神道
神道の噂[編集 | ソースを編集]
- 日本の宗教といえばこれをあげる人が多い。
- 起源が特定できないほど昔からずっと信仰されてきた。
- 日本の宗教は、OTAKUです。
- 実際のところ、宗教かどうかは微妙な気がする。
- その特徴は「万物は神と結びついている」という考え方、いわゆる「八百万の神」信仰。
- 菅原道真、平将門、徳川家康など「死後に神となった」として祀られる人も数多し。
- 一神教の国と比べたら「神」という言葉は遥かに軽い意味でもつかわれる。
- 軽い意味、と言うよりすごい人なら何でも「神」として崇められるからなあ。生きている人でも。
- 日本人全員を神とするのが、神社神道の教義。
- 昨今は匿名の人物、更には架空の人や物まで「神」と看做す動きが一般化しつつある。
- 「八百万」とは「多過ぎて勘定できません≒よく分かりません」という意味の飾り言葉。
- 「すごい人」や架空の人や物が「神」とされていたのは遥か大昔から一般化している(昨今のことではなく)
- エジソンが奉られている神社もあるらしい。
- 京都にはヒポクラテスを祀った神社もある。
- 一神教の神様も自分とこの神様にしちゃう。原始宗教の時代、信徒が中東で殺しあったような神様同士が、日本では同列に奉られているとか。
- アブラハムの宗教で言う「創造神」も奉られているらしい。アラー(=ユダヤ、キリスト教におけるヤハヴェ)が奉られているのだとか。
- 軽い意味、と言うよりすごい人なら何でも「神」として崇められるからなあ。生きている人でも。
- 明治時代、地域の発展に尽くし「生き神様」として神社まで作られた人が、代議士に立候補したらあっさり落選したということがあったらしい。日本人って案外とドライ。
- 英語版ウィキペディアを見る限り、英語圏では「GOD」と「神」は別扱いされているらしい。
- 戦時下の国家神道ってのは国の方針では「宗教」ではなかった。
- だから神社参拝を国民に推し進めることは「信教の自由に反しない」と解釈されていた。
- 実質的には一神教であったと思われる。
- 日本神道とは(表向き)似て非なるものと成り果ててしまった。まぁ実際には各神社は以前のままだったし、国家神道の解体で元の日本神道に復帰したのだが
- ただし現在も「旧官幣大社」などの社格などにその名残が残っている気がする。
- 「しんどう」じゃないよ「しんとう」だよ。
- 「神道寺」は「しんとうじ」じゃないよ「かんどうじ」だよ。
- 「しんどう」でもあっている。神社によって言い回しが違うことも。
- 現実の日本では仏教と並ぶ2大宗教だが、二次元の世界ではなぜか仏教が廃れているため、神社や巫女ばっかり出てくることになる。
- たしかに巫女さんは出ても尼さんは見ない。
- 巫女さんは萌えの対象にしやすいだろうけど(現実に年末年始なんかはバイトの女子高生もいるし)、尼さんは対象にはしにくいだろうしなぁ。
- っていうより、頭がラッキョウの女の子を好きな人があまりいないからだと思う。
- 歴史的に見ると仏教と神道は持ちつ持たれつみたいな関係な気がする。
- 特に経典もなければ戒律もないが、日本人の道徳観はだいたい神道的な倫理観に由来するといえる。「不謹慎」なる非難を受ける場合、神道の倫理に違反していることが多い。
- 戦前には朝鮮半島や中国、東南アジアなどでも信仰されていたが日本人とともに姿を消した。
- 現在日本国外で神社が見られるのはハワイやブラジルなど。
- 近年になってヨーロッパにも神社ができたとか。
- 現在日本国外で神社が見られるのはハワイやブラジルなど。
- 日本の保守派はたいていこの宗教を信仰しているとされる。
- ただし実際の行いが教義に反しているようにしか見えないことも少なくない。
- 政治の宗教思想は大体教義を自己の都合のいいように解釈してしまうので...。
