競走馬/中央競馬

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  • 中央競馬とその前身組織に関係する馬たちの噂。
  • 生年+五十音順です。
  • 年代ソートはクラシック世代(出生年+3年)に合わせています。
  • 競走馬を新たに追加する場合は競走馬#五十音順からもリンクして下さい。
  • ウマ娘の登場人物としてのキャラクターについてはウマ娘 プリティーダービーの登場人物も参照。

独立項目[編集 | ソースを編集]

1930年代クラシック世代[編集 | ソースを編集]

ワカタカ[編集 | ソースを編集]

  • 1929~1945
  1. 第一回日本ダービーの勝者。
    • まだ東京優駿大競走と呼ばれていた時代。
    • 1番人気の期待に応え4馬身差の大勝利。
    • 天皇賞の前身も二つ勝ってる。
  2. トウルヌソルの初年度産駒。
  3. 千葉戦前競馬の結晶。
    • 下総御料牧場出身。
    • 中山競馬場でデビュー。
      • 馬主は中山競馬場創設の関係者。
      • 調教も中山競馬場の東原玉造。
  4. 正確にはサラブレッドではなくサラブレッド系。
    • 牝系が血統不明のミラに繋がっているせい。
      • まあ、たぶんサラブレッドだとは思う。

クモハタ[編集 | ソースを編集]

  • 1936~1953
  1. 日本史上初の内国産リーディングサイアー。
    • 代表産駒はメイヂヒカリ。
      • 親子で顕彰馬になってる。
  2. 1939年のダービー馬でもある。
    • デビュー9日後のダービー制覇という塗り替えようもない記録を残している。
  3. 1980年まではクモハタ記念が開催されていた。

1940年代クラシック世代[編集 | ソースを編集]

トキツカゼ[編集 | ソースを編集]

  • 1944~1966
  1. 相撲部屋でも駆逐艦でもない。
    • でも年代は大体一緒だから何か関係あるのかもしれない。
      • トキツカゼが生まれる前年に時津風が沈み、トキツカゼが生まれた翌年に双葉山が時津風を襲名した。
  2. 1947年の皐月賞とオークスの勝者。
    • ダービーも2着。
  3. トキツカゼ牝系の祖。
    • 繁殖成績で顕彰馬になった唯一の牝馬。
      • 21世紀になっても重賞馬を出している立派な牝系。

トサミドリ[編集 | ソースを編集]

  • 1946~1970
  1. 国営競馬時代の二冠馬。
    • 皐月賞と菊花賞。
  2. セントライトの半弟。
  3. 産駒のJRA通算勝利数が1000勝を超えた最初の内国産種牡馬。
    • 2010年にフジキセキ、サクラバクシンオーが続くまでは内国産種牡馬で唯一だった。
    • 種牡馬全体でも同時代ではヒンドスタンとライジングフレームくらいしか対抗できない。
      • ただしリーディングサイアーにはなっていない。

1950年代クラシック世代[編集 | ソースを編集]

トキノミノル[編集 | ソースを編集]

  • 1948~1951
  1. 幻の馬。
    • この馬の死後、馬主によって同名の映画が作られる。
  2. 旧名はパーフェクト。
  3. 馬主は当時の大映社長だった永田雅一。
    • もっとも新馬戦を勝った直後にはこの馬を買ったことを忘れていたらしい。
  4. 10連勝で皐月賞日本ダービーを制したが、そのダービーの17日後に破傷風で死去。
    • 無事なら史上初の無敗三冠馬になれていたかもしれない。
  5. 東京競馬場のパドック脇の銅像と共同通信杯の副称に名を残している。

メイヂヒカリ[編集 | ソースを編集]

  • 1952~1980
  1. 有馬記念の初代王者。
    • より正確には中山グランプリ唯一の勝者。
  2. 他にも史上初が多い。
    • 有馬記念を引退レースにしたのはメイヂヒカリが最初。
    • 引退式を初めてやった馬。
    • 啓衆社賞最良3歳牡馬(後のJRA賞最優秀2歳牡馬)の初代。
    • 湯治する競走馬の先駆。
      • 故障して伊豆の温泉旅館で療養してた。
  3. スマート。
    • その走りは「日本刀」と評される。
    • 大人になってからと違って子供のころはずんぐりしてたらしい。
  4. 漢字で書くと「明治光」。
  5. クモハタとシラハタの仔。
    • 本馬の幼名はイワハタだった。

