西鉄ライオンズ

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  • ここでは埼玉西武ライオンズの九州時代全般の噂(太平洋クラブ・クラウンライター時代含む)について取り扱います。

西鉄ライオンズの噂[編集 | ソースを編集]

  1. やはりあの「黒い霧事件」さえなければ、まだライオンズは福岡にあったと思っている人が多い。
    • 池永の永久追放解除は遅すぎたと感じる向き、機構の姿勢に疑問を感じている人も、やはり未だいる。
    • 西鉄末期に3年連続最下位、二回の名称変更の挙句、九州を去る……という悲壮な歴史だったが、関東の某チームが最近この道を辿っているようで不安になる。
  2. 「西鉄」が九州の鉄道事業者だってことを知らないものもいる。
    • 関東の西武と混同するのみならず、関西の私鉄だと思っている人もいた。
    • ホークス以前の九州におけるプロ野球史は意外と知られていない。
  3. 伝統の一戦は昔、「南海 vs 西鉄」だった。
    • そのため、一戦における九州の球団が入れ替わってしまったことに対し、違和感を感じるものも初めは多かったと聞く。
    • ダイエーが九州球団として定着していくにつれ、そんな雰囲気は消えていったが。
      • 九州出身で、現在は他の地域に住んでいる人は、今でもライオンズファンの比率が高いと思う。一時的にせよ地域のシンボルを失ったことのダメージはいまだに大きい。
  4. 西武は西鉄→クラウン時代を長らく封殺してきたが、2008年になるとパリーグ全体でクラシックブームがはやってきたため、九州時代の歴史や記録展示を復活させた。
    • 「あの伝説となった男たちが、今蘇る。」と言っていいかもしんない。
    • 「九州のモンには応援してもらわなくていい」とか堤オーナーが言ったそうで、これによりライオンズファンをやめた九州のファンや応援団長がいるとのこと。
      • 西鉄OBも不満を持っていた。2005年のインサイダー事件で追放されたことにより西鉄の歴史が復活したといえる。
        • OBでは豊田が復活祭の中核に位置づけられた。稲尾が亡くなった翌年なのがなんとも……
    • そしてとうとう、稲尾和久の「24」を永久欠番にした。
      • 記念に全員で「24」をつけるという、メジャーの「ジャッキー・ロビンソンデー」のようなイベントを開催。
  5. 元は西鉄野球部ですなわちノンプロ。しかも都市対抗優勝歴あり。
  6. 球団保有の縁で、遂にさいたまと福岡を結ぶ日本最長距離の高速バスに「ライオンズライナー」の名がつくことになった。
    • 西鉄と西武の共同運行である。
    • Lions Expressね。
    • 2015年5月に運休。LCCとの競合もあり厳しかった模様。
  7. 戦前にも西鉄は球団を持っていたが地元では公式戦を開催しなかった。
    • その前身の球団に出資していたのは現在の西武新宿線を運営していた(旧)西武鉄道だった。
      • 2013年にはその「前身の球団」こと東京セネタースのユニフォームがライオンズクラシックに登場。しかし、古過ぎて何がなんだか。
    • なんか誤解されてるっぽいので言っておくが「西鉄軍」と「東京セネタース」は別の球団です。
      • 東京セネタースから改称した翼軍と名古屋金鯱軍が1941年に対等合併して大洋軍が結成され、1943年のみ西鉄軍を名乗っていた。
        • しかし同年限りで資金難や選手の徴兵もあり、1943年限りで解散。
          • 戦後、連盟へ復帰願いを出したが1944年まで存続していなかったことを理由に復帰願いは却下されてしまった。
        • 因みに「大洋軍」と「大洋ホエールズ」は全くの無関係。
  8. 初年度の1950年の球団名は西鉄クリッパースだった。ライオンズになったのは西日本パイレーツと合併してから。
    • 公募で決まったニックネームだが他の没案はほとんど現在まで伝わっていない。
      • クリッパーズとパイレーツの合併ということで「アベック」というのはあったらしい。
  9. 沖縄初のプロ野球公式戦を主催した球団でもある(1961年)。対戦相手は東映フライヤーズ(現在の北海道日本ハム)。ラジオで日本本土にも全国中継されている(当時のFOLネット経由)。
    • なお、次にライオンズ主催の試合が行われるのは56年後の2017年。
  10. 末期にはペプシコーラやパイオニアが買収する話もあったが実現しなかった。
    • 前者に関してはほぼ内定というところまで来ていたが、同時期の東映の身売りの影響でパ・リーグの将来を危惧したペプシ側が買収案を断ってしまった。
  11. 球団旗はニックネームつながりでライオン歯磨(現ライオン)から寄贈してもらった。

太平洋・クラウン時代の噂[編集 | ソースを編集]

