甲信越・北陸の廃駅
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長野[編集 | ソースを編集]
ヤナバスキー場前駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:大町市平簗場
- 駅名の通りヤナバスキー場の前にあった臨時駅。
- しかしスキー場の営業休止が影響したのか、2019年春のダイヤ改正時に廃止となってしまった。
- 路線 - 大糸線
松代駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:長野市松代町松代
- 松代地区の中心駅。
- 屋代線の廃線後も駅舎やホーム等の設備は残され、観光案内所やバスの待合所として使用されている。
- 路線 - 長野電鉄屋代線
木島駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:飯山市大字木島字海田
- 河東線(木島線)の終点駅。乗客の減少もあり2002年限りで廃駅となった。
- 駅舎は廃線後も長電バスのバスターミナルの待合室として使用されていたが、新しい待合室の完成もあり2018年に解体。
- 路線 - 長野電鉄河東線(木島線)
島々駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:東筑摩郡波田町前渕(現在は松本市前渕)
- 上高地線の終点だったが、隣の赤松駅(→新島々駅)の整備もあり利用者数が減少。
- 1983年に台風による土砂災害で新島々-当駅間が不通となり、翌年末限りで廃止となった。
- 廃線後、駅舎の跡地には観光案内所が建っていたが2022年に解体。
- 路線 - 松本電鉄上高地線(廃止時点)
公園前駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:上田市大手
- 開業当初の駅名は「公会堂下駅」だったが、戦後の1948年に現在の駅名に改称された。
- 現在駅の跡地は遊歩道として整備されており、ホーム跡も現存している。
- 路線 - 上田交通真田傍陽線
国境平駅の噂[編集 | ソースを編集]
- 所在地:北佐久郡軽井沢町長倉
- 国の境目にある開けた場所。
- ここを越えると群馬県。
- 軽井沢スノーパークとは県境を挟んで反対側にある。
- ゴルフ場も群馬県側に2か所ある。
- 路線 - 草軽電気鉄道
新潟[編集 | ソースを編集]
柿ノ木駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:魚沼市穴沢
- のんのんびよりで宮内ひかげが東京に旅立った駅のモデルになっている
- 冬季は2m以上もの雪の壁で囲まれる
- 2013年3月16日に臨時駅に降格させられ、2015年3月14日にとうとう廃止されてしまった
- 鉄道駅は廃止されたがバス停はまだある模様
- 路線 - 只見線
- バス - 南越後観光バス
白山前駅の噂[編集 | ソースを編集]
- 1933年に県庁前駅として開業。県庁の移転に伴い1985年から白山前駅に改称。
- ここから新潟駅前まで延びる予定だったが実現せず。
- ルートになるはずだった萬代橋は路面電車を通せる規格で建設された。
- 現在、駅の跡地には小さな公園が整備されている。
東関屋駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:新潟市関屋大川前(現在は新潟市中央区関屋大川前)
- 白山前-東関屋間廃止後はここが起点駅だった。
- JRの関屋駅はここから北側に歩いて徒歩10分ほどかかった。
- 現在、駅の跡地には福祉施設とマンションが建っている。
- 電車の車庫はここにあった。
- 路線 - 新潟交通電車線
東青山駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:新潟市青山(現在は新潟市西区青山)
- 路線 - 新潟交通電車線
ときめき駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:西蒲原郡黒埼町ときめき東(現在は新潟市西区ときめき東)
- 黒埼町北部の住宅地「ときめきタウン黒埼」の最寄駅として1997年に開業したが、その2年後の1999年に廃止された不運な駅。
- 駅名が駅名ということもあり、某ゲームのファンからは勝手に聖地扱いされていた。
- 路線 - 新潟交通電車線
