競走馬/日本輸入繁殖馬

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  • 海外調教馬のうち、日本に種牡馬・繁殖牝馬として輸入された競走馬たちの噂。
    • 海外生まれの馬でも日本に競走馬として輸入された馬(いわゆるマル外)は競走馬/中央競馬などを参照。
  • 生年+五十音順です。
  • 競走馬を新たに追加する場合は競走馬#五十音順からもリンクして下さい。

第二次世界大戦前[編集 | ソースを編集]

イボア[編集 | ソースを編集]

  • 1905~1928
  1. 日本最初のリーディングサイアー。
    • 当時でさえ古臭い血統。
    • 戦前は獲得賞金ではなく勝利数で計算してる。
      • 帝室御賞典は賞金ではなく賞品授与だったり、賞金で評価するのは難しかった。
    • 種牡馬として輸入されたのは1910年。リーディングサイアー統計は1924年開始。
      • 統計がとられる以前からウヱストやイロハなど活躍する産駒が出ているから、もっと前から実質リーディングサイアーだったのかもしれない。
      • 人間の統計でも第1回国勢調査が1920年。現代まで続く統計が整備されてきた時代。
    • 21世紀の馬だとエスポワールシチーがイボアの血を引いてる。
  2. アイルランド出身。
    • アイルランド独立前なので、扱い上はイギリス産馬。

トウルヌソル[編集 | ソースを編集]

  • 1922~1946
  1. 日本競馬の未来を照らしたヒマワリ。
    • トウルヌソルはフランス語でヒマワリのこと。
      • でもイギリス馬。
    • 戦前の大種牡馬。
      • イギリス三冠馬を父に持ちセントサイモンとハンプトンのインブリードである良血馬。
      • 子供のクモハタが日本産馬として初めてリーディングサイアーとなっており、トウルヌソルの血を更に広げている。
      • 日本では珍しく父系は玄孫の子のアイアンフジまで続いた。
    • シンザンオグリキャップにもいくらか血が入っている。
    • もはや古すぎて5代血統表には出て来ないが、未だに子孫は残っている。
      • 2010年代以降の馬だとメイショウマンボやヴァケーションなど。
  2. 十万円で買われて日本に来た。
    • ちなみにほぼ同時代に建設された大阪城天守閣の総工費が四十七万円、トウルヌソル約5頭分。
    • 輸入したの下総御料牧場だから、これ税金だよね。
      • それだけの価値はあったから、まあいいけど。
    • 産駒数と種付け料から考えると購入費はちゃんと回収できてる。

シアンモア[編集 | ソースを編集]

  • 1924~1953
  1. 小岩井農場が輸入した種牡馬。
    • 戦後は岩手県畜産試験場に引っ越した。
    • 1934年にリーディングサイアーになった。
  2. 現役時の成績は14戦4勝。
    • 英ダービー3着。
  3. 当時の皇太子と会ったことがある。
  4. 死後は標本にされた。
  5. 岩手ではこの馬を称えてシアンモア記念が開催されている。

ステーツマン[編集 | ソースを編集]

  • 1930~1956
  1. ガーサントより前の、社台の基礎種牡馬と言えるかもしれない馬。
  2. 輸入したのは吉田善哉の父、吉田善助。
    • ただ、あまりに昔のことすぎて記憶も曖昧らしいが、少なくとも1937年までに日本に来ていたのは確実。
  3. 当時、牧場というと官営の下総御料牧場か、民間は小岩井牧場の二強で、種牡馬もシアンモアなど国策で輸入されていたのが無双していた。
    • その中で、善助がわざわざアメリカまで出向き、シアンモアと同じ父ブランドフォードで母系も3代母が英ダービー馬Ciceroの全妹という良血馬を日本に輸入してきた。
  4. 善助は戦争さなかの1945年1月に没するが、その年の種牡馬選定試験の甲級2400mで産駒のハルステーツが優勝、「幻のダービー馬」と呼ばれた。
    • そのほかの産駒には、阪神優駿牝馬を制したルーネラ・ロツクステーツ、牝馬による唯一の天皇賞春制覇を成し遂げたレダなどがいる。
      • 母系子孫には、マックスビューティやモーリスなどがいる(6代・7代後なので5代血統表にはもういないが)。

1950年代~1970年代[編集 | ソースを編集]

ガーサント[編集 | ソースを編集]

  • 1949~1974
  1. (血統だけでなく、資金面という面でも)社台の礎を築いた種牡馬。
    • この馬がいなければノーザンテーストもサンデーサイレンスも日本に来なかったかもしれないし、社台が一大帝国を築くことはなかったかもしれない。
  2. 特に道悪巧者が多かったらしい。
  3. ただ活躍した産駒に牝馬が多く、後継は菊花賞馬ニットエイトがパッとせず、阪神3歳Sで2着のヨドヒーローがそこそこ善戦したもののそれまでにとどまる。
  4. ウイニングポストではホッカイダイヤ(ホッカイルソーの母父)のラインとともに「エクリプス系」という括りになっている。
    • これでこの馬の存在を知った人も少なくないのでは。

シル[編集 | ソースを編集]

  • 1970~不明
  1. マルゼンスキーの母。
    • この馬自体も父バックパサー、母クイルというかなりの良血。
  2. マルゼンスキー以外の仔はそこまででもない。
    • でも牝系としては結構広がってる。
      • 特にマルゼンキールの子孫からはブルーラッド、レッツゴーキリシマ、メイショウカズサと重賞馬も出てきた。
  3. 末子のオースミメダリストは25歳のときの子供。
    • 高齢出産過ぎる。
    • 長子のマルゼンスキーとは驚異の21歳差。
      • マルゼンスキーの曾孫のスエヒロコマンダーと同い年という。
  4. 長生き。
    • 1997年のマルゼンスキーの葬儀にも出席した。

ノーザンテースト[編集 | ソースを編集]

  • 1971~2004
  1. カナダ出身で欧州を駆け抜け日本で種牡馬となった馬。
  2. 1980年代のリーディングサイアー。サンデーサイレンス以前に一時代を築いた。
    • でも亡くなったのはサンデーサイレンスより後。
    • しかし日本ではノーザンテースト系が消えてしまった。
  3. ノーザンテースト(北の味)ってどんな味なのかというと「寿司」。
    • アメリカに行ってノーザンテーストを買い付けた吉田照哉が「帰ったら寿司食べたい」と言ったのが由来。
      • この馬を買って来たおかげで社台グループは巨大化した。
        • 社台にとって恩ウマなので、ノーザンホースパークには実物大ノーザンテースト像がある。
        • 種牡馬として引退後も専用の馬房と専用パドックがあるVIP待遇。
    • ノーザンホースパークの食品通販のブランドも「ノーザンテースト」。もちろんこの馬に因んでいる。
      • 販売してるのはスイーツとかカレーとか。寿司はない。
  4. 競走馬としては20戦5勝と目覚ましいってほどではない。
    • でもG1はちゃんと制覇してる。1974年のフォレ賞。

1980年代~1990年代[編集 | ソースを編集]

トニービン[編集 | ソースを編集]

  • 1983~2000
  1. イタリア調教馬。
  2. 凱旋門賞馬だが、2年連続で大きな波乱を起こした。
    • 4歳時には11番人気から2着、5歳時には5番人気から優勝。
  3. ジャパンカップにも出走経験がある(5着)。
  4. 引退後は日本で種牡馬入り。
    • 1994年に1位になった後、サンデーサイレンスに押されながらも1998年から5年連続2位。
  5. 後継種牡馬は、ジャングルポケットが2頭G1馬を出したほか、現役時代1勝のミラクルアドマイヤがカンパニーを輩出した。
    • その後はどうも続かなさそう。
    • 母父としてはかなり活躍。
  6. 種牡馬としては府中巧者を出しまくった。
    • 府中以外でのG1獲得はベガの桜花賞とノースフライトのマイルCSくらい。

ファーディナンド[編集 | ソースを編集]

  • 1983~2002?
  1. 1986年のケンタッキーダービー・1987年のBCクラシックなどを制した馬。
  2. 生涯成績は29戦7勝ながら、デビュー戦を除きすべて5着以内に入る堅実な成績を見せた。
  3. 引退後はフロリダダービー馬などを輩出するなどそれなりの成績は見せ、日本に輸出される。
    • 日本では地方重賞馬を2頭、中央の特別競走の勝ち馬を2頭(いずれも500万下)出したにとどまり、廃用にされてしまう。
  4. その後、生産者兼馬主がジャーナリストに調査をさせたところ、どうも日本で屠殺されてしまったらしい。
    • これが原因で、他国から日本に輸出される種牡馬には付帯条件として出身国に返す条項が設けられてしまった。

ブライアンズタイム[編集 | ソースを編集]

  • 1985~2013
  1. トニービン・サンデーサイレンスとともに平成初期の三大海外種牡馬と称された。
    • TBSかBTSか、略語にしても別の有名なものと被ってしまうのが厄介。
  2. サンデーサイレンスと同時期になってしまったため、リーディングサイアーは獲得していない。
    • 2位が5回、3位が7回。
  3. 早田牧場の大躍進の要因でもあり、破綻の要因でもある。
    • ブライアンズタイムと、(ビワハヤヒデ・)ナリタブライアン兄弟が大活躍して大きく儲けた。
      • そのお金で天栄に分場を開き、トレセンレベルの大規模な施設を作り上げた。
      • しかしその後、ナリタブライアンが早逝し、後継種牡馬もパッとしなかったため一気に傾いた。
      • 社台に次ぐ二番手まで成長するも、破綻後は社台系のノーザンファームに引き取られ、その大躍進の引き金になったのはなんたる皮肉か。
  4. 後継種牡馬とはいうと、マヤノトップガンがまあまあ重賞馬を出したくらい。
    • 最晩年のフリオーソ産駒のヒカリオーソは…どうなんだろ。

サンデーサイレンス[編集 | ソースを編集]

  • 1986~2002
  1. 見よ、黒い馬が出てきた。
    • 死神に愛された馬。
      • 生後8ヶ月で大病を患い毎日何リットルも点滴を受けてどうにか生死の境を脱す。
      • 2歳のときには交通事故で運転手と同乗していた馬がみんな死んで自分だけ生き延びた。
  2. 後脚は曲がってるわ体格は貧相だわ、初見では後に活躍するとは思われなかった。
  3. 1989年のアメリカ年度代表馬。
    • ライバルはイージーゴア。
      • ケンタッキーダービー、プリークネスステークスはサンデーサイレンスが獲得、ベルモントステークスはイージーゴアが獲り、アメリカ三冠を分け合った。
      • 反骨者・サンデーサイレンスとエリート・イージーゴアの対決だが、レーススタイルだけ見ると逆っぽい。
    • BCクラシックでコースレコードで勝利。米国競馬の頂点に立つ。
    • 1989年の年間獲得賞金は当時の米国歴代最高額だった。
  4. これほどの成績なのに、米国では種牡馬としてほとんど無視されてしまう。
    • 普通じゃ走りそうにない馬格だし、気性荒いし。
    • エピソードが濃すぎて、これって運命とか生い立ちとかから来るやばさであって、遺伝するような資質なのか?って思われても仕方ない気がする。
    • 景気が悪かったのもあって米国での種牡馬生活を諦め、日本に渡ってくることになった。
  5. 日本競馬界を自らの血で染め上げる。
    • 1995年~2007年のリーディングサイアー。
    • その上、産駒からも多数の名種牡馬が現れる。いわゆる種牡馬の種牡馬。
      • 筆頭はディープインパクト
        • 他にアグネスタキオン、マンハッタンカフェもリーディングサイアーになってる。
    • 平成2年(1990年)に日本に来て、平成最後の2019年にはG1馬23頭のうち15頭がサンデーサイレンス系、さらに5頭が牝馬経由でサンデーサイレンスの血を引いているという大変なことになっていた。 
    • やり過ぎて「サンデーサイレンスの悲劇」になりかねない。
      • 近親交配になりやすくなって、父系の維持が難しくなる。
      • とはいえ、かなり世代を重ねてきているのでサンデーサイレンス系自体は逃げ切れそう。

ウインドインハーヘア[編集 | ソースを編集]

  • 1991~
  1. 馬事典/ファミリーライン#ハイクレア系の牝馬。
  2. 競走成績としてはアラルポカル制覇、英オークス2着など。
    • アラルポカルは初仔を妊娠したまま勝ってしまった。
      • 繁殖に供された馬は登録不可となる規定がある日本中央競馬ではありえない話。
  3. 繁殖牝馬として日本に輸入され、三冠馬ディープインパクトなどを輩出。
    • 孫・曾孫もえらいことになっている。
      • 大種牡馬ディープインパクトの子孫はもちろん他の子たちの子孫からも名馬が出ている。
        • ディープインパクトを経由しない子孫としてはキタサンブラックやレイデオロがいる。
      • 本馬が生きてるのに早くも4×3のインブリードが誕生。
  4. 30歳超えても駆け回ってる元気な婆ちゃん。

ラムタラ[編集 | ソースを編集]

  • 1992~2014
  1. 通称「神の馬」。
    • 通算成績わずか4戦4勝で、ヨーロッパの三大レース(英ダービー・KGVI&QES・凱旋門賞)を制覇した。
      • ちなみにこの三大レースを「欧州三冠」と呼ぶのは日本のみ。
      • この「欧州三冠」を成し遂げたのは、ミルリーフとラムタラのみ。
  2. 種牡馬入り後は欧州で1年供用された後、日本に輸入されていた。
    • この少し前に社台が導入し、初年度から圧倒的な成績を挙げたサンデーサイレンスに対抗するため、日高の牧場が出し合ってシンジゲートを組んだ。
    • 組まれたシンジゲートの総額は44億2800万円であり、これは当時の史上最高額で、約10年後にディープインパクトに破られるまでのレコードだった。
    • 馬主としても相当渋ったらしいが、日本が金に糸目を付けず購入してしまった。
  3. 結果は…×××
    • 芝の平地重賞だとメイショウラムセス(当時G3の富士S)くらい。ダートグレードや地方重賞馬は何頭か出している。
      • 母父に入るとヒルノダムール(天皇賞春)が出ているが。
    • ラムタラ同様の虚弱体質が出てしまう馬も多かったらしい。
      • 元々この馬自体、父ニジンスキーでノーザンダンサーの2x4を持っている。
        • 加えて日高にはマルゼンスキーブームもあり、マルゼンスキーに似た血統(ヤマニンスキー等)の馬も多く輸入され、ニジンスキーを持っていた馬も多かったことを考えると、種付けできる馬もおのずと限られていたのだろう。
    • 一応欧州に残した馬からは愛オークス2着馬が出ているので悪くはなかった、んだと思う。
      • ただ名牝アーバンシーの産駒という点に気を付けないとならないが。

ウォーエンブレム[編集 | ソースを編集]

  • 1999~2020
  1. 良い馬だよ。ところどころ問題はあるけど。
    • アメリカでは競走馬として日本では種牡馬として活動し優秀さを示したものの、選り好みが激しい。
  2. やる気があるとめちゃ速い。やる気がないと走らない。
    • 1着と5着以下しかない極端過ぎる戦績。
  3. 大活躍しだしてからの馬主はサウジアラビアのアフメド・ビン・サルマン殿下。
  4. ロリコン。
    • 栗毛の小柄な馬しか相手にしない。
    • 約20億円で買って来たのに、種牡馬として難があり過ぎる。
      • 幸い保険金が16億円出たし、種付けもある程度はできてるので、購入した社台グループも大損ってほどではたぶんない。
    • AEIで見れば2.6と非常に優秀。子作りさえしてくれれば間違いなく名種牡馬だった。
  5. 種牡馬引退後はアメリカに帰っていった。


競走馬(五十音順一覧)
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地方競馬
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関連項目 ざんねんな競走馬事典(日本:あ~そ/た~わ) | 偽競走馬の特徴
もしあの競走馬が○○だったら(故障していなかったら/長生きしていたら)