ハクチカラ[編集 | ソースを編集]

  • 1953~1979
  1. 海外重賞制覇した初の日本馬。
    • ワシントンバースデーハンデキャップで勝利。
      • この一勝で日本での総賞金を超えてしまった。
        • 八大競走3つ勝ってるのに。当時の日米経済格差を感じる。
    • ただしアメリカでは17戦して1勝しかしていない。
      • なぜか芝馬なのにダート走らせたりしてるのもある。
    • この次にアメリカ重賞制覇した日本馬は46年後のシーザリオ。
      • 実質的には2004年のフェスティバルのような気もする。正確には日本からアメリカに転厩してるけど。
  2. 当時としては高額馬。
    • 牝系は良さそうだけど、父トビサクラはいまいちピンとこない。
      • トビサクラは戦争でクラシックレースがなかったり、闇競馬で活躍したって噂があったりの事情で、後世から見るとわけが分からない。
  3. 波乱のダービー。
    • 斜行があって、2頭が落馬。
      • この事件によってパトロールタワーの設置や斜行禁止など安全対策が大幅強化された。
    • 勝ったハクチカラもレース中に蹄鉄が一つ外れてた。
  4. ライバルはキタノオー。
    • 朝日盃や菊花賞はキタノオーが勝利している。
  5. 目黒記念秋、天皇賞秋、有馬記念と三連勝。日本での有終の美を飾る。
    • そこから日本の競走馬として初の渡米。
      • 欧米遠征はこれが最初だったので輸送がえらいことになった。
        • 飛行機内で暴れたら射殺するなんて契約になってた。墜落しかねんからしょうがない。
      • 騎手も一緒に渡米して、彼の地でモンキー乗りを習得し、結果として日本に普及させることになる。
    • 天皇賞秋と有馬記念の単勝オッズはなんと1.0倍。
  6. 15歳で種牡馬としてインドに向かった。
    • インドではクラシック戦勝った産駒もいる。
    • そのままインドで天寿を全うした。
      • 実に国際派な馬生。

セイユウ[編集 | ソースを編集]

  • 1954~1977
  1. アングロアラブの怪物。
    • アラブ系競走で無敵だった結果、サラ系競走に挑む。
  2. 1957年セントライト記念の主演。
    • このときの勝利がアングロアラブによる唯一のJRAサラブレッド系重賞制覇。
  3. 「性雄」
    • 1966年に種付け数238頭を記録。
      • この時代としては異様な実績。
    • 産駒にもヒメカツプ 、オーギ、ポートスーダン、ハイロータリーなど数々のアラブ種の名馬がいる。
  4. 1985年選出の顕彰馬。
    • 当時は衰退期とはいえアラブ系競走も盛んだった。
    • 今となっては、かつてのアングロアラブ活躍を伝承してくれる存在。

1960年代クラシック世代[編集 | ソースを編集]

コダマ[編集 | ソースを編集]

  • 1957~1976
  1. 後に一大牝系を築くシラオキの代表産駒。
  2. カミソリの切れ味。
  3. 名前は当時の東海道線特急に因む。
  4. 二冠馬ではあったが、短距離に強かったため、天皇賞や有馬記念といった王道レースを回避し短距離中心のローテを敷いた。当時としては異例である。
    • 旧4歳の菊花賞と有馬記念を惨敗した結果ではある。それでも先見の明があることだが。

カネケヤキ[編集 | ソースを編集]

  • 1961〜1995
  1. 1964年の桜花賞、優駿牝馬を制覇した二冠牝馬。
    • しかし、当時は秋華賞やエリザベス女王杯はおろかその前身のビクトリアカップすらなかった時代、牡馬混合の菊花賞に挑戦することに。
    • 同年の牡馬二冠馬シンザンらを相手に5着と健闘した。
    • 牡馬二冠馬と牝馬二冠馬が三冠をかけて菊花賞で戦ったのは、あとにも先にもこの一回のみ。
  2. 牝馬の八大競走馬(おそびG1級競走の勝ち馬)の最長寿記録も持っている。
    • 同期のシンザンより早く生まれたため存命中は長寿記録を持っていたが、シンザンが約1年長生きした。

スピードシンボリ[編集 | ソースを編集]