味方駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:西蒲原郡味方村大字味方(現在は新潟市南区味方)
- 旧味方村の中心駅。
- 国の重要文化財である旧笹川家住宅への最寄り駅でもあった。
- ホーム跡は2007年頃まで残っていたらしい。
- 路線 - 新潟交通電車線
白根駅の噂[編集 | ソースを編集]
- 白根市にあった…訳ではない。
- 白根の市街地に向かうには中ノ口川を渡る白根橋を渡らなければいけなかった。
- 単式と島式のホームがある2面3線の駅構造だった。
- 路線 - 新潟交通電車線
月潟駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:西蒲原郡月潟村大字月潟(現在は新潟市南区月潟)
- 旧月潟村の中心駅。
- 1993年にここから燕駅までの区間が廃止されたこともあり、末期の数年は当駅が終点だった。
- 廃線後、駅周辺は旧月潟駅周辺公園として整備された。
- 廃線の翌日に東関屋駅から回送された車両3両も駅構内に静態保存されている。
- 路線 - 新潟交通電車線
西小千谷駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:小千谷市城内
- 国鉄魚沼線の終着駅。
- 実は開業当初はこちらが「小千谷駅」を名乗っていた。
- 向こうは東小千谷と名乗っていた。
- 栄えてるのはどっちかっていうとこっち。
- 駅の跡地には「ぽっぽの里公園」が建っている。
- 路線 - 魚沼線
越後長沢駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:南蒲原郡下田村荻堀(現在は三条市荻堀)
- 国鉄時代の弥彦線の終着駅であり、旧下田村の中心駅。
- 当駅から福島県の只見駅まで延ばす計画もあった。
- 現在駅の跡地にはバスの待合所と車庫が設置されている。
- 路線 - 弥彦線
西長岡駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:長岡市大島本町
- 長岡線の中心駅。起点の来迎寺から来た列車はここで折り返すスイッチバック構造の駅だった。
- 本来はここから信濃川を長い橋梁で渡って長岡駅に接続する予定だったが、予算を確保できず断念。
- 現在駅の跡地にはドラッグストアや住宅などが建っている。
- 三ツ郷屋に西長岡バス停があるが、こことは無関係。
- ちなみにそちらは同じ越後交通の旧西長岡案内所が由来。案内所閉鎖で案内所前が抜けた結果西長岡というバス停にしては広い名前になった。
- 三ツ郷屋に西長岡バス停があるが、こことは無関係。
- 路線 - 越後交通長岡線
与板駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:三島郡与板町大字与板(現在は長岡氏与板町本与板)
- 与板町の中心駅として1915年に開業。
- 当初はもう少し町の中心部に置かれる予定だったが、用地の買収が困難だったこともあり町の北部の本与板地区に設置されたという経緯を持つ。
- 路線 - 越後交通長岡線
上見附駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:見附市南本町
- 上記の西長岡駅と同じくスイッチバック構造の駅。
- 国鉄の見附駅よりは見附の市街地に近かった。
- 栃尾線の全線廃止後は越後交通の営業所兼バスターミナルとして使用されていたが、建物の老朽化もあり2003年に解体。
- 現在駅の跡地は越後交通が分譲する住宅地となっている。
- 路線 - 越後交通栃尾線
栃尾駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:栃尾市栄町(現在は長岡市栄町)
- 旧栃尾市の中心駅であり、栃尾線の終点(1973年まで)。
- 廃止時点の駅構造は頭端式の島式ホーム1面2線。
- 現在駅の跡地は越後交通の栃尾営業所となっている。
- 路線 - 越後交通栃尾線
東中学校前仮乗降場の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:新発田市五十公野
- 五十公野・松浦・米倉・赤谷の4つの中学校を統合して開校した東中学校への通学の便を図る目的で1973年に開業。
- 実は五十公野地区の中心部には五十公野駅よりこちらが近かった。
- 路線 - 赤谷線
富山[編集 | ソースを編集]
富山口駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:富山市城北町
