玉造 (大阪市)
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玉造の噂[編集 | ソースを編集]


- 玉造でも大阪環状線よりも西側は中央区になる。
- 正確には、日の出商店街のあたりは、天王寺区になる。
- 更に正確には、環状線の北西部は中央区。で、南西部は天王寺区。
- 実際、玉造本町と玉造元町は天王寺区に属する。
- JR玉造駅があるのは天王寺区と東成区の境界。駅の住所は天王寺区になる。
- 正確には、日の出商店街のあたりは、天王寺区になる。
- 東成区側には「玉造」の地名はなく「東小橋」。「玉造」があるのは中央区と天王寺区。
- 「東小橋」は「ひがしおばせ」と読みます。
- 東小橋言うたらラーメンJET600っちゅう店が玉造の駅からも近うて旨いで。値段も適正価格の範囲。
- 最近はちょっとしたラーメンの激戦区となりつつある。
- 東小橋は隣町の鶴橋にも掛かっている。
- 東小橋言うたらラーメンJET600っちゅう店が玉造の駅からも近うて旨いで。値段も適正価格の範囲。
- 「東小橋」は「ひがしおばせ」と読みます。
- 玉造温泉は松江市にある。
- 江戸の頃、二軒茶屋という普通の茶屋があった。
- 東日本の人にとっての玉造は茨城の旧玉造町を連想する。
- 玉造といえば、真田幸村の真田山があった所である。
- 今ではプール付きの公園となっている。
- それは真田山公園の話でしょ。真田丸は三光神社のところから円珠庵のある辺まで続く結構大きい出丸だったのでそれは間違い。
- 元が真田山の話でそのぶら下げなんだから真田山公園の話で間違ってないんでは?(真田幸村の「真田山」って書き方が誤解を招いているけれど。)
- ちょっとめんどくさいことではあるんだけど、真田山というのは真田丸のあった山というか丘全体を指す。真田山公園はその真田山の一部ではあるけれども、「真田山は真田山公園」ではない。もっというと真田山のメインエリアは明星高校~高津高校の辺りまでの丘の上の平坦なゾーンだったりする。
- 元が真田山の話でそのぶら下げなんだから真田山公園の話で間違ってないんでは?(真田幸村の「真田山」って書き方が誤解を招いているけれど。)
- その真田山公園の北側の坂道。何故か長い石畳区間になっているが、無駄な公共事業の見本にしか思えない。
- 石畳にして風情が出るわけでもなく、むしろ車の通るときの騒音が発生&増大するし、自転車で坂を下るとバリクソケツ痛くなるし、しかも雨の日だと滑りやすくなるだけだし……
- それは真田山公園の話でしょ。真田丸は三光神社のところから円珠庵のある辺まで続く結構大きい出丸だったのでそれは間違い。
- 今ではプール付きの公園となっている。
- 日の出通り商店街は玉造周辺の人間の味方。それほど特徴のある商店街ではないが、まだシャッター化の手前で踏ん張っている。
- 元阪神・オリックス監督のどんでんこと岡田彰布氏の出身地だが、彼は旧東区(現・中央区)出身である。
- カトリックの大教会がある。場所は元々細川越中守邸のあった場所。
- 言い換えれば、嫁のガラシャ氏が自害した場所でもあるわけだが、そんな所に教会とは狙ってるとしか思えん……
- 因みに、今も越中守邸の井戸のあった場所が史跡指定され、越中井という名前も付いている。
- そんなわけで細川ガラシャとなんでか知らぬがキリシタン大名で有名な高山右近がバーターで銅像になって置かれている。
- 玉造稲荷神社は垂仁天皇の頃の創建らしい。以降紆余曲折を経て今に至る。
玉造稲荷神社 - この神社はお伊勢参りの大阪側の事実上の起点だったとか。言い換えれば、江戸期の大坂の街はここが東端だったということか。
- あとで西暦でいえば何年ころに当たるのかと思ってWikipediaを見たところ、なんと紀元前12年の創建らしい。垂仁天皇○○年と書いてあったけど、よもやそんな古い時代のもんだとは思わなかった。
