滝沢市
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主な施設[編集 | ソースを編集]
滝沢市の噂[編集 | ソースを編集]
- 滝沢村は、日本一人口の多い村。
- 全国の「町村」でも三好町(2007年3月1日現在55570人)についで全国2位。
- ちなみにそのうちの2000人ほどが「名古屋刑務所」に服役する囚人。
- また、市制施行への動きもあり、滝沢村が「町村で最も人口の多い自治体」の称号を得る日も近い…?
- 2010年1月、三好町が「みよし市」になり、見事その称号を手に入れました。
- どうか盛岡と一緒になってください By盛岡市民
- 人口5万人超えは村のままでいいのか謎。(2007年3月1日現在53021人)
- 村としては全国的に珍しく最近まで人口が増加傾向にあった。現在は緩やかな減少傾向にある。
- 日本で一番人口が少ない市、歌志内市(2007年3月1日現在5170人)の約10.3倍か…。
- ちなみに三好町と歌志内市を比べた場合、約10.7倍。
- 「滝沢市」になろうとしたことがあるが、盛岡市が条件の穴をつついてお蔵入りにされる。
- 人口以外に「官公庁が5以上あること」という条件があったため。
- 更に、役場前を買収してメインストリートとなる場所を作ろうと考えたが、土地を売ってもらえず頓挫。
- 「釜石市」の人口を抜いた。
- 盛岡のベッドタウンで自衛隊・コンベンションセンター・大学2個を抱える「超・市町」村。
- 「市」になるには「中心市街地」が必要らしい。滝沢にはスーパーはあるけど商店街や業務街はない。
- 人口分布も多くは巣子地区と鵜飼地区に完全に二分化されている。
- 一応滝沢ニュータウンに商店街「っぽい」のはあるが…。
- 尚、その人口の多さからか県内では唯一車庫証明が必要な村(通常村では車庫証明は不要)。
- 他県人に出身地を訪ねられたときまず最初に強調(自慢?)するのは「村なのに人口が5万人超」「人口が一番多い村」ということ。
- 県と揉めた挙句、ようやく2014年に市制施行する方向で決まった。
- 1月1日、無事市制施行。因みに人口は全国の市の中で505番目となった。
- 全国の「町村」でも三好町(2007年3月1日現在55570人)についで全国2位。
- 滝沢村職員は盛岡市に全く引け目を感じていない。むしろ張り合い気味。
- そのため、盛岡市との合併話はありえない。実際、噂にも上らない。
- ただ、盛岡的には滝沢村の人口はかなり魅力的らしく、合併協議会に呼んだが雫石町・紫波町と共に参加拒否。
- また、後に矢巾町も住民投票の結果、反対多数で離脱。仕方なく盛岡市は玉山村とのみ合併。なんとか中核市への移行条件である人口30万人を確保した。
- そもそも、盛岡市に比べると財政状況がそんなに圧迫していないため合併の必要が無い。
- むしろ合併した方が痛い目見る(盛岡市は近年ずっと赤字財政)という意見が多数。
- 盛岡市民は、おいしいとこだけ取りの滝沢村民を身勝手だと思っている。(収入、消費など生活のほとんどを盛岡に依存しているので)
- 実際盛岡寄りに住んでいる村民は、他県人に出身地を訪ねられたとき「盛岡市…の上の滝沢村」もしくは「盛岡市…厳密には上の滝沢村だけど…」と答える。まあ所詮ベッドタウンだってわかってるし。
- それは盛岡市のわがままでは?滝沢村で宅地開発しないで、盛岡市内のへき地で宅地開発したら?合併しなきゃ人口増やせない盛岡市よりも、自力で人口増やそうと企業誘致で頑張ってる北上市に拍手を送りたい。
- たしかに収入は盛岡からだが、消費の割合は村内のほうが多いと思う。
- ただ、盛岡的には滝沢村の人口はかなり魅力的らしく、合併協議会に呼んだが雫石町・紫波町と共に参加拒否。
- そのため、盛岡市との合併話はありえない。実際、噂にも上らない。
- 規模として大差で劣る隣の玉山村が盛岡と合併し「市」になるが、県内外から見てももはや何を持って市町村とみるか感覚が麻痺している。
- また、隣にある西根町・松尾村が安代町と合併して「市」になったが、やはり何か感覚が麻痺している。
- 面積も広い。約183k㎡。滝沢村役場にいくための最寄の駅は、「IGR滝沢駅(旧JR)」ではなくて、「JR田沢湖線大釜駅」。さらにそこから徒歩30分。
- 田舎の特徴として「電車等の公共交通手段はアテにならない」という特徴を見事に踏襲している。ちなみに実際に公共交通手段で村役場に行く場合は路線バスを利用する(1時間2、3本程度)。