  • 1963~1989
  1. 日本馬による海外遠征の先駆者の一頭。
    • 凱旋門賞とKGVI&QESに参戦した最初の日本馬。
    • ワシントンDCインターナショナルにも出走。
    • 海外では5着まで。欧米の壁の高さを認識させる結果となった。
  2. 国内でも活躍。
    • 八大競走を三勝している。
    • クラシックは全然勝ててない。
      • しかし、皐月賞21着、日本ダービー8着、菊花賞2着と着実に成長している。
        • 単にステイヤーだからってだけかもしれないが。
    • 結構負けてるものの、それはクラシックや海外遠征など果敢に挑戦していった結果。
    • 重賞12勝はテイエムオペラオー、オグリキャップと並ぶ日本最高記録。
      • しかも有馬連覇なので、現代賞金換算すると凄いことになる。
  3. 老雄。
    • 引退レースとなった1970年有馬記念で勝利。有終の美を飾る。
      • 当時の八大競走制覇の最高齢記録。
        • カンパニーが天皇賞秋を8歳で制覇した2009年まで抜かれなかった偉大な記録。
  4. 我慢強い。
    • あの時代に日米欧をまたにかけて走れたのも、そういうことなのだろう。
    • 老雄と呼ばれるまで活躍できたのもこの資質があってのこと。
  5. 種牡馬としては良い結果は出せず。
    • しかし母父としてはシンボリルドルフが生まれている。

タケシバオー[編集 | ソースを編集]

  • 1965~1992
  1. 初代三強の1角。
  2. 「怪物」でもあり「競馬の比較対象外」でもある。
  3. 馬場不問、距離不問、斤量不問というとんでもない適性の馬。
    • なお海外も2度挑戦したが、当時の輸送環境の劣悪さもあってボロ負けだった。
    • 国内では4着以下を取ってないという最強ぷり。
  4. クラシックではシルバーコレクターのような成績であったが、古馬になってから圧倒的な連勝を取り始めた。
  5. 無名な血統であったが、良血な血統のライバルを破っていく所から「野武士」と呼ばれた。
  6. 引退後も死ぬ直前まで病気1つもしない程丈夫だった。

メジロアサマ[編集 | ソースを編集]

  • 1966~1986
  1. 名優へとつながる芦毛伝説の序章。
  2. 父パーソロンは後に三冠馬シンボリルドルフなどを輩出した名種牡馬だが、当時は短距離や牝馬に活躍馬が多いと言われていた。
    • 当馬の後、サクラショウリがダービーを勝つなどしてようやく評価が覆った。
  3. 1970年の秋に天皇賞を制覇。
    • 翌1971年も重賞戦線で善戦したものの、馬インフルエンザにかかり有馬記念を回避。
    • 翌1972年に現役を引退した。
  4. 種牡馬入り後は馬インフルエンザの後遺症が災いし残した産駒はわずか19頭(1年ではなく生涯)。
    • その中から父子天皇賞馬を達成したティターンを輩出し、そこからマックイーンへと繋げたのはまさしくメジロの執念といえよう。

アカネテンリュウ[編集 | ソースを編集]

  • 1966~1985
  1. 1969年の菊花賞馬。
  2. 「戦後最大の上り馬」
    • 1969年春にはまだ燻っていたが夏の間に急成長した。
  3. 有馬記念2年連続2着。
    • どちらもスピードシンボリに敗れた。
      • スピードシンボリと4戦して1勝3敗。日本経済賞は勝ってる。
  4. 引退する1972年まで4年連続で重賞勝利。

1970年代クラシック世代[編集 | ソースを編集]

ダテテンリュウ[編集 | ソースを編集]

  • 1967~1977
  1. 1970年の菊花賞馬。
    • 2年連続で「テンリュウ」が菊花賞を制す。
      • アカネテンリュウとは馬主も血統も無関係。あやかって命名したのかも。
  2. 伊達牧場の悲願達成。
    • 前年の菊花賞はダテハクタカが2着、前々年ではダテホーライが2着と歯痒い結果が続いていた。
      • しかもダテテンリュウ含めて3頭ともウイルデイール産駒。
  3. 菊花賞で燃え尽きたのかこれが最後の勝利となった。

タケホープ[編集 | ソースを編集]

