楽曲/す~そ
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す[編集 | ソースを編集]
SMILE~晴れ渡る空のように[編集 | ソースを編集]
- TOKYO2020の民放テレビの統一テーマソング。歌うは桑田佳祐。
- ちなみに、今まで民放各局でのオリンピックの主題歌は各局バラバラなのが常識であり、統一されるのは2020東京大会のコレが初めてとなる。
SWEET MEMORIES[編集 | ソースを編集]
- 松田聖子の名曲中の名曲。
- サントリービールのCM(ペンギンのキャラクターがこの曲を歌う内容)に使用されたことで有名。
- 当初はB面の予定だったが、評判の良さから後に「ガラスの林檎」との両A面シングルとして再発売された。
スーダラ節[編集 | ソースを編集]
- 1961年に発売されたハナ肇とクレージーキャッツの楽曲。
- 元々は「こりゃシャクだった」のB面曲として制作されたが、こちらの曲がヒットし後にA面とB面が入れ替わっている。
- 青島幸男の作詞家としての代表曲の一つでもある。
- 大ヒットした曲なのだが、植木等は「こんな曲がヒットするようでは悲しいなぁ」「こんな曲がヒットするってことは、俺が考えている日本と本物の日本は違うものなのか」と思い悩んでいたとか。
- 約30年後の1990年にリバイバルヒットし、植木本人も23年ぶりの紅白出場を果たした。
- 最近では出前館のCMでこの曲を知った人もいるかもしれない。
- 俺は「すイエんサー」の印象のほうが強いんだが...
- 歌詞の内容はサラリーマンの日常(?)をコミカルに歌ったもの。
- だが曲が覚えやすいからか、当時の子供にも受けた。
- 元は子供の歌ながら、サラリーマンにも受けた「およげ!たいやきくん」とは逆の現象である。
- だが曲が覚えやすいからか、当時の子供にも受けた。
- 星野源もカバーしている。
スーダラ伝説[編集 | ソースを編集]
- 「スーダラ節」をはじめとする植木等の名曲をメドレーでつないだ。
- なお、フルコーラスは10分以上かかる。
- 植木等は、これで紅白歌合戦に出場。
- 植木等は歌手としては1967年、応援団としても1972年を最後に紅白からは「お呼びでない」状態が続いていたが、歌手としては23年ぶり、応援団を含めても18年ぶりの返り咲き出場となった。
SKY(オリックスバファローズ)[編集 | ソースを編集]
- オリックスバファローズの球団歌。
- 作詞・作曲・編曲・歌唱はいずれも大阪を拠点に活動する「MEGA STOPPER」というバンドらしい。
- オリックスバファローズの公式ダンスアンドボーカルユニット「BsGirls」が歌うバージョンもある。
- MEGA STOPPERバージョンが主催試合のラッキーセブンで流され、BsGirlsバージョンは勝利試合のヒーローインタビュー後に流される。
好きになった人(都はるみ)[編集 | ソースを編集]
- 都はるみの名曲の一つ。
- 「志村けんのだいじょうぶだぁ」では、どこからともなくこの曲のイントロが流れた瞬間、その場にいる全員がフォークダンスを踊るという今でいうところの「フラッシュモブ」の奔りのようなネタがあった。
- スタジオジブリ制作のアニメ映画『おもひでぽろぽろ』の挿入歌に起用された。
- エンディングテーマは、同じ都はるみの「愛は花、君はその種子」。
スターゲイザー(スピッツ)[編集 | ソースを編集]
- 『あいのり』という番組の主題歌。
- タイアップ前提の作品で、こういう縛りがあった方が逆に作りやすかったとか。
- スピッツの自伝的な書籍『旅の途中』によれば、この前年、マサムネは音楽活動以上に日本一にまでなったホークスに首ったけだったので、この曲をいわば復帰作と思って臨んだという。
- そのホークスの選手が登場曲に使っていた。
- 塚田正義選手。
- 裏声使いにとってはなかなか歌いやすいらしい。
- Cメロとか特にそれっぽい。
- マサムネの髪型は、デビュー以降だとこの頃が最も短かったと言われる。MVを見ると分かる。
- 「スターゲイザー期」と呼ばれることも。
- Aメロで締めるしんみりとしたラストが印象的。
Stardust Speedway[編集 | ソースを編集]
- 1993年のゲームソフト『ソニック・ザ・ヘッジホッグCD』の同名のステージのBGM。
- 本作では他のステージと同じく、現在、過去、未来(改変前、改変後)で別バージョンが流れる。
- ちなみにこのゲームは日本・欧州版と北米版では同じステージでもBGMが異なる。
- このゲームソフト(日本・欧州版)のBGMはダンスミュージックやヒップホップの影響を受けているらしい。
- サンプリングやスクラッチ音を多用している。
- 後の作品でも、メタルソニックと対決する場面で日本版のこの曲(改変前の未来のバージョン)をもとにしたBGMが使用された。
- 『ソニックジェネレーションズ 白の時空』と『ソニックマニア』。
STAR LIGHT(光GENJI)[編集 | ソースを編集]
