輪島市
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輪島市の噂[編集 | ソースを編集]
- 厄年を迎えた男の人は神社の神事、祭事を一手に引き受け運営する「お当組」というものを結成、加入する(させられる?)。これがなかなか大変らしい。
- 2011年春祭りの前日に住吉神社(通称ふげしのみや)本殿が火災により焼失した。神も仏も無いものか。
- マジンガーZの看板があちこちに立っている。
- 原作者の永井豪が町野出身。
- 本町通りに「永井豪記念館」がある。
- 永井豪先生をインスパイアして企画されたようだが、侮辱ともとられかねないほどのやっつけ感がすてき。よく先生が怒り出さかなったものだという噂もちらほら。
- 航空自衛隊の基地がある。自衛隊友の会というのもあるらしい。
- 基地というかレーダーサイト。地図上では防衛機密にあたるため載っていない。
- お葬式での焼香の際「焼香銭」と呼ばれるお金(普通硬貨一枚)を焼香台に供える。
- 輪島だけじゃなく七尾(同じく石川県)でもやってるよ。
- 結婚式など慶事では「輪島まだら」と呼ばれる唄を合唱することがある。
- 輪島の伝統芸能だが、時間が長いとか言われて割と不評だったりする。
- 旧盆の三日間、「三夜おどり」と呼ばれる盆踊りを踊る。
- 昭和の時代には「夜明かし」と言って夜が明けるまで踊っていた。現在は踊り手の確保に苦労しているようである。
- もっそう飯という祭事がある。3合を越えるご飯を茶碗にてんこ盛りに盛りつけて食べる、ちょっとした奇祭である。
- 夏の海士町の祭りは女化粧した若衆が神輿を担いで、海に入っていくらしい。
- 全国的に有名な朝市がある。
- 朝市のおばちゃんは明らかな地元の人間にも観光みやげを買わせようとする、豪の者たちである。
- 輪島塗りという名産の漆器が主要産業のひとつだったりする。
- 漆器職人は自宅で作業している人が多いらしい。そのせいか、無線ウォッチとかファイル共有とかデイトレードとか結構ハイテクの趣味を持っているひとが多いらしい。
- 舳倉島という島がある。
- 渡り鳥の立ち寄り地らしく、春にはバードウォッチャーが大勢来て島に渡っている。
- 一日一往復のフェリーが出ている。あんまり文明のにおいがしない島だったなぁ。
- 船乗り場には酔い止めが売られている。なかなか商売上手。
- 輪島市民の歌というものがある。
- 歌唱:大川栄作(有名になる遙か前)だったりする。
- 宴会芸に使っているやつがいた。
- 30~40代の人達は学校で歌の練習をしているので、みんな歌えるはず。
- 肩車のことを「ちんかぼっぽ」と言う。
- 水の事を「もーこ」とも言う。
- カブトムシの幼虫を「トコトコ」と呼ぶ。
- 羨ましくて、妬ましくて、悔しいことをないまぜにして、「けなるい」「けなりー」と表現する
- えがら饅頭が名物。
- 参照:輪島の食べ物
- 小樽開拓の祖となった時国家という名家がある。ちなみに平家の落人らしい。
- 何がすごいって、その家系の本筋は今でも輪島に残っていて公式サイトまで拵えているという……
- 棚田が多い。白米千枚田はたしかに有名だが、それ以外にも数多く存在する。
- 白米千枚田は千枚田と言いつつ、実は千四枚在るという話。よくまあ数えたもんよ。
- ちなみに、こいつは世界農業遺産認定らしい。脇で立ちションでもしようもんなら捕まる(?)
