横浜F・マリノス
横浜F・マリノスの噂[編集 | ソースを編集]
- 「F」はそろそろ返上したら?
- 横浜FCがJ1昇格したので返上してもいいと思う。
- いっそのこと「横浜マリノス・A」というのは?(AはANAのA)
- 藤子不二雄かよ。ってか名案だとは思う。
- かえって「アマチュア」の略にも見える。
- 日産時代からのファンとしてはFはいらない。
- 相手が要らんと言うから返すに返せんしな…。
- ならば捨てなさい。
- 試合の後横浜駅辺りで騒ぐサポーターがウザイ。
- TBSがバックについてる。
- それじゃあ、人気が上がる訳が無いなw
- Jリーグ初期はヴェルディ戦が一番客呼べるカードだったが、ヴェルディが凋落しどうでもいいカードに。
- しかし2001年にはヴェルディとマリノスがそろってJ2落ちの危機に陥った。
- 実は、Jリーグ公式戦の最多観客動員記録を持っている(2004年CS第1戦)。もっとも相手が相手だったからだが。
- 年間平均観客動員数が、瞬間最大風速ではあるが6万人超えを突破した(2008年第1節終了時点)唯一のクラブ。もっとも、この時も相手が相手だったからだが。
- 実は、Jリーグ公式戦の最多観客動員記録を持っている(2004年CS第1戦)。もっとも相手が相手だったからだが。
- そもそもヴェルディとはカテゴリーが違う。曲がりなりにも、こちらはJ1。ヴェルディはJ2(笑)
- しかし2001年にはヴェルディとマリノスがそろってJ2落ちの危機に陥った。
- Jリーグ一、親会社の色が強いチーム。
- 正直、ネーミングライツの意味がない。
- 日産スタジアムでトヨタカップをやった時はサスガに正式名称で呼んでたけど。
- トヨタカップ(クラブW杯)はFIFA主催大会のため公式スポンサー以外は使いたくても使えないのが真相。
- Y売のW辺オーナーがJリーグから手を引いたため、という説が濃厚。
- 日産本社が移転するという噂のみなとみらいに立派なクラブハウスが出来ていてビックリした。あんな吹きっ晒しの場所で練習するのは大変そう…。
- 借地料が年5億円らしい。そんなお金があるなら、選手強化に使う方がはるかに理にかなってるんだが、フロントだけがそのことに気づいてない。
- 結局借地料が高すぎてライセンス問題にも触れてしまうとして、2016年限りで閉鎖。17年からは新横浜周辺に集約。
- 正直、ネーミングライツの意味がない。
- ギャルサポが多い(気がする)。
- マリノスのGKは危なっかしくハラハラさせるのが伝統になりつつある。
- 第3・第4GKが他チームに行くと正GK⇒代表候補⇒いつの間にか消える。
- 何故ここのGKは相手FWをドツきたがるのだろうか?(いずれの場合も一発退場になるのは言うまでもない)
- 合併された方のGKは審判をドツいた。
- 日産スタジアムはW杯決勝で使われた事で有名だが、実際に観戦する側になると観にくくて不評。
- 2階へ行けば結構何とかなるらしい
- グラウンド部分にフクアリがすっぽり入る。一階の前のほうの席で見てると、ピッチ上でなんが起きているかサッパリ分からない。
- ピッチからの距離だとフクアリの最後部座席よりもここの最前列のほうが遠いらしい。
- 個人的には日本平が1番観やすいと思ってるけど。
- 新人のココリコ田中こと長谷川(以下略)にチームの命運がかかっている。
- 2012年、FC東京に移籍。
- 更には、同年に代表にまで選出されました(苦笑)
- 「出ると活躍する」が10年来の伝統となっている。(石川が東京に来たのが2002年)
- 但し、逆にヴェルディからマリノスに来る選手は殆どマリノスでブレイクしている。(例)ボンバー中澤、マルキーニョス、田中(隼、彼の場合は期限付き移籍から復帰しただけだが)etc
- この男が得点するとスタジアムが完全に西武球場と化す。
- あとは2012年のカンペーこと冨澤もか。
- 2014年にJ1通算100試合出場を祝し、寛平師匠「ご本人」が三ツ沢に駆け付けた。
- 但し、逆にヴェルディからマリノスに来る選手は殆どマリノスでブレイクしている。(例)ボンバー中澤、マルキーニョス、田中(隼、彼の場合は期限付き移籍から復帰しただけだが)etc
- 「出ると活躍する」が10年来の伝統となっている。(石川が東京に来たのが2002年)
- 更には、同年に代表にまで選出されました(苦笑)
- その後国内ではC大阪(2014~2015途中)⇒湘南(2016)⇒大宮(2017)と転々と移籍しているが、どういう訳かこの3クラブ在籍時にJ2降格に関与してしまってる…2017年シーズン終了時点で3つてもう降格請負人レベルだろ…
- 2012年、FC東京に移籍。
- 何となく日本代表のユニホームと似ている気がするのは気のせいか?