- この曲を使用した公式動画:+81 DANCE STUDIO
- 光GENJIのデビューシングル。
- アルバムに収録されている音源では、終わりごろに「ガラスの海で憧れたちは 未来の空を思い出してる」という歌詞が追加されている。
- 楽曲提供者のチャゲ&飛鳥がカバーしたことがある。
- BSの番組「おとめし」の2022年1月5日放送回では、ローラースケートを履いて踊る曲としてはテンポが早いという分析があった。
ずっと好きだった[編集 | ソースを編集]
- 2010年に発売された斉藤和義の38枚目のシングル。資生堂「IN&ON」のテレビCM用の曲として制作された。
- ミュージックビデオはビートルズが1969年に行った「ルーフトップ・コンサート」をモチーフにしている。
- ポール・マッカートニー役は斉藤、ジョン・レノン役はリリー・フランキー、ジョージ・ハリスン役は小堀裕之(2丁拳銃)、リンゴ・スター役は濱田岳が演じた。
- 撮影は宇都宮市(斉藤の故郷)のオリオン通りにあるビルの屋上で行われた。
スナッキーで踊ろう[編集 | ソースを編集]
- 1968年に発表された日本初のCMソング。歌っているのは海道はじめという謎の歌手。
- 「日本初の商品タイアップソング」と言われているが、実際は1965年発売の橋幸夫「あの娘と僕」のほうが早い。
- 海道はじめにとっては本曲がデビュー曲であった。
- 後に、海道はじめの正体が民謡歌手の坂越達明であることが判明した。
- 歌いだしが「おおぉぉおおぉぉ~」で始まり、その次が「ああぁぁああぁぁ~」で畳みかけるとんでもない曲。
- 後にTBSラジオの「コサキンDEワァオ!」でこの迷曲が紹介され知名度が広がり、NHKの「ナイトジャーナル」という真面目な番組で制作秘話まで取材された。
- 廃盤レコードの復刻活動を行っている団体「幻の名盤解放同盟」がこの曲を取り上げたことも大きい。
- 作曲は船村徹。
砂の十字架[編集 | ソースを編集]
- 1981年に発売されたやしきたかじんの7枚目のシングル。作詞・作曲は谷村新司。
- アニメ映画『機動戦士ガンダム』の1作目の主題歌で、当時のたかじんのシングルとしては最大の約13万枚を売り上げるヒット曲となったが…。
- レコード会社の事情で渋々歌ったことや、歌詞が理解できなかったこともあり、たかじん本人はこの曲のことを「人生最大の汚点」「この歌が話題に出ると機嫌が悪くなる」と語っていた。
スノーマジックファンタジー[編集 | ソースを編集]
- 2014年の「JR SKI SKI」のテーマ曲。
- キャッチコピーが「ぜんぶ雪のせいだ。」だった年である。
- SEKAI NO OWARIにとっては初のオリコン1位。
- 2022年に発売された「JR SKI SKI」のベスト盤には曲自体は収録されているが、この曲が使用されたCM映像のほうは収録されていない。
昴(谷村新司)[編集 | ソースを編集]
- ♪目を閉じて何も見えず
- 唄い出しはこれだけど、考えてみたら、目を閉じりゃ何も見えなくて当然だよな。
- 昔、谷村新司がゲストで来たときの、たかじんのBarのCM跨ぎのミニコントコーナーで、トミーズ雅が同じようなことを言って、谷村に殴られるというものがあった。
- 唄い出しはこれだけど、考えてみたら、目を閉じりゃ何も見えなくて当然だよな。
- 谷村新司が引越しの時に即興で考えた曲らしい。
- 原案も荷造りの段ボール箱に書いたとか。
- ♪我は行く 青白き頬のままで 我も行く さらば昴よ
- サビのこの部分が地味に保守派とか右寄りといわれる人に人気らしい。なんでやろね。
- 曲自体は、彼らとは対極をなす中華圏でも人気だとか。
- 2010年の上海万博の開会式でも谷村が歌っていた。
- 曲自体は、彼らとは対極をなす中華圏でも人気だとか。
- サビのこの部分が地味に保守派とか右寄りといわれる人に人気らしい。なんでやろね。
- 谷村曰く「宇宙人から教えてもらった」曲らしい…。
- 声優の木村昴の名前の由来になった曲でもある。木村本人もこの曲を気に入っているらしい。
SPEED TK RE-MIX[編集 | ソースを編集]
- 1997年公開の映画「スピード2」のメインテーマを小室哲哉がリミックスして制作された曲。
- 桜庭和志の入場テーマ曲としても知られている。
スブタ(所ジョージ)[編集 | ソースを編集]
- 所さん本人いわく「世界一短い楽曲」とのこと。
- 歌詞は、たったの12文字。
- ちなみにギネス世界記録に認定されているのはナパーム・デスの「ユー・サファー」という曲で時間はわずか1.316秒。
- ただこちらの歌詞の文字数は英語圏ということもあり、記号やスペースを除いても15文字になってしまい、スブタの方が短い。
- 『どっちの料理ショー』の「青椒牛肉絲 VS 酢豚」の回(1997年5月29日放送)で紹介された。
スポーツ行進曲[編集 | ソースを編集]
- 別名「NTVスポーツのテーマ」
- かつて、日本テレビのスポーツ中継で必ず流れていた。
- ご年配の方なら、ジャイアント馬場の入場曲というイメージか?
