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昭和時代はこんな駅ではなかった
所在地:相模原市南区相模大野
- 小田急線にとっては、古くから江ノ島方面と小田原方面に分岐する重要な駅だった。
- その特徴的な路線地形を活かし、整備工場と車両基地がある。
- 新型車両がデビューする頃、鉄ちゃんがそれを激写しようと待ち構える光景を見られる。
- 特にプラザシティ相模大野(旧大野公団)の線路側は金網の向こうが整備工場なので、様々な車両がよく見える。
- 戦前から江ノ島線からの電車は高架の渡り線を使用していた。関東では珍しいケース(他は平面でのシーサス使用が多い)
- そのおかけで京王線調布駅のような大変な混乱状態を巻き起こさずに済んでいる。あそこは相模原線と京王線がごっちゃ混ぜで、あら大変。
- バブル時代以降に建設されたステーションスクエア(駅ビル)のおかげで大きな駅だと思われがちだが、平成時代初期までは現在の姿からは想像もつかないほど小さな駅だった。
- とりあえずロマンスカーは全く停車しなかった。
- 開かずの踏切(現在は高架歩道橋化)は地元の中学生や主婦を悩ませていた。
- 小田原線、江ノ島線、車庫行きの計6線が横切っていたため、ラッシュ時はそりゃあひどいものだった。駅舎を上がって改札前を通った方が早いこともしばしば。
- 場所は銀座通り入り口の横浜銀行とエスカレーターの狭間。その位置から線路の向こう岸を眺めれば、当時を知らない人でもその惨状を想像できるというもの。
- 踏切番氏がシビレを切らせてブザーを鳴らし、横断者を煽っていたなぁ・・・。
- 渡りきれず、その踏切番小屋の前で取り残された事も。小屋のおっちゃんと世間話したり。
- 1980年代半ば、地元新町中生徒の間で自発的に作られた、踏切空き時間の時刻表なるものがあった。
- 駅の目の前には畑があった(平成元年頃)。
- 今でも南口から国道16号・上鶴間方面にちょっと歩けば当時の感覚を味わえるかも。
- 当時は町田まで東京圏、でここからは準東海だと思っていた。雰囲気がまるで違っていた。
- 関東の駅百選とやらに入ってるらしい。
- が、地元民は全く意識していない。たぶん知ってる人はごく少数。
- 旧相模大野駅は島式複線(二面四線)。
- ホームも規模も、相武台前駅が結構似てると思う(次点で向ヶ丘遊園駅)。
- 「この胸いっぱいの愛を」ではオーロラビジョンが設置(CG?)されていた。
- 旧相模大野駅と現相模大野駅は改札の位置が全然違い、昔はもっと大野銀座寄りだった。
- ホテルの入り口あたり。OXのド真ん中。伊勢丹に向かうアーケードはバス・タクシー乗り場を挟んで真正面だった、と言えばわかりやすいだろうか。
- 16号の側にまでホームが移動するとは夢にも思わなかった。モアーズのそばのは単なる仮改札と思って我慢してたのだが、そのまま正式な改札になってしまった。
- 大野銀座入り口の横浜銀行の位置からで考えれば距離にして倍。ホームに着くまで徒歩で2~3分余計にかかるようになった。
- その分16号側の住民が近くなったって? うん、そっちは畑だったんだ。
- 南区制5周年の2015年には大きな凧が吹き抜けに飾り付けられている。
- 相模女子大、女子美大、北里大などの大学生が最寄り駅として利用するため、朝夕の駅周辺は学生がやたら多い(特に女子学生)。
- 朝晩も都心方面に勤めるサラリーマンが多数利用し、乗降客数(11万3093人)は相模原市では最多らしい。
- 小田急線全70駅の中でも10位以内をキープ。
- 横浜線横浜線・相模線((10万9000人)と京王線(8万2555人)を合算した橋本駅には負ける。
- 単一の鉄道駅(乗り換え駅ではない)としては相模大野の方が多い。
- 横浜線から京王線への乗り換えが相当数含まれているため、今後相模原駅に小田急線が乗り入れると乗り換え客の激減が予想される。
- 隣の町田が小田急単独で28万8884人、JR含めて39万7926人だから本当に多いのか聞かれると…
- 上りは3番線が本線であるが、江ノ島線からの電車は4番線に入ってくるため、3番線で待っていると、4番線に振り返る羽目になる事がある。
- 駅は立派だが、それに釣り合う街は半径500m程度。
- それってほとんどの駅が該当してしまうのでは?半径500mって意外と広いぞ。
- 町田ですら小田急とJRの駅を含んだ500m四方から外れればただの郊外。「半径」500mは敷居高すぎ。
- 町田どころか、新宿・原宿・渋谷だって半径500m圏くらいなもので。
- 相模大野から小田原線や片瀬江ノ島方面の最終が早すぎる。これって差別?
