津和野町
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津和野町の噂[編集 | ソースを編集]
- 城の噂 -津和野城
- 道の駅 -津和野温泉なごみの里
- 山口県だと思われている。
- 最近合併により中心地(役場のある場所)が旧日原町に移った。
- 合併したとき町役場が旧日原町におかれたので道路標示がややこしくなった。
- 青地に白字が現津和野町のことで、白地に青字が旧津和野町のこと。
- 益田から国道9号を走っていて青看板に「津和野 15km」とか書いてあっても騙されてはいけない。あの手の看板に書かれているの(通常の青地に白文字)は役所への距離。津和野の駅や市街まではさらに10kmくらいある。
- 税金を払わない人が多い。
- 平均年収が少ない上、観光という他力本願な産業に頼っており責任感が薄いから。
- 店がなく、とてもヒマ…もっと店を増やして~~!!
- ここまで山口市が迫ってこようとは・・・
- 益田市まではビジネスや通学、買い物で行くことはあるが、浜田市は運転免許の取得以外行くことがまずない。それより先となると県庁へ行くときか旅券取るときくらい。
津和野[編集 | ソースを編集]
- 鉄砲町というバイオレンスな地名あり。
- 鉄砲町って城下町には結構ある地名ですよ。
- 観光の売りである鯉は戦時中食料として飼いはじめた。
- 食パンの耳を「フツー食べなくない?」と言う転校生がいたら津和野出身。
- 森鴎外の出身地
- あまり有名ではないが明治時代の官僚の西周(にし あまね)の出身地でもある
- 森鴎外と西周は親戚同士でもある。
- あまり有名ではないが明治時代の官僚の西周(にし あまね)の出身地でもある
- 「SLやまぐち号」(C57 1号機牽引)の終着駅。
- そのことも津和野を山口県にあると勘違いさせる要因の1つかもしれない。
- 安野光雅の風景画は学校の写生大会入賞位にしか認めていない。
- 安野光雅美術館には結構観光客が入っているけどね。
- 霊感が強いとアンティークドール美術館には入りたがらない。
- 子供さぎ舞い、乙女峠行列いずれかの参加経験有無で生粋の津和野嬢かが分かる。
- 建物の屋根は全て赤瓦。
- 石州瓦。津和野城から見下ろすとよくわかる。
- 街並みは結構良い。そりゃ観光客来るわ。
- 美術館とか多すぎ。上記の森鴎外、西周、安野光雅にアンティークドール等々。
- さだまさしの「案山子」のモデル。
- 温泉を掘ろうとしたら、間欠泉が噴出した。世界的にも大規模だったらしいがすぐに埋め戻してしまった。
- これを書いた人は1997年夏に見ました。かなりの高さまで揚がっていた記憶。
- 水質検査をするとヒ素が混じりまくっていて、農作物に悪影響を及ぼすから埋めたらしい。
- 道の駅のあたりで噴出したと聞いた。でも道の駅併設の温泉とは泉質が違う。
- 城主が千姫誘拐で有名な坂崎直盛だったり、大量殺人犯森鴎外の出身地だったりと色々と呪われた土地。
- 青野山の山容が美しい。
- トロイデ式の典型的な休火山。一応石見富士という愛称があるらしいが、三瓶山も同じ愛称を持っていて、そっちのほうが知名度が高いという残念な状況。
- 津和野富士に名前を変えれば良いのに。
- 山の北麓で茶の栽培をしているらしいが、どっかに出回っているという話を聞いたことがない。
- トロイデ式の典型的な休火山。一応石見富士という愛称があるらしいが、三瓶山も同じ愛称を持っていて、そっちのほうが知名度が高いという残念な状況。
- 江戸時代、その大半を尼子家旧臣の亀井家が代々治めていた。
- 藩主の孫だった亀井久興は選挙に強くなかった。藩主の家と言えど端の端だったから選挙区全体に浸透できなかったということであろう。
- 旧国名の「石見」よりも、そのなかの町の一つでしかない「津和野」のほうが知名度が高い。
- 昔はアンノン族と呼ばれる若い女性がこぞって旅行に行ったが、今は元アンノン族しか見かけない。
- 一応、石見国なので石見神楽をやる文化はある。でも地元は鷺舞という舞の方を推している。
- 津和野教会の和洋折衷な感じの雰囲気が非常に良い。
日原[編集 | ソースを編集]
- 日原駅が中心街から離れ過ぎ。
- おかげで特急停車駅なのに無人(簡易委託)駅。
- こちらの名所は、天文台。
- 大分前(20世紀のうち)から道の駅がある。
- ケーブルテレビはこっちが主導(サンネットにちはら)
- 岩国駅(分岐は川西駅)から岩日線が来て日原駅が終着駅になる予定だったが、錦町駅で止まってしまった。
- その岩日線は錦川鉄道に転換されてしまった。
- 止まって正解。代替バスを走らせても、誰も乗らないから1年で廃止になったレベル。バスでそれなのに、税金突っ込んで電車走らせようとした意味が理解できない。
- 津和野の町役場を勝ち取った。
山口県津和野町?の噂[編集 | ソースを編集]
- 山口県だと思われている。
- 山口市・萩とセットで観光に来る人が多い。
- 関ヶ原の合戦までは、毛利家の家臣によって治められていた。
- というか町の側もそのイメージに乗っかって、観光PRでよく山口県観光連盟発行のパンフレットに堂々と載っかっている。
- 何しろ津和野に山口県の観光の案内看板が建っている。
- 立ち寄った食堂で12時から「笑っていいとも」が流れているのを見て、ここが山口県でないことにようやく気付く。
- センター試験では堂々と山口県扱い。もっとも津和野に限らず鹿足郡全域がそうだけど。
- 結構な観光地なのに、昔は「るるぶ山口」に載っているのに「るるぶ山陰」に掲載されていない時代もあったと思う。山陰の他の観光地から遠すぎるのも理由だと思うけど。
- 津和野に根差した金融機関として、津和野に本店を置いていた津和野信用金庫。そこが2009年に他所の信用金庫に食われた。食った信金は西中国信用金庫(本店:下関市)。
- 郵便局を除けば町内で一番店舗が多いのは西中国信用金庫。それくらい存在感のある信金が、すーっと下関の信金との合併を決断するあたり、石見への帰属意識はない。
- 幕末期の津和野藩は親藩の浜田藩等の動きとは反対に終始尊皇攘夷派だった。完全に長州藩(山口)の影響。
- まあ長州藩領の徳佐盆地から駆け下りれば簡単に攻め落とせるところに拠点を抱えていたので仕方ないと言えば仕方ないが。
- 山口県中部の7自治体で形成している山口県央連携都市圏域(山口ゆめ回廊)。そのメンバーには津和野町も参加している。(参考)