- 白米千枚田は千枚田と言いつつ、実は千四枚在るという話。よくまあ数えたもんよ。
- 入間川部屋(関脇栃司)の関取第1号は輪島市出身の大倭。
- 十両在位1場所のみで、「大倭」の四股名も1場所のみ。
- 「まれ」の放送によって間垣や揚げ浜式塩田が広く知られるようになった。
- 揚げ浜式塩田はどっちかというと珠洲なんだけどねぇ…。
旧門前町の噂[編集 | ソースを編集]
- 旧と云っても「鳳至郡」が「輪島市」に変わっただけ。町名はそのまんま。
- 正確には「鳳至郡門前町」→「鳳珠郡門前町」→「輪島市門前町」の順に変わった。穴水町と合併していれば「鳳珠郡鳳町」となり町名は消滅するはずだった。
- 門前の人は、太平洋戦争が終わったことを知らなかったらしい。
- 昔風の葬式の時には、女性が白い服を着ている。
- 総持寺祖院の檀家の葬式は圧巻。雲水と住職が場合によっては総出で読経する。
- 総持寺祖院という割と有名なお寺がある。
- 石原プロが裕次郎の葬式やら法事やらをやってるお寺の開廟の地である。が、本院は神奈川県へ移動済み。
- へえ、神奈川の總持寺って本院なんだ。
- 冬場の托鉢がうるちゃい。
- 石原プロが裕次郎の葬式やら法事やらをやってるお寺の開廟の地である。が、本院は神奈川県へ移動済み。
- 総持寺祖院という割と有名なお寺がある。
- 古来の葬式は黒紋付より白装束だった名残なんだろうなあ。黒紋付羽織袴って意外と歴史的に新しいからね。
- 曹洞宗本山の地位を永平寺と争っていた。
- とりあえず、能州本山という称号で、茶を濁してある。
- 総持寺祖院の檀家の葬式は圧巻。雲水と住職が場合によっては総出で読経する。
- 過疎化と高齢化の進行が激しく、ほぼ二人に一人が65歳以上。そのため、NTTは役場所在地周辺以外にADSLと光サービスの提供が事実上不可能な状態にある。
- NTTの営業は業者筋には「採算取れないですから」と公言してはばからない。要は「提供する気は毛頭ない。」が正解に近い。
- 実際、石川県内のADSL提供エリア拡大は2004年9月以降行われていない。光が使えるのは2006年1月現在七尾市のみ。
- 更に、門前町には今でも町自前の「有線電話網」があり、その昔は交換局に口頭で「門前の有線○○○○番お願いします」と言って繋いでもらっていた(つまり、電電公社の時代から採算性に問題があり、敷設を後回しにされていた)。現在、その電話網は自前のADSL網にもなっているそうだ(最大768kbps)。
- 有線放送電話は2008年9月末を持って廃止されました。放送およびインターネットサービス(IP電話付き)は2008年4月に開局した輪島市ケーブルテレビに移行しました。
- 輪島市ケーブルテレビの放送センターは、門前町にあるのですね。門前町に有線放送電話があったからかな。
- 昭和40年代は、田舎では「交換局に口頭で有線○○○○番お願いします」が普通だったんだよ。
- 有線放送電話は2008年9月末を持って廃止されました。放送およびインターネットサービス(IP電話付き)は2008年4月に開局した輪島市ケーブルテレビに移行しました。
- 確かに人口も電波も過疎地。そのせいか、実際に中国人に密航されたことも。(平成十年、鹿磯漁港)
- いつの間にイー・モバイルの利用可能エリアに入っていた。(輪島市内では旧門前町中心部エリアのみ!!)
- 鹿磯の漁港は入港料が安いため、イカ釣りのシーズンには北は青森秋田、南は山口あたりから漁船が水揚げと補給のために寄港する。
- 能登で数少ない「暴れ系」の夏祭りを行わない町。
- 某書店にて、エロ本を立ち読みする雲水の姿をよく見かける。
- といいながら、書店は町に1件しかないのでどこかはバレバレ。
- その書店は日本語でお菓子という意味の英語名の看板だがスペルミスなのは気付いているんだろうか?