- 江ノ島線は藤沢以外で折り返し運転をしないため、最終が早くなる。大和止まりができれば終電はもっと遅くできるんだけどねえ。
- 今度(2008.3.15)、新宿23:55発急行相模大野行から接続の相模大野0:34発最終大和行ができますよ!
- 江ノ島線の最終は各駅停車片瀬江ノ島行きです。その後に藤沢行きを走らせてほしいのですが・・・
- 小田原線はもともと終電が遅くまで出ていたが、1999年(だっけ)のダイヤ改正で何本か打ち切られてしまった。
- 新宿駅0時50分発、相模大野止まりの各駅停車にはよくお世話になりました。着くのは夜中の2時頃だったけど。
- 町田駅とは物理的に距離が近い。そのため例えばJR町田駅から、小田急町田駅のホームに行って電車を待って乗るのと、相模大野駅まで歩くのとでは時間的にあまり差を感じない。
- 途中に大きな坂があるが徒歩20分程度なので、天気のいい土日などは散歩がてら歩くといい感じ。
- なお自転車で相模大野から町田に行くと、大きな下り坂のおかげでかなりの短時間で着く。ただし帰りはその坂が大きな壁となる。
- つまり東京に行きやすく、神奈川に帰りにくい(なんだそりゃ)
- しかし、あるカレンダー付き首都圏鉄道マップ(マップ付きカレンダー?)の所要時間では6分となっていた。なぜかは不明。
- ダイヤ通りなら基本3分だね。大雪とかであの区間を20~30分かけて走ったりすることはあるけど。
- 車両基地の近くに、電車の解体作業所があり、古い電車の最期の姿が小田原線と江ノ島線の新宿方面の電車の中から見える。
- なぜか上下線とも通過専用線路があり、相模大野通過のロマンスカーや臨時電車、回送電車が通過していく。
- しかしその通過線を通る場合はポイントによる速度制限を受けねばならない構造。
- 昔は相模大野切り離し・連結の電車が結構あったが、現在ではほとんどなくなってしまった。
- 後ろ4両相模大野止まりの急行が着くと車掌や駅員が総動員で後ろ4両で乗り続けている客や寝ている客を降ろす。前6両の最後部となる車両まで後ろ4両の客が大名行列を作り、6両となった急行は超混雑で発車していく。
- 今は新松田だね。
- 2008年3月のダイヤ改正で、夜に1本あった相模大野切り離しの急行がなくなり、ついに相模大野での切り離し・連結は完全に消滅した。
- しかしながら海老名分割のほうは根強く残っている。
- それもなき今、相模大野でのHWやいわゆる"はこえの"分割しかなくなってしまった。
- 下りの小田原線と江ノ島線が同時に発車すると、小田原線はさっさと加速して行ってしまうが、江ノ島線はしばらく徐行するため小田原線に置いてけぼりにされてしまう。
- 土曜休日の下りホームでは、30分に1回、相模大野始発の江ノ島線各停が発車して2分後に町田からの小田原線各停が到着するという、絶妙に悪い接続がある。
- 化け急の降り間違いや化け急見切りで当駅止まりで降ろされたり(もしくは車庫に閉じ込め)する。
- 車庫に拉致された人は始発電車に乗せられ、開かずの踏み切りでさらし者になっていた。あの位置低速で走るからなぁ。
- そこそこの規模のペデストリアンデッキ(2階部分の歩行空間)があるが、長らく屋根がなかった。そのため、伊勢丹方面への商店街部分にアーケードがあるのに、そこにつくまでに雨に濡れる設計だった。
- 近年、屋根ができた。が、エスカレーターを降りてアーケードまでの道路を横断する際にやっぱり雨に濡れる不親切設計である。屋根自体が高すぎて風で斜めに吹き込むときもあるし。
- 相模大野#飲食店に書いてあるが、駅構内のピザ屋が売れているのかが非常に謎。(詳細はそちらで)
- 特に冬場、ホームがやたらと寒い。他の駅とは段違い。通過・接続待ちでは車内にいてすら冷たい空気が。ましてやホームでは。乗り換えるなら新百合ヶ丘なり町田なりの方が良いのでは、と思ってしまう。
- 名前だけなら、JR常磐線(各駅停車)利用者にもよく知られている。
- 東京メトロ千代田線経由で乗り入れてくる列車があるため。
- 2018年現在、我孫子発相模大野行き電車も1本だけ存在する。
- 駅の下を深堀川が通っている。(暗渠のため地上からは見えず)