素晴らしき将棋棋士の世界/さ行

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斎藤慎太郎[編集 | ソースを編集]

  1. ニックネームは「新・西の王子」
    • ちなみに「元祖西の王子」は山崎隆之。
    • 当人公認?のニックネームは「さいたろう」
      • 元々は中村桃子の言い間違えから。
  2. 甘いマスクとはんなりとした関西弁で女性人気をつかんでいる。
    • 関西若手棋士イベントでサイン会を行ったところ、約8割が女性ファンだった。
    • 「年下系男子」としてananで紹介されたこともある。
    • ファンのことは出身地にちなみ「鹿」と呼ばれる。
  3. 奨励会入会を決めた際(当時10歳)に、イベントで指導対局を受けた畠山鎮に自ら手紙を出し、弟子入りを志願。
    • 師匠からは将棋だけではなく、体幹トレーニングの指導も受けている。
  4. 詰将棋に対する思い入れが強く、「好きを通り越して愛している」と公言するほど。
    • 奨励会時代「明日友達と遊ぶ」と言った他の奨励会員に対し、「俺は明日詰将棋と遊ぶんだ」と返したという。
  5. 2018年の王座戦挑戦者決定トーナメント準決勝では藤井聡太の最年少タイトル挑戦記録を阻止する勝利を挙げた。
    • そして挑戦者決定戦では渡辺明を、「王子対決」といわれた王座戦五番勝負では中村太地を下し、初タイトルを獲得した。
  6. 実家はCoCo壱のFCオーナー。
    • 将棋を始める前は習い事として水泳、ゴルフ、ドラムをやっていた。
  7. 野球選手の木村拓也の場合と同じく、2020年に、赤坂のキー局ほぼ同姓同名のアナウンサーが入社して少し紛らわしくなった。
    • なお苗字の漢字自体はアナウンサーの方がさらに難しい表記をする模様。

佐々木大地[編集 | ソースを編集]

  1. 村山聖ほどではないが、生死の境をさまよった経験がある。
    • 9歳の頃、拡張型心筋症で当時住んでいた対馬から福岡に緊急搬送。
      • 当時は心臓移植しか助かる方法はないと思われていた。
    • そのような状況にもかかわらず、小学生名人戦の福岡県予選に強行出場し優勝。
      • その後、奇跡的な回復を遂げた。
  2. 三段リーグ次点2回による昇段後1年以内でC級2組昇格を決めた。
    • 2018年時点で唯一の記録。
      • 2023年現在も最速記録。
    • しかしC級1組昇級は(C級2組昇格が2番目に早かった)古賀悠聖に先を越された。
  3. とにかく義理堅い。
    • 師匠の深浦康市がA級降級の危機にあった最終局、記録係のオファーを断って現地に向かった。
      • そして深浦が勝利し、六者プレーオフが実現した。
      • ただし、AbemaTVの現地中継でAbemaのスタッフジャンパーを着て登場した。
    • 叡王戦第1局では会場の名古屋城まで高見泰地の応援にやってきた。
      • 高見が勝利し、叡王獲得への第一歩を記した。
      • ただし、ニコ生の中継で高見の作戦をバラした。
  4. 鉄道の運転見合わせで対局に遅れそうになり(将棋連盟には連絡済)、ヒッチハイクで将棋連盟まで向かったことがある。
  5. 段位戦で頭ハネを4回喰らっている。そのせいもあり、C級2組ながらタイトル戦に2度登場している。
    • 頭ハネの頻度まで師匠に似なくても…という感想多数。

佐々木勇気[編集 | ソースを編集]

  1. 通称「青いの」。
    • 将棋連盟のフットサル大会に日本代表のユニフォームを着て参加。
    • 攻めるだけで守りに参加しなかったので渡辺明から「そこの青いの、守れ!」と言われた。
  2. 藤井聡太に初黒星をつけた。
    • 対局が決まってから藤井聡太の対局を見学して対局場の雰囲気を体験するなど、周到な準備をはかっての勝利だった。
  3. 生まれたのはジュネーブ
    • 当時フランスにいた両親が、設備の整ったジュネーブの病院で出産した。
  4. 対局時の食事では必ず餅を追加する。
    • 「力うどん、餅追加」をオーダーするほど。
      • この人かどうかは定かでないが、勘定をピッタリにするためにオプションを頼むことはあるらしい。
        • 力うどん950円+追加の餅50円、でピッタリ1,000円とか。
  5. 将棋連盟職員情報として将棋会館の近所をスキップしていたことを森下卓から暴露された。
    • なお、当人は「やってない」と否定。
      • しかし、否定したのは「千駄ヶ谷駅から将棋会館までずっとスキップしていた」ことで「帰りに将棋会館から千駄ヶ谷駅までの坂道でスキップ」したことは認めた。
  6. 竜王戦恒例の指宿対局には必ず顔を出し、対局者以上に砂風呂を堪能する姿が中継映像やブログに映し出される。
    • 豊島将之が竜王奪取を決めて対局がなくなった際も、自腹で代わりに設定された祝賀会に乱入。豊島以上に楽しむ姿が中継ブログに掲載された
    • 主催からは「指宿が別邸」「永世砂王」などといじられる始末。
  7. 中学に将棋推薦で入学したにもかかわらず、将棋部に入部しなかった。
  8. 順位戦で対局終了時間が同じくらいだった千田翔太をつかまえ、1か月前の感想戦を行ったことがある。

佐藤天彦[編集 | ソースを編集]

  1. あだ名は「貴族」。ファッションにこだわりがある。
    • 金をつぎ込みずぎて、光熱費の支払いができなくなったことがあるくらい。
    • 名人戦の賞金でヨーロッパから高級家具を大量に仕入れた。
      • 「婦人画報」の将棋特集でお宅訪問を受け、各界に衝撃を与えた。
    • タイトル戦の和服もグラデーションが入っていたり、アザラシ柄の羽織を着用したりする。
      • ついには対局中に着替えるという新手を編み出した。
        • 当人曰く「室温が暑かったので、夏用の着物に着替えた」とのことであるが、普通の棋士はそこまで準備しない。
          • 事実、直後の王位戦で菅井達也に袴の不調があったが、替えの着物がなくスーツに着替えて対局している。
    • 投了前にはリップクリームを塗ってから投了する。
    • なお、ファンのことは「領民」と呼ばれる。
  2. 三段リーグ次点2回による昇段を唯一断った男。
    • 結果的に名人にまで上り詰めたのだから、本当に強ければ遠回りは問題ないという典型であろう。
      • 三段リーグ次点2回を断った場合は「次点1回」の扱いとなるため、権利は保留できず、もう一回次点(3位)を取るか、まっとうに2位以内に入らなければ四段には上がれない。
    • そして四段昇段後の棋士総会で自己紹介した際に師匠の中田功のことを「コーヤン」呼びし、他棋士に衝撃を与えた。
  3. 渡辺明に次ぐ将棋界のぬい愛好家。将棋の渡辺くんにもよく出てくる。
  4. ソフトによる評価値至上主義となっている将棋界について「評価値ディストピア」と発言。
    • 2020年以降「自分の指したい手を指す」ために振り飛車も指すようになった。

佐藤紳哉[編集 | ソースを編集]

  1. キャッチフレーズは本人曰く、”砂糖のように甘い言葉で深夜に君を寝かさない”。
    • 一体何の仕事のキャッチフレーズだろう?
  2. ニコ生に解説者として出演した際、幼稚園児のコスプレをしたり、セーラー服を着たりとやりたい放題。
  3. 「ある将棋棋士がキャラクターを作ろうとして頑張りすぎている事件」として「爆笑 大日本アカン警察」でネタにされた。
    • NHK杯戦前のインタビューで、対局相手(豊島将之)について尋ねられたが、格上の豊島を呼び捨てにした挙句、格闘技のマイクパフォーマンスよろしく挑発するコメントを出した事がある。
      • 「豊島? 強いよね。序盤中盤終盤隙がないと思うよ。だけど、オレは負けないよ」
      • 「えー、こまた…駒たちが躍動する俺の将棋をみなさんに見せたいね」
    • 期待を裏切らず、対局ではキッチリ負けている。
      • 投了の時に被り物を外して「脱帽」のジェスチャーをしたが、そこはNHK。投了場面は撮り直しとなった。
    • しかもマイクパフォーマンスでやや噛んだため、いまだにネタにされる。
  4. 叡王戦予選で環境構築にこだわりを持つ窪田義行に対抗し、被り物を持参。
    • しかし、ただ置いているだけだった。
  5. ブログを更新しているつもりで、間違って一週間知人女性に電子メールを送り続け「あなたのことは、まるで興味ないので毎日長文のメールを送るのはやめてください。気持ち悪い」と返信された。
    • その後誤解が解け、なんやかんや(※細かい事情は不明)でその女性と付き合う事になった。
      • さらに意味不明な事に、それを自らブログで書いた事を最後にブログの更新を中止し、今でもそのままになっている[1]
    • その後、佐藤は結婚したが、相手はこの女性ではない。

佐藤康光[編集 | ソースを編集]

  1. メガネが似ているという理由で「桃屋の人」(=故・三木のり平)と呼ばれる。
    • 若いころは女性にモテたということで「モテ光」と呼ばれた。
  2. 愛妻家として有名で、「好きな食べ物は?」という問いに「妻の手料理」と答えるほど。
  3. 対局に集中しすぎ、間違えて女子トイレに入りかかる。
    • 同じく対局室の入り口と押入れを何度も間違える。
      • 当然周囲から「ドラえもんか!」と突っ込まれる。
  4. メガネをかけたまま泳ぎ、案の定メガネをさらわれる。
    • 竜王戦の立会でオーストラリアに行った時の出来事。
  5. 特技は将棋と同じくらいの経歴を持つヴァイオリン演奏。
  6. 好物は納豆。
    • 朝食がパンでもパンに乗せるほど。
    • 本人曰く「納豆はデザート」
  7. 対局の出前で餅追加が流行っていたころ、「冷やし中華に餅追加」をオーダーしたことがある。
    • 結果は「餅が冷え、悪手」だった。
  8. 対局時の昼食で、自分で出前を注文したのをすっかり忘れ、外食に行ってしまった事がある。
  9. 「対局時はおやつ位しか楽しみがない」渡辺明のおやつを食べてしまった事がある。
    • もっともこれは運んできて間違えた仲居さんのせいでもあるが。
  10. 免許取りたての頃、谷川王将に挑戦する羽生善治(当時6冠)を応援するため、森内を連れて日光までドライブに行った。
    • 当人はいろは坂を越えて奥日光の会場まで行くつもりだったが、冬タイヤの装備なしということで身の危険を感じた森内に止められ、日光からタクシーで移動。
    • 対局終了後、用事があって早く帰る羽生を乗せ、首都高で恐怖のドライブ(車線を頻繁にかえる、周囲をトラックに囲まれるなど)を繰り広げた。
      • それが免許取って初めての夜間ドライブかつ高速道路走行だったことを知らされた羽生と森内は、家に帰るまで生きた心地がしなかった。
      • それ以降、羽生が佐藤の車に乗ったことはない。
        • 一方、森内はその後も佐藤が運転する車に乗っている。
    • なお後に泥酔した村山聖が乗り、後部座席で嘔吐した。
    • 最近でも中村太地を乗せて、道に迷っている。
  11. 奨励会入会時は関西所属だったが、親の仕事の関係で関東に移籍している。
    • 当時関西では「名人候補が関東に行った」と言われ、奇しくもそのとおりになった。
  12. かつては「綿密流」と呼ばれる正統派の棋風であったが、羽生善治に対抗するために独創的な力戦系の将棋を指すようになった。
    • 独創的すぎて、中継では解説・検討の棋士を困惑させることたびたび。
      • 将棋ファンからは「丸太を振り回す将棋」と呼ばれている。
    • 当人いわく「論理的思考の結果指している」。
  13. 羽生に最も負けた男。
    • でも、羽生戦の勝率は全棋士のなかではやや良い部類。
      • 対局数が多い&羽生善治がおかしい。
      • 羽生相手に3番目に勝った棋士でもある。

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島朗[編集 | ソースを編集]

  1. 現在まで続く、棋界における研究会の創始者。
    • それまで「棋士は独学で学ぶ」という常識を覆し、羽生善治・佐藤康光・森内俊之を誘って共同で将棋を研究した。
      • 当時その3人は、羽生がプロなり立て、佐藤と森内は奨励会員だった。
      • 自分より格下と組むのも異例なら、師匠もバラバラでこれまた異例。
        • 若手を見る島朗の眼が確かだった、という事である。
      • そもそも師匠と将棋を指すのは、入門の時と奨励会退会の時。それ以外は敵同士となって対決するのが常識。
    • なお「島研」の名前は米長邦雄が使って流行らせた名前。島自身はこの会には名前を付けていなかった。
      • この辺りはさすが「元将棋連盟会長」である。
  2. パソコンを使った棋譜データ管理・分析のはしりでもある。
  3. 島自身、将棋界の古いしきたりに嫌気が差していた。
    • 某名人は、自らの地位をかさに着て対局にとにかく注文(わがまま)を付けることで悪名高かったとか。
      • そんなのO山くらいしか思いつかないのだが。
  4. 実は初代竜王でもある。
    • つまり、島研のメンバーは全員竜王獲得経験がある。
  5. 早投げで知られ、ニコ生の中継で不利な局面で粘っている場合「島なら投了」とコメントされることが多い。
    • ソフトで検討したところ早投げした時点で実は優勢だったことを知り、早投げをしないことを誓ったらしい。
      • そして、誓った直後の叡王戦予選で先崎学相手に粘りまくり、先崎の二歩を誘った。
  6. 成銀を打つというにわかには信じがたい反則で負けたことがある。
    • 一字駒を使う銀河戦で取った成銀(全)をそのまま駒台に置き、金将(金)と間違えて打ったもの。
    • そして十数年後、福崎文吾に感想戦で「ここで成銀打つ?」といじられることになった。

所司和晴[編集 | ソースを編集]

  1. 将棋の定跡研究、普及活動に熱心な棋士として有名。
    • ついたあだ名が「定跡伝道師」
    • 「東大将棋ブックス」シリーズとして棋書を多数刊行しているが東大とは無関係。
    • その一方、詰将棋については懐疑的。
  2. 「西の森(信雄)、東の所司」と呼ばれる一門の師匠としても有名。
    • 渡辺明を筆頭に多くの強豪棋士を弟子としている。
  3. 象棋(中国将棋)棋士としても有名。
    • 国内大会で優勝し、中国の大会でも入賞した実績がある。
    • ニコ生等で出演する際には折に触れ象棋講座も行う。

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菅井竜也[編集 | ソースを編集]

  1. 平成生まれ初のタイトルホルダー
    • 獲得したのは王位。それまで6期連続でタイトルを獲得していた羽生善治を破っての獲得だった。
  2. 同い年かつ奨励会同期の永瀬拓矢に匹敵する将棋の虫。
    • 王位挑戦が決定した時「二日制持ち時間八時間で」の条件で練習将棋を指そうとして片っ端からオファーしたもののすべて断られた。
    • なお、永瀬とは第四期叡王戦挑戦者決定三番勝負で死闘を繰り広げた。
    • 「飯を食う時間ももったいない」とばかりに、炊飯器から手づかみで食べるながら将棋の研究をする生活を数カ月送り、入院する羽目になったことがある。
  3. 2019年現在も故郷岡山に居を構え、現地での普及活動にも力を入れている。
    • 奨励会に弟子を持つ平成生まれ初の棋士(だったはず)
  4. 橋本崇載との対局で相手の駒を飛び越えて角を移動させるという、福崎文吾の大盤解説みたいな反則をしたことがある。[2]
    • 数手先に指す手を先に指してしまったため。
    • 橋本も読み筋だったため気づかずに指し…
      • 記録係「すいません」
      • 菅井「(時間が分からなくなったと思い)ゆっくりでいいよ」
      • 記録係「すいません、角が…」
      • 菅井「ゆっくりで…」
      • 記録係「その角はどこから来ましたか?」
      • 橋本「(反則に気付き)うぉーっ!」
    • その後1週間、二歩の反則が3件相次ぐことになった。

杉本昌隆[編集 | ソースを編集]

  1. 言わずと知れた室田伊緒、藤井聡太の師匠。
    • 最初は研究のこともあり大阪と名古屋の両方に住まいを構えていたが、現在は名古屋に一本化している。
  2. 棋士としても順位戦B級1組、竜王戦1組在籍の実績を持つ強豪棋士の一人。
    • 村山聖が唯一認めた振り飛車の棋士でもあった。
    • 藤井猛は杉本が振り飛車一辺倒で四段昇段したのを見て、自らも振り飛車に徹することを決意した。
  3. 藤井フィーバーで注目が集まる中、2018年度は師弟で順位戦の昇級争いを繰り広げ、見事弟子を頭ハネさせてC級1組からB級2組に復帰した。
    • C級1組に降級した棋士がB級2組に復帰するのは約30年ぶりの記録。
  4. 「将棋以外に得意なゲーム」の質問に「縁日の輪投げ」と回答。

鈴木大介[編集 | ソースを編集]

  1. 藤井猛・久保利明とともに「振り飛車御三家」と呼ばれる。
  2. 麻雀でも高い実力を持つ。
    • 藤田晋とのコネを生かし、連盟常務理事としてABEMAに将棋を売り込んだ。
    • とうとう日本プロ麻雀連盟から雀士デビュー。Mリーグにも参戦することに。
  3. タイトル戦には二度登場しているが、羽生善治との対戦はない。
    • 1999年の竜王戦では藤井猛、2006年の棋聖戦では佐藤康光が対戦相手だった。
  4. 漫画「ハチワンダイバー」の棋譜監修にして主人公・菅田健太郎の師匠。
  5. ABEMAトーナメントのチームtwitterで最初のあいさつで「にゃんぱす~」とつぶやいた
    • そして、何も知らない佐藤康光が使ったことで将棋界が混乱に陥った。
      • 後日将棋会館で顔を合わせた際に「どういう意味なんでしょうか」と佐藤から質問され困惑したとか

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瀬川晶司[編集 | ソースを編集]

  1. 年齢制限によって奨励会を三段で脱落し、サラリーマン生活を経験しながら特例でプロ棋士になった異色の棋士。
  2. そもそもプロ棋士を志望したのが小学6年と遅かった。
  3. 奨励会脱落後は、将棋自体を辞めるつもりだったが、将棋の楽しさを再認識し、アマチュアの強豪として頭角を現す。
  4. アマチュア棋士でありながら、プロ棋士相手に17勝6敗の成績を挙げ、友人の勧めもあってプロ編入の嘆願書を連盟に提出。
    • 編入試験は、前例はすでにあった(後述)ものの、当時連盟のルールにはなかったので、全棋士に賛否を問い、賛成129、反対52でフリークラス編入試験の実施が認められた。
  5. 連盟推薦で試験官となった6人の棋士(内、女流1、三段1)と対戦し、3勝すれば合格という条件の中、2005年11月6日までに3勝(2敗)を挙げてプロ編入。当時の年齢は35歳。
    • 第一局の試験は(フリークラス編入を放棄してプロ棋士になった)佐藤天彦だったが、これは偶然でなく、連盟の配慮によるもの。
    • ただし「10年以内に順位戦C級2組に参加できなければ引退」という条件が付けられた。
  6. その後2009年5月に直近35局の勝率が6割5分7厘(23勝12敗)となり「良い所取りで、連続30局以上の勝率が6割5分以上」の昇級規定を満たしてC級2組に昇格した。年齢は39歳。
  7. その後フリークラス編入試験は制度化され、後に今泉健司がこの制度でプロ棋士になっている。
    • 正確に書くと、今泉健司は三段リーグを年齢制限で退会後、三段リーグ編入試験で再度三段になっていた事がある。
      • しかし三段リーグ編入試験では、三段リーグ在籍を最大4期までしか認めていないため、4期以内で昇段条件を満たさなければならず、再度脱落した。
      • 3度目のプロ挑戦でこの制度を利用し、めでたく四段になってプロ入り(フリークラス)。年齢41歳。
      • 2016年にC級2組に昇格、年齢43歳。
  8. なお編入試験自体は、1944年に元真剣師(賭け将棋師)の花村元司が受けてプロ棋士になっている。
    • 奨励会制度ができてからは瀬川が初。
  9. その軌跡をまとめた「泣き虫しょったんの奇跡」は映画化もされている。
  10. なお、この時の将棋連盟会長が米長邦雄でなかったら実現しなかったかもしれない。


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