沖縄/中頭
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沖縄・中頭 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
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中頭ぬ噂[編集 | ソースを編集]
読 谷 |
沖 縄 |
う る |
伊 | |||||
ま | 平 宮 | |||||||
嘉手納 | 浜 | |||||||
北谷 | 北中城 | |||||||
宜野湾 | 中 城 | |||||||
浦添 | 西 原 | |||||||
那覇 |
- 道路の両脇にはフェンスが張られている。(米軍基地)
- 1954年8月31日まで、那覇市首里地域も中頭郡管轄だった。琉球王朝時代は首里を中心に中山が形成されていたのに、那覇に奪われたのである。
- ただし市制は1921年5月20日で、那覇市と同時であった。沖縄戦後の再市制は1945年10月ごろと推定されている。
沖縄市ぬ噂[編集 | ソースを編集]
- 旧コザ市。
- パークアベニューが廃れている。
- 銀天街周辺はもっと悲惨(2009年6月確認)。コザ十字路周辺はこのまま住宅街+自然に還るのか?
- 一応川沿いは自然回復工事やってますが・・・・・・
- 銀天街はアーケードまで消えてしまった。
- 沖縄版釧路市って感じがする。
- 今はコザよりも美里の方が栄えている。
- その美里も泡瀬周辺と安慶名周辺
- 米兵が夜間に外に出れなくなった上に周辺市町村にイオンやサンエーが建てられてさらに衰退した。
- 銀天街周辺はもっと悲惨(2009年6月確認)。コザ十字路周辺はこのまま住宅街+自然に還るのか?
- コザ市はアメリカ人が間違えてつくってしまった。もともとはゴヤ(胡屋)という名前。
- "Koya"を筆記体で書いたら"Koza"になっちゃったという。
- 古謝(こじゃ)っていう地名もある。
- 越来(ごえく)ともいった。
- 越来(ごえく)さんという名字も市内に少数存在。
- 胡屋交差点とコザ交差点が別々にあるのでますますややこしい。
- 1970年に米兵が飲酒運転で女性をひき殺したのに裁判所は無罪判決を出した。そのため暴動が起こった。
- 合併で「沖縄市」になるとした時、那覇市から反発を受けた。
- 県庁は結局奪えなかった。
- コザはオレンジレンジの地元でもある。
- 広島東洋カープのキャンプ地である。
- ミュージックタウンに対して地元から落胆と反発の声がある。
- コリンザもハコモノ状態。最近は市民図書館が入ったが。
- コザ共和国がある。
- 近い将来、北中城村のベッドタウンになる。市名も第二北中城市となる予定。
- むしろ嘉手納市だな。もっとも泡瀬ゴルフ場跡地の一部にはイオンモールパックス(仮)が誕生する予定だが。
- そこのイオンは信号機の面白・変わった地名にも載っているライカムの名が冠せられるようだ。
- 北中城のベッドタウンというより、北谷や具志川のベッドタウンと言った方がいいか。
- むしろ嘉手納市だな。もっとも泡瀬ゴルフ場跡地の一部にはイオンモールパックス(仮)が誕生する予定だが。
- 島袋琉映があった。
- 2007年8月に閉館。現在はKoza Rock Theaterというライブハウス。
- Rock Climbing Theaterのような気もする。
- 末期は×××な映画ばかりやっていた。
- 2007年8月に閉館。現在はKoza Rock Theaterというライブハウス。
- どういう訳か「京都観光ホテル」がある。
- 廃業して今は駐車場。
- というかそこもうすぐ「3A」になる。
- 東京第一ホテル沖縄(略)というのもできた。
- これはわけあり。沖縄第一ホテルというのが那覇市安里にあるから。
- 一時期系列化を模索していたとか。
- 東京を取って第一ホテル沖縄(略)でもいいだろ。
- ちなみに、そのホテル、バブル期に建設され沖縄最大の廃墟同然だった時代が十数年続いた後、まず米軍が利用、その後(略)のホテルとなった
- (略)=グランメールリゾート
- 入口がシーサーだらけで面食らった。