  • 1970~1994
  1. ハイセイコーのライバルとして知られる。
  2. 2022年現在唯一のダービー・菊の二冠馬。
    • 勝ち上がりがおそく皐月賞には出走できず。
  3. その後天皇賞にも勝っている。

ハイセイコー[編集 | ソースを編集]

道の駅 サラブレッドロード新冠のハイセイコー像
  • 1970~2000
  1. 日本史上空前のアイドルホース。
    • 「第一次競馬ブーム」の立役者。
      • 中央競馬の年間入場者数が最多となったのはハイセイコーが引退式を行った1975年。
    • 「週刊少年サンデー」「週刊少年マガジン」の表紙になる。
    • 『さらばハイセイコー』というレコードも50万枚売れた。
      • 更に続編として『ハイセイコーよ元気かい』、『いななけカツラノハイセイコ』という曲もある。
        • カツラノハイセイコはハイセイコーの子供。
      • 歌っているのはハイセイコーに騎乗していた増沢末夫。
      • B面はハイセイコーが出走したレースの実況。
    • 競馬の社会的地位を向上させた。
      • 今のような日本競馬があるのはハイセイコーのおかげ。
  2. デビューは地方競馬。
    • 馬主が中央競馬の馬主権を持っていなかったため。
    • 血統も体格も良く、デビュー前から中央競馬に行くべきという話はあったらしい。
    • もっとも当時は南関のほうが預託料が安かった割に賞金は中央と遜色なかったのが挙げられる。
  3. 中央競馬移籍は鳴り物入りだった。
    • ブームはマスメディアに作られた部分も大きい。
  4. 八大競走で勝ったのは皐月賞のみ。意外に勝ててない。
    • 実力より人気先行なところがある。
    • 負けてマスメディアに叩かれても、かえって人気が増したところがこの馬のすごいところ。
      • 一種の判官びいき。
    • そうは言っても大井で6戦6勝、中央で16戦7勝と十分強い。人気が異常だっただけで。
      • 引退レースの有馬も2着にはなってるし。
      • 半世紀を経てなおハイセイコー記念のレコードタイムを保持している。
        • 自分の名前のレースに出てたの?って思ってしまうが、当時は青雲賞という名前でハイセイコーが亡くなった翌年に改名された。
    • 八大競走にはカウントされないが、宝塚記念も勝っている。
  5. 本当はダート向きだったらしい。
    • ついでに距離適性もおそらく中距離。

クライムカイザー[編集 | ソースを編集]

  • 1973~2000
  1. TTG世代のダービー馬。
    • 騎手の加賀武見がダービーで大胆な勝ち方をした。
  2. 名前の由来は「Climb+Kaiser(皇帝の地位に登る)」。
    • だが、上記の理由で「Crime+Kaiser(犯罪皇帝)」の異名を手にすることに。
  3. ダービー以降は目立った活躍はなく引退。
  4. なにげにTTGよりも長生きしている。
    • グリーングラスの死後3ヶ月後に亡くなった。
  5. ウイニングポストの1976年シナリオでも初期譲渡馬に選ばれている。

グリーングラス[編集 | ソースを編集]

  • 1973~2000
  1. TTGの追加メンバー。
    • 元々はトウショウボーイとテンポイントで「TT」。
    • TTGは引退後に振り返っての呼称。現役時にこう言われたことはない。
  2. 1970年代を代表する大柄ステイヤー。
    • 幼駒の頃から立派な体躯。
  3. デビューが伝説の新馬戦。
    • トウショウボーイに敗れる。
  4. 菊花賞にギリギリ繰上りで出走する。
    • 初めてのTTG揃い踏み。
    • そして予想を裏切り勝利。
      • 単勝52.5倍という菊花賞史上最高オッズが全てを物語っている。
      • まだ、この時点では紛れと見る向きも多かった。
  5. 4歳(旧5歳)で重賞2勝しかも両方レコード勝ち。
    • 宝塚記念と有馬記念でトウショウボーイ・テンポイントに次ぐ3着を確保。
    • 菊花賞が実力によるものだったことが明確に。
  6. ラストランの有馬記念で有終の美を飾る。
    • そして年度代表馬に。
    • 終わってみればTTGで獲得賞金最多、八大競走3勝というトップの成績を残す。
      • まあ、負けも多い。
  7. 種牡馬となるがあまり成功しなかった。
  8. 体が弱い。
    • ライバルと戦うというより、自分の体調と戦う競走生活だった。
    • でもTTGで一番長生き。
  9. グラスワンダーのグラスはグリーングラスが由来。

