活動休止・終了したサッカークラブ

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Jリーグ[編集 | ソースを編集]

横浜フリューゲルス[編集 | ソースを編集]

横浜F・マリノス#横浜フリューゲルスの噂

Jリーグ・アンダー22選抜[編集 | ソースを編集]

  1. 選手にとっては毎試合アウェイなのは酷な気もする。
    • コアサポがいたらもっと大変。 毎試合遠征。
      • 関東地区では京都関東サポなどが応援を仕切り、楽しげな雰囲気があった。
        • が、町田ゼルビア戦でメンバーがほぼU22日本代表になったためにウルトラス日本が突如参戦、その試合だけ応援を勝手に仕切り雰囲気をぶち壊していた。
  2. ユニフォームは日本代表ユニを使うのだろうか。
    • 新しくユニフォームが作られたようだ。原則アウェイだけど2種類あるのは相手チームのユニによっての使い分けかな?
  3. 近年、各年代別の世界大会へ出場できておらず、若年層の実戦経験の少なさを要因の一つととらえ、彼らに出場機会を与えるために作られたチーム。
    • そんなわけで、基本的にはJ1・J2チームで出場機会の少ない若手で構成されるのだが、J1中断期間中となるとJ1主力選手が参加することも…
      • そんなチームと当たった琉球は哀れ(6-0……)
  4. 2015年は山口に0-8にサウジスコアで完敗を喫してしまった…。
  5. 当然かもしれないが、チーム賞・個人賞の成績についてはJ3リーグの公式記録として残るが、賞金・賞品の支給はナシ。
  6. 2015年をもって終了することに…

JクラブU-23[編集 | ソースを編集]

  1. JリーグU-22選抜に変わるクラブによるU-23のチームで、2016年から開始。
    • 初年度となる2016年はガンバ大阪、セレッソ大阪そしてFC東京のU-23チームが参加することに。
      • どのクラブもU-23とは名ばかりで、24歳以上でトップチームの主力になり切れていない選手も出場できる。
  2. スタメンに年寄りが並ぶ。
    • 逆に、年代別代表に選手が招集され欠員が生じたため、ユース生が出場することも。
  3. サブメンバーが7人入ることが稀、2,3人で交代もままならないこともしばしば。
    • この前、サブが3人うち一人がGKで二人しか後退しないことがありました…
  4. U-23チームそのものも2020年以降の存廃が問われている…。
    • 2020年はFC東京が取りやめ。
    • そして残る2クラブも撤退した。

JFL[編集 | ソースを編集]

福島FC[編集 | ソースを編集]

  1. 「福島教員サッカー部」として1951年に創部。1982年からは一般にも門戸を開放し、クラブ名も福島FCに。
  2. 1993年のJリーグ開幕をきっかけに福島県にJリーグのクラブをという動きが活発に。
    • 1994年には東北リーグで準優勝、地域リーグ決勝大会でも準優勝し、1995年からJFLに加盟。
  3. 翌1996年には元市原監督の永井良和を監督に招聘、Jリーガーも本格的に補強。
  4. 1997年には2年後に開幕するJ2への参加申請を行ったものの、スタジアムの改修やチームの財政支援の目途が立たなかったことなどから経営が悪化。
    • 11月にチーム解散を決定し、J2どころか1998年度以降のJFL参戦も中止となってしまった。

アルテ高崎[編集 | ソースを編集]

  1. ちょっと前までザスパ草津のライバル的存在だった・・・
    • が、今やJ2昇格チームのおかげでJFLに残留できているほど弱くなってしまった。
    • ザスパの2004年度の天皇杯での活躍が伝説的とされているのに対して、アルテが前身時代に天皇杯で当時J1所属の柏レイソルを破ったことは、そろそろ無かったことにされそうだな…。
  2. 旧名は「群馬FCホリコシ」
    • 「堀越学園」が経営しているが、東京の堀越高校との関係はない。
      • 系列校の教職員給与が遅配しまくっているDQN法人らしい(2011年現在)。
    • 旧名は「マッキーFC」「FCフォルトゥナ」「FCホリコシ」。上は「FCホリコシ」の後の名称。
    • ロリコン元ゴールキーパーの度重なる犯罪で「FCロリコシ」と揶揄される。
  3. 2008年最終戦、いくら1位との対戦とは言え1-11…唖然。
    • 34試合で107失点…これでよく最下位にならないものである。
  4. 勝ち点7、最終節に負けることでJFL残留となった2007年はある意味伝説。
  5. 2009年シーズン、覚醒しました。
    • 夏から見事に息切れ・・・とうとう二桁順位。
      • それでも、ここ数シーズンと比較すればかなり進歩した。
    • 見事にモンテディオ山形と同じ経緯を辿っとる…。
  6. 2010年最終戦、佐川印刷との対戦では後半ロスタイムのラストプレーで逆転されて17位に転落。入れ替え戦出場。
    • それでも残留を決めた。
  7. のりピーの創造学園大学入学で、イメージキャラクターに利用されるという噂。
  8. 2009年5月16日以来、ホーム・浜川での勝利がなかったが2011年10月22日にピリオド。
  9. 2012年、JFL退会決定。再びJFLは奇数の17になる事に。
    • その際に早く退会の決断をしていれば、SC相模原は1年早くJFLに昇格出来ていた。
  10. サポーターは現在群馬県リーグのチームの運営担当者になった模様。

ジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズ[編集 | ソースを編集]

  1. 文字通りジェフユナイテッド市原・千葉の下部組織。
    • チーム自体は別団体であった市原スポーツクラブが前身で、後にジェフの下部組織として改組される。
  2. セミプロないしアマチュア、つまり、社会人チームである。(一応)
    • なお、ここからトップチームへ昇格することが可能。
      • 「リザーブズ」とチーム名を変更してから、その立場がより明確に。
  3. 2009年シーズン、週刊サッカーマガジンの「サッカーの素」という項目で「今はトップチームより強い」という内容が投稿された。
  4. 2009年の天皇杯で同じ千葉のここと対戦、なんとPK戦までもつれこんだ。
  5. 2011年シーズンをもってチーム活動終了とか・・・。
    • これが結果的に仙台の無条件残留を助ける形になるとは…(残留していても震災復興試合の勝ち点の関係で仙台の残留ではあったが)。

コスモ石油四日市FC[編集 | ソースを編集]

  1. 元々は「大協石油四日市サッカー部」として活動していたが、親会社の合併などで1986年からクラブ名を「コスモ石油サッカー部」に改称。
  2. 大協石油時代の1980年にJSLの2部に昇格。1年で降格したが1986年から再びJSL2部に昇格し、その後はJFLにも参加。
  3. 1996年に将来のJリーグ参入を目指し、クラブ名を「コスモ石油四日市FC」に改称。
    • 同年の天皇杯では前年度王者の名古屋グランパスエイトを1-0で破り存在感を示したが、四日市市からの支援を受けられず同年限りで解散となってしまった。
  4. 元大分の若松大樹や元草津の鳥居塚伸人らが在籍していた。

SAGAWA SHIGA FC[編集 | ソースを編集]

  1. 佐川急便のチーム、佐川急便東京と佐川急便大阪の2つがリーグに所属していた。
  2. 東京、大阪の2チームが合併。新本拠は、とても中間地とは言えない場所
    • サポーターも東京、大阪双方から数人が残留して応援をしていた。
    • ちなみにサッカー批評のインタビューを受けた、当時の監督である田中氏が「前よりサッカー環境がグッとよくなった」といっている。
  3. 門番その2
    • というか東西の門番だった両佐川がフュージョンして出来たスーパー門番(佐川京都はMIOびわこ草津の母体)
  4. 以前、Jリーグ準加盟セミナーに参加したが、今のところJリーグ参入の意思はない。
  5. 2007年は佐川急便という名だった。
    • その年は、ぶっちぎりV。
  6. 主力が抜けたせいか2008年は1位から12位にダウン。
  7. 2009年は北九州や鳥取、横河などを振り切って優勝。
  8. 因みに、佐賀滋賀ではない。
  9. 2012年を以ってJFLから撤退することに。貴重な門番が・・・。

SP京都FC[編集 | ソースを編集]

  1. 正式名称は「佐川印刷サッカー部」で、運営元の佐川印刷は佐川急便グループ。
    • なので急便側のチームとは兄弟同士の扱い。
  2. 本拠地は京都府向日市。
    • 練習グラウンドは亀岡市。
  3. 選手全員社員だが、Honda FCとは違い、元Jリーガーを始めとする移籍選手の受け入れも行っている。
    • 当然このチームに移籍加入した選手も、入ったからには社員として、仕事と両立させねばならない。
  4. ソニー仙台FCと同じく、「中位力」が長年発揮されている。
  5. チームの愛称は「プリントダイナマイト」。
    • 何を以って「ダイナマイト」なんだ。w
      • 当時のサポーターがデンマークの「デニッシュ・ダイナマイト」コールに感銘を受けたため。
  6. 2015シーズンをもって、JFL退会が決まった。
    • 退会直後、京都府リーグからの再出発も報じられていたがそれも叶わず、完全に廃部。
  7. 藤本憲明はここでデビューして一人J1まで上り詰めた。