- ちなみに、そのホテル、バブル期に建設され沖縄最大の廃墟同然だった時代が十数年続いた後、まず米軍が利用、その後(略)のホテルとなった
- これはわけあり。沖縄第一ホテルというのが那覇市安里にあるから。
- 廃業して今は駐車場。
- 戦前、泡瀬には馬車軌道が与那原まで続いていた。
BCコザぬ噂[編集 | ソースを編集]
- コリンザの成れの果て。
- ミュージックタウン音市場と一緒に沖縄市のハコモノ扱いされている(音市場の方が圧倒的にマシだけど)。
- 生きた廃墟として一部で有名だった。
- 駐車場が有料だったので来る人は少なかった。
- 食品スーパー撤退→ベスト電器&ダイソー入居→それらも撤退して1~2階が廃墟化という感じだった。
- 今はネーブルカデナが一番の廃墟モールか。
- そもそも墓地だったところに建てたため、呪われているとも言われていた。
- 1階は市立図書館が移転してきたが、2階は今でもコールセンターしかないため不気味に静か。
- 3階はハロワと劇場と物産館、そして何故か高齢者向けパソコン教室が入る(図書館が来る前からあるそうで)。
うるま市ぬ噂[編集 | ソースを編集]
- 具志川市+石川市+与那城町+勝連町
- 2つの市があった名残で、警察署は旧石川市とそれ以外で管轄が違う。
- 基地がそのまま市になった。
- 市の名前「うるま」はもともと沖縄全体を意味する言葉。
- なぜか韓国の鬱陵島を指したとも言われている。
- 当のうるま市の海は東海岸にあるためサンゴが少ない。
- うるま=珊瑚(本土の人の為・・・)
- 漢字で書けば「宇流麻」。
- 「いるま」市ではない。それは埼玉。
- HYの出身地。
- 「うるま市」の名称は賛否両論あるが若者からは結構不評。
- 「おしりかじり虫」を作った人達とは関係ない。
- 海中道路は別に海中を通っているわけではない。直線道路なので観光客がよく飛ばして警察に捕まる。
- うるま市には「安慶名」「屋慶名」があり、隣の沖縄市には「安慶田」があるので紛らわしくてしょうがない。
- そのせいか安慶名の小学校の名前は平仮名表記。
- 「うまる市」ではない。
石川[編集 | ソースを編集]
- 旧石川市は戦後まもなくは沖縄の中心だった。
- だが、なんか沖縄らしくない市名。
- 石川県には石川市はない。ちなみに松任を中心とした市町村合併(白山市になった)では「新石川市」や「いしかわ市」が候補になったそうな。
- 石川郡はあります。
- 方言の「いひちゃー」に当て字をしたらこうなっただけで偶然とも取れる。
- 単純に収容所が石川にできたってだけの理由だったような。解散されたら一気に人口減ったらしいし。
- 収容所ができて市になったのは他にも知念などがあるが、なぜかここだけ解散後も平成まで市のまま残った。
- そのため全国で唯一市域人口が3万人を超えたことがないらしい(合併前に3万人突破して、市制直前に下回ったところは除く)
- 元々は美里の一部だった。
- 北海道・筑豊の炭鉱都市が衰えるまで日本で一番人口の少ない市だった。
- 『石川香水』という天然物の香水が、国道329石川バイパスで嗅げる!おためしあれ。
- 沖縄の人たちは、前々から石川を市とは思ってなかった。
- 中日ドラゴンズのキャンプ地だったころがあった。
- 大きいサンエーが具志川に続いてここにも出来た。平屋だけど。
- 東恩納という地名があるが、恩納から見たらこっちは明らかに南な気がする。
具志川[編集 | ソースを編集]
- 石川より栄えていないが、何故かうるま市の中心庁舎が設置された。
- 人口的にも地理的にもには具志川で良かったと思うけど。
- 国指定の史跡である安慶名城跡が存在する。
- 若い人は大体メインシティや具志川ジャスコに遊びに行く。
- 最近は一部が北中のイオンモールに吸われているが。
- きらら系漫画の「はるかなレシーブ」の舞台はここ。
与那城[編集 | ソースを編集]
- 平安座島には石油基地があるため、戦争になれば真っ先に狙われるであろう。
- どこと戦争になるかにもよるだろうけど真っ先に狙われるのは確実に那覇だと思う。西海岸だし。
- 中国と戦争だとしても、おそらく空爆はされそう。
- 沖縄本島以外で唯一のローソンが平安座島にある。
- 海中道路で陸続きなので離島とは言えないが。