- 作曲は他の日テレ関連曲と同じく黛敏郎。
スポーツショー行進曲[編集 | ソースを編集]
- NHKスポーツ中継のテーマとして作曲された。
- 現在では高校野球中継のイメージが強いか
- 作曲は古関裕而。
- しかし、連続テレビ小説「エール」ではこの曲に関するエピソードはなかった。
スマイル(ホフディラン)[編集 | ソースを編集]
- ♪いつで~も すまい~る しよ~ぜ
- 元気ハツラツ!オロナミンC。
- ホフディランのメジャーデビューシングル。
- 令和時代の人からすると、「ホフディランって誰それ?」状態。一般的には森七菜の歌だと思われている。
- 森七菜のカバー版の制作にあたっては、ホフディランがプロデューサーとして関わっている。
- このカバー版は、CM版とは別テイクらしい。
- 実は初期のこち亀のエンディング曲。
スマイル・フォー・ミー(河合奈保子)[編集 | ソースを編集]
- 元々コンサートとかで歌ってた曲。ファンの要望がデカすぎてシングル曲にしたところ、ヒットした。
- 1981年紅白出場曲。この曲が初出場だった。
- マイクスタンドと衣装にこだわってプロモーションをやっていた。
- ベストテンだろうがトップテンだろうが関係なしに、専用のマイクスタンドを使っていた。
すみれ September Love[編集 | ソースを編集]
- 元々は1982年に、一風堂というバンドがリリースした。
- 当時、カネボウ化粧品のCMソングに使われたことで、約45万枚を売り上げる大ヒットとなった。
- その後1997年に、IZAM率いるビジュアル系バンド「SHAZNA」がカバーして、こちらも大ヒットとなった。
- 他には、『お江戸-O・EDO-』で知られるカブキロックスがカバーしたバージョンもあるがこちらは、あまり知られていない。
Smells Like Teen Spirit[編集 | ソースを編集]
- ニルヴァーナの歴史的名盤『ネヴァーマインド』の収録曲で、彼らの代表曲。
- 曲名の「Teen Spirit」は一見意味深に聞こえるが、実はデオドラント(制汗剤)の商品名に由来している。
スリル(布袋寅泰)[編集 | ソースを編集]
- BE MY BABY以上に”BABY”と連呼する(水曜日のダウンタウン調べ)
- BE MY BABYは2位。どっちも布袋じゃねーか!
- 目が痛くなるMV。
- 例えるとするならポケモンショック並らしい。
- ポケモンショックの1年前(つまり規制前)に作られたものではあるが、公式YouTubeチャンネルには特に修正されずにそのままでアップロードされている。
- 例えるとするならポケモンショック並らしい。
- 江頭2:50の登場曲として有名。
- 江頭のテーマとしては非公認らしい。
- あまりにも定着したせいか、音楽ゲームのjubeatやREFLEC BEATの選曲画面でも、イントロからプレビュー再生されていた。
- 歌モノ楽曲でサビではなくイントロを流していたのはとても珍しい。
- プロレスファンにとっては男色ディーノの登場曲として有名。
Through the Never[編集 | ソースを編集]
- Metallicaの名盤「ブラック・アルバム」収録の曲。
- 曲よりも何よりも「寿司・鳥・風呂・寝ろ!」の空耳で有名。
スローモーション[編集 | ソースを編集]
- 言わずとしれた昭和の歌姫 中森明菜のデビューシングル。
- 実はオリコンでも最高で30位程度と、正直あんまり振るわなかった。
- 結局、この曲が、広く知られるようになったのは、中森がセカンドシングルの少女Aで売れてから。
- 中森本人は少女Aのツッパリ路線より、スローモーションの乙女な世界観のほうが好きだったらしい。
- 結局、この曲が、広く知られるようになったのは、中森がセカンドシングルの少女Aで売れてから。
- 来生姉弟の作詞作曲。
- 中森のシングルが発表されたのが昭和57年の上半期。
- その翌年には来生たかおがセルフカバーしていたりする。
- 2010年代の漫画『スローモーションをもう一度』で、1980年代の文化を愛する若者が、同じ趣味を持つ同世代に出会うきっかけとなったのがこの歌だった。
せ[編集 | ソースを編集]
セーラー服を脱がさないで[編集 | ソースを編集]
- おニャン子クラブのデビュー曲。
- 他にもファンの間で人気のあった曲があるにはあったが、これのインパクトが強過ぎてファンじゃない人から一発屋扱いされかねない。
- その知名度からおニャン子クラブの再集結はもちろん、AKB48全盛期の音楽番組のアイドル戦国時代特集でも歌われていた。
- 後に、JAL日本航空のCMソングとなったことでも知られる。