シービークイン[編集 | ソースを編集]

  • 1973~2004
  1. 新馬戦で大勝した名馬に恋し、繁殖入り後にその馬と交配され、繁殖実績はそのただ1頭だけだったという馬。
    • その一頭がミスターシービーなのだからすごい。
    • その新馬戦に秋になってから大成する名馬がいるのだが、これはまた別の話。
  2. 競走馬としては4歳牝馬特別・毎日王冠・京王杯スプリングハンデを勝利。
  3. 引退後はその名馬、トウショウボーイと交配されるのだが、担当者の独断によるものだった。
    • 千明牧場は日高農協の組合員ではなかったため本来は交配できなかったのだが、トウショウボーイが内国産馬ということもあって人気もなかったのもあってのことだった。
  4. ミスターシービー以降も交配されるが、死産で繁殖能力を失ってしまい、結局残した産駒はその1頭だけだった。
  5. 引退後は功労馬として千明牧場に繋養された。
    • 1999年にはミスターシービーも隣に繋養され、母子で一緒に暮らすこととなった。2000年にシービーに先立たれ、2004年に31歳で死去した。

テンポイント[編集 | ソースを編集]

  • 1973~1978
  1. 流星の貴公子
  2. 牛乳好き。
  3. 最優秀3歳牡馬(現2歳)になる。
  4. しかしクラシックは無冠に終わる。
    • 同年の有馬記念もトウショウボーイに敗れる。
  5. 1977年は前年が嘘のように連戦連勝。
    • 宝塚記念ではそれでもなおトウショウボーイに届かず。
    • 有馬記念でついにトウショウボーイに勝利。雪辱を果たす。
      • この年の年度代表馬にもなる。
  6. 悲運の貴公子
    • 1978年初戦の日本経済新春杯で左後脚が完全に折れるという大事故に見舞われる。
      • 安楽死が勧められるも、関係者の意向と殺到したファンの嘆願によって、治療が決断される。
      • 43日間の苦闘の末、死亡。
        • 地獄への道は善意で敷き詰められている。
    • 本来、クラシック無冠だったことを指しての「悲運」だったが、それどころではない悲運が待っていようとは。
  7. 顕彰馬に選ばれる。
    • トウショウボーイが先んじて顕彰馬になったこともあって「テンポイントも顕彰馬にすべき」という抗議がいっぱい来た。
      • トウショウボーイは種牡馬実績も加算されてるんだから仕方ないだろ。
    • 競馬界に限らず日本のアニマルウェルフェアにテンポイントが与えた影響は重い。

トウショウボーイ[編集 | ソースを編集]

  • 1973~1992
  1. 天馬
    • デビュー前からクラシックでも勝てるだろうと期待されるほどの素質を示す。
    • 並外れたスピードや体の柔らかさなど未来の日本競馬を先取りしていた。
  2. 父テスコボーイ、母ソシアルバターフライとどちらも親として優秀。
    • 本馬は穏やかで愛嬌がある。両親に全然似てない性格。
  3. 初勝利は伝説の新馬戦。
    • TTGのトウショウボーイVSグリーングラスの対決が早くも実現。
    • シービークインも出走しておりミスターシービーの両親対決でもある。
  4. 皐月賞、有馬記念で勝利し、1976年の年度代表馬になる。
    • ダービーは場の空気に飲まれて2着。
    • 菊花賞は重馬場+長距離で敗れる。
  5. 天皇賞秋は7着。
    • 当時は3200mのレース。やはり長距離適性はなかったっぽい。
      • 鞍上だった武邦彦は距離ではなく馬場が稍重だったのが敗因と言っている。
  6. ラストランは有馬記念。
    • 1着テンポイント、2着トウショウボーイ。
      • 前年と1着、2着が入れ替わる結果となった。
  7. お助けボーイ。
    • 種牡馬として優秀。受胎率、勝ち上がり率ともに高い。
      • 更に三冠馬ミスターシービーをはじめ大当たりも出す。
    • しかも日高軽種馬農協の種牡馬だったことから、種付け料も350万円と実績にしてはお安い。
      • これは完全に中小牧場の救世主。
  8. テンポイントと同じく蹄葉炎で亡くなる。
    • 45日間の治療の末、テンポイントと違い安楽死となった。

