競走馬/中央競馬/1980年代クラシック世代

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  • 中央競馬に所属していた馬のうち、1980年代のクラシック世代を飾った馬。
  • 生年+五十音順です。
  • 年代ソートはクラシック世代(出生年+3年)に合わせています。
  • 競走馬を新たに追加する場合は競走馬#五十音順からもリンクして下さい。

1980年クラシック世代[編集 | ソースを編集]

モンテプリンス[編集 | ソースを編集]

  • 1977~2002
  1. 太陽の王子。
    • あまり良い意味ではない。
      • 太陽がもしも見えなかったら、モンテプリンスに賭けた人はほほえみなくすだろう。
      • お日様ぴかぴかの良馬場じゃないと勝てない。
  2. 日本ダービー、菊花賞は惜しくも2着。
  3. 1981年は5戦0勝。
    • 「無冠の帝王」という有り難くない称号をいただいてしまう。
    • 1981年に創設されたジャパンカップ第一回に出走。
      • 米国馬ザベリワンに次ぐ人気を集め初代日本総大将となる。
        • 結果、7着に終わる。
  4. 引退した1982年はそれまでの鬱憤を晴らすように天皇賞(春)、宝塚記念、東京新聞杯で勝利。
    • 天皇賞(春)は鞍上の吉永正人にとっても22年目にして初の八大競走制覇。
      • その翌年はミスターシービーに乗って三冠を達成し、翌々年には天皇賞春秋制覇するあたり、馬よりも鞍上の方が「無冠の帝王」らしい。
    • 引退レースの有馬記念は惨敗だけど、雨だったから仕方ない。
  5. 17歳で東大に入る。
    • 正確に言うと茨城にある東京大学農学部付属牧場。
    • その後も牧場は移るも、茨城で天寿を全うした。
  6. おかんはモンテオーカン。
    • 生産牧場の人が競走馬時代のモンテオーカンに惚れ込み、厩舎に通い詰めて繁殖牝馬として招き入れたという逸話がある。
      • それで実際にモンテプリンス、モンテファストと天皇賞馬を2頭出したんだから凄い。

1983年クラシック世代[編集 | ソースを編集]

ギャロップダイナ[編集 | ソースを編集]

  • 1980~2006
  1. あっと驚くギャロップダイナ。
    • 天皇賞秋で「皇帝」シンボリルドルフを打ち破る大金星を挙げた。
      • 同レースにはニホンピロウイナーやウィンザーノットとかもいたのだからすごい。
      • 当時準オープン馬だったギャロップダイナが勝つとは馬主の吉田善哉総帥も思っておらず、自身は(シャダイソフィアが出走する)スワンステークスへと向かい、天皇賞秋には次男を遣わしたのみだった。
        • その結果がスワンステークスでのシャダイソフィアの予後不良と天皇賞秋での大金星なんだから、何とも言えない。
    • ちなみにその後は安田記念を制し、有馬記念でダイナガリバーの2着に入っているから決して一発屋などではない。
  2. …なのだが、「あっと驚く」が何故かダイユウサクの物だと思っている人が多い。
    • 元ネタの為五郎、「走れコータロー」の「あっと驚く大三元」があるからどうしてもダイユウサクだと思い込んでしまうのだろう。
    • ダイユウサクは「なんとビックリ」。ちなみにエリザベス女王杯のサンドピアリスは「しかしビックリだ」。非常に紛らわしいのでここでまとめてしまおう。
  3. 天皇賞秋の前には札幌日経賞で落馬後のカラ馬1位入線なんてのも。
  4. その後のギャロップダイナは翌1986年の安田記念を勝ち、夏にはフランス遠征を敢行。
    • しかし結果は12着・10着という惨敗に終わり、帰国後はGIを2戦走って引退レースとなる有馬記念へ出走。
      • ここでは出走12頭中11番人気と軽視されていたが、同じ馬主のダイナガリバーから半馬身差の2着に好走し、枠連8100円という波乱を起こした。

ニホンピロウイナー[編集 | ソースを編集]

  • 1980~2005
  1. マイルの皇帝。
    • マイルチャンピオンシップの初代王者。
    • マイルまでならシンボリルドルフ以上とまで言われた。
      • 唯一の直接対決となった1985年の天皇賞(秋)で僅差に迫ったことから。
  2. マイルチャンピオンシップを連覇して引退。
  3. 日本におけるスプリンター・マイラーの先駆者。
  4. 代表産駒はヤマニンゼファー、フラワーパーク。
    • 自分の性質をそのまま伝えるタイプの種牡馬。