- 「N高等学校」の本校がある伊計島はここの一部。
- 読みは「よなぐすく」ではなく「よなしろ」。昔は前者だったが。
- 沖縄のバスの行き先とかHYの出身地でお馴染みの「屋慶名」はここ。
勝連[編集 | ソースを編集]
- 世界遺産の勝連城跡がある。
- 城跡から眺める海中道路と平安座島などを含む風景は絶景。
- 勝連城最後の按司である阿麻和利は謀反人とされ王府軍に討たれたが、地元の伝承やおもろさうしに収められた歌では名君として讃えられている為、未だに評価が分かれている。
- 平成28年の発掘調査に於いて国内では初めてローマコインが出土した。
- 特産物はモズクと津堅島のニンジン。
- 浜比嘉島もここに所属していた。だが海中道路と浜比嘉大橋架橋で飛び地になってしまっていた。
浦添市ぬ噂[編集 | ソースを編集]
- 沖縄の駅(経塚駅・浦添前田駅・てだこ浦西駅)
- 米軍基地があるため比較的儲かっている。だから市役所や美術館などが豪華。
- 軍港が増設されるが、似たようなことをやってる同じ島の別の拠点(以前から米軍の施設があるところに増設)が「新基地」だ!といって反対しまくるのに、ここはあっさり賛成するらしい。わけがわからないよ。
- 沖縄タイムスでこれを批判する投書がたまにある。
- 軍港が増設されるが、似たようなことをやってる同じ島の別の拠点(以前から米軍の施設があるところに増設)が「新基地」だ!といって反対しまくるのに、ここはあっさり賛成するらしい。わけがわからないよ。
- FM沖縄の本社は那覇市ではなく、川を挟んでこちら。
- 沖縄電力の本社も那覇市ではなくこちら。さらにいうとオリオンビールもこちら。
- 浦添は南部だと思っている人がかなり多い、天気予報の分類でも南部。
- 天気予報では南部は中南部としてひとくくりにされるから分からないと思うけど。
- かつては中頭郡(中部の郡)に属していたので、明らかに中部だった。発展してからは那覇市(南部)と結び付くようになったんで、南部の扱いにもなっている。
- 首里までが中頭郡だった。那覇の旧浮島地域や真和志から南が島尻郡。
- 宜野湾市より南が南部だと思っていた(関東人)。
- 那覇と一緒に「那覇地区」として中部とも南部とも違う扱いになることがある。
- でも、東隣の西原町はなぜか南部と思われることは無い。
- M川K一の物まねが得意なローカルタレントがいる。
- 毎年2月になるとツバメ軍団がやってくる。
- 近年那覇のベッドタウン化が激しく、人口増加率も高い。
- 琉球王国成立前は一時期沖縄本島の中心部だった時代もある。
- 中心部と言うより首都だったらしいからね。
- 初代国王舜天から10代に渡って首都であったと伝承があるが史実か不明。古い王家の墓は存在する。
- 中心部と言うより首都だったらしいからね。
- 国際通りについで書店が次々とつぶれてる。理由は人として絶対やっちゃイケない犯罪行為。
- 西側はかなり都会だが、東側は田舎っぽい。なので、西原町側から入っていくと都会には感じられないが、宜野湾側から入っていくとかなり都会に感じる。那覇側から入るとすぐに米軍基地。
- 飛び地が存在する。
- 2019年春にゆいレールが延びて来る。
- 国指定の史跡である浦添城趾が存在する。
- 映画ハクソー・リッジのモデルとなった場所。米軍の猛攻の前に3週間も持ち堪えた。
- 浦添西海岸には貴重な自然海岸が残されていたが、返還されるやいなや一部を残しあっさりと埋め立てられた。
- パルコシティがポツンと建っている。
- ゆいレール延伸も相まって、那覇のベッドタウン化が進んでいくかもしれない…。
- 沖縄での店舗数上位2社のホームセンター(メイクマン・さくもと)の本社がある。
宜野湾市ぬ噂[編集 | ソースを編集]
- 宜野湾市内の学生の大半が基地問題に対して「無くなれば通学がグッと楽になるのに」と嘆いている。
- 周辺にある大学、沖縄国際大学には米軍ヘリが落ちた。
- 沖国、琉大の自治会は反自公で有名。
- 普天間基地が市の面積を占領し過ぎたせいか、街が分断されてしまい、どこが中心部か分からなくなった。役所・飲み屋街・商店街・風俗街・観光地がバラバラに存在する。