- かつて天皇杯で高校生相手に負けかけた(延長PKで辛くも勝利)のは今でも語り草。
- 翌年2004年もリーグ連覇したのにJ2昇格が決まったばかりのザスパ草津に負けたな。
- Jリーグができてから天皇杯にだけは縁がない(Jリーグ開幕前年の1992年に優勝したのが最後)。
- というか天皇杯では、J1のチームの中でも、J2以下の下位リーグ所属チームに金星を献上してしまったことが多いチームであるが、学生チームやクラブユースチームに対してはまだない。
- 2003年の天皇杯で、前半2点もリードしていたところを後半で同点にされて延長までもつれ込み、危うく負けかけ、且つ同年のリーグ年間王者だったプライドが一気にズタズタにされかけた。
- 2003年の天皇杯、市立船橋高戦。PK戦で何とか勝ったものの、試合後のマリノスサポは大「イチフナ」コール&大拍手で市立船橋高イレブンの健闘を称えた。当然マリノスには大ブーイング。
- 逆に市立船橋はその後の全国高校選手権の準々決勝で鹿児島実業に敗退。市船はピークの持って行く場所を完全に間違えた(笑)。
- 2011年はJ2の京都に負けて天皇杯の決勝がJ2同士という波乱を演じる。
- 一応、マリノスは天皇杯ベスト4ですが…。そこは決勝まで行けた京都を称えるべき。
- 日向ぼっこっとブラジル旅行が趣味の強化部長がいる。おかげで3トップの真ん中が師匠という小学生が強化部でもやらないような補弱が実施される。
- ベガルタ仙台からロペスが移籍した。マリサポの皆さんは、ドンキホーテからアフロのズラを買って用意しておきましょう。
- 2008年限りで退団。
- 「トリパラ」なる傘が応援グッズである。ヤクルトじゃあるまいし。
- 2008年は、浦和で始まり浦和で終わる。
- おかげで、ほんの一瞬ではあるが「シーズン平均観客動員数」が前代未聞の6万人台を記録した唯一のクラブとなった。すぐ急降下したけど。
- 2008年ヴェルディの二の舞になりそうな予感が・・・(18節終わって16位)
- いや、横浜FCの二の舞だったりして・・・
- 2008年9月23日の対川崎戦にて、中澤がヘディングで2得点を挙げた。1点はマリノスの得点だったが、もう1点は・・・。
- いわゆる「こけら落とし」の試合にアウェイチームとして戦う数が、他のクラブと比べて飛びぬけて多い。
- 主なものだけで、
- 1993年のJリーグ開幕戦(対ヴェルディ川崎・国立霞ヶ丘競技場)
- 2001年の埼玉スタジアム2002オープニングゲーム(対浦和レッズ)
- 同年の札幌ドームのサッカー競技場としてのオープニングゲーム(対コンサドーレ札幌)
- 同年の神戸ウイングスタジアムのオープニングゲーム(対ヴィッセル神戸)
- 2005年のフクダ電子アリーナオープニングゲーム(対ジェフ千葉)
- …など。しかも、これらの試合では一度も負けたことがない。
- 主なものだけで、
- 2008年にはチーム得点王を切るというなかなか説明のつかない大暴挙に出た。
- 外国人選手ならば例はたくさんあるけどね。日本人得点王はなかなか切れない。しかもその切られた選手は、移籍した先で年俸がアップしたという噂であり、その点でも説明困難である。
- いよいよユニフォームネームを採用するが、そのネームがえらいことになっている。
- 正直、ユニフォームネームはふざけすぎだと思う。女子バレーじゃないんだから。
- 2010年ミスターマリノスが監督就任するが、どうもジーコ臭が…。コーチ経験すらないし。
- 2011年天皇杯で京都に負けて解任が決定しました。
- リーグでは5位、天皇杯はベスト4なのに…。ACL逸したのが最大の要因だろうか?
