近畿の城
滋賀[編集 | ソースを編集]
長浜城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:長浜市
- 完全に昭和の模擬天守が公園の中に建つ。
- 天守の中もやっぱりその頃の鉄筋コンクリート造りの感じ。一番上の階で名前を刻める記念メダル売ってるところなんかも。
- 一応同時代に建てられた犬山城や伏見城を参考にはしているらしい。
- 豊臣秀吉が始めて城主になれたところ。なので、長浜もそれで観光アピール。
- マンホールのデザインも千成瓢箪。
- 天守閣最上階の景色の説明にはなぜか見えるはずのない大阪城や桶狭間の方角も記されている。
- なお名古屋のテレビ局の電波は受信可能だった。
彦根城[編集 | ソースを編集]

- 所在地:彦根市
- 尾張名古屋は城でもつ、という有名な言葉があるが、彦根は城とハトでもっている。
- 時代劇のロケ多し。彦根東高生は、下校途中に目撃することも。
- 彦根城の石垣を見ていると、ジェンガの如く石を引っこ抜いてみたい衝動にかられる。
- 西中の生徒なら大抵の奴は登った事がある。
- そして観光客から白い目で見られる。
- 西中の生徒なら大抵の奴は登った事がある。
- 彦根城が心のよりどころ。
- かなり昔、夜になると彦根城の内堀周囲の道路に、バスケットボールをドリブルしながら100m 9.99秒で走るババアが出現するというガセネタがあった
- 夏場の彦根城の堀は入浴剤入れたんじゃないかってくらい緑色。
- 結構、色んな生物が棲んでいる。
- 堀には巨大な鯉(錦鯉ではない種類)がうようよいる。
- 江戸幕府の東海道・中山道ルートにおける対京都の最前線基地。京都洛中の治安維持も実質彦根藩が担っていた。
- 日本の世界遺産暫定リスト、永遠の筆頭。
- その理由は、御堀に捨てられた盗難自転車とかなんとか……
- その点より「登録済みの姫路城と違ったアピールポイントがない」という方が問題だったはず。
- このため、「彦根城を世界遺産に!」というフレーズが
しつこいぐらいにあちこちにあったりする。
- 城主は井伊氏。
- のはずだが、どう見ても猫のもちもんになっている。
- 玄宮園という庭園がある。城との風景がよろしい。
安土城[編集 | ソースを編集]

- 所在地:近江八幡市
- 織田信長の城。
- 天守跡は小山を登った上にある。
- 流石は天下人(目前)の信長の城、石段も結構幅がある。
- ここが最大の見所
- ここの良さは写真だといまいち伝わらない。
- 登る道の途中の左右に、家臣の屋敷跡が並ぶ。
- 流石は天下人(目前)の信長