 | ソースを編集]

  1. 静岡県中部にあった国。
  2. 「駿河」がどの川かは不明。
  3. 国府は静岡市
    • もとは沼津だったが、7世紀末に伊豆国が分かれて静岡市に移された。
  4. 茶の香りがするらしい。

三河国[編集 | ソースを編集]

穂国[編集 | ソースを編集]

  1. 今の東三河
    • 律令が整えられたときに三河国(西三河)と合体して新生・三河国になった。
      • 名前はとられたが、国府は穂国側の豊川市にできた。痛み分けってところか。
        • 2010年までは宝飯(ほい)郡に名を残していた。
  2. 令制国より前の国にしては、現代も名称としてかなり浸透している部類。
    • 東三河広域連合がよく使ってる。
      • 個人的には豊橋がよく使っている印象。
    • 2010年代に誕生消滅したが、ほの国百貨店もあった。