1984年クラシック世代[編集 | ソースを編集]

1985年クラシック世代[編集 | ソースを編集]

ビギンザビギン[編集 | ソースを編集]

  • 1982~?
  1. 同一条件(900万下)5勝という迷記録を持つ馬。
    • カラクリは以下の通り。
  2. まず当時の収得賞金は、未勝利で300万、400万以下(現1勝クラス)で400万、900万以下(現2勝クラス)で500万であった(「以下」は以降単に「~下」と表記)。
  3. そして、当時は2回降級(旧5歳夏・旧6歳夏)があった(以下旧年齢表記)。
  4. また、当時の降級制度は、例えば500万下の場合「4歳500万下、5歳1000万下、6歳上1500万下」という分類であった(降級が収得賞金を減らす形になったのは2006年)。
    • 5歳の場合はx2、6歳以上の場合はx3と考えるとわかりやすい。
  5. 当馬は未勝利、400万下(蔵王特別)を勝ち、4歳11月の時点では収得賞金が700万となった。
    • その後、900万下の5競走を2着3回3着1回と非常に惜しい結果ながら勝ち上がれず、5歳夏を迎えた。
      • そのため、5歳換算では4.における「5歳800万下(400万×2)」になってしまい、400万下に降級。
  6. その後、自己条件の400万下を2戦惨敗後、6歳1月に上級の900万下(初春特別)を勝利、収得賞金が1200万となり900万下に再び昇格。
    • 昇格初戦こそ10着と敗戦するものの3戦で全て入着(5着→2着→5着)。しかし勝ち上がれず、6歳夏を迎える。
    • 6歳換算では4.における「6歳1200万下(400万×3)」となり、再び400万下に降級。
  7. 6月の1400万下挑戦こそ3着に終わるが、7月に900万下(信夫山特別)を勝利し900万下に再び復帰、その後2勝(日本海S・平場)する。
    • しかし、これだけでは2700万となり、ちょうど900万下の条件に当てはまってしまう。
  8. その後、7歳6月にもう一度900万下(松島特別)を勝利し、900万下地獄を脱した。
  9. 結局このややこしい事情が理由で2回目の降級は1988年夏をもって廃止されている。
    • ビギンザビギンも7歳7月に一度は1400万下に出走しているが(4着)、以降はオープン・重賞にのみ出走している。
      • その後、7歳11月のアルゼンチン共和国杯でレジェンドテイオーの3着、8歳5月の新潟大賞典でメモリーバイスの2着に入っている。
        • なお、松島特別勝利後の収得賞金獲得は新潟大賞典2着の1回のみであった。

1986年クラシック世代[編集 | ソースを編集]

1987年クラシック世代[編集 | ソースを編集]

イナリワン[編集 | ソースを編集]

  • 1984~2016
  1. オグリキャップ・スーパークリークと並んで平成三強と称される馬。
    • ただし、どことなくライバルと比較されると地味に見えてしまうのがなんともいえない。
      • 某優駿図鑑では、イナリワンがイナリ「ウ」ンに見えるというネタだけでページの半分を使われてしまう。
  2. 大井競馬出身。
    • デビュー後破竹の9連勝で勝ち進み、旧5歳初戦の金盃で初敗北を喫するも、同年の東京大賞典を制した。
      • なお、このレースがダート3000mで開催された最後のレースであり、同条件も盛岡で20年後に行われるまで無かった。
  3. 1989年に中央転籍後は天皇賞春・宝塚記念を制覇。その後の毎日王冠では復帰したオグリキャップと競り合い2着。
    • その後有馬記念もスーパークリークをハナ差で破り、春秋グランプリ制覇を達成した。
    • 翌1990年は3戦し、宝塚記念4着を最後に引退。
  4. ここの項目の順番を見てもわかるが、オグリキャップより年上である(タマモクロスと同期)。
    • ただ、タマモクロスはイナリワンが中央入りする前年に引退しており、直接対決はしていない。
    • 獲得賞金ツートップが稲荷と玉藻の「お狐世代」。
  5. 種牡馬としては平成三強のうち最も良い成績を残した。
    • 代表産駒は中央の重賞で2着を5回記録したシグナスヒーロー、東京王冠賞親子制覇を達成したツキフクオー、南関東で重賞4勝を挙げたイナリコンコルドなど。
  6. イナリは大井競馬場の近くにある「穴守稲荷」から取られている。

タマモクロス[編集 | ソースを編集]

  • 1984~2003
  1. 白い稲妻
    • 正確には「稲妻2世」、初代「白い稲妻」は父のシービークロス。
  2. 3歳(旧表記4歳)秋に芝転向して急に強くなる。
    • 菊花賞にギリギリ間に合わない。
    • 史上初の天皇賞春秋制覇。
  3. 中央でオグリキャップに初めて土を付ける。
    • 芦毛頂上決戦。
      • 第二次競馬ブームの火付け役。
    • 引退した有馬記念でオグリキャップに逆襲される。
  4. モクロスって何なんだ?
    • 藻十字。
    • タマ+モクロスじゃなくてタマモ+クロス。
      • タマモが冠名でクロスは父のシービークロスからもらった。
  5. 性格が虚無。
    • 厩務員すら信用しない。
    • 馬房に「危険」とか「かみつく危険」とか書かれる。
    • タマモクロスを撫でたら指がなくなると言われたりも。
    • 子供には優しい。
  6. 生産牧場が一家離散。
    • 性格がああなったのもこれが原因かもしれない。
    • 牧場主と再会したときにはタマモクロスが甘えて関係者を驚かせた。
  7. 少食。
  8. ミドリマキバオーのモデル。
    • 正確にはいずれか特定の競走馬をモデルにしているというわけではないらしい。
    • 馬名が似てるのはむしろ父のタマーキン。

1988年クラシック世代[編集 | ソースを編集]

オグリキャップ[編集 | ソースを編集]

  • 1985~2010
  1. 国民的愛馬。
    • 第二次競馬ブームの大黒柱。
      • イナリワン、タマモクロス、スーパークリークとライバルたちの存在も大きい。
  2. 芦毛の怪物。
  3. 世界一ぬいぐるみにされた馬。
    • その数1000万以上。
      • 単純計算だと国内での世帯普及率25%。
    • ぬいぐるみの製造元は2代目馬主の会社であった。
    • 賞金や種牡馬ビジネスより、グッズ販売がメインという珍しい稼ぎ方してる。
  4. 実力も超一流。
    • 重賞勝利数12。
      • これはテイエムオペラオーと並び日本史上最多。
  5. 地方から中央に殴り込む。
  6. 食う寝る走る。
    • オグリキャップの生活はだいたいこれで表現できる。
    • なんでも食べる。
      • 寝藁や飼い葉桶まで齧り出す。
        • 人間でいうと布団や食器をムシャムシャしてるようなもの。めちゃくちゃや。
      • 胃腸も特別製。糞に混じる未消化物が普通の馬よりずっと少ない。
  7. 笠松競馬場のライフライン。
    • 困ったときのオグリ頼み。
    • もしオグリキャップ伝説の始まりが笠松じゃなかったら、00年代の競馬場廃止ラッシュの中で潰れてそう。
  8. ラストランとなった第35回有馬記念は競馬史に残る劇的なレース。
    • 天皇賞秋が6着、ジャパンカップ11着と「もうオグリは終わった」と言われる中での勝利。

スーパークリーク[編集 | ソースを編集]

  • 1985~2010
  1. 上記のイナリワン、オグリキャップと共に「平成三強」と呼ばれた。
  2. 落札額はたったの810万円。
  3. 3歳春のすみれ賞(現すみれステークス)で2勝目を挙げ、青葉賞(当時オープン)から日本ダービーを目標にしたが、左前脚を骨折し長期休養。
  4. 秋に復帰したが、神戸新聞杯3着・京都新聞杯(当時は秋開催)6着で菊花賞の優先出走権の獲得に失敗。
    • 菊花賞へは他馬の回避待ちという状況だったが、同馬の配合を考えた岡田繁幸が持ち馬のマイネルフリッセの出走を取り止めたこともあり、どうにか菊花賞に出走。
  5. 本番では単勝3番人気に支持され、最後は2着馬のガクエンツービート(この馬も他馬の回避待ちだった)に5馬身差を付ける圧勝。
    • 鞍上の武豊にとってはGI初勝利・クラシック競走最年少勝利・父の邦彦との菊花賞親子制覇達成と記録ずくめの勝利だった。
  6. 年末の有馬記念では3着で入線したが、メジロデュレンの走路を妨害したとして失格となり、翌1989年春は脚部不安で全休。
  7. 同年秋の京都大賞典で復帰し、エリモジョージのレースレコードを13年ぶりに更新して重賞2勝目。
    • 続く天皇賞・秋ではオグリキャップとの競り合いを制しGI2勝目を挙げた。
    • その後ジャパンカップではホーリックスの4着、有馬記念ではゴール前でイナリワンに交わされハナ差の2着。
  8. 翌1990年は初戦の産経大阪杯を勝ち、ようやく出走した天皇賞・春でイナリワンを半馬身抑えてGI3勝目。史上初の「天皇賞秋春連覇」を達成した。
    • その後は宝塚記念に出走する予定だったが、直前に脚部故障で回避。
  9. 秋は再び京都大賞典から復帰し、グレード制導入後では初の同競走連覇を達成。
    • しかしその直後に左前脚の繋靭帯炎が判明。天皇賞・秋を回避し、年末に引退を発表した。
  10. 生涯を通じて2000m以下のレースには出走しなかったが、2000mの天皇賞・秋や産経大阪杯を勝つなどスピード能力も確かなものを持っていた。
  11. 引退後は総額15億円のシンジケートが組まれ、1991年から日高スタリオンステーションで種牡馬入りしたが…。
    • 種牡馬としては重賞馬どころか特別戦の勝ち馬すら出せない大失敗に終わってしまった。
    • それでも繁殖牝馬になった僅かな産駒からオギブルービーナスが2006年の阪急杯を勝ったブルーショットガンを輩出。
      • 現在はブルーショットガンの全妹のアフィニティの産駒のみがスーパークリークの血を繋いでいる。

ダイユウサク[編集 | ソースを編集]

  • 1985~2013
  1. これはビックリ、ダイユウサク。
  2. 1991年の有馬記念で15頭立て14番人気から大金星を挙げる。
    • ここまでの成績はG3の金杯を制したほかはオープンを何勝かした晩成馬であった。
    • 対戦相手は天皇賞馬メジロマックイーン・同じく天皇賞馬プレクラスニー・3着のナイスネイチャなどなど。
  3. その後は勝てず、翌1992年に引退。
  4. ちなみに名前の由来は馬主の孫「幸作」からちなんで「ダイウサク」にしようとしたところ、内藤繁春調教師が名前を出す際に見間違えて「ダイウサク」になってしまったという経緯がある。

1989年クラシック世代[編集 | ソースを編集]

サクラホクトオー[編集 | ソースを編集]

  • 1986~2000
  1. 「気性難」ならぬ「気象難」。
    • 圧倒的雨男。
      • しかも不良馬場に弱いという哀しき馬。
        • 実は雨が苦手なのは騎手だった説もある。
  2. 父はかのトウショウボーイ、半兄がサクラチヨノオーという良血馬。
  3. 2歳(当時の表記で3歳)で朝日杯3歳ステークスに勝利。
    • しかも同年に兄のサクラチヨノオーがダービー馬となっており、いやが上にも期待が高まる。
  4. 期待されながらも皐月賞は不良馬場、ダービーも良馬場とはいえ雨が降り湿った状態でボロボロの結果に。
  5. 菊花賞は5着ながら素晴らしい末脚で能力は示した。
  6. 三冠競走はこんな結果だったが、1989年の有馬記念ファン投票では平成三強に次ぐ四位と結構人気はあった。
  7. なんだかんだで3年連続重賞勝利している。

サンドピアリス[編集 | ソースを編集]

  • 1986~2007
  1. おおなんとサンドピアリスだ。
    • エリザベス女王杯で4万馬券を出してびっくり。
      • 重賞の単勝オッズとしては日本競馬史上最高。
      • 生産者さえ馬券を買わなかったという。
    • 1989年エリザベス女王杯は着順ひっくり返した方が納得できるほどの大波乱。
    • エリザベス女王杯以外の勝ちは新馬戦と400万下で両方ダート。
      • そもそも馬名からして「砂の貴婦人」。
  2. 京都2400m専用。
    • エリザベス女王杯以降に出走した京都大賞典は3着、京都記念は2着。
    • こんなピンポイントな適性分かるわけがない。
  3. 父はハイセイコー
    • エリザベス女王杯で馬券買えたのってハイセイコーの熱狂的ファンとかかな。
  4. 産駒にタマモストロングがいる。
競走馬(五十音順一覧)
日本 JRA 三冠馬 | 1980年代 | 1990年代(1990年/1992年/1998年)
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地方競馬
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関連項目 ざんねんな競走馬事典(日本:あ~そ/た~わ) | 偽競走馬の特徴
もしあの競走馬が○○だったら(故障していなかったら/長生きしていたら)