- 和司はミスターマリノスと言うよりミスター日産かな?ミスターマリノスは松田直樹かと思うが、移籍先で不幸に遭われた事が悔やまれる。
- 2011年天皇杯で京都に負けて解任が決定しました。
- 2009年はチーム内得点王が新人の渡邉千真であった、渡邉が加入していなかったら深刻な得点力不足だったであろう。
- それなら大島に戦力外通告していないだろう。
- その渡邉千真だが、高校時代に天皇杯で川崎と対戦した時はMF起用だった。
- 渡邉も長谷川ナントカと共にFC東京へ。
- チーム名に入っている『・(中黒点)』がしばしばシカトされるのが気になる。
- コロコロコミックに漫画を持っていた。
- 昔、公式ホームページで「愛媛FC」を「愛知FC」と表記したことがあった。しかもご丁寧にリンク先も愛知FCの公式。
- J2(もしくはJFL)からの初昇格チームとの初対決になぜか弱い。古くは1994年の平塚(現湘南)、2000年のFC東京、2005年の大宮、2006年の甲府、2007年の横浜FC、2009年の山形・・・そして2012年は鳥栖にまでヤられた。モチロンわざとではないと思うが、お人よしにもほどがある!(悲)
- 流石に2014年の徳島には勝てた。
- 2013年終盤に、残り2節で1勝すれば優勝と言うところで「この街に、頂点を。」をとか言うプロ野球の阪神におけるVやねん!みたいな事をしてしまった(笑)
- 天皇杯決勝でリベンジ。相手が「天皇杯シルバーコレクター」で助かった?
- 2010年から日産スタジアムでのシーズン初勝利を献上したアウェイクラブは降格すると言う「デスゴール」並に恐ろしいジンクスがある。
- 中でも湘南が3回(2010・2013・2015)喰らってるが、3度目の2015年は降格しなかった。
- 大都市でおしゃれな街・横浜のチームなのに、Jリーグ創世記からヴェルディ・ジュビロ・レッズなどの台頭で何となく影の薄いチーム。
- 2017年は名古屋グランパスの降格に伴い、Jオリジナル10で現存する降格無経験はここと鹿島アントラーズのみになってしまった。
- 時々ユニフォームがSAMURAI BLUEに見える。特に中村や中澤が出ている時や、岡田武史が監督をやっていた時は「あれっ?代表の試合・・・?」と見間違えるほど。
- F横の火曜日朝に「経済情報コーナーなのに経済情報そっちのけでマリノスの事を語る銀行員とDJ」という謎のコーナーを持っている(ちなみに月曜にも経済そっちのけベイスコーナーがある)。
横浜フリューゲルスの噂[編集 | ソースを編集]
- Jリーグ初年度からの参加チームでありながら資金難により1998年にチーム消滅。
- 消滅発表後から最後までのフリエの公式戦は敗戦なし。2016年流行語大賞をもじればまさしく「神っていた」。
- Jリーグ最初の試合(エスパルス戦)でホームゲームにもかかわらずスタンドがオレンジに染まったのは秘密。
- チケット買えなかった・・・。
- 公式戦最後(天皇杯決勝戦)の試合も奇しくもエスパルス戦であった。
- Jリーグ初期は長崎・熊本・鹿児島を特別活動地域にしていたために肝心の三ツ沢でのホームゲームが少なかったのも秘密。
- それが消滅の遠因となったと思っているサポは…少なく無いと思う。
