軽井沢町
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軽井沢町の噂[編集 | ソースを編集]
- 夏季オリンピックと冬季オリンピック両方の競技会場になった世界で唯一の自治体(東京オリンピック馬術、長野オリンピックカーリング)
- 冬はゴーストタウンになる
- 人口は何人?
- 17000人くらい
- そのうち人口より別荘の方が多くなる。
- 文字通りゴーストタウンだったりして。
- それはかなり前のお話し・・今は冬でも多くの人が来る
- 新幹線とアウトレットの効果かねえ
- 昔は夏しか営業しない店とかがたくさんあった。
- 冬の軽井沢駅ホームは恐ろしく寒い…気をつけろ!
- おまけに霧で霞んでる場合、ちゃんと列車が来るのか不安。
- 構内のツルツルの床は雪を噛んだ靴で歩くと滑りやすいという親切設計。
- 人口は何人?
- 軽井沢は長野県にあるが、北軽井沢なるものが群馬県に存在する。同一視すると長野県民が怒るらしい
- 追分あたりも軽井沢とみなされないが、追分蕎麦だけは良しとするらしい。
- 隣町の御代田町が「西軽井沢」を名乗るのは良しとしないが、メルシャン軽井沢蒸留所だけは黙認。
- 北軽井沢小学校は、群馬県長野原町にある。
- かつて東軽井沢ゴルフクラブというのがあったがやっぱり群馬県松井田に存在した。
- さすがに軽井沢を名乗るのは気が引けたのか最近「松井田妙義ゴルフ倶楽部に改名した。
- 今は「熱海倶楽部・東軽井沢ゴルフコース」になった。
- 南軽井沢は湿地帯で霧が多い。人のすむところでは無い。
- 別荘は2階建てにして、あえて1階部分は使わない。カビるから。
- 住民はカマドウマの跳躍を先読みして素手で捕獲することに長ける。
- 上信越道の碓氷軽井沢インターは実は群馬県安中市(旧松井田町)に立地してる
- 昭和農芸東軽井沢工場に至っては松井田妙義ICの遥か東だし、軽井沢西ドライビングスクールは佐久市の浅科にある。
- 地元の人間よりも東京の人間のほうが軽井沢に詳しい。
- 地元人は地域の冠婚葬祭には詳しい。
- 東京の人間は軽井沢にうるさいが、実際国民の大半はどんなところか何も知らない。
- か○もとやの蕎麦とかミ○ルバ茶房とか、東京人の憧れブランド。
- 軽井沢町は、西長倉村と東長倉村(後に軽井沢と改名したが・・)が合併したもの。軽井沢は長倉町になっていたかもしれない。
- 最近は東京都軽井沢区と呼ばれている。
- 呼んでない呼んでないw、思い上がりも甚だしいw高崎市軽井沢町じゃん?ww
- 思い上がりではなく卑下あるいは揶揄かと。新幹線が汚れた風を運んできやがるぜ・・・
- 呼んでない呼んでないw、思い上がりも甚だしいw高崎市軽井沢町じゃん?ww
- 最近は東京都軽井沢区と呼ばれている。
- 軽井沢町は、外国人のために読み方を変えた。かるいさわ→かるいざわ
- お年寄りやツウを気取る都会人は、今でもカルイサワ、と発音。
- アクセントが「る」に無く、平板。
- バスの観光案内でよく聞く。
- 横川に行くJRバスで聞いたな。
- 明治の頃外国人が入ってきて、いつのまにか「かるいざわ」になったとか。
- お年寄りやツウを気取る都会人は、今でもカルイサワ、と発音。
- 県内で唯一長野松本紛争(通称ナガノ内戦)に巻き込まれない永世中立国。
- 永世中立国を名乗るも実際は江戸の飛び地天領。長野も松本も関係ないと。
- この辺の人間は自分たちだけは信州より江戸と思っているらしいがバリバリの山村農民です。w
- 周辺では同和問題が根強い、長野県全域の問題だが。
- この辺の人間は自分たちだけは信州より江戸と思っているらしいがバリバリの山村農民です。w
- 永世中立国を名乗るも実際は江戸の飛び地天領。長野も松本も関係ないと。
- 症候群(シンドローム)があったらしい。もう20年位前か。
- 症候群の芽(シンドローム・スプラウト)もある。
- 誘拐の案内もある。これも20年以上前。
- 軽井沢シンドローム深夜アニメ化して聖地化したらいいのに。
- 80年代に作られたOVA版はあったけれどね。ドラマ版が事故で制作中止になってから、これの映像化はやりにくいかも。原作から時代も経っているし。
- 最寄りの高速道路のインターチェンジが実は群馬県にあることは、意外に知られていない。
- しかも遠い。渋滞する。みんな来るな!