FC神楽しまね[編集 | ソースを編集]

  • 旧称:ヴォラドール松江→松江シティFC
  1. いつの間にかデッツォーラと立場逆転した。
  2. このチームの昇格で、JFL以上のクラブを擁した事の無い県(2019年時点)は福井和歌山そして高知に絞られた。
  3. 本拠地の松江市営競技場のある松江市には松江城があり、準本拠地の県立浜山競技場の近くには出雲大社がある。特に遠くから来るビジターサポーターは是非とも一泊して観光したいところ。
  4. 2020年現在の監督はSC鳥取時代からガイナーレ鳥取でプレイし、「ミスターガイナーレ」と呼ばれた実信憲明。
  5. 2022年からクラブ名を「FC神楽しまね」に改称。
    • クラブカラーも黄色・赤色から金色・紺色に変更された。
  6. 資金難の影響で2023年1月にJFL退会が発表。
    • 結局そのまま同年3月に解散となった。

ファジアーノ岡山ネクスト[編集 | ソースを編集]

  1. J2昇格を決めたファジアーノ岡山がその翌年に立ち上げたアマチュアチーム兼2軍。
    • 選手を大量に獲得した背景にはこの計画があったからといわれている。
      • 45人に増やして、その半分をこっちに回していたからなあ。
  2. 目標はJFL参戦。
    • 2012年の地決では決勝ラウンドに進出し、1勝2敗となった。しかしその1勝がPK戦で、2敗は90分でのものだったため、3戦全敗だが2敗がPK戦だったチームに上回られて4位に終わった。
    • 2013年の地決制覇で堂々のJFL昇格。
  3. JクラブのU-23をJ3に参入させる話が出た時、とりあえず手を挙げてみたが「成績を考えてから言え」と総ツッコミが飛んでいた。
    • しかし2016年で活動終了させるあたり、まだ諦めてないっぽい。

サッカー地域リーグ[編集 | ソースを編集]

NEC TOKIN FC[編集 | ソースを編集]

  1. 不況で企業チーム(NECトーキン サッカー部)としては活動停止を余儀なくされたが、クラブチーム化により何とかリーグに留まる。しかし、チーム名のあまりの変わり無さは何故だ?w
  2. 震災の影響により2011年を以て廃部。スタッフや選手の多くが塩釜FCヴィーゼに移籍した。

上田ジェンシャン[編集 | ソースを編集]

  1. 長野、松本に押されて県内でも知らない人が多い(特に北信・中信)。
    • 2001年には地決の決勝ラウンドに進出した古豪なのだが・・・(決勝Rは4戦全敗でJFL入りならず)。
      • 元々JFLに上がる気は無かったそうで…。
  2. 上田市内でのホームゲームがない。アルウィン・サブ、南長野、千曲市サッカー場、リバーフロントと転々としている。
  3. ジェンシャン(Gentian)とは、長野県の県花「リンドウ」の英名。
  4. トップチームはメンバー不足のため2019年限りで北信越リーグを脱退、活動休止の憂き目に…。

パナソニックエナジー洲本サッカー部[編集 | ソースを編集]

  1. 1974年に創部されたときは三洋電機のサッカーチーム。
  2. 実は関西リーグの中で一番在籍期間が多い。
    • 2010年は関西リーグ優勝&地決3位でJFLとの入れ替え戦に。ホームで大敗し昇格ならず・・・。
  3. 一時外部にも門戸を開いたが、今は会社関係者のみ。
  4. 関西リーグの中で唯一の離島。アウェイサポはなかなかの苦戦を強いられる。
    • 五色台運動公園アスパ五色サッカー場へのアクセスは三宮またはJR舞子駅真上にある高速舞子バス停から高速バスで五色バスセンターまで行き、そこからタクシーで約15分。バス停にタクシーの電話番号が貼ってあるので呼ぶといい。けど基本は車。
  5. 2012年、ついに関西リーグ2部降格となった。
  6. 2013年、関西2部には残留したものの解散が決定。公式発表ではなく対戦相手のブログから知れ渡ったのがなんとも・・・。