- 年長者への敬意、家族や近隣での結びつき、勤労精神が支配者にとって都合がよい(逆手にとって利用できる)ため。
- ただし実際の行いが教義に反しているようにしか見えないことも少なくない。
- 教義や施設の進化の動機でけっこうな割合を占めるのが仏教への対抗。
神道系新興宗教の噂[編集 | ソースを編集]
崇教真光[編集 | ソースを編集]
- 浄化作戦とかで、ターミナル駅でいきなりビラを渡されて手かざしとかいう行為をされた人も多いと思う。
- 兄弟分の各宗教も同様のことをやっている。
- 飛驒高山にでっかい建物を持っている。
- ここへの信者の旅行輸送で教団はぼろ儲けらしい。
世界救世教[編集 | ソースを編集]
- 文化財を人質に関東の温泉地に立てこもっている。
- 真光の弟分にあたる。
- いや兄貴分です。ここの幹部が独立して新設したのが真光なので。
- 国宝級の文物を所有している割には、教団財政はかなり貧乏。
- 救世観音を信仰する訳ではない。
- 救世軍とも関係ない。あれはキリスト教。
PL教団[編集 | ソースを編集]
- 関連項目:富田林市#富田林とPL教団
- やはり高校野球のイメージが強い。
- 応援方法が独特だが、最近はなかなか甲子園に進出しないのが惜しい。
- 人文字が印象的。
- 廃部された。
- 応援方法が独特だが、最近はなかなか甲子園に進出しないのが惜しい。
- 人生とは芸術である。
- 人前で話をすることを、表現という。
- 富田林に建つPLの塔は遠くからでも見えるので有名だが、なぜあんな子供の粘土細工のようなけったいな形なのか謎。
- 正式には、平和祈念塔という。
- 高さ約180m。何気に通天閣よりも高く梅田阪急ビルなんかにも匹敵する高さ。できた時は大阪府内では最も高い建造物だったらしい。
- かつては誰でも展望台に上がれたが、今は信者でも限られた機会にしか上れないらしい。
- 現在は低層2階の神殿までしか行けず、紹介があった信者でも中層2階(東京タワーでいう大展望台のようなところ)までで、最上階貴賓室はその昔も非公開だったんだとか。
- PLの花火が規模世界一クラスで有名だが、8/1がPL教の教祖さんの命日だということはあまり知られていない。
- その花火大会、かつては10万発とか言われていたが最近は規模が縮小されてるらしい…。
- 本名が「パーフェクト リバティー教団」ということは知られているのだろうか?
- 教祖は、御木(みき)さん。
- 教団幹部はほとんど全員が、御木さん。
- 直訳すると「完全な自由」で本当の意味は「真の自由」らしい。
- 本当は、神道でなくて仏教系から始まった。
- ローマ字の教団名からキリスト教系と誤解されやすい。
- 何かの行動をするときの前後に、仕切りというお祈りをする。
- 高校野球の選手がよく、投球前や打席に立つ前にやっていた。
- 正式には、「みおやのかみ、おやしきりおやしきり」と唱える。
- かつては高校野球の応援でも「しきれ!」と叫んでいたらしい。
- 親が亡くなるなど人生の重大事を「みしらせ」という。
- 人生の悩み事全般も、みしらせと呼ぶことがある。
- 神さまが何かを自分に知らせているという意味。
- 二重信仰を認めている、というかむしろそれが普通。
- つまり自分の本来の宗教に入りながら、PL教に入信する。
- 例えば、浄土真宗の門徒がPL教徒とか、天理教の信者がPL教徒とか。
- PL学園高校に入学するには本人はもちろん、親もPLへの入信を義務付けられる。
- つまり自分の本来の宗教に入りながら、PL教に入信する。
- 戦前は「ひとのみち教団」と称した。
- 近鉄の河内永和駅がかつては「人ノ道」駅という駅名だったが、これに由来する。
- 教祖が空位状態になったり、信者が減少したりと近年は結構大変なことになっているらしい。
- 高校の方も廃校の危機に瀕しているとか。