  1. クラウンライター時代に江川に入団拒否された逸話が、九州時代末期の惨状を示す事例としてしばしば取り上げられる。
    • 江川いわく、読売のみならず、読売と対戦できる同一リーグのヤクルト大洋(当時)でも良かったとのこと。
    • ドラフト会議時に江川指名するかどうか悩むクラウン球団幹部に「絶対に1位指名しろ、それがパ・リーグの意地だ」と他球団スカウトが言ったとか。
  2. チーム愛称が「クラブライオンズ」とか「ライターライオンズ」とか間違われていた。
    • むしろ私は77年~78年の親会社がクラウンレコードかと勘違いしていました。
    • 「クラウン・ライターズ」と間違えた人もいるという。
  3. 散々だった九州時代末期だが、その末期のメンバーからのちの球界を背負う人材を少なからず輩出している(根本監督、東尾、現阪神監督の真弓、名三塁コーチャーの伊原、清原を育てた土井正博、横浜の二軍監督として98年横浜の優勝の土台を作った竹之内、など)
    • そのひとり、根本氏はのちに所沢で育てた秋山や工藤を連れて、福岡に戻り、自らの骨をうずめた(合掌)。
  4. クラウンライター時代のユニフォームが藤井寺時代のバファローズのものにそっくりだった。
    • 西鉄時代の反動か、ユニフォームがめちゃくちゃ派手になった。
      • 特に胸番号がアメフトばりに大きく書かれたユニフォームは今なお語り草。
  5. 太平洋クラブ、クラウンライターは命名権売却に近く、当時の球団運営会社は福岡野球。
    • この福岡野球への地元政財界の冷遇が西武への売却を生んだため、事情通は「九州がライオンズを失った」のではなく「九州がライオンズを捨てた」と考えている。
      • ホークスを90年代の低迷期においても福岡民が応援したのは、この時のトラウマがあったからとか。
        • 失ってはじめて地元球団の大事さに気づいたとか。
    • 球団の経営はとても苦しかったらしく、主題試合の練習用のボールは他球団の本拠地で拾ってきたボールを使用していたという逸話もある。
      • 他にもホテルの夜食は食事代だけ(末期には食事代すら出なくなった)、ロッテとの遺恨試合の演出、小倉での試合の選手移動は普通列車など…。
  6. 打線好調だった年につけられたニックネームが「山賊打線」。まだ炭鉱が健在だったころの福岡とはいえあんまりなネーミング。
    • 時を経て2018年の西武打線に、この名前が復活する形で付けられた。石井一久は出自を知らなかった為に意味がわからなかった模様。

西日本パイレーツの噂[編集 | ソースを編集]

  1. 1950年の1年だけセントラルリーグに存在した球団
    • セ・リーグ最初の試合はここと広島の顔合わせだった。(1950.3.10)
  2. もともとは西鉄と西日本新聞が共同で球団運営する予定だったのだが、一部のニュースを読売新聞に依存していた西日本新聞が独自に球団を所有することを読売から勧められ設立
    • そもそも西日本新聞は、戦時中の新聞統制で地元の福岡日日新聞と読売系の九州日報が統合して成立したという経緯がある。
  3. 本拠地は西鉄と同じく平和台球場
    • ただし移動などの問題があり実際は4試合しか行われなかった。
      • それに対し後楽園では42試合も行っている。
      • 福岡では平和台の4試合を含めて7試合しか開催していない(八幡桃園で2試合、飯塚で1試合)。
        • 加盟当初は平和台と八幡桃園で年60試合程度を開催する予定だった。
  4. 不慣れだったこともあって球団経営は苦しかったようで、シーズン中に西鉄から合併を持ち掛けられて合意、1年で消滅した。
    • 合併の際に巨人が「西日本の選手の保有権はセ・リーグにある」というムチャクチャな主張を掲げ、2人の選手(南村侑広・平井正明)を巨人に移籍させた。
      • 捕手の日比野武も巨人のユニフォームを着た写真まで撮られたが何とか西鉄が奪還できた。
        • 日比野は西鉄入団後も正捕手として活躍し、西鉄の黄金時代に貢献。
    • そもそも福岡市の規模で2球団は無理と当時から言われていた。
      • どちらかが移転するにしても九州内ではおそらく無理だったと思われる。
      • 小倉なら下関を本拠地とする大洋と経済圏が被り福岡県以外の九州なら移動がさらに過酷。
        • そうでなくても青森県から大分県までまるまる遠征という強行軍だった。下記の完全試合も青森で食らったもの。
    • なお合併に至る経緯は諸説あり今も不明な部分が結構ある。
  5. 日本プロ野球史上初の完全試合を食らってしまった球団。
    • 1年だけしか存在しなかった球団ということもあり、近年の書籍で球団名が出てくるのはだいたいこの話。
    • 寺山修司やなかにし礼もその試合を観戦していた。
      • ただ残念ながら完全試合時の写真は残っていない。
    • 成績も8チーム中6位だったが、シーズン開幕前に甲子園球場で行われたトーナメント戦ではその年の上位3チーム(松竹、中日、巨人)を破って優勝している。
  6. 歴史の短さゆえに現在ではほぼ忘れ去られたも同然の存在。
    • 近年まで研究対象にされず関係者の証言がほとんど残っていない。
    • 経営母体だった西日本新聞の社員でも今やこの球団の存在を知らない人が大多数。
  7. 後に西鉄ライオンズを日本一に導く三原脩は当初この球団の監督として招聘された。
    • 西日本がセ・リーグにとどまり西鉄と合併し経営を安定させつつ巨人を倒す…というのが当初のシナリオだったらしい。
    • しかし巨人の主力だった青田昇が西日本入りを表明したため巨人の逆鱗に触れセ・リーグにいられなくなってしまった。
  8. 西日本新聞の販売エリアには長崎も含まれるのに打線の愛称が「原爆打線」だったことがある。
    • もちろん不適切とされ炭鉱を連想させる「ドリル打線」「黒ダイヤ打線」に改められた。
  9. 主要選手は戦前から活躍していた古株選手と、他球団や社会人から入団してきた新鋭選手たち。
    • これらの選手の獲得には専属スカウトの宇高勲の人脈が大いに生かされた。
    • 投手と外野手を兼任する選手もいたらしい。

関連項目[編集 | ソースを編集]


プロ野球
パシフィック・リーグ セントラル・リーグ
消滅球団:西鉄ライオンズ | フライヤーズ
南海ホークス | 阪急ブレーブス | 大阪近鉄バファローズ
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