- 富山港線の前身の富岩鉄道が最初に開業した際の始発駅。
- しかし富山港線の路面電車化に伴い、2006年2月28日限りで廃駅となってしまった。
- 富山港線がLRTに転換するときに唯一廃止された駅。そんなわけで富山駅から下奥井駅までは道路上に軌道が引かれている。
- それなりに離れてはいるが、一応奥田中学校前駅が代替駅らしい。
- 旧北陸本線のすぐそばにあり、富山駅からもそんなに離れていなかった。
- 路線 - JR富山港線(現・富山地方鉄道富山港線)
四方駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:富山市四方
- 和合地区(旧和合町)の中心駅。
- 射水線の廃止時点では唯一列車の交換が可能な駅だった。
- 現在駅舎の跡地は駐車場の一部に、ホームの跡地は花壇になっている。
- 路線:富山地方鉄道射水線
新港東口駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:射水市堀岡明神新
- 開業当初は「堀切駅」というただの途中駅だったが、富山新港の建設に伴い射水線が東西に分断された後はここが終点となった。
- 対岸にある越ノ潟駅とは富山県営渡船で結ばれていた。
- 現在駅の跡地は縫製工場やサイクリングロードとなっている。
- 路線:富山地方鉄道射水線
大沢野町八木山駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:上新川郡大沢野町八木山(現在は富山市八木山)
- 旧大沢野町の中心駅。
- 笹津線の前身の富山鉄道時代は夏季のみ営業する臨時駅だったが、富山地方鉄道移管後に常設駅となった。
- 路線:富山地方鉄道笹津線
雷殿駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:立山町芦峅寺
- 立山トンネルトロリーバスの唯一の途中駅。登山客やスキー客用の駅だった。
- しかし肝心の登山道の崩壊に伴い1998年以降は営業休止状態が続き、2013年に廃止となった。
- 路線:立山黒部貫光無軌条電車線(立山トンネルトロリーバス)
石川[編集 | ソースを編集]
輪島駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:輪島市河井町
- 路線:のと鉄道七尾線
比良駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:穴水町比良
- 路線:のと鉄道能登線
七見駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:能登町七見
- 近隣住民の請願により1995年に開業したが、その10年後に廃止となってしまった。
- 廃止後、駅の待合室はバス停の待合室に転用されている。
- 路線:のと鉄道能登線
宇出津駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:能登町宇出津
- 旧能都町の中心駅。廃止になるまではのと鉄道の本社も置かれていた。
- 現在、駅の跡地に交流施設「コンセールのと」が新たに開業している。
- 路線:のと鉄道能登線
九十九湾小木駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:能登町市之瀬
- 国鉄・JR時代の駅名は「能登小木駅」。のと鉄道への転換後に「九十九湾小木駅」へ改称された。
- 洒落た駅舎が評価され、2000年の第2回中部の駅百選に選出されている。
- 路線:のと鉄道能登線
白丸駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:能登町白丸
- 国鉄・JR時代の駅名は「能登白丸駅」。のと鉄道への転換後に「能登」が取れた。
- 白丸の集落から2kmほど離れていたこともあり乗降客は少なく、鹿波駅と共に能登線内の秘境駅として名前が挙がる駅だった。
- 路線:のと鉄道能登線
松波駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:能登町松波
- 開業当初はここが終着駅だった。
- 直営駅ということもあり、隣の恋路駅の入場券や乗車券はここで販売されていた。
- 路線:のと鉄道能登線
恋路駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:能登町恋路