- 佐久ICや佐久平PAのスマートICから行く人もいる。
- 帰りは碓氷バイパスを利用して松井田妙義から乗った方が早いことがある。
- 長野方面に行くときは小諸ICから。東京方面に行くときは松井田妙義ICから乗る。(by町民)
- まあ上田までならサンライン一本だわな。
- 駅前がゴルフ場&アウトレット。
- あの辺は埋め立てた湿地帯なので地盤が緩く建物も傷みやすいので、気の利く不動産屋は薦めない。
- 正確にはゴルフ場→アウトレット
- 別荘族にとってツルヤは命綱。
- 長倉の範囲が広すぎる。しかも大字を付ける人と付けない人がいる。
- エリアによっては住所の番地より別荘のハウスナンバーの方が機能している。
- 避暑地のくせに湖が無い。
- あるのは人造湖ばっかり。
- おい、雲場池を忘れてないか。あ、池だ。
- ノーノーノー!そぅれタブーでぇす(外人風)。
- おい、雲場池を忘れてないか。あ、池だ。
- 高級避暑地なのに野猿や熊がでる。猪もいる。狐も狸もいる。こいつらも優雅にリゾートか。
- あるのは人造湖ばっかり。
- かつて軽井沢駅は群馬県の横川駅と信越本線で結ばれていたが、長野新幹線開業で廃止になってしまった。
- 受け継いだ「しなの鉄道」は1時間に1本しか走っていない。一駅なら歩いたほうが早い。
- 1駅って駅間、11.2kmもあるんだぞ・・・歩けば2時間以上かかる。
- 鉄道で急勾配を駆け上がるのは大変なのです。なので新幹線の方は設計段階で大回りで距離を稼いでる。
- でもその先の高崎や大宮、上野には近くなった。廃止を生む自体が寧ろ地元にとっちゃ好都合だったり。
- 受け継いだ「しなの鉄道」は1時間に1本しか走っていない。一駅なら歩いたほうが早い。
- 田中康夫前長野県知事の自宅がある。
- 既に、2007年の参議院議員選挙に出馬をするらしい。
- 田中康夫氏を軽井沢町長にという声も出たが田舎にはもう興味はないらしい。
- 安全地帯のボーカルやジャーナリストの蟹瀬誠一も在住しているとかいないとか…。
- 恐らく今現在軽井沢(の生活者)と一番繋がりが深いのは東京ではなく群馬県高崎市。
- 確かに移住者や小諸周辺民は佐久や長野より高崎行くなあ・・・。
- 小諸在住で佐久、長野より車で高崎に行きますが、何か?w
- 正直、佐久平に出現したロードサイド店舗群で十分。
- 同意。普通に佐久。でなければ東京まで行く。
- 正直、佐久平に出現したロードサイド店舗群で十分。
- そういや最近プリンスアウトレットの地下駐に高崎ナンバーが増えてきた。
- つか高崎市内に長野ナンバー多いです、特に高級外車。
- だってポルシェセンター高崎を拠点としているクラブがポルシェクラブ軽井沢だもん。
- イオン高崎SCに長野ナンバーが多くなってきた気がする(高崎市民)
- つか高崎市内に長野ナンバー多いです、特に高級外車。