- 実は蘇我VS物部の戦いの時、聖徳太子が必勝祈願をした地の一つがここらしい。そういえば森ノ宮付近に初代四天王寺があったとする説もあったような無かったような……
- 物部との戦争にあたって聖徳太子が祈祷をしたという話は色んな所で聞くが、「あんた一体何箇所でやったんだ?」と思う。けど、これは古代ロマンに思いを馳せられない現代人の性というべきなのか。でもそれだけやらないと闘えないって、やっぱ聖徳太子もチキンだなと……
- その玉造稲荷神社には豊臣秀頼公の銅像が立っている。また胞衣塚大明神というのがあり、秀頼の胞衣を隠れて大切に祀ってきたらしい。
- 今でこそただの下町だが、豊臣秀吉の時代には大阪城に近い立地を活かして、大名や堺の某茶人が軒を連ねる屋敷地だったらしい。
- でも大坂の陣で、全部燃えた後は武家地はわずかで残りは町人町と農村部になりさがった。
- 地下鉄使わんので全然気づかんかったけど、最近地下鉄の玉造駅が大きく変化をしようとしている。
ようこそ玉造へ - 改札前の掲示板がしょーもない区のイベントやよく分からん市政だよりの切り抜きみたいなのから、「ようこそ玉造」コーナーに变身。
- でも、紹介されているのは三光神社と心眼寺だけ。玉造稲荷とかもっと色々紹介できるもんがあるやろ。
- 2016年に大河ドラマの舞台になったということもあるだろう。
- まず手始めにあの3K(汚い・臭い・危険)のそろった駅の便所が、別の意味で3K(キレイ・機能的・高貴)なトイレに様変わり。
- 便所は木目を基調としてぬくもりを演出したり、壁に絵をかけたり。それはええねんけど入り口に「ようおこし」は無いやろ。
- 「ようおこし」ロゴは西長堀駅のお手洗いにもあった(笑)
- ただこの駅の場合、トイレは改札外にある(通常は改札内にある)。
- 便所は木目を基調としてぬくもりを演出したり、壁に絵をかけたり。それはええねんけど入り口に「ようおこし」は無いやろ。
- 改札前の掲示板がしょーもない区のイベントやよく分からん市政だよりの切り抜きみたいなのから、「ようこそ玉造」コーナーに变身。
- なにわ野菜の一つ玉造黒門越瓜の産地だった所。
- 今は住吉の辺の畑でちょろっと栽培されている程度らしい。とはいえ、なにわ野菜の中には消えてしまったものも多いので、たとえわずかでも栽培がなされているだけマシではある。
- 浅漬やお茶漬けにもいけるが、おすすめはむき海老と一緒に出汁で炊いてとろっとした水溶き片栗粉でコーティングしたあんかけ風のやつ。結構高いけど、ちょっとした料理屋だと作ってもらえたり。
- ただどこぞの俳人は奈良漬が一番うまいと言ったとか。曰く「黒門といえども 色はあおによし 奈良漬にして 味をしろうり」。
- 真田山の山頂付近は、餌差町とか空清町という住所ではあるものの、付近住民は概ねここいらまでは玉造という共通認識で生きている。因みにここより向こうは、真法寺町とか色々あるが、概ね上六という感じ。
- だいたい玉造ってどっからどこまでという定義自体もなく、なんとなく「この辺は玉造やろ」という感覚で生きているためこうなる。まあ、これは玉造に限らず、大阪市内はそういうところが多いし、何故かそういう認識が隣接地域との間でも共有されていることが多いけど。
- そんな真田山の山頂の交差点にあるのが、国学者として日本史の教科書にも出てくる契沖さんの円珠庵。
鎌八幡円珠庵 - 円珠庵はまたの名を鎌八幡という。
- 一応仏教系のお寺なのに八幡様ってのは許されるのだろうか。そもそも殺生禁止の仏教なのに武運の神である八幡様として崇め奉る謎。
- 鎌八幡という名前は、真田幸村が、この地に真田丸を建てた時に、既に「鎌を打ち込むとご利益がある」と地元民から信仰を集めていた御神木があり、そこに「鎌八幡大菩薩」と名付けたことに始まるらしい。
- 境内には契沖さんの墓があるが、境内一切撮影禁止につき悪しからず。
- 円珠庵はまたの名を鎌八幡という。
