清須市
ご当地の噂 - 世界 > アジア > 日本 > 東海 > 愛知 > 東尾張 > 清須市
一宮 | 岩倉 | 小牧 | 岐阜 | |||
清 須 |
北名 古屋 |
豊 山 |
春日井 | 瀬 戸 | ||
尾張旭 | ||||||
名 古 屋 |
長久手 | 豊 田 | ||||
日進 | ||||||
東 郷 |
み よ し | |||||
豊明 | 刈 谷 |
- 関連項目
清須市の噂[編集 | ソースを編集]
- 横井さんが多い。旧新川町阿原地区の横井さん密度の高さは尋常ではない。
- 旧新川町では、早川さん、小川さんが多い。
- 山内さん、堀田さんも多い。
- 名古屋市内の駅に挟まれた下小田井駅は、冷遇されている。
栄生駅(高架)─東枇杷島駅(高架)─下小田井駅(爆爆爆)─中小田井駅(高架)─上小田井駅(高架)- 西枇杷島駅も、30分に1本の各駅停車しか止まらない。乗り遅れると、たくさんの通過列車を見送ることになる。
- 普通は二ツ杁か枇杷島まで歩くでしょ。この辺の駅間隔は尋常ではない。
- 西枇杷島駅のホームに屋根がない。名古屋駅から3つ目の駅だってのに…。
- 国道22号と名古屋高速があるので,高架化しようがない。
- 西枇杷島駅も、30分に1本の各駅停車しか止まらない。乗り遅れると、たくさんの通過列車を見送ることになる。
- 清洲町・西枇杷島町・新川町が合併してできたが、それと同時に「清洲」の「洲」が「須」に変わってしまった。「清洲」は織田信長の居城として由緒ある名前だったんだがな~…。
- 清州の「清」と須ヶ口(旧新川町)の「須」を組み合わせたといわれているが、それはガセ。須ヶ口は「清須の入り口」という意味の地名だからである。
- 地名学的には「須」の場合、清須の須は「スカ(須賀)」の略とされる。よって「須賀口=須ケ口」、「須ケ口=清須の入り口」となる。
- 歴史書で見ると「清須」と書く場合が多い。織田信長がいたころは「清須」だった。
- 「清洲」は徳川家が天下を取った時に、尾張の守護を清須城から名古屋城へ移転したころから使われ始め、明治頃に定着した。
- その当時、「思いがけない名古屋ができて 花の清洲は野となろう」という歌が詠まれた。
- 清州の「清」と須ヶ口(旧新川町)の「須」を組み合わせたといわれているが、それはガセ。須ヶ口は「清須の入り口」という意味の地名だからである。
- 名古屋市と合併して区になったら「キヨスク」(噂でもなんでもない)
- 一応「きよす」の名を継いだわけだが、市役所は旧新川町だ。
- なので、JTB時刻表での中心駅も須ヶ口。
- JR清洲駅が稲沢市にある。
- 愛知県で一番新しい県立高校である、新川高校がギリギリ清須市に(新川高校は2015年度で30周年)
- 宮重大根は一般的な食用大根の品種である「青首大根」の原種であり、約1000年の歴史がある。
- しかし、栽培の難しさから生産農家が少なくなっている。
- 市外局番は052、郵便番号は名古屋市内扱いの452(しかも集配郵便局は名古屋西郵便局)だが、名古屋市より歴史があり名古屋市にならなかったのは、金沢市との合併を拒否し市制した野々市市と似ている。
- 関東人(特に西武沿線民)は清瀬市と間違えそう。
- 旧西春日井郡だったから東尾張だが、北名古屋市とともに西尾張っぽい。
- 尾張小牧ナンバー。
清洲[編集 | ソースを編集]
- 鳥山明さんの出身地で、今も在住。
- 旧清洲町出身にはあまりそう見えないのだが、初期の単行本ではけっこう自分の田舎者ぶりをネタにしていたものだった。
- 鳥山家は3種類の一戸建てで成り立っている
- 奥様も漫画家
- 自宅から名古屋空港までの直通道路を作る構想も練られていたが、実現しなかった。
- これは有名なガセネタ。東京便がないのに作られたって、そんなに意味ないでしょ?