- 幸福駅と並ぶ、縁起切符の定番だった。
- 駅舎は今も健在。近くにある恋路海岸とともに、デートスポットとして有名。
- ただしその海岸の由来は切なく儚いものであるが…
- 廃線を利用して、恋路駅から近くにある酒造メーカーの貯蔵倉までトロッコ列車を走らせるようになった。
- この貯蔵倉も、廃線のトンネルを再利用したもの。
- 国鉄時代は臨時乗降場、JR時代は臨時駅だった。
- 路線:のと鉄道能登線
鵜飼駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:珠洲市宝立町鵜飼
- 国鉄・JR時代の駅名は「能登鵜飼駅」。のと鉄道への転換後に「能登」が取れた。
- 2001年の第3回中部の駅百選に選ばれた駅舎は今も路線バスの待合所やベーカリーショップとして現存している。
- 以前は単式1面1線のホームだったが、1996年にホームの増設が行われ列車の交換が可能な相対式2面2線のホームに。
- 路線:のと鉄道能登線
飯田駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:珠洲市上戸町北方
- 国鉄・JR時代の駅名は「珠洲飯田駅」。のと鉄道への転換後に「珠洲」が取れた。
- 「能登飯田駅」にならなかったのは、国鉄・JRバスの能登飯田駅と区別をつける必要があったためと思われる。
- 因みに廃止時までホームの駅名標は「珠洲飯田」表記のままだった。
- 珠洲市の中心部に最も近い駅だったが、駅の立地の関係上建物は少なかった。
- 路線:のと鉄道能登線
珠洲駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:珠洲市野々江町
- 珠洲市の中心駅。夜間滞泊も設定されていた。
- 現在、駅の跡地には道の駅すずなりが新たに開業している。
- 路線:のと鉄道能登線
蛸島駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:珠洲市正院町川尻
- 能登線の終着駅。国鉄・JR時代には駅員が配置されていたが、のと鉄道への転換後は無人駅となった。
- のと鉄道への転換後にここから東へ延伸する計画もあったが、結局頓挫している。
- 路線:のと鉄道能登線
白菊町駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:金沢市白菊町
- 大正5年に金野軌道が開業。
- 金沢電気軌道に合併後の大正14年まで西金沢駅を名乗っていた。
- 古地図を見た感じでは金沢白菊郵便局の向かい側にあった模様。
- 線形としては犀川大橋方向に向かっていた。
- デイリーヤマザキ白菊町店跡地という説もある。
- 路線:北陸鉄道石川線
加賀一の宮駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:白山市白山町
- 白山さんの玄関口。
- 年末年始は初詣の参拝客のため臨時列車を走らせた。
- 元々は金名鉄道の駅であったが経営難から鶴来駅までの区間が金沢電気軌道に売却された。
- その後、両社とも戦時統合で北陸鉄道になった。
- この時に売却したからこの区間だけ20年少し残った。
- 駅舎は2000年に中部の駅百選に選ばれた。
- 2009年11月、中鶴来駅とともに廃止。
- 金名線は1987年4月全線廃止。
- 路線:北陸鉄道石川線、金名線
- バス:北陸鉄道
白山下駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:白山市河原山町
- 金名線の終着駅。
- 金名線廃線後駅舎は路線バスの乗務員の夜間の滞泊所として使用されていたとか。
- 現在は建て替えられ、手取キャニオンロードの施設(白山下サイクリングターミナル)として利用されている。
- 金名線廃線後駅舎は路線バスの乗務員の夜間の滞泊所として使用されていたとか。
- 元は金名鉄道の駅で金沢と名古屋を結ぶという壮大な構想のもと建設されたが、名古屋への延伸は資金難により頓挫。
- 北陸鉄道参加後に高速バスとして実現している。
- どうも最初からハッタリだったというのが実際のところだとか。
- 目を付けると、全然違う路線の駅になる。
- 地理的には、全然白山の下ではない。白山に登るには、ここからバスに乗り換えて、登山口の別当出合までさらに1時間以上かかっていた。
- 路線:北陸鉄道金名線
- バス:加賀白山バス、めぐーる