- 真田山の上に明星高校がある。ここはかつて高校野球で甲子園に出場したこともある学校だが、近年は進学実績もスポーツの実績もぱっとしない。
- 毎朝、ここの学生が通る通学路みたいなのがあるが、道路の真ん中まで広がって歩いて山を上がってくるので、正直危なっかしい。しかも中高一貫だから、普通の高校の倍の人口がいるのがなお一層、質が悪い。
- これに清水谷高校や大阪女学院の学生の通学時間が重なる朝8時過ぎのJR玉造駅~玉造交差点までの歩道は人による大渋滞のため、通常の倍くらい通過に時間が掛かる。
- 明星高校の校舎の上に、よく分からんコンクリート像がある。夜など不気味以外の何物でもない妙な光り方をしているため、ここいらの人たちはなんだあれはと気持ち悪がる。
- 毎朝、ここの学生が通る通学路みたいなのがあるが、道路の真ん中まで広がって歩いて山を上がってくるので、正直危なっかしい。しかも中高一貫だから、普通の高校の倍の人口がいるのがなお一層、質が悪い。
- 玉造は古墳時代、渡来人の、それも勾玉作りなどに長けた玉造部の人が住んでいたとされる地域だったらしい。
- そういったこともあって玉造稲荷神社には、その頃の歴史資料を集めた資料館がある。
- どんどろ大師というよく分からん寺院がある。
- 元々は能勢の方にあったらしく、その頃には亥の子餅を宮中に収める際の祈祷を担う寺院だったとかいう話もあるが、それならなぜ市内へ移ってきたのか……
- どんどろには嘸かし由緒正しき由来があるのかとおもいきや、単純に土井さんって人が深く帰依していた事から「土井殿の御大師」と呼ばれ、それが訛って「どんどろ大師」になったとかいう。
- 浄瑠璃『傾城阿波の鳴門』の舞台らしい。こんな小さい寺院でも、歴史は古いのである。
- 江戸期大阪の著名なオタクとして有名な木村蒹葭堂の墓がある。因みに墓は大応寺の中。
- 因みにこのオタクのコレクト品の数々は、明治になって新政府が始めた内閣文庫に収蔵されたとか。
- その大応寺の南にある寺は伝長寺という寺で、こっちはこっちで『絵本太閤記』の作者武内確斎の墓がある。
- 興徳寺は行基菩薩開基の寺院。
- 山門以外は全部大阪大空襲で燃えたため、戦後の再建物。でも山門は江戸期からの物で、歴史を感じさせる。
- その山門には今も焼夷弾の跡が残っている。こういった痕跡の数々が、歴史の生き証人のようであるように思える。
- 平成の初めころか昭和の終わり頃に、やたら馬鹿でかい准低観音像が建てられた。軽く10mは超えていると思うが、バブルの生き証人感半端じゃない。
- 山門以外は全部大阪大空襲で燃えたため、戦後の再建物。でも山門は江戸期からの物で、歴史を感じさせる。
- JR玉造駅のそばに大阪環状線の車両の形をしたビルができた。
- 名称は「ビエラ玉造」。1階が100円ショップなどで2階は保育園。
- 外観はまもなく環状線から消えるオレンジ色の103系を模している。
- 玉造橋交差点はここではなく長堀通をまっすぐ西に行った西区内にある。
- こちらの由来は17世紀に大坂城玉造口の与力・同心が増員のため移転させられた場所だったからだとか。
- 玉造の名の由来は、鉄砲の弾を作っていたからとよく言われることがあるが、実はそれ以前に、曲玉を作っていた形跡があるらしい。
- 大阪七口では奈良口だった所。
- 森下仁丹の本社がある。(中央区のほうに)
- 仁丹の本社を森ノ宮というか、玉造というかは人によって別れているような気がする…… あの辺りに境界があるんだけど街が連続しているため。
グルメな街 玉造[編集 | ソースを編集]
- 玉造にあった、「アジアコーヒ日の出通り店」の人気メニューはネーポンだった。
- 既に、アジアコーヒ日の出通り店は取り壊されておるし、女主人の西川さんは数年前に他界していた。
- ナイトスクープ見てないとわからんネタでは。因みにこの放送時の顧問は故・中島らも氏だった。
- さんま・たけしの超偉人**人伝説でも取り上げられてたから全国区では?