徳島ヴォルティス・セカンド[編集 | ソースを編集]

  1. その名のとおり、徳島ヴォルティスのアマチュアチーム。
  2. 2007年は、リーグ優勝を果たした。
  3. 徳島FCカバロス2002から始まり、ヴォルティス・カバロス、ヴォルティス・アマチュアを経て2008年よりこの名前に。
    • カバロスは大塚製薬がJ入りを躊躇していた頃に「徳島からJ」を目指して県協会が立ち上げたチームだった。
  4. 2010年いっぱいで活動休止に。Jのアマチュアチームでもこの不況の波は余りにも大きかったようで…。

光洋シーリングテクノサッカー部[編集 | ソースを編集]

  1. ジェイテクトの関連会社である光洋シーリングテクノのサッカーチーム。
  2. 2017年から2020年まで四国リーグに参戦していたが4年連続の最下位。
    • 入替戦やレギュレーションの変更などの幸運もあり4年連続で残留していたが、2021年2月にチームの解散が発表された。

パナソニックエナジー徳島サッカー部[編集 | ソースを編集]

  1. 上記のパナソニックエナジー洲本と同じく、元々は三洋電機のサッカーチーム。
    • 廃部の1年前までは「三洋電機徳島サッカー部」というチーム名だった。
  2. 2012年の四国リーグ終了後に活動を終了。対外的には「パナソニックエナジー洲本への統合」と発表されたが、その洲本も1年後に…。

デッツォーラ島根[編集 | ソースを編集]

  1. 以前は「FCセントラル中国」という名前だったが、2008年より現在の名前となった。
    • 2008年は中国社会人リーグ5位と低迷してしまった。
  2. 登録上島根県のチームなのに、練習場などが何故か広島県にある。
    • 浜田市がメインである。
  3. ガイナーレ鳥取の対抗主?
  4. 前監督の言動がひどかったのだが、死去に伴いJSLでプレーもしたことのある庄司孝が監督に。
    • 前監督の謎のツテで来ていたブラジル人は姿を消し、普通の地域リーグクラブに変貌している。
  5. 色々あって、島根県リーグに降格しそう…。
    • 案の定、2018年リーグは中国リーグ最下位に伴い翌2019年は県1部リーグへ降格。
      • 県1部リーグを優勝し、1年で中国リーグへ返り咲く。
  6. 2020年限りでトップチームは解散となったが、U-12チームは存続しているようだ。

ヴァンクール熊本FC[編集 | ソースを編集]

  1. アルエット熊本(←NTT西日本熊本FC)からの選手の大量移籍のせいもあって、よく「ヴァンクール=アルエット」と勘違いされるが、チームの前身は「鶴屋百貨店サッカー部」なので、「ヴァンクールアルエット」が正しい。
    • 実際、ロアッソ熊本(←ロッソ熊本)の母体はアルエット熊本である。そもそもそうでなかったら、ロアッソがロッソ時代に九州社会人リーグから参戦できたのはおかしいこととなる。
  2. 攻撃は良いが、守備はほぼ崩壊しているに近い。実際、2007年シーズンでは大量失点の試合が多い。
  3. チーム愛称はフランス語で「勝利者」を意味する。
  4. ヴォルカ鹿児島と同じく、九州社会人リーグ創設時のチームでもある。
  5. 鶴屋時代のユニフォームカラーは赤だったのが、ヴァンクールになってから青に変わっている。
  6. 2009年は上位2チームとも上がれなくなったため入れ替え戦実施。いよいよ降格のピンチ…!!
  7. 選手が試合や練習で揃わないのはいつものこと。11人いなかったり、なんちゃってGKだったり、40過ぎの監督やコーチが試合にでてたりする。
  8. 残念ながら2009年度を以って解散するそうです。orz

沖縄かりゆしFC[編集 | ソースを編集]

  1. 過去に多くのトラブル抱えていたことで有名。
    • なんだかんだで強くなっていったが。
  2. あのクラブが現れるまでは…。(´・ω・`)
  3. 2008年はリーグ優勝を果たしたが、ホンダロック(3位)とV・ファーレン(2位)に抜かれてしまった。
  4. しかし、不景気の煽りを受けて解散の憂き目に…。

サッカー都道府県リーグ[編集 | ソースを編集]

マリソル松島[編集 | ソースを編集]