- 小諸在住で佐久、長野より車で高崎に行きますが、何か?w
- 自分は高崎市民ですが、ちょっと嬉しい気分・・・
- 高崎市とは旧倉渕村地域が微妙に隣接してますもんね
- 確かに移住者や小諸周辺民は佐久や長野より高崎行くなあ・・・。
- 堤王国
- 大堤商店が、ここまで来る予定だったらしい。
- 西武は埼玉の西武秩父まで鉄道を開通させてはいるが、本来的には、秩父から小鹿野を経て、なんと軽井沢まで鉄道を延ばすという途方もない野望を抱いていたらしい。
- 池袋~西武秩父の距離よりそこから軽井沢までの距離の方が何倍も長いし、途中にめぼしい街もない。さすがに実現性はなかっただろうかと。
- 上越新幹線が出来る前の話ね。さらに長野新幹線まで出来てしまった現在では過去の夢物語かと。
- しかしそんな辺鄙な場所にもかつてローカル線が存在していた事は意外と知られていない。(草軽鉄道 軽井沢から北へ伸び吾妻線と繋がる)
- いかにも「山岳鉄道」というムード全開の路線だった。
- 大堤商店が、ここまで来る予定だったらしい。
- 浅間山を知らない人はいない。
- 新幹線開業前の軽井沢駅舎は、現在移転して記念館になっている。
- 軽井沢病院は「総合病院」ということになっているが、ほとんどの科が週に1日しか医師がいない。内科は新規受付をやめた。産婦人科はない。リタイアメントが暮らす町としては惨々な医療体制。
- 軽井沢ナンバーを作ろうという運動があったが、隣の佐久市が「佐久ナンバーにすべきだ」と主張し、同盟から離脱。登録台数が少ないため未だ実現していない。
- 軽井沢には浅間山もあるが小浅間山という山もある。
- ドラえもんで某キャラが行ったのは「かるいざわ」ならぬ「おもいざわ」である。
- 糸色望先生の実家があるのは「軽井沢」ならぬ「蔵井沢」である
- 手塚の短編にも「重井沢」という避暑地が出てきたことがある。
- ジョン・レノンがぼーっとしててひき殺されそうになった。
- ジョン・レノン行きつけだったパン屋がある。
- 群馬県側から碓氷峠を越えてくると、あまり下り坂にならないまま街にでる。峠を越えたと言うより台地の上に出た感じ。
- 片峠という形状。入山峠、和美峠もほぼ同様だよ。
- 歩道をレンタサイクルの二人乗りの自転車が走っている。
- 不景気で保養所を手放す会社が増え、そのあとは建物ごとホテルチェーンなどが買い取って運用しているとか。
- 条例により、コンビニは夜11時ですべて閉店する。深夜に群馬方面に向かう際には注意されたし。(どっちに行っても山奥のため)
- 微妙に看板の色が変なコンビニやガソスタが多いのは条例のせいなのか?
- 看板の色に規制があったとしても、京都みたいに似合っているものが少ない。おまけにケーヨーデイツーの看板がデカデカと張り付いてたし。
- 微妙に看板の色が変なコンビニやガソスタが多いのは条例のせいなのか?