- ナイトスクープ見てないとわからんネタでは。因みにこの放送時の顧問は故・中島らも氏だった。
- 既に、アジアコーヒ日の出通り店は取り壊されておるし、女主人の西川さんは数年前に他界していた。
- きくやっちゅうおでん屋が安うて旨い。大根や卵が100円切ってたはず。
- あっさり目の塩味の程よく聞いただしが、これまたシメにちょうどいい感じ。
- 肉うどんもおすすめ。
- たまにテレビ大阪「おとな旅あるき旅」のロケで三田村邦彦がおでんつまみながら酒を呑んでる。因みに肉うどんについても「大阪で一番旨い」と太鼓判を押しまくっているとか。
- 魚介とという立ち飲み居酒屋もなかなか。ここはマグロが売りの店でまぐろのブツとかを安い値段で出してくれる。
- なるとやという店も旨くて安い。どて焼きがオススメ。
- 楽酒たまるばと豊祝直売所居酒屋、ごえんやが天王寺区内側の居酒屋で評価の高い3トップ。何処も安くて旨い。
- とか書いてたら、どうも豊祝さん無くなってしもたとかいう話しらしいな。残念である。
- 昔からわりと居酒屋が多いエリアであったが、最近はラーメン激戦区に姿を変えつつあるらしい。
- 空堀町交差点をちょいと北へ入った所の居酒屋N(イニシャル表記)もめちゃくちゃ旨い。でもめちゃくちゃ高い。
- 長堀通を玉造からちょっと坂上がった所にあるカレー屋。これもちょっと高めの値段だが結構旨い。
- 駅の中のパン屋が旨いと地元で評判。
- 清水谷町にうどんが230円で食える飯屋がある。でも定食はワンコイン前後とそれほど安くない。まあ大海老天丼が580円を高いとは言えぬが。
- 先日知り合いのタクシードライバーに聞いて行ってみたが、なんと立ち食いじゃなくて座って食えるありがたい店やった。
- 空堀町の交差点のそばにあるケーキ屋がやたら美味いと評判。
- 昔はロールケーキ一本1000円で買えたのだが、口コミでどんどん有名になった結果、年々値上がりしてきていて2000円の大台が見えてきた。こうなるといくら旨くても客は離れていくはずなんだが、それでもなぜか離れない始末。
- 玉造1丁目にある純華楼の餃子はマジでうまい。でも麻坊豆腐はそれ程でもない。
- ジューシーで肉肉しさ加減が絶妙。お笑いコンビSャンプーハットのTつじや朝日放送のT本M里衣アナが大絶賛の味。
- ただ、如何にも大衆中華という感じの店なので、接客に期待してはいけない。(谷九にも支店があるらしく、接客を求めるならそちらへ行けとのこと。)
- 活魚料理いしかわは、ABCテレビ「今ちゃんの『実は…』」の銭湯ロケでも紹介された、地元民御用達の名店。
- 紹介されたのは鶴橋の回だったので、鶴橋の店だと思われているが、実は玉造の商店街抜けてすぐ。
真田幸村と玉造[編集 | ソースを編集]
- 玉造といえば、真田幸村の真田山があった所である。
- 近年、駅と日の出通り商店街の間の路地がおかしい。150mほどの路地に幸村ロードて、絶対真田幸村は嫌がるだろ、コレ。
- なんでも2015年で1615年の大阪夏の陣から400年になるのを記念して、当地所縁の真田幸村にちなんだ街の活性化をということで始めたようだが、正直一般人にはなんのこっちゃ分からん。
- 今更街の活性化もクソもないやろといううのもさることながら、たったあんだけの路地で街コンまで始めたらしい。想像通りその効果はお察し下さい状態。
- 門扉に、真田家所縁の六文銭を刻みこんだ寺院がある。
- この寺は心眼寺という寺で元和の頃に創建されている。その目的は、もうおわかりかも知れないが当地所縁の真田昌幸・真田幸村親子の菩提を弔う為。
- この心眼寺には真田幸村の墓がある。
- この寺は心眼寺という寺で元和の頃に創建されている。その目的は、もうおわかりかも知れないが当地所縁の真田昌幸・真田幸村親子の菩提を弔う為。