- アラレちゃんたちが名古屋弁や名古屋の方言を良く使うのは、それが理由。
- ヤジロベーも忘れないで下さいな。
- なかむら治彦も一応清洲出身…でも一部の中日ファン以外に殆ど知られていないかw
- 超有名な清洲城であるが、防御度はどっちかと言ったら大して強固じゃなかったらしい。
- 地元以外での清洲城は超有名どころか全くの無名。知っているのは歴史オタクと信長の野望プレイヤーくらいである。織田信長の居城としては安土城が一般にも知られているくらいで、次点で岐阜城が知られている程度である。
- むしろ知られているのは清須会議の名前による。なのでまあまるっきり無名というほどでもない。中の上という辺りだろう。
- 地元以外ではむしろ、「清洲城 信長 鬼ころし」として知られている。
- 勝手な思い込みで東海限定CMなんだろうと思ったら地元以外でも見れてびっくりした。
- 鬼ころしは長らく横浜市営バスの後ろの広告枠の定番であったため、横浜市民にも馴染み深い。
- 勝手な思い込みで東海限定CMなんだろうと思ったら地元以外でも見れてびっくりした。
- まぁ東海道線から見えるから知ってるかも、くらいかな。線路からは近いけど、駅からは少し歩くよ。
- そもそも防御要害ではなく、交通の要衝を抑えるための本城なので。本来は攻められた時点で負け。
- 地元以外での清洲城は超有名どころか全くの無名。知っているのは歴史オタクと信長の野望プレイヤーくらいである。織田信長の居城としては安土城が一般にも知られているくらいで、次点で岐阜城が知られている程度である。
- 丸ノ内駅は、丸の内駅(名古屋市営地下鉄鶴舞線・名古屋市営地下鉄桜通線)でもなく東京メトロ丸ノ内線でもなく、ここ(名鉄名古屋本線)にある!
西枇杷島[編集 | ソースを編集]
- 旧西枇杷島町は、名古屋市に編入合併を申し込んだが、名古屋市に断られた。
- 旧西枇杷島町には合併の枠組みがあった為。
- 故・堀江しのぶの出身地。
- 東海豪雨で町全体が水没、一気に有名になった。
- 人口密度が日本一高い町であったこともある。
- もう一方「枇杷島町」もあったが、こっちは大正時代に名古屋入りした。
- 今の名古屋市/西区東枇杷島のこと。
- カレーハウスCoCo壱番屋の発祥の地で1号店が健在する。
- 愛・地球博へ行った時に行きました。ついでに一宮にある本社にも。
- 2000年9月の東海豪雨の際、被災者に向けカレーの無料炊き出しを行っていた。
- googleマップで枇杷島駅周辺を見るとすごいことになっている。
- 見ました、「西枇杷島」だらけ。
- 旧西枇杷島町の住所はみんな「清須市西枇杷島町…」である。
- 平成の大合併において旧自治体名そのまま横滑りで地名に残すのはよくある。
- 日本で最初の歩道橋も忘れんといてちょーよ。
- さすが車社会愛知。
- 2010年4月10日に解体される。
- 今はとてもきれい。
- 県道67号(旧国道22号)の。
- 工場と線路が土地の多くを占める。
- 「つけてみそかけてみそ」のナカモの本社がある。
- 江戸時代から続く「尾張西枇杷島祭り」が毎年6月の第一土・日曜日に行われる。
- 年によっては県で一番早い花火の打ち上げが行われる祭りである。
- 祭りの日は西枇杷島駅に準急が停まって大変なことになる。
- 実は江戸時代、日本三大青果市場のひとつだった(神田・堺・下小田井)。
- 給食がすごくおいしい。全国で一位をとったことがあるとか。
- 市立小中学校の授業前予鈴でクラシック音楽が流れる。
新川[編集 | ソースを編集]
- 加藤あいの出身地である。写真集に「新川中学校」が写っている
- 中洲地域の旧・新川町と旧・西枇杷島町との境がよく解らなかった。
- 町役場(現・清須市役所)の前にある新川の堤防にはでっかく「新川をきれいに」の文字が。
- 豊和工業、須ヶ口駅、名鉄の車庫と色々ある清須市の中心なのに地味すぎて泣ける
- 新川優愛の出身地ではない。
- キュートきよすは、みちのえき、と称しているが、道の駅ではなく路の駅である。
春日[編集 | ソースを編集]
- 「かすが」じゃなくて「はるひ」。
- あのアニメとは関係ないよ。
- あの女子プロレスラーとも関係はない…はず。
- 「トゥース!!」とか言ってるあのお笑い芸人も。
- なのに郡名は「にしかすがいぐん」…ああややこしい。
- それ「春日井市(かすがいし)」の西側だからでしょ。
- 元々東春日井郡だったエリアが勝手に春日井市を名乗っただけであっちが中心というわけではない。
- それ「春日井市(かすがいし)」の西側だからでしょ。
- あのアニメとは関係ないよ。
- 最近まで村だった。
- 町になったけど、日本一小さな町に…。
- 住民投票の結果、清須市への合併の意向を示している。
- 無事に2009年10月1日に清須市に編入されることが決まりました。
- 春日町の企業から資料請求があった。送ろうとして住所を見ると「名古屋市外春日町」と書いてあった。「愛知県の行政単位は関東と違うらしい・・・」と思った。
- 似たような例がかつて浜松にもあった。
- 旧・浜名郡可美町
- 似たような例がかつて浜松にもあった。
- その地域の小中学校では、胃腸風邪が蔓延。
- 地区が2つしかない(落合・下之郷)。「大字なし」で十分だと思う。
- 清須への編入に際し、落合・下之郷を消し春日を大字に繰り下げる。
- ペンギン村のモデルはこの町である。ちなみに大都会島のモデルは名古屋市である。
- 町役場が小学校と中学校の間にある。
- 美術館がある。