- やはり、タイトルと歌詞のエロさのインパクトがありすぎた。
- ちなみにタイトルは高校(に限らないが)を卒業することを「制服を脱ぐ」ということから来ていると考えられる。
- そのくせ、セーラー服姿でテレビに出たりコンサートやったりするときは、スカートが膝下までちゃんとあったりと健全な感じであった。今にして思えば、結構ウケる。
- 当時「夕焼けニャンニャン」のテーマソングに使われていた。
- 発売当初は、関東地区ではけっこうな売り上げをマークした一方で、「夕ニャン」がネットされていない地方ではトップ100にも満たなかったという。
- 「新田恵利がソロパートを歌うと耳を塞ぎたくなる」と思ってた人は多い。そして、それを口にして新田ファンと喧嘩になる子が多かった、当時の小中学校。
- こんな曲を作詞して女子高生や女子大生らに歌わせた挙句、その中の一人と結婚したおっさんがいたという、よくよく考えるとかなり気持ち悪い事実・・・・・・
SAY YES[編集 | ソースを編集]
- CHAGE&ASKAの名曲のひとつ。
- フジテレビ系のテレビドラマ『101回目のプロポーズ』の主題歌として知られる。
- 最初のシングル発売から13年後の2004年、三菱・グランディスのCMソングに起用された。
- 同年にカップリング曲を既発のシングル3曲に変えリマスタリングを行ったマキシシングル『SEAMLESS SINGLES』として再発、ちょっとしたリバイバルヒットになった。
青春アミーゴ[編集 | ソースを編集]
- 亀梨和也と山下智久によるユニット、修二と彰の曲。
- 昭和歌謡を思わせるメロディは2005年の若者にとって新鮮に聞こえただろうと分析しているブログがあった。
青春狂騒曲(サンボマスター)[編集 | ソースを編集]
- 2004年に発売されたサンボマスターの3枚目のシングル。
- テレビ東京系のアニメ『NARUTO -ナルト-』の5代目のオープニング曲。
- 使用期間は2004年9月29日から2005年3月30日まで。
- PVは「廃墟バージョン」と「サンババージョン」の2つが存在する。
セイリング(ロッド・スチュワート)[編集 | ソースを編集]
西城秀樹によるカバー[編集 | ソースを編集]
- ファンからは、スタジアムコンサートでの最後の曲として何回も歌っていたことで知られている。
- これらの音源の日本語の歌詞は、原曲とややニュアンスが異なる。
- ラジオの特番『ヒデキ三昧』では、1979年の音源が紹介された。
sailing day[編集 | ソースを編集]
- 2003年に発売されたBUMP OF CHICKENの6枚目のシングル。
- BUMP史上初の両A面シングルとして発売された(もう一つのA面シングルは「ロストマン」)。
- 後に曲順を入れ替えたバージョンも3ヶ月限定で販売。
- ONE PIECEの映画の主題歌として使用されたこともあり、歌詞もどことなくONE PIECEっぽい。
- PVにはルフィっぽい格好の人が出てくる。
世界に一つだけの花[編集 | ソースを編集]
- 言わずと知れたSMAPの代表曲の1つ。
- 発売当時はイラク戦争真っ只中であり、平和を問う人々が多かった事から大ヒットに繋がった。
- SMAPが最後に公の場で歌唱したのもこれ(『SMAP×SMAP』最終回)。
- 教科書にも掲載されている。
- ちなみに小説『だいじょうぶ3組』では、教師の主人公がこの歌の歌詞があまり好きではないと話す場面がある。
- しかしながら発想自体は1999年に槇原敬之が覚醒剤所持で逮捕され拘置所に収監された時に出会った人の言葉から得ているんだとか。
- SMAPが解散して以降はSMAP版は流れなくなり(局側の自主規制)、槇原敬之版が流れるようになったが槇原も2度目の逮捕以降は音楽番組でジャニーズ事務所所属の後輩がカバーする程度に止められている。
世界の国からこんにちは[編集 | ソースを編集]
- 三波春夫先生の名曲のひとつ。
- 三波本人も後に「東京五輪音頭」とこの曲を「生涯の宝物でございます」と語っている。
- 1970年大阪万博のテーマソングとして有名。
- 2005年の愛・地球博こと愛知万博の際には、三波春夫氏の息子・三波豊和氏がカバー。
- それ以降、様々なCM等で使用された。
- スーパーマリオがこの曲を歌ったことがある。
- 今だと「20世紀少年」の替え歌「ハロハロ音頭」を連想する人もいそう。
世界タービン[編集 | ソースを編集]
- 平沢進がP-MODEL凍結後、ソロ活動になって初めて発表したシングルの楽曲。
- 平沢進初心者向け楽曲。