- ここの親会社の一つだった佐藤工業の幹部がJリーグのチーム名に企業名は付けられないと聞いて「清水や鹿島(カジマ)が良くてなぜウチは駄目なんだ」と見当違いの抗議をしたのも今や昔。
- それを言っていたのは勘違いしたサポーター側。
- 森"レゲエ"敦彦や(ホ)モネール、楢崎正剛、前園真聖、反町康治などの個性的かつ実力派の選手がかつて在籍していた。
- エドゥー(フリーキックの上手い方。そうでない方は清水所属)とかアマリージャとかバウベルとかも居た。
- ジーニョやサンパイオも居たしな。フットレもわずかに居た。
- 反町選手は実は在籍時はアマチュア(全日空からの出向)だった。
- ベルマーレの小島共々、サラリーマン選手として有名だったよなぁ。
- 現:ガンバ大阪の遠藤が居たことが知っている
- 楢崎や遠藤がその後代表で活躍しあれだけの選手になっただけに、もしあのまま消滅せず健在だったらかなりの強豪クラブになって少なくとも1回はリーグ優勝していたのは間違いなかっただろうな…などと考えるサッカーファンは多いはず。
- その2人しかフリエ戦士の生き残りがいない。(2017年時点)
- 楢崎は2018年で引退、遠藤が最後のフリエ戦士になった。(2019年時点)
- その2人しかフリエ戦士の生き残りがいない。(2017年時点)
- 読売系のメディアは、当初、チーム名を「AS」と表記。
- 「ANA SATO」の略。日テレでは「AS横浜フリューゲルス」だった。
- tvkでは「横浜ASフリューゲルスアワー」という応援番組があった。
- 「ANA SATO」の略。日テレでは「AS横浜フリューゲルス」だった。
- 最後の天皇杯で優勝した翌日消滅。
- 試合中継で当時の実況アナ名言集。
- 試合前「いつもの空、いつもの風そしていつもの芝。しかし、空気だけは今年は違います。第78回天皇杯決勝戦。全国に共感を巻き起こしながら今日が最後の横浜フリューゲルス。」
- 試合後「私たちは、忘れないでしょう。横浜フリューゲルスと言う非常に強いチームがあった事を。東京・国立競技場、空はいつでも横浜フリューゲルスのブルーに染まっています。」
- 試合中継で当時の実況アナ名言集。
- THE ALFEEがテーマソングを歌っていた。
- ちなみにこの曲、大阪近鉄バファローズの応援番組でも優勝目前に流れていた。その3年後、近鉄もフリエと同じ運命に・・・。
- 勿論、移動はANAだった(機内で選手たちを見た事がある)。しかし、ANA撤退が報じられたときには、ANAへの抗議のため新幹線を使った事がある。
- ライバル会社を利用したサポーターもいる。
- Jリーグでは非常に珍しい白ベースの1stユニだった。
- 紺色の2ndユニは、対アビスパ、ヴィッセルとのアウェイ戦でようやく陽の目を見ることになった(どちらのチームも前者はシルバーというかライトグレー、後者は白地に黒の太い縦縞が入った1stユニを着用していた為)。
- 1995年のカルビーのJリーグチップスカードで「キーパーとして体格に恵まれているほうでは決してないが、それを補う天性の反射神経でマリノス・ゴールを死守する。」と書かれてしまった森敦彦。
関連項目[編集 | ソースを編集]
明治安田生命Jリーグ-2023