ヒシスピード[編集 | ソースを編集]

  • 1974~2004
  1. (ライジングフレーム→)初代ヒシマサル→ヒシマサヒデと受け継がれた内国産血統。
    • 曽祖父ライジングフレームは短距離戦線で勢力を誇った種牡馬、祖父初代ヒシマサルは安田記念を制覇し期待されるも早世、父ヒシマサヒデは馬主・阿部雅信の孫(阿部雅英、後の三代目)の名前を背負い父子安田記念制覇。
  2. 北海道3歳Sで重賞を初制覇し、そのままクラシック路線に進むかに見られた。
  3. しかしライバルが強力すぎた。なにせ持込馬、それも英三冠馬ニジンスキーの直仔、マルゼンスキーだったからだ。
    • 府中3歳Sではハナ差まで肉薄し行けるかと思ったが、朝日杯3歳Sでは赤子の手をひねられるように惨敗。
      • これを見た馬主の子、阿部雅一郎氏は内国産を見限り、外国産の優秀な馬を求めることになった。
  4. その後重賞を2勝するもマルゼンスキーが出場できなかったクラシックでも敵わず。
  5. 種牡馬入りするも後継は現れず、ここにサラ系におけるライジングフレームの父系は途絶えることとなる。(アラ系ではセイユウのラインがいたが、アングロアラブの衰退と運命を共にした。)

マルゼンスキー[編集 | ソースを編集]

  • 1974~1997
  1. 昭和49年産のオーパーツ。
    • なんで日本なんかにいるんだ。ケンタッキーあたりでシアトルスルーの相手でもしてろ。
  2. 持込馬。
    • 母シルがマルゼンスキーを孕んだ状態で買われてアメリカから日本に渡って来た。
      • このときのお値段は9000万円。
      • ニジンスキーばかり言われるが、シルも血統で見れば相当なもの。
    • このせいで日本ダービーに出られなかった。
      • 持込馬に日本ダービー出走資格がなかったのは1971年~1983年。生まれた時代が悪すぎた。
  3. 日本短波賞ではゴールを勘違い。
    • 一旦減速してから再加速して大差勝ち。
      • 2着のプレストウコウがこの年の菊花賞馬なんだから酷い話。
  4. 屈腱炎により有馬記念を断念。そのまま引退した。
    • 出走していればTTGとの対決があったわけで、後世から見るとダービー以上に残念。
    • その先には海外遠征構想もあった。
  5. 生涯成績は8戦8勝。2着相手の平均馬身差は約8馬身という圧倒的能力。
    • 当時のファンによる異名は「スーパーカー」。
  6. ニジンスキーの代表産駒の一頭ともされる。
  7. 産駒成績も立派。
    • 特にサクラチヨノオーは父が出られなかった日本ダービーで勝利。
    • 後の顕彰馬選出も一応こっちの功績が理由。
      • 競争成績も全戦全勝だけど、後にGIになってるレースが朝日杯3歳ステークスしかない。
  8. 馬主の橋本善吉は牛飼い。
    • 競馬にも参入し始めたところだったとはいえ、牛業界の人が急に9000万円の馬買ってきたらびっくりする。
    • 社台牧場を開いた吉田善助もホルスタインを日本に導入した人だし、牛と馬で通じる何かがあるのかもしれない。
  9. 姉はメダリストで大臣。
    • というのも橋本善吉がマルゼンスキーを自分自身の次男と言っており、橋本善吉の娘に橋本聖子がいるから、こういうことになった。
    • マルゼンスキーの葬儀では生涯無敗だったからということで、橋本聖子は自分が世界選手権でとった金メダルを棺に入れている。

関連項目[編集 | ソースを編集]

競走馬(五十音順一覧)
日本 JRA 三冠馬 | 1980年代 | 1990年代(1990年/1992年/1998年)
2000年代 | 2010年代 | 2020年代 | 障害馬
地方競馬
海外 三大始祖 | 日本輸入繁殖馬 | 欧州 | 北米 | アジア・オセアニア | 中南米・アフリカ
関連項目 ざんねんな競走馬事典(日本:あ~そ/た~わ) | 偽競走馬の特徴
もしあの競走馬が○○だったら(故障していなかったら/長生きしていたら)