  1. 「松島サッカークラブ」として1965年に創設。2004年から現在のクラブ名に改称された。
  2. 1979年から2016年まで東北リーグで戦っていたが、2016年に2部リーグ南9位で宮城県リーグで降格。
  3. トップチームのOBには鈴木淳が、ジュニアチームのOBには尾形貴弘(パンサー)が名を連ねている。
  4. 2022年に解散。最終年の成績は宮城県リーグ1部4位だった。

アビラーション[編集 | ソースを編集]

  1. いわき市をホームとするクラブチーム。「アビラーション」とは「磨く」という意味のフランス語である。
  2. 2015年限りでジュニアチーム以外の活動を停止。

ホンダルミノッソ狭山FC[編集 | ソースを編集]

  1. 本社チームであるここより創設が早いのに、本社側にスルーされて未だに同好会扱い。
  2. 「ルミノッソ」とは光り輝くという意味である。
    • しかし、未だにJFLに上がりきれないのと、県内のJクラブの存在により、光り輝いているとは言い難い。
      • その上、2009年のリーグ戦は0勝13敗1分で勝ち点わずか1というぶっちぎりの最下位で2部降格…。
        • さらに、2010年のリーグ戦は5勝6敗3分で最下位となりついに県リーグ降格。実に20シーズンいた関東リーグから離れることになってしまった…。
  3. 結局2011年限りで活動停止。最終年の成績は埼玉県リーグ1部3位だった。

YKK AP FC[編集 | ソースを編集]

  1. カターレ富山としてアローズ北陸と対等合併した時点で本当に消滅するはずだった…。

エストレーラ宮崎[編集 | ソースを編集]

  1. J2と新JFL開幕以降、初めて新JFLから都道府県リーグにまで順調に落ちたチーム。
  2. 所属したことのある某選手によると、チーム経営はずさんであったという。
  3. 2010年3月、ついに解散…。

日本サッカーリーグ(JSL)[編集 | ソースを編集]

ヤンマークラブ[編集 | ソースを編集]

  1. セレッソ大阪の前身・ヤンマーディーゼルサッカー部のセカンドチーム。
  2. 創設当初は同好会的なチームだったが、徐々にチーム力をつけ1976年からJSL2部に昇格。
  3. JSL2部では4シーズンを戦い、1979年のリーグ戦終了後に解散。
    • 最後の公式戦となった天皇杯では準々決勝まで進出した。
  4. 解散後、水口洋次監督や一部選手は新設された松下電器産業のサッカー部に移籍し、ガンバ大阪の前身クラブとなった。

女子サッカー[編集 | ソースを編集]

FCジンナン[編集 | ソースを編集]

  1. 日本女子サッカー史上初のクラブチーム。創設は1972年。
  2. 後にWEリーグの初代チェアを務めた岡島喜久子はこのチームで活躍していた。
  3. 日産自動車がスポンサーを務める「日産FCレディース」となり、1986年に発展的解消となった。

日産FCレディース[編集 | ソースを編集]

  1. 上記のFCジンナンを日産自動車がスポンサードし、1986年に創設。
  2. 歴代の監督には後に男子チームの監督を務める早野宏史や下條佳明が名を連ねている。
  3. 男子チームとの兼ね合いもあり1993年シーズンを最後に廃部。
    • 1994年3月の全日本選手権準々決勝・シロキFCセレーナ戦(PK戦で敗北)が最後の試合となった。

TOKYO SHiDAX LSC[編集 | ソースを編集]

  1. 前身は1981年に創設されたFC小平。JLSL参入の際に新光精工がスポンサーとなりクラブ名を「新光精工FCクレール」に改称。
  2. 1993年からスポンサーがシダックスに替わり、クラブ名も「TOKYO SHiDAX LSC」に変更された。
  3. 調布市にあった練習グラウンドの契約切れが原因となり、1995年シーズンを最後に解散。
    • 翌1996年3月の全日本選手権準決勝・フジタ戦が最後の試合となった。

フジタSCマーキュリー[編集 | ソースを編集]

  1. 日本女子サッカーリーグへの参入を希望していた天台FCをフジタがスポンサーする形で、1990年に「フジタ天台SCマーキュリー」として創設。
  2. ベルマーレ平塚とは兄弟チーム的な扱いだった。
  3. フジタの業績不振もあり1998年シーズン限りで解散。
    • ベルマーレのスポンサーからも同年限りで一度撤退している(2017年に復帰)。
    • 翌1999年1月の全日本選手権2回戦・日興証券戦が最後の試合となった。