野町駅前駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:金沢市野町4丁目
- 明治38年に松金馬車鉄道の駅として開業。
- 金沢電気軌道の金沢市内線と接続したのは大正9年。
- 同年、松金電車鉄道(松金馬車鉄道から改称)は金沢電気軌道に買収されている。
- そのため松金線の運行を市内線の車両で行い香林坊まで乗り入れることもあったらしい。
- 同年、松金電車鉄道(松金馬車鉄道から改称)は金沢電気軌道に買収されている。
- 金沢電気軌道の金沢市内線と接続したのは大正9年。
- 石川線の野町駅とは連絡線で接続していたらしい。
- 路線:北陸鉄道松金線、金沢市内線
金石駅の噂[編集 | ソースを編集]

所在地:金沢市金石西
- 廃止された金石線の中心駅。だが、終着駅ではない。
- 始発駅の中橋のすぐ先からここまで、ほぼ直線で線路が敷かれていた。
- 現在は並行していた県道金沢港線(通称金石街道)の拡幅部になっていて跡形もない。
- 貨物ターミナル駅でもあり、かつては製材業で賑わっていた金石らしく、材木専用の貨物ヤードがあった。
- 今はバスターミナルになっているが、駅名標だけは今も残っている。
- もっとも、両隣の駅名は現在のバス停名に変更され、当時のものと異なる。
- ここより先は、線路が急カーブして終着駅の大野方面に向かっていた。
- 元々は金石が終着駅だったのを、急遽、路線延長したため。
- 路線:北陸鉄道金石線
- バス:北陸鉄道バス
三善製紙前駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:金沢市金石北
- 旧名は松原駅。近くにあった製紙工場が、駅舎の整備を請け負うことを条件に改名。
- 今で言うネーミングライツ駅のフォアランナー。時代を先駆けた駅だったんだ。
- 実は三善製紙工場の前にはない。敷地の裏側にあるわけでもない。
- 工場への引き込み線の分岐点にあるというのが真相。来訪者がこの駅を利用するとかなり歩かされることになる。
- 三善製紙工場は今も現役。裏カーボン原紙などの薄紙にシェアを持つという。
- 工場ができる以前は、遊園地「涛々園前駅」への枝線の分岐駅だった。
- 涛々園が閉園になった後、その敷地にできたのが三善製紙工場。
- 支線が廃線になった後、その線路をそっくり利用して三善製紙引き込み線とした。つまり、居抜き引き込み線。
- 現在は廃線跡にバス路線が走っているが、当時はバスはなく鉄道の単独駅だった。
- 路線:北陸鉄道金石線
大野港駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:金沢市大野
- 旧金石線の終着駅。読みは「おおのこう」ではなくて「おおのみなと」。
- ここよりさらに延伸の予定もあったが、金沢港の建設に阻まれた。
- 現在は跡地が路線バスの転回場になっている。
- 大野湊神社は、こことは全然違う場所にある。
- ちなみに大野湊神社は大野港駅から3kmほど離れた金石線の途中にあり、祭礼時や正月に臨時乗降場が設けられたこともあったが、駅名は「大野湊」ではなく、単なる「神社前」だった。
- 廃止後数十年たって、久々に駅の近傍に列車がやってきた。それも新幹線。
- 路線:北陸鉄道金石線
能登一ノ宮駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:羽咋市一ノ宮町
- 加賀一の宮駅が白山さんなら、こっちは気多大社のための駅。
- あっちは「一の宮」で、こちらは「一ノ宮」の表記。
- ちなみに能登二宮駅は、今も現役。(こっちは”の”も”ノ”も付けない)
- 駅に隣接して大鳥居があり、ここから表参道が始まっていた。
- 年末年始は初詣の参拝客のため、国鉄が金沢駅からここまでの直通列車を走らせた。
- 路線:北陸鉄道能登線
三明駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:志賀町三明
- 能登線の終点駅。
- ここから富来を経て輪島まで延ばす構想があったが、資金難もあり実現することはなかった。
- 路線:北陸鉄道能登線
粟ヶ崎海岸駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:金沢市粟崎町
- 内灘駅より一駅先。その名のとおり、ほとんど砂浜に面してあった。
- 終戦直後にいったん廃止になるものの、その後復活。1974年に再び廃止となった。浮き沈みが激しい。
- 実は1972年で運行休止になり、そのまま廃駅に。
- 復活後の駅は、初代の駅より若干陸側に移った。