- 普天間基地で市が分断され、国道58号沿線地域と国道330号沿線地域で別世界の様相を呈している。概して前者が田舎のイメージ、後者が市役所などもあり中心部なイメージだが、近年58号線・58号バイパス沿線(西海岸地域)の発展が著しい。逆に普天間など、330号線沿線は寂れていってる。
- 読谷飛行場もそうだったが、普天間基地は都市問題・土地問題だということを本土の人はいつわかってくれるのだろうか・・・。来ればすぐわかるんだけどね。
- 県道34号が片側1車線なのもあって死ぬほど混む。
- 真栄原社交街が一部で有名。
- 何故あんな場所にこのようなスペースが形成されたのか不思議。
- 真栄原周辺を走っているレンタカーの8割はあの入り口を曲がっていく。
- 横浜DeNAベイスターズのキャンプ地。
- 那覇にも北谷にもコザにも近いということで便利。
- 家具屋街と中古車街がある。
- ちょっとした古書街もある。
- アーティストが全国ツアーで沖縄に来る場合、県都の那覇よりも宜野湾のコンベンションセンターに来ることが多い。
- 嘉数高台公園・森川公園は霊感が強い人が行くと見えるらしい。
- 「ドラッグマーシー」がある方面に人気。
- 沖縄最強スーパーであるサンエーの本拠地。
- 市内の国道330号は治安が悪い。
中頭郡ぬ噂[編集 | ソースを編集]
西原町ぬ噂[編集 | ソースを編集]
- ウチナーグチで「ニシ」とは北の意味なので、本来「北原」と書いた方が正しい。
- 隣の浦添市にも西原という字があり非常に紛らわしい。こっちは本当に西という意味。
- いやそっちも「北」という意味だよ。
- 隣の浦添市にも西原という字があり非常に紛らわしい。こっちは本当に西という意味。
- 琉球大学がある。
- なぜか「藤澤」という苗字が多い。
- 町内にあるマクドナルドは何故か「坂田店」。
- ゆいレールがギリギリ伸びてこなかった。
- 一部では東崎まで伸ばす運動が繰り広げられている。
中城村ぬ噂[編集 | ソースを編集]
- 中城城跡のそばに一度も使われる事無く潰れてしまったホテルがある。
- 中城高原ホテル
- 「ジャイケルマクソン」のレギュラー陣が肝試しをしていた。昼間行っても不気味だと痛感した。
- 建設したのは復帰前まで中城公園を経営していた高良氏、当時は敷地内に動物園や遊園地もあった。
- 世界遺産の敷地内に建ててることが発覚して建設が途中でストップ。
- 関係者の話によると実際は2ヶ月程は営業をしていたらしい、廃業した理由は出入り口部分の土地が県の管理となり宿泊客の通行が問題となった為。
- ついに解体が決定、平成31年度中の解体工事予定。
- 中城高原ホテル
- つい最近までサンエーがなかった。隣町(宜野湾市や西原町や沖縄市)まで出かけて買い物と言うのが当たり前だったため。
- 一応以前から北中城村との境界付近に「中城モール」があった。
- 家具店とかねひでがメイン。
- そのサンエーと同じ南上原にはユニオンもある。宜野湾市長田・志真志あたりの住民の一部はこの辺りに買い物にくるらしい。
- 一応以前から北中城村との境界付近に「中城モール」があった。
- 世界遺産の中城城跡が北中城村に跨って存在している。
- 本来の中心である国道329号沿いよりも琉大のある南上原の方が栄えている。
- 329号沿いは西原シティから中城モールのあたりまでなんっっっっもない。
北中城村ぬ噂[編集 | ソースを編集]
- 日本の村で一番人口密度が高いらしい。
- それは本当の話。
- 2017年10月時点の統計では約1400もある。
- もともとは中城村と一つだった。戦後になって米軍がわけて今のようになったが、中城村との合併は失敗orz(中城村の借金がネックだったため)
- 今の中城村と北中城村の間らへんに米軍基地ができて、それで1つの村が2等分されたんで分離されたそうな。
- 島袋地区だけ警察の管轄が別だ。
- 沖縄警察署が沖縄市の南端に来たから。
- ホテルコスタビスタ沖縄がある。
- その昔の「沖縄ヒルトンホテル」
- 宿泊しました。宗教臭がプンプンしました。
- 役場の近くに沖縄道のスマートICがあるが那覇方面にしか行けない。
- 一般道だと若干遠回りするが、高速で通過すると北中城ICとは数百m程度しか離れていない。