シロキFCセレーナ[編集 | ソースを編集]

  1. 愛知県豊川市に本社を置くシロキ工業の社会活性化運動のシンボルとして1991年に創設。
    • 自社内には公式戦も開催可能なグラウンドも所有していた。
  2. 創設3年目の1993年にJLSL(Lリーグ)へ昇格。
    • その後は6シーズンLリーグに参加したが、目立った成績は無く1998年シーズンを最後に解散となってしまった。
      • 翌1999年1月の全日本選手権準々決勝・日興証券戦が最後の試合となった。

日興証券女子サッカー部ドリームレディース[編集 | ソースを編集]

  1. 日興証券の社内福利厚生の一環として1990年に創設。
    • 日本初の企業内女子サッカークラブでもある。
  2. 1991年の全日本選手権では初出場ながら初優勝という快挙を成し遂げた。
  3. しかし日興証券の経営不振によるコスト削減の一環として1998年シーズンを最後に廃部となってしまった。
    • ちなみに1996年から廃部となった1998年までLリーグ3連覇を達成している。
    • 翌1999年1月の全日本選手権決勝・プリマハム戦が最後の試合となった。

鈴与清水FCラブリーレディース[編集 | ソースを編集]

  1. 前身は1986年に結成された「清水FC女子」。1990年からは鈴与がスポンサーを務めることになった。
  2. Lリーグの強豪として女子日本代表選手も輩出していたが、1998年シーズン終了後に突如Lリーグを脱退。
    • 翌1999年シーズンは東海女子リーグに参戦したが、シーズン終了後に解散となってしまった。
  3. 一時期長澤まさみの父親が監督を務めていた。

OKI FC Winds[編集 | ソースを編集]

  1. 沖電気工業の女子サッカークラブとして1990年に創設。当初は「OKIレディーサンダース」というクラブ名だった。
  2. 1996年のLリーグ昇格を機に「OKI FC Winds」に改称。
      • Lリーグ1年目は日興証券に1-16で敗れるなど大苦戦となり、入れ替え戦の末にどうにかLリーグ残留を決めた。
  3. 廃部となった他チームから選手を補強しながらLリーグを戦っていたが、1999年シーズンを最後に廃部。
    • 翌2000年1月の全日本選手権準々決勝・松下電器戦が最後の試合となった。

TASAKIペルーレFC[編集 | ソースを編集]

  1. 神戸フットボールクラブの女子部門が母体。1991年に田崎真珠へチームが移管された。
  2. 田崎真珠の経営危機もあり2008年限りで休部・解散。

東京電力女子サッカー部マリーゼ[編集 | ソースを編集]

  1. 東京電力が運営していたサッカークラブ。
    • 2011年の東日本大震災の影響で廃部。メンバーの一部はベガルタ仙台レディースに移籍した。
  2. なでしこジャパンで優勝した鮫島はここの所属だった。
  3. 前身はYKK東北女子サッカー部フラッパーズ。2004年オフに東京電力に運営を移したようである。
  4. 当時、なでしこリーグ唯一の実業団クラブだった。
  5. 本拠地はJヴィレッジ。
    • ホームゲームの半分は施設内のスタジアムで、もう半分は福島県と東京電力の給電地域内のスタジアムで行っていた。

アルベロ神戸[編集 | ソースを編集]

  • 旧:アギラス神戸
  1. 熊本に次ぐやられ役。
  2. 2018年にトップチームは撤退。

アンジュヴィオレ広島[編集 | ソースを編集]

  1. 何故「サンフレッチェ広島レディース」にしないんだ。
    • あくまで横川商店街の街おこしチームでサンフレッチェとは関係が薄いため。
      • でもチームカラーはサンフレとまったく同じ紫色。
    • その後、こことは別に「サンフレッチェ広島レジーナ」が正式に発足した。
  2. 選手の中に広島東洋カープ勤務もいる。
  3. 2022年をもって解散が発表された。

ジュ ブリーレ 鹿児島[編集 | ソースを編集]

  1. 前身は「FC ASAHINA」。その後、クラブが少年サッカークラブチームの「鴨池FC」と合併したため、チーム名称を「鹿児島鴨池FCアサヒナ」と変更する。
  2. 国内初のLリーグ準加盟チームだったが、準加盟だった頃からLリーグに参戦している。ただ、準加盟だったころは、もし2部で優勝を果たしても、1部に昇格することはなかった。