- といいながら、書店は町に1件しかないのでどこかはバレバレ。
- 門前高校のかつての名物は、藁半紙でくるまれたコロッケ(当時50円@1個)であった。今もあるのかなぁ。
- 総持寺祖院の裏山を、時計回りに回ると良縁に恵まれ、反時計回りに回るとくされ縁に恵まれるとの言い伝えがある。
- 古和秀水という湧き水は、日本の名水100選に選ばれ、水割りや茶道、コーヒー用に汲みにくる人が多い。
- でも一度大腸菌騒ぎを起こしたことがある。国道沿いの汲み場より山の上の源泉で汲んだ方が安全。
- 水汲み用の容器は焼酎の3Lペットボトルか、透析用純水や生理食塩水の入っていたポリタンクがサイズ的にも手頃で便利。
- なんだか、医療行為の帰りに汲みに行くみたいだな。
- この地の手打ち蕎麦はつなぎがはいっていないため、こま切れになる。でもうまい。
- 「なまはげ」に酷似した「あまめはぎ」という行事が皆月地区に細々と受け継がれている。
- 過疎化により、鬼役(中高校生男子)も脅かす子供も減っている。行事自体が存続の危機に面している。
- 日本海側の海を介した交流の影響なんだろうなあ。
- 2007年3月25日9時42分に発生した『平成19年能登半島地震』では最も甚大な被害を被った。
- 悲惨なことで名前が全国区に…。
舳倉島の噂[編集 | ソースを編集]
- 能登半島・輪島沖に浮かぶ絶海の孤島。周囲6kmくらい。
- 東西に2kmくらいだが、南岸の中央3分の1くらいを大きな港が占めている。
- ほとんどどの世帯も自家用船を持っており、それを碇泊しておくため。
- 島の標高の最高地点は12m。そこに高い灯台があり、輪島から船で向かうと、灯台の先っぽから見えてきて、最後に島の本体が姿を現わす。地球が丸いことがわかる。(実体験)
- 一日一便だけ本土からの船が来る。
- 船は生鮮食料品なども運んでくる。船が居る間、港はちょっとした市場のようになる。
- 民宿は2軒ある。
- 輪島の観光案内所で予約しようとしたら、直接電話してくれと言われた。電話したら訛りのきついおばあちゃんが出て、こっちの名前も訊かずにOKしてくれた。
- 商店は1軒だけあるが、看板をまったく出していないので、よそ者にはどれが店なのかわからない。
- 島民の大半は海女さん。
- 世帯主はたいてい女性。亭主の影はいたって薄い。
- 日本海を渡ってくる高句麗や渤海国などの使者が、給水や風待ちの必要上必ず立ち寄ったため、古代からけっこう栄えていた。
- その頃は本土と反対側の北岸のほうが島の中心だったらしく、5世紀~9世紀に及ぶ遺跡(シラスナ遺跡)が残っている。
- 昭和の中頃までは、通年定住者はわずかで、漁のシーズンだけそこで暮らしていた。現在では通年定住者もそれなりに増えたが、今でも季節移動する世帯は多い。
- 輪島市に「海士町」という町があり、冬季はそちらに住む人が多い。なお、舳倉島も町名は海士町。
- 海女のルーツは遠く九州福岡の鐘崎と言われる。いまでも方言などにその名残がある、という。
- 外浦地域は西国や大陸の文物を北陸一帯に伝える中継地でもあった。加賀や富山の民謡などもルーツが九州などにあるものが結構あり、最初外浦に定着したものが南下したものが多い(越中五箇山など民謡の宝庫だが、そのルーツも西国発輪島経由が多いという)。
- 法律手続などで、附加期間の発生する「遠隔地」に指定されている。
- 大陸から様々な渡り鳥がここに飛来し、バードウォッチングの聖地であるという。
輪島の鉄道[編集 | ソースを編集]

- 2001年に廃止された、のと鉄道輪島駅では、国鉄・JRの時代から、通常は次の駅名が記されている駅名票の空欄(輪島は終着駅)に油性ペンで「シベリア」と書くイタズラが横行し、業を煮やした駅側がとった対抗措置として、なんとあらかじめ印刷されてしまった。このユーモア溢れる対策は宝島のVOWにも掲載されたが、そのころには住民はすでに馴染んでいた。この駅名票はいまでも駅跡に建っている。
- 鉄道の廃止により、鉄道の駅としての輪島駅は廃駅となったが、輪島市内にある大型温泉ホテル・高州園の社長さんは、旧国鉄の駅長さんの制服姿で宿泊客を迎えてくれる。高州園のテレビCMでも、駅長さんの制服姿で登場する。
- 駅長さんの姿で高州園のテレビCMに出ていた同ホテルの社長さんも、2008年6月にお亡くなりになりました。合掌。
輪島の食べ物[編集 | ソースを編集]
- 小麦粉で作った塩せんべいが旨い。
- やめられない止まらない
- エガラ饅頭という黄色く着色した米が全面にびっしりくっついている餅菓子がある。
- ぶっちゃけ大福なのだが、歯触りが良くて美味しい。昔と比べてなんか小さくなってる気がする。
- すいぜん という寒天を平たく延ばしたような食べ物もある。甘いゴマだれに付けて食べるが、割と好き嫌いが分かれているようだ。
- エガラ饅頭やすいぜんはお葬式の時によく出てくる。
- すいぜんには必ず缶詰さくらんぼが添えられているが、意味がわからない。
- さくらんぼとは限らない。缶詰みかんの時もある。