- というか初心者向け適性試験曲。
- タービンが回ってるなら大丈夫だ。
- 冒頭と間奏に出てくる「ミョングミラー、テチーター」という言葉は、古代朝鮮語で「銅鑼を一回打ち鳴らして、行進曲の演奏を始めろ」という意味らしい。
世界はそれを愛と呼ぶんだぜ[編集 | ソースを編集]
- サンボマスターの5枚目のシングルであり、同バンドにとっての代表曲。
- フジテレビ系のドラマ「電車男」のエンディング曲でもある。
- 因みにエンディングの映像は終電が出た後の秋葉原駅の3階・中央総武線のホームで撮影された。
セカンド・ラブ[編集 | ソースを編集]
- 曲のタイトルはセカンド・ラブだが、中森明菜のサードシングル。
- 少女Aの突っ張り路線からは、180度転換した感じのバラード。
- 中森明菜はこの曲に出会って初めて、自分らしい曲が来たと思ったらしい。(少女Aのツッパリ路線は本人的には嫌だったというのは割と有名な話。)
- この曲もスローモーションと同じく来生姉弟の作詞作曲。
- そしてスローモーションと同じタイミングで来生たかおがセルフカバーしてる。
- ♪恋も二度目なら少しは上手に愛のメッセージ伝えたい
- イントロほぼなしで、こんな歌い出しから始まる曲。
- ♪あなたのセーター袖口つまんでうつむくだけなんて
- こんないじらしい女性、現代どころか当時もおらんかったやろ。
- ♪「帰りたくない そばにいたいの・・・」その一言が言えない
- 1番のBメロが、また良い感じでAメロからサビの歌詞への橋渡しになっている。
- でも、時代によっては、重いメンヘラ女の歌と思われそうな感じもする。
- サビがまた切ない・・・
- ♪抱き上げて連れてって 時間ごと どこかへ運んでほしい
- ♪切なさのスピードは 高まって とまどうばかりの私
セクシー・ユー(モンロー・ウォーク)[編集 | ソースを編集]
- 1980年の郷ひろみの曲。
- 原曲は南佳孝「モンロー・ウォーク」。
世情[編集 | ソースを編集]
- 中島みゆきの4枚目のオリジナルアルバム「愛していると云ってくれ」に収録された曲。
- 1981年放送のドラマ「3年B組金八先生」(第2シリーズ24話、TBS系)では、加藤優(直江喜一)と松浦悟(沖田浩之)が警察に逮捕・連行される場面で挿入歌として使われた。
- このシーンは演出を担当した生野慈朗の独断によるアイデアだった。
- バラエティ番組では「強制的に連れ出される時の曲」「退場する時の曲」として使われがち。
- 格付けチェックでは浜田が「映す価値無し」になってしまった時の曲、タレント名鑑では小島よしおや千原ジュニアが退場処分になってしまった時の曲として使われている。
セシル[編集 | ソースを編集]
- 浅香唯の曲。
- 落ち込んでいるときにこの曲を聞くと無駄に励まされた気になる男が多いらしい。
- セシルというのはフランスの映画の主人公らしい。歌の中で「映画で見たセシル」という表現が出てくる。
- 作曲はロックバンドのNOBODY。ロックバンドが作曲したというのがちょっと信じられない。
瀬戸の花嫁[編集 | ソースを編集]
- 作曲を担当したのは、あの平尾昌晃。
- 平尾先生の告別式では、参列者全員がこの曲を歌って平尾先生を見送った。
- 作詞は山上路夫。こちらも結構な大物。
- 歌のモデルとなったのは、小豆島と尾道~松山あたりの島々。
- 前者は平尾先生が見た光景、後者は山上先生の見た光景らしい。
- ♪瀬戸ワンタン 日暮れ天丼 夕波こなみそラーメン
- 切れ目ごとに食い物の名前を入れる替え歌が流行った。
- 小柳ルミ子にとっては、「わたしの城下町」に続く大ヒットになった名曲。
- 小柳ルミ子が大澄賢也と離婚騒動になったとき、スポーツ紙にはこの曲をもじって「瀬戸際の花嫁」という見出しを打たれた。
- 香川県内では、JRの列車接近告知メロディー。
- 岡山駅でも瀬戸大橋線の列車接近メロディーとして使われている。
- 1972年の日本レコード大賞では大賞の大本命だったが、最終的にはちあきなおみの「喝采」に敗れ、歌唱賞に回った。
Separate Ways(ジャーニー)[編集 | ソースを編集]
- アメリカのロックバンド・ジャーニーが1983年に発売したアルバム『フロンティアーズ』に収録されている曲。
- TBSがWBCや侍ジャパンの関連試合の中継テーマソングとして使用していることで有名。
- 実は歌詞の内容はフラれた男性目線だったりする。
1986年のマリリン[編集 | ソースを編集]
- 本田美奈子生涯最大のヒット曲。
- 本田が前シングル曲の「Temptation(誘惑)」が各ランキングのトップ10に入らなかったことから、「自分の個性を出せる曲を出してほしい」とスタッフに依頼して作成された。