- 世界遺産の中城城跡が中城村に跨って存在している。
- 中城城の按司護佐丸は泰久王を唆した阿麻和利に攻められた際に王府軍と戦う事を拒否し自害したとされる事から忠臣とされた。
- 「ライカム」という俗称地名があったが、イオンモールが出来たことをきっかけに正式な行政地名にしてしまった。
- そのせいで字比嘉がめちゃくちゃ狭くなった。
北谷町ぬ噂[編集 | ソースを編集]
- 2006年は2年ぶりのセリーグ制覇おめでとうございます。
- 最近、町内に何と24階建てのホテルがオープン。
- 隣に温泉施設まである。プール施設もあるので、夏場は若い子多し。
- 更に、低温サウナは男女同室。
- また更に、ジャグジーがあるが、これも男女一緒。外人の女性多し。ひょっとしたら・・期待大
- 「ちゃたん」と読む。
- アクセントを置かずに平板に読む。
- 2010年度にプリンスホテルが進出するとか
- 人口は約2万7千人だが、米軍人軍属が約3千人住んでいるため実際の人口は約3万人。町民の1割はアメリカ人。[1]
- 以前は謝苅(ジャーガル)と呼ばれ辺鄙な所だった。大都市コザ市のオマケみたいな村だった。
- しかし、現在は立場が逆転。ハンビー地区は県内有数の商業地区になりつつある。
- 砂辺・浜川・宮城地区はアメリカ人と関西人が多く、さながら異国の雰囲気。
- あそこは植民地だね。アメリカーの。
- 復帰前に外国人住宅があったのであながち間違いではない。
- あそこは植民地だね。アメリカーの。
- 市街地が海辺まで迫っている割にダイビングスポットがあり有名。
- サンセットビーチは潮が引くとほとんど泳げないので、呆然とする観光客をよく見かける。
- 北谷ジャスコは週末になるとアメリカ人と観光客でごった返す。
- ライカムにイオンモールが出来てからかなりガラガラになっている。
- 沖縄に数あるご当地の塩の中で北谷の塩だけは格別安い。従って、よく売れる。
- 町役場は何故か辺鄙な原っぱの真ん中に建っている。
- スターバックスが4つもある
- 最近になってもう一つ増えた。
- 店舗数は那覇市と同数。人口あたりの店舗数は下手な政令市よりも多い。
- 北谷ジャスコことイオン北谷ショッピングセンターの中に、何故か北海道銀行がATMを設置している。
- 軍病院前と言う名前のバス停がある。
- 軍病院が北中城に移転した後も名前は変更されていない。
- 2022年、ついにアメリカンビレッジのランドマークの観覧車が撤去されてしまった。
- そのアメリカンビレッジは逃走中ファンの聖地の一つ。
- 58号の拡幅工事に伴って大量にロードサイド店が建った。
- 今のところ、松屋の南限となっている。
- いつ那覇市に進出してくるんだろうか・・・。(松のやとマイカリーはあるけど)
- 今度は那覇市をすっ飛ばして豊見城に出店。
- いつ那覇市に進出してくるんだろうか・・・。(松のやとマイカリーはあるけど)
嘉手納町ぬ噂[編集 | ソースを編集]
- 極東最大の米軍基地「嘉手納基地」
- 近辺の道の駅「かでな」から基地を展望できる。でも五月蝿。
- 常に騒音を計測しているモニュメントがある。
- ここの資料館の展示、沖縄タイムスの記事をでかでかと貼って、いかにも「私たちはこんなに苦しめられているんですよ!」とでも主張しているかのよう。
- 自衛隊の基地がある街から来た者としては、あまりピンと来ない主張だった。
- 日本での正式名称は「嘉手納飛行場」。日本国の施設ではないが、日本で一番大きい飛行場である。
- 道の駅の前にある丘は通称「安保の見える丘」という。
- 近辺の道の駅「かでな」から基地を展望できる。でも五月蝿。
- 「町の中に基地がある」ではなく「基地の中に町がある」といった方が正しい状態。
- 町の面積の8割近くを基地に取られている。
- 車の中でもやっぱり五月蝿。
- そもそも滑走路の延長線上に何故集落があるんだろうか。集落があるところに無理やり基地を置いたのか、それとも基地があるのを分かってて家を建てたのか。自衛隊の航空基地がある地域ではこんなことありえない(補償付きで集落ごと移転させられる)
- 帝国陸軍が集落を接収し中飛行場を建設、その後飛行場を占領した米軍がさらに周辺集落を接収し拡張。基地周辺の集落へ接収された集落の住民が押し出される形で過密化。