- 復活の理由は、内灘砂丘に米軍の演習場を作る計画が持ち上がり、そのための物資輸送で採算がとれると考えたためらしい。
- 有名な「内灘闘争」の結果、計画がポシャって目算が外れた。
- 再開後も、ほとんどが海水浴客のための臨時駅扱いで、夏場しか運行していなかった。
- 公式には粟ヶ崎海岸駅だが、地元では「かいがん駅」という名前しか知られていなかった。
- 現粟ヶ崎駅が川向かいの「向粟崎」にあるのに対し、こちらは正真正銘の粟崎町にあった。
- 路線:北陸鉄道浅野川線
加賀岩内駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:能美市岩内町
- 北海道にあった国鉄岩内線の岩内駅と同名になるのを避けるために旧国名を冠していた。
- 駅の跡地は小さな公園として再整備されており、駅があったことを示す石碑が設置されている。
- 路線:北陸鉄道能美線
辰口温泉駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:能美市辰口町
- 旧辰口町の中心駅。
- 能美線廃止時点では唯一の交換可能駅かつ有人駅だった。
- 駅の跡地は2010年頃までバスの停留所になっていたが、区画整理もあり現在は駅があったころの面影はほとんど見られない。
- 路線:北陸鉄道能美線
湯谷石子駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:能美市石子町
- 当初の駅名は「石子湯谷」になる予定だったが、開業3日前の届出で急遽「湯谷石子」に改称。
- 1968年まで交換設備と貨物側線があった。
- 駅の跡地は「石子農村公園」として再整備されており、駅があったことを示す石碑が設置されている。
- 路線:北陸鉄道能美線
加賀佐野駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:能美市石子町
- 当初の駅名は「佐野」になる予定だったが、開業3日前の届出で「加賀佐野」に改称。
- 小松線が鵜川遊泉寺駅からここまで延ばす予定だったが、未成のまま計画中止となってしまった。
- 路線:北陸鉄道能美線
本寺井駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:能美市寺井町
- 旧寺井町の中心駅。
- かつては交換設備や貨物の営業もあったが、利用者の減少により全廃。
- 晩年は片面ホーム1面1線の無人駅となっていた。
- 現在駅の跡地には能美市立寺井図書館が建っている。
- 路線:北陸鉄道能美線
福井[編集 | ソースを編集]
永平寺駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:永平寺町志比
- 永平寺の参拝客輸送のために設置された駅だったが、永平寺線の廃線に伴い2002年に廃止。
- 開業時の駅名は「永平寺門前駅」だった。
- 路線:京福電気鉄道永平寺線
敦賀港駅の噂[編集 | ソースを編集]
- 所在地:敦賀市
- せっかく駅舎を復元したのに実際の駅からかなり離れている。
- 実際の場所で復元すると、観光ルートから離れる上に貨物の邪魔に…。
- それは分かっていても何か違う気がする…。
- 別に復元で喜ぶもクソもないと思うってのは置いといて、歴史的な勝ちのあるものは復元されたことそれ自体に価値があるんじゃないのかなあ……
- それは正しいが、こういうのって1つでも誰かがケチを付けそうな要素があると(1つでも完全再現できない要素があると)見ていてハラハラする。上手い返しができる例には大いに感謝。
- 別に復元で喜ぶもクソもないと思うってのは置いといて、歴史的な勝ちのあるものは復元されたことそれ自体に価値があるんじゃないのかなあ……
- それは分かっていても何か違う気がする…。
- 実際の場所で復元すると、観光ルートから離れる上に貨物の邪魔に…。
- 電化して小浜線と共通運用すれば便利になるのに・・・
- 駅を殺してしまっている。
- てか、福井県内には殺された駅が多いなw
- いや、どうせなら新快速を・・・
- 駅を殺してしまっている。
- 敦賀市民にとって旅客駅という概念ではない。
- 花火大会のときに団臨が乗り入れることがある。その場合は仮設ホームを作る。
- とうとう貨物の取り扱いも終了するらしい。線路などの設備は残しておくので、維持すれば列車の運行はできる。
- 実は貨物支線自体、JR西日本ではなくJR貨物が管理している。
- 路線 - 北陸本線(貨物支線)