- 山本リンダの「どうにもとまらない」と同じくへそ出しルックの衣装が有名。
- 本田の生前はこの曲をリメイクする歌手はいなかったが、本田死去後に水樹奈々がキャラソンとしてカバーしている。
- 元AKB48の篠田麻里子が1986年生まれであだ名も「マリリン」であることから自己紹介時にこの曲名を使用することがあった。
全国高等学校野球大会の歌[編集 | ソースを編集]
- 1948年に発表された全国高校学校野球大会(夏の甲子園)大会歌。
- 一般的には「栄冠は君に輝く」として知られている。
- 高校野球を象徴する曲として、BGMに流されることも少なくない。
- 作詞は加賀大介、作曲は古関裕而。
- オリジナルの歌唱は古関と同郷で親交の深かった伊藤久男。
- 連続テレビ小説「エール」ではその過程が描かれた。
- 翌年夏の甲子園の開会式では、役を演じていた山崎育三郎が独唱している。
- 連続テレビ小説「エール」ではその過程が描かれた。
千年メドレー[編集 | ソースを編集]
この曲が含まれる公式動画:虎者 NINJAPAN 2021 [TORAJA NINJAPAN 2021]2021.12.11-12〈for JLODlive2〉
- 初出は1990年の舞台『少年隊PLAYZONE’90 MASK』の中で、東山紀之によって披露されたメドレー。
- このときの曲は「千年の季節」「Ever Dream」「ALL THE WORLD IS A STAGE」。
- 一部の歌詞が違う音源が存在する。その部分の曲名が「ALL THE WORLD IS A STAGE」であったり「She’s a Woman」だったりする。
- 『MASK』のサントラと舞台のビデオで曲名と歌詞が異なるのが少しややこしい。ちなみに、この舞台での「ALL THE~」がCD化されたのは2020年になってからだった。
- 「ALL THE WORLD IS A STAGE」の歌詞
- ♪今僕らのステージの輝きも ときめきだけを あぁ感じるための 幻さ いつか消える
- はどこか切ないイメージがある。
- ♪世界中が まるで 大きな舞台だね 与えられた時を 誰もが演じてる その場にふさわしい 『自分』になりきって
- はシェイクスピアの影響を受けているのではないか?と分析している個人ブログがあった。
- ♪今僕らのステージの輝きも ときめきだけを あぁ感じるための 幻さ いつか消える
- 作曲は林田健司。
- 歌詞が異なるセルフカバーである林田の曲「HEART OF GOLD」「JEALOUSY IN LOVE」が存在する。
- 大宮SK(大野智と二宮和也によるユニット)がライブでこのパロディをやったところ、上司から怒られたらしい。
- という話題がVS嵐で出たことがある。
千の風になって(秋川雅史)[編集 | ソースを編集]
- わざわざ項目に歌手名が付けられているのは、2006年の本曲以前に様々なバージョンが発表されているため。作詞・作曲された時期は2001年。
- 原詞は1932年にアメリカ人の一般女性が書いた詩とされているが、現在は著作権を主張する人が誰もおらず実質的にパブリックドメインの扱い。
- 当初は作曲者自身が周辺の狭い範囲に披露していただけのものだったが、2003年に詩が朝日新聞で紹介されたのをきっかけに少しずつ話題が広がる。
- 秋川雅史が2006年5月にリリースし、第57回NHK紅白歌合戦にて歌唱したことで一挙に有名になった。
- 声楽専門家としては異例のマキシシングルでの発売だった。
- 最も高い音がG4であるため、実はバリトンでも歌える。
- この曲で歌われる死生観に対し「墓参文化の否定だ」とクレームを付けた仏教学者がいる。
- そもそも元の詩がクリスチャンによって書かれたもの(異説あり)なので日本仏教とは死生観が合わなくて当然。
- 直訳ロックで有名な「王様」がこの曲のアンチテーゼとして、墓参文化をテーマにした「万の土になった〜お墓参りに行こう〜」を書いて歌った。
千本桜[編集 | ソースを編集]
- 多分多くの人がここからボカロに入った。
- もちろん代表曲である。
- 明治時代の日本を再現した曲らしい。
- PVは大正ロマンをイメージしたものである。
- そのせいか音楽ゲームでは日本のみ収録(または韓国の筐体だけ非収録)という措置をとることが一般的。
- jubeat saucer(2012年)でまさに「いまだけ楽曲」となってしまった原因でもある。
- ニコニコでは1000万回以上再生されているが、YouTubeでは…
- 千本桜!ビャオ!