- 飛行場だけではなく現在の米軍弾薬庫地区に存在していた集落も接収され、より過密化に拍車を掛ける事となった。
- 戦中戦後の切迫した世相も有り、強制接収が行われた為に補償問題も含め問題が拗れた。
- 帝国陸軍が集落を接収し中飛行場を建設、その後飛行場を占領した米軍がさらに周辺集落を接収し拡張。基地周辺の集落へ接収された集落の住民が押し出される形で過密化。
- 軍用地主多し。
- ここで金持ちと言えば、9割強が地主であると見て間違いない。
- 北谷の砂辺・浜川・宮城地区ほどではないが、水釜地区の海側は米軍人が多く住む。
- その水釜はなぜか6丁目しかない。
- 北谷町砂辺を越えた境界にあるビーチは何故かアメリカ人しか泳いでいない。
- 古謝という名字が多い。
- 行くならやっぱりベトナム通り
- 横浜ベイスターズの二軍キャンプ地である。
- 交通の要所であった比謝川を見下ろす小高い丘に屋良城趾が存在する。
- 嘉手納交差点はロータリーでは無くなった今でもロータリーと呼ばれている。
- 現在最も大きい旭川の常盤ロータリーよりも大きかった。
読谷村ぬ噂[編集 | ソースを編集]
- 関連項目:座間味城
- 岩手県滝沢村に次いで全国で2番目に人口の多い村。
- 3位が東海ね。
- ということは、2014年以降は全国で最も人口の多い村になる。
- 村の公式ホームページでもカウントダウンをしていたりする(人口日本一の村の誕生まであと○○日)
- 無事トップに浮上。しかし東海村が人口約1000人差まで迫っている。
- 残波岬と灯台。
- その灯台の展望部分の上、光の出る所まで登って見ていた勇敢なお兄さんがいた。灯台の係員は階段を駆け上ったが既に無事に降りていた。
- 世界遺産もあるが、産廃場もある。
- 紅いもタルトVS楚辺ポーポー。
- 御菓子御殿ことお菓子のポルシェは紅いもタルトを開発したものの、商標を取らなかった為にナンポーにパクられた。
- 甘くて厚い生地を巻いた楚辺ポーポーと、薄めの生地に油味噌を塗って巻いたポーポーが有り、ややこしい。更にややこしい事に薄めの甘い生地を巻いたチンビンというお菓子も有る。
- 部落間意識が中部一強い。棄流民やその他組という言葉が使われ、彼らは自治会にも入れてもらえない。
- 那覇から本島西海岸を北上すると、ここから自然のビーチが現れる。嘉手納までは人工ビーチや埋め立てがほとんど。
- 焼き物でも有名。読谷山焼。那覇壺屋で売っている焼き物はここのものも多い。
- もともと那覇壺屋にあった窯が煙を出すなどの理由で「やちむんの里」に移転した。
- 昭和49年に那覇市は薪窯の使用を規制、それに前後して人間国宝金城次郎氏を始めとする中堅の陶工達が登り窯による作陶を続けるべく移住し開窯した。
- もともと那覇壺屋にあった窯が煙を出すなどの理由で「やちむんの里」に移転した。
- 他中部自治体とおなじく、米軍人軍属やないちゃーが多い。
- 村のくせに、北谷や嘉手納などの町より人口が多い。しかし村の財政は北谷や嘉手納より厳しい。
- 車庫証明がいらないと聞いたが。路上駐車も大丈夫だとか。
- 象は多分いない。
- 「FMよみたん」というラジオ局がある。
- 毎時55分ごろから流れているテーマソング(?)は、サビで「FMよみたん ななじゅうはってんろーく」と連呼している。物凄く耳に残りやすい。
- 後半はウチナーグチで唄い出す。よそ者完全無視。
- 地域のコミュニティ放送局としては珍しく県外にファンクラブが存在する。
- 毎時55分ごろから流れているテーマソング(?)は、サビで「FMよみたん ななじゅうはってんろーく」と連呼している。物凄く耳に残りやすい。
- 村のくせに都市圏の中心都市
- 中日ドラゴンズ2軍の春季キャンプ場でもある。
- それ以前にダイエーの一軍が1回だけ春季キャンプを実施したことがあった。
- 役場が建っている場所に読谷補助飛行場が在った。平成18年の返還以来跡地利用が進んでいるが、現在もGoogleマップの航空写真で往年の面影が確認できる。
- というか昔は米軍基地の中に村役場があった。
- 近年、大湾地区がどこにでもあるロードサイド街と化している。
- サンエーもやってきて「栄えてる田舎」の仲間入り。