- いやいや、起点がどこかは分かりませんが、盛岡駅からなら「滝沢村役場」行きのバスがかなりの本数で出てますよ。
- でも、青山線とか南青山線とか路線が色々あって判りにくい。同じ路線でも経由が色々あるし、「滝沢村役場行き」と明記してあるバスでないと怖くて乗れない。
- というか、滝沢村役場(または滝沢市役所)行きと書いてあるバスじゃないと行けない。滝沢営業所行きのバスは例え滝沢ニュータウン経由であっても市役所には寄らない。
- でも、青山線とか南青山線とか路線が色々あって判りにくい。同じ路線でも経由が色々あるし、「滝沢村役場行き」と明記してあるバスでないと怖くて乗れない。
- いやいや、起点がどこかは分かりませんが、盛岡駅からなら「滝沢村役場」行きのバスがかなりの本数で出てますよ。
- ちなみに鵜飼地区への最寄り駅は最近出来た盛岡市にある「IGR青山駅」。やっぱりそこからバスを使わないとならないが、大釜駅よりはアクセス面で便利。
- 田舎の特徴として「電車等の公共交通手段はアテにならない」という特徴を見事に踏襲している。ちなみに実際に公共交通手段で村役場に行く場合は路線バスを利用する(1時間2、3本程度)。
- 滝沢駅周辺の滝沢、国道4号線の巣子、ほとんど盛岡と一緒の鵜飼、のそれぞれが生活文化圏が違う。
- 近年は盛岡市と隣接する穴口地区、国分通り周辺も開けてきたため、更に地域が増えた。
- 開ける地区がある一方で、姥屋敷、柳沢などの開拓地域は忘れ去られつつある。
- 地元では「家どこある?」と聞いて「滝沢」と答えられたら「滝沢のどこ?」と聞くのは常識。
- 実際、地図上で見る以上の広さがある。
- 「月が丘小学校」「北陵中学校」は盛岡市立の小中学校だが、敷地は滝沢村内にある。
- 「月ヶ丘小学校」に通う生徒のうち、滝沢村に住む生徒は「滝沢南中学校」に行くことになる。
- 滝沢市西部では児童の数が急激に増加しており、このままではパンク寸前なので現在は同地域に小学校を新設する事が決まり、予算がついたため建設工事が始まっている。校名は「滝沢中央小学校」。
- ついに2019年4月4日開校しました。
- 岩手県で最も生徒数の多い小学校は鵜飼小学校(約970人)であり、2位はすぐ隣の管轄である滝沢小学校(約900人)である。そして児童数は中央小学校建設予定地がある室小路地区だけで児童250人超で更に増加傾向。盛岡市ですらここまでのマンモス小学校が隣り合っている地域はない。津志田小学校が3位(約800人)だが近隣にマンモス校はない。これを見てもパンク寸前なのは火を見るよりも明らか。
- 盛岡北高校も盛岡の北ではなくて滝沢の南東にある。
- だからと言って滝沢高校にすれば定員割れするのは目に見えているので愛郷心たっぷりの滝沢村民もそのことはあえて言わない。
- 実際盛岡の名前に騙されて受験する盛岡市の中学生があとをたたない。
- 盛岡だと思って遊べると思ったら大間違い。やっと最近近くにGEOやらなんやらが出来てきたくらい。
- さらに巣子はやたらと広い(住所で見れば「滝沢村滝沢字巣子」)。
- いずれの土地も「村」っぽくない。
- 柳沢・姥屋敷はどこをどう見ても「村」
- 国内有数の農業試験場があるがその土地のせいでさっぱり進まない国道4号線の2車線化。渋滞なんとかしてほしい。
- 国道4号線を北上して、盛岡市から滝沢村に入る直前に、2車線から1車線に減少する上にさらに合流というありえない状態(3車線分が一気に1車線に)。
- 北側から盛岡に向かっても分レから巣子をピークに大渋滞。(国道4号、国道282号、高速道路IC合流地点)
- あんな大渋滞する片側1車線の地域に、自動車学校があるのでさらに大変。
- 国道4号線を北上中に分レの交差点で直進してわけわかんない道に入るひとがいる。
- 国道4号線を北上して、盛岡市から滝沢村に入る直前に、2車線から1車線に減少する上にさらに合流というありえない状態(3車線分が一気に1車線に)。
- 滝沢村の特産品といえば、滝沢スイカ。
- 「どっちの料理ショー」の盛岡冷麺vs讃岐うどんの回で滝沢スイカが取り上げられた。
- 村内に建っている(株)盛岡ガスのガスタンクはスイカ柄。現在もう一基も修正中。柄は?たぶん、メロンである。
- 残念ながら、「チャグチャグ馬コ」でした。
- パチンコアポロのネーミングセンスはかなり問われるがあえて言わない。
- 大釜店→「ビッグガマ」には地元民も苦笑。
- 「ロックハンド」に至っては、もはや何も言う気にならない。
- ちなみに滝沢ニュータウン内にある温泉は「狐洞」の地目にちなんで「フォックスバーデン」(本当)なんでも英語に直訳すればいいのか?
- 日本アイソトープ協会というその名の通り放射線な施設がある。
- しかも廃棄物処理・保管施設。
- 実はこの施設があるおかげで潤沢な補助金が滝沢村に流れているという。
- 旧都南地区の盛岡市民には「けっ旧都南村のくせに」というが、相手は「うるせー村民」と互いに醜いののしりあいをする。
- ほんと、醜いのぉ。自分も市民だが、村民ってだけで市民よりアホだなんてこれっぽっちも思わんぞ。
- 現職盛岡市長は旧都南地区を地盤としており、県議会議員を12年、市長を12年勤め、2015年現在4期目当選も果たした実績があるので県庁所在地盛岡で最も発言力のある地区は都南という現実。
- 「チャグチャグ馬コ」への思い入れは尋常ではない。
- 毎年「6月15日」と決まっており「その日は必ず晴れる」と語り告がれていたが、近年、観光客めあてに「六月の第二土曜日」にしたため、「たたりがあるのでは?」と村民は密かに恐れている。
- 今年度のチャグチャグ馬っこが「盛岡チャグチャグ馬っこ」とされそうになり、村が大反発。すったもんだのあげく「滝沢盛岡チャグチャグ馬っこ」におちつく、という「日韓ワールドカップ」のような揉め事が起こった。
- スタート地点が滝沢村でゴール地点が盛岡市だから、案外そっちの方が良いんじゃないかと思う。
- 本来チャグチャグ馬コというのは滝沢市の鬼越蒼前神社周辺の鬼越住民が一日仕事を休み、生活に無くてはならない馬の安全祈願という理由で馬を連れて参拝へ行くのが本来の姿なので、現滝沢の住民が主役であり盛岡八幡宮は目的地でしかない。パレードという形になったのは昭和後期であり、滝沢・盛岡双方の自治体の思惑による観光目的でしかなく、本来のチャグチャグ馬コとは違いパレード自体の歴史は極めて浅い。
- 村西部では、お盆の百八灯ろうを、電飾(しかも色付)で点ける。鯉のぼりのポールからピラミッド状に電球が張られる。たぶんあの世から見えやすい。
- たぶんではなく、家を間違えないようにするため。
- 盛岡市太田地区(旧岩手郡太田村)が発祥です。
- 亡くなった人の初盆から3年間実施。
- 旧西根町まで広がりを確認しております。
- 小岩井農場に行こうとしてJR田沢湖線小岩井駅で降りた観光客は唖然とするだろう。
- 大釜駅近くにある中学校への通学手段としての路線として多く使われる。
- また、余談ではあるが田沢湖線は在来線であるにもかかわらず新幹線が通る(秋田新幹線こまち)。
- 単線の為、列車のすれ違いでこまちが止まるときがある。が、ドアは開かない。
- ちなみに実際に小岩井農場に行くのであれば、素直に盛岡駅で降りて直通バスを使うことをおすすめする。
- 小岩井は雫石なのでは・・・
- 地図では農場の敷地が、一部滝沢村にも入っている。余談だが「小岩井地区」「小岩井ニュータウン」は「滝沢村」に存在。
- 本部および農園の入り口は雫石町にあり、所在地自体は雫石というのが本当。敷地面積の割合は雫石:滝沢=2:1。
- 地図では農場の敷地が、一部滝沢村にも入っている。余談だが「小岩井地区」「小岩井ニュータウン」は「滝沢村」に存在。
- 大釜駅近くにある中学校への通学手段としての路線として多く使われる。
- 実際のところ「日本最大の村」を維持したいから本当は市制施行したくない。
- 某男性タレントとはあまり縁がない。大河ドラマのイベントでもかすった。
- 村内の住宅地は基本的に一戸建てだが、何を間違ったのか、田園地帯の中にマンションが建っている場所がある(役場のそば)。
- 村のくせに大学が2つある。盛岡大学は盛岡市でなくここにある。
- 結局、2014年1月に「滝沢市」になることが決まる。
- 結局は「町」飛び越しか。
- 市政移行した理由は、福祉系など町村と違い県議会のお伺いを立てずに出来る独自の権限強化、地方交付税など財政支援範囲の拡大。官公庁の条件は県条例の改正によってクリアした。
- 盛岡市との合併は双方の財政的にデメリットがメリットを大幅に上回っており、滝沢の名前に愛着がある人だけでなく「財政難の盛岡市が合併を持ちかけてくる」事自体論外であると考える人も多いため反対派が圧倒的多数派である。現職市長村長の前の代に盛岡市側から提案がなされ住民投票が行われるも反対多数で否決されており、現在も市民・市議会・市長も反対している。合併協議会が設置されても盛岡市長による参加の呼びかけを無視という形で拒否しているため現実味が薄い。単独市政移行はこうした盛岡市の対応と決別する意味もある。
- 市政移行の決定と同時期にやっと市役所前の用地を確保し、大規模予算を投じて市の中心部を目指し商業用地の大規模造成工事に入った。
- 皮肉にも岩手産業文化センター「アピオ」で発生したAKB48の事件がきっかけで全国的に市制されたことが知られることに…。
- サッカー・なでしこジャパンの岩清水梓がご当地出身で村時代に名誉村民に選ばれた。
- 全国の食堂等のテーブルで見かける「ルーレットおみくじ器」の製造工場が滝沢ニュータウン内にあり、1962年の創業時から作り続けて実は国内で唯一の業者である。社長はメンテナンスのため全国を駆け回っているらしい。