- 小学生がこの曲をピアノで演奏する姿に脱帽。
- コスプレして演奏、ギャップに萌える。
- 国家。
- ご年配の方は、この曲をラスボス様こと小林幸子の曲だと思った人も少なからずいるかも知れない。
- 和楽器バンドがカバーしたバージョンも割と有名。
センチメンタル・ジャーニー(松本伊代)[編集 | ソースを編集]
- 松本伊代のデビュー曲として有名。
- 歌詞に、歌手自らの名前が入っていることでも知られる。
- これのために「永遠の16歳」とネタにされている。
センチメンタル・ジャーニー(ドリス・デイ)[編集 | ソースを編集]
- ドリス・デイの代表曲の一つ。
- オリジナルの演奏はレス・ブラウン楽団による。
- オリジナルの発売(1945年)から20年後、ドリス・デイはこの曲を再吹込みした。
せんせい(森昌子)[編集 | ソースを編集]
- 森昌子のデビュー曲。
- ちなみにこの曲を歌っていた当時、森昌子は14歳だった。
そ[編集 | ソースを編集]
宗谷岬[編集 | ソースを編集]
- 一応、宗谷岬を象徴する有名な曲なんだが...。
- 正直言って襟裳岬と比べると存在が地味というか、何というか...。
- 恐らくダ・カーポ版が一番有名か。
- なんせ「みんなのうた」で放送されたからね。
- 最北端の碑の近くにこの曲の歌碑があり、ボタンを押すと歌が流れる。
そして、神戸[編集 | ソースを編集]
- 1972年リリースの曲だが今では阪神淡路大震災からの復興を支えた楽曲というイメージも強い。
- NHKの歌番組でも曲の紹介で震災に触れられることが多い。
- 95年の第46回紅白歌合戦での歌唱が語り草になっている。
- 神戸からリクエストが殺到し被災地応援の特別コーナー(採点対象外)で取り上げられた。
- 署名運動まで行われたという。
- そもそも前川清が震災直後はしばらく封印していたこの曲を再び歌うようになったきっかけも神戸市の復興事業団からの要請だった。
- 神戸からリクエストが殺到し被災地応援の特別コーナー(採点対象外)で取り上げられた。
卒業(尾崎豊)[編集 | ソースを編集]
- 1985年リリースの卒業ソングの一つ。
- 10代の教祖こと尾崎豊の卒業ソング。
- ツッパリ目線で歌われた卒業ソング。
- この曲の影響で校舎の窓ガラスが割られまくったという噂がある。ゲームの真似して〇〇するからやらせないみたいな話がたまにあるが、先にやってたのお前らじゃんと思ってしまう。
卒業(斉藤由貴)[編集 | ソースを編集]
- 松本隆・筒美京平コンビが描いた卒業ソングと言えば、この曲。
- いまでも街頭でアンケートをとるとこの曲はかなり上位にランクインするらしい。
- ♪ああ 卒業式で泣かないと 冷たい人と言われそう
- サビのこの抒情的な歌詞とそれをうまくはめ込んだ曲。情感がある。
- 「ああ」の部分は、松本隆ではなく筒美京平が入れさせたらしい。
- ♪でももっと哀しい瞬間に 涙はとっておきたいの
- 「もっと哀しい瞬間のために涙をとっておきたい。」なんて普通の人には書けない歌詞だと思う。
- 同年に同じタイトルの別の曲を出した尾崎豊と斉藤由貴が付き合っていたのは意外とよく知られた話。
- ♪制服の胸のボタンを 下級生たちにねだられ
- こんな情景まだあるのだろうか……?
- ディレクターは長岡和弘。甲斐バンドでベーシストをやっていたおっちゃん。
- 詞先の曲。
- 斉藤由貴がオーディションで歌った『待つわ』(あみん)が、松本隆・筒美京平の心に残ったことから、彼女の曲は「詞を聴かせる曲」にしようということで、詞先になったらしい。
- 色んな人が色んな所でカバーしているが、この歌詞と曲調には斉藤由貴の声が一番しっくり来る。
- アレンジャーは当時まだ新進気鋭だった武部聡時代の武部聡志。
- ディレクターの長岡和弘が大抜擢した形。
卒業(菊池桃子)[編集 | ソースを編集]
- こいつも1985年リリースの卒業ソングの一つ。
- こっちは秋元康&林哲司コンビプロデュースの卒業。
- 比喩表現とかが少なく、ストレートなあたりが、秋元康っぽい。
- 斉藤由貴の卒業と同時期に発売された。
- ザ・ベストテンにも同日にランクインするなど、レースが繰り広げられたことは言うまでもない。
- 当時のオリコンチャートでは菊池の勝利に終わったが、今日広く知られているのは斉藤のほうと思われる。
- プロモーションの一環として菊池桃子主演で同名のドラマスペシャルが日本テレビの「水曜ロードショー」にて放送された。
- その後金曜ロードショーになって以降1度だけ再放送された。
卒業の季節[編集 | ソースを編集]
- 1969年に発売された、GSバンド「江田聖明とザ・ブレイズ」の2枚目、そして最後のシングル。
- 卒業による恋人との別れを歌った失恋ソングである。
- 曲中の台詞に「3月10日卒業まであと一週間」とあるが、このシングルの発売日が3月10日であった。
その先へ[編集 | ソースを編集]
- 2009年に発売されたDREAMS COME TRUEの45枚目のシングル。
- 同年の紅白歌合戦で紅組のトリを務めた時の曲でもある。
- フジテレビ系のドラマ「救命病棟24時」第4シリーズの主題歌。
- プロモーションビデオは東京湾アクアラインにある風の塔で収録された。
そばにいるね(青山テルマ)[編集 | ソースを編集]
- SoulJaの「ここにいるよ」のアンサーソング。
- 元歌もロングヒットしたが、本曲は元歌を上回るヒットとなり、オリコンの2008年度上半期シングル売上1位、ついにはダウンロードを含め日本で最も売れたシングルになった。
- 2008年のIFPI調べの全世界デジタルシングル売上でもLil Wayne「Lollipop」に次いで年間2位となった。
- シングルといっても当時全盛だった、ショート音源の着うたを含んだ売上ではある。
空に太陽がある限り[編集 | ソースを編集]
- スターこと、にしきのあきらの代表作。
- 2019年のグリーンダカラのCMは、出演者がこの歌を歌う映像だった。
空も飛べるはず(スピッツ)[編集 | ソースを編集]
- ドラマ「白線流し」の主題歌。
- 実は別のドラマの脚本をベースに作られた曲だというのはあまり知られていない。
- 当初は「めざめ」と名付けられていた曲で、歌詞も現在のものとは少し違っていた。
- 本格的にヒットしたのは発表の約2年後だった。
- 実は別のドラマの脚本をベースに作られた曲だというのはあまり知られていない。
- ♪君と出会った奇跡が この胸にあふれてる きっと今は自由に空も飛べるはず
- 感動のあまり、本当に空を飛ぼうとしても、飛び降り自殺にしかならないんじゃねえの、とツッコんではいけない。
- PVは廃病院で撮影されたらしい。後半のあるシーンに謎の影が映りこんでいるという都市伝説がある。
- 卒業ソングとしても有名で、卒業式の合唱で歌う学校もある。
- 何かのミスで、公式がYouTubeに上げているMV動画が勝手に削除されたことがある。
- 翌日に無事復活し、現在は普通に視聴できる。
- シングル版とアルバム版で歌い方が全然違う。
- ドラマで使われたのは後から録音したアルバム版の方らしい。
- ガールズユニット「さよならポニーテール」がカバーしたバージョンはアニメ「つり球」のエンディングテーマに起用された。
- FM802「OSAKAN HOT 100」では1994年に20週、1996年に17週連続でチャートインし、1996年には最高2位を記録した。
- この通算37週チャートインは、長らくスピッツの曲の同チャートでの最長記録だった(2021年10月現在は2位タイ記録)。
空と君のあいだに[編集 | ソースを編集]
- 日本テレビの名作ドラマ「家なき子」の主題歌として有名。
- なお、この曲はドラマに登場する主人公のペットの犬をモチーフにして作詞したとのこと。
- 同じく中島みゆきの歌う「南極大陸(TBSテレビ系)」の主題歌「荒野より」もこれまた、タロとジロを意識した曲となった。
- これのイメージ強すぎて、オールナイトニッポンでも「犬が好きなんですか?」という質問のメールが来ていた。
- なお、この曲はドラマに登場する主人公のペットの犬をモチーフにして作詞したとのこと。
宙船[編集 | ソースを編集]
- TOKIOの名曲のひとつ。
- 元々は、日本テレビのドラマ『マイボスマイヒーロー』の主題歌。
- 作詞は、中島みゆきであることでも知られている。
- 中島みゆきが歌ったバージョンも、もちろん存在する。
- 一時期鉄腕DASHで手作り船沈没のテーマとなっていた事がある。
- 日本レコード協会のダウンロード(着うた)でミリオン認定を受けている。
- ジャニーズ曲ではおそらく唯一のはず。
それ行けカープ 〜若き鯉たち〜[編集 | ソースを編集]
- それまで球団歌として使用されていた「広島カープの歌」に代わる新しい球団歌として1975年8月に発売。
- 因みに「広島カープの歌」は歌詞の一部を変更し「勝て勝てカープ」と改題され、現在もカープの公式応援歌として残っている。
- この年、カープの新監督に就任したジョー・ルーツは帽子の色をそれまでの紺から赤に変え、主力選手のコンバートや大型トレードなどでそれまで3年連続最下位だったチーム改革に着手。
- ルーツは15試合を指揮したところで監督を辞任したが、コーチから昇格した古葉竹織が阪神・中日との三つ巴を制して初優勝。
- 2014年からはカープファンを公言している著名人がこの曲を歌うリレー映像が制作され、試合開始前と7回裏のカープの攻撃前に流されている。
- このリレー映像はカープの公式YouTubeチャンネルで見ることが出来る。
- 今やカープ球団だけでなく広島を代表するご当地ソングとしての立場も確立している。
- 実は当初、歌い手の候補には古葉監督も挙がっていたらしい。
- 発表当時、読売ジャイアンツの監督であった長嶋茂雄に『あの歌を聞くと戦意を喪失する』と言わしめたことがある。
それが大事[編集 | ソースを編集]
- 1991年に発売された大事MANブラザーズバンドの3枚目のシングル。
- 当初はテレビ朝日系で放送されていた『スポーツフロンティア』という番組のエンディングテーマとして起用されていたが、この時点ではヒットには至らなかった。
- その後、フジテレビ系の『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』のテーマソングとして起用されると大ヒットし、累計の売上は180万枚を記録。
- 因みにボーカルの立川隆之は後に「印税収入は全く入らなかった」と語っている。
- サビの歌詞に「それが一番大事」とあり、「どれが一番なのだろうか?」というツッコミどころになっている。
関連項目[編集 | ソースを編集]
楽曲 |
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