- 駅前に犬をレンタルしていて観光地で犬の散歩ができる。
- 上記の二人乗りレンタサイクルといい、なんで人混みまみれの場所で迷惑なもんばっかレンタルしてんだよ。
- 碓氷峠の県境に熊野皇大神社が建つ(群馬県側は熊野神社)。建物や参道の真ん中が県境。
- 神社も県境を境に半分ずつ所属が違い、社務所も2つある。真ん中の社に至っては賽銭箱も2つ。参道の石畳の真ん中に両県の名前が書かれた石が埋められている。
- 公式サイトもご丁寧に2つある。
- 軽井沢は一応中仙道の宿場町だったんだが、すっかり避暑地・観光地になってしまってそんな情緒は皆無である。
- 強いて言えば峠から来て宿場町の始まるところ、つるや旅館がそれっぽい、ってくらいか。そのつるやも江戸時代は茶店で旅館を始めたのは観光地化が始まってかららしいが。
- 追分宿は宿場町だけれど家が割と普通のサイズで建っていて他の宿場町みたいには密集していない。
- 地名の由来はもちろん街道の分岐するところだから。碓氷峠から佐久へ向かう中仙道から北国街道が小諸方面に分岐。
- 江差追分はじめ、全国に分布する追分節はここの追分が発祥。越後へ、その後海沿いに伝播したそうだ。
- てっきり全国の道が分岐するところにはそれぞれ唄ができるものかと思ってたよ。
- 浅間サンライン入口交差点の横にある中仙道六十九宿史料館の庭には日本橋から京までの道のりをミニチュア化した庭園路(?)がある。
- 峠道は少し盛り上がっていたり、大河川を渡るところには水路(水は流れてなかったけれど)と橋があったり、諏訪湖を模した池があったり、結構芸が細かい。
- が、肝心の史料館が休館だったりする。
- 中軽井沢駅前あたりは昔は沓掛という中仙道の宿場町だった。
- 久々に行ったら図書館が駅にいい感じになって移転してた。
- かつては駅名も「沓掛」だった。
- 中軽井沢駅前にかぎもとや(鍵本屋)という宿場町時代からの由緒正しき蕎麦屋さんがある。有名店らしく結構繁盛してる。
- 有名人も結構来ていてサイン色紙がいっぱい飾られている。ところで、別に来店の年代順とかに並べている訳でもないのに明石家さんまの色紙を大竹しのぶの色紙の横に並べているの、あれワザとだろ。
- 信濃追分駅は無人駅だが、雑誌の編集部が駅舎に入居していた。
- やはり避暑地なだけあってほんとに涼しかった。昼間でも名古屋の夜より涼しいし。
- ラーメン屋が多くない気がする。
- 長野新幹線開業で日帰り客が増えるかと思ったが、実際はより便利になった結果、ペンションに泊まる客が増えただけだった。
- 70~80年代のアンノン族全盛期みたいに高原のペンションでテニスだなんだとかいう時代じゃなくなったのに、それでも客の数は増えていたという事実。流石に、2000年代に入るとペンションよりも湯快リゾートの時代になったので、そうでも無くなったが。
- 結局蓋を開けてみれば、新幹線が走ることでより、行くのが便利になるし静かな軽井沢が帰ってくると思った別荘住民は期待はずれの結果に終わり、逆にもしかすると客が減るんじゃと思ったペンション経営者は杞憂におわったというウソのようなホントの話。
- 駅から碓氷バイパスへ至る道は、その先のゴルフ場までまっすぐきれいに整備されてる。これもコクドの力か。
- 連合赤軍が立てこもった浅間山荘がある。
- もともと河合楽器の山荘だったが事件後に大改装されギャラリーとして使われたという。
- 現在は中国企業の所有になっている。革命記念館など作られたら堪らんな。
- 放水作戦で付近の別荘地の生活用水を使い切る、事件後数年間にわたり興味本位の見物客が来るなど町への被害も小さくなかった。
- 1人の人質を救出するのに9日間掛り、2名の警察官が殉職し、26名の警察官が負傷した(民間人の死者1名、負傷者1名)。当時はまだ戦後27年しか経ってない時だから、オッサン達は「帝国陸軍なら下から榴弾砲3発ブチ込んで、3階から歩兵が突入して15分で制圧だ。軽微な戦闘だ」と“日本は弱くなったなあ”というため息まじりの意見が多かった。
- 警察「うちは軍隊じゃないし、そんなことやったら残党が死亡者を神格化されて暴れるから」
- もともと河合楽器の山荘だったが事件後に大改装されギャラリーとして使われたという。