近代 (中国)

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  • 当ページでは中華民国成立から国共内戦終結までを扱います。中華人民共和国成立以降は現代 (中国)で。
  1. 孫文バンザイ!
  2. 中国全土が台湾だった
    • 台湾との経済格差を考えると「大陸に国民党政権が誕生してたらなぁ・・」と思っている中国人もいるが、そんな事口に出して言ったら即逮捕されるので思っているだけで口には出さない。
    • その当時の台湾は日本領。中華民国が成立以来領有しているのは台湾海峡にあるいくつかの島だけ。
    • ただ当時の中国全土(当時日本領だった台湾やその他諸外国の租借地を除く)を国民党(孫文・蒋介石)政権が支配していたわけではなく、特に内陸部は軍閥がひしめき合っていた。
  3. 南京には、三千(さんぜん)万人の人骨が有る。(有史以降(約2500年間)の南京大虐殺の総合計)
    • 当時人口20万人の南京でこんだけ殺すことが物理的に可能か?事実ならゴーストタウンになってるはずだが・・・
      • そこには中国と日本の間で見解にズレがある。20万人というのは南京城の一般市民の人口であり、南京大虐殺で犠牲者が出たのは南京城の外も含めた南京市全体。しかも外部から訪れた市民や日本と戦うための10数万人規模の軍人も含むから、30万人でもおかしくはないのだろう。言っておくが俺は流石に30万人という数を受け入れてるわけじゃないぞ?ただ、中国側の見解を知っておいた方がいいと思う。
        • 30万というのは中国側がプロパガンダを兼ね大雑把な計算で生み出した数字であって、言い出した以上、戦後にひっこめられなくなったのが実情である模様。
        • 仮に城内外含めて30万だったとしても、それほど苛烈な虐殺が起きていれば安全だからとわざわざ城内に避難する人が増えるとは思えない。城外・郊外の治安がそれを上回るレベルで悪くない限りは。
      • 日本側の公式見解は「数万から10数万」の「日本軍による戦闘行為から外れた非道な虐殺行為」があった。これを忘れず。
        • 普通の戦闘行為による死者まで含めりゃ、そりゃ30万にはなるだろう。しかしそれじゃ「虐殺」の訴求としては欠格。
    • 中華に誤謬はない。東夷は黙っておれ。
    • 最近じゃ中華の華は東夷といわれててな。とりあえず西戎乙。
    • 数日で三千万人も殺せる技術を持ってた日本兵は、なんで米帝にそれを使わなかったんだろう?
    • よく読め。「有史以来の総合計」だ。南北朝時代には10回以上大虐殺があったしのはじめの靖難の変でも、太平天国戦争でも、すごい数の虐殺がおこなわれている。そういう歴史があるから、日本軍もやったことにされたわけだ。「南京を陥した以上、大虐殺をやらないわけがない」と思われたんだな。
      • それでも合計3000万というのは大袈裟だが
        • 戦死者だけでなく、当然飢饉での死者も含まれる。
        • ネタとして三十に『ノ』を加えただけですが。
        • 下手したら第二次世界大戦以降のほうが比率的には大きかったりしてw
      • 民間人に化けた中国兵が大量に南京に潜伏したため、それっぽい人間を片っ端から処刑したらしい。
  4. 中国最大の屈辱の時代。だから今でも日本が許せない。
    • ちなみにこの程度の屈辱は中国史では何度も出てくる。時代が風化を許さなかっただけ。
    • 何世紀も経てばまた分裂してこれ以上の屈辱を味わうことになるのだろうか。
  5. 日本との戦争中よりも、戦争が終わった後の方が犠牲者数は断然多かった。
    • 国共内戦による。
  6. 辛亥革命で蜂起した軍人たちの大半が日本での留学経験を持っていたのは公然の秘密となっている。
    • 近代中国文学の父、魯人も日本に留学経験あり。
      • ↑魯人ではなく魯迅(本名は周樹人)です。しかも中国現代文学の父のうちの一人です。
    • 毛沢東も留学することを一度は考えたが、語学が得意でなかったことに加えて、外国には大好物のトウガラシがないと聞き「トウガラシが食べられなくなるくらいなら留学なんかしたくないアル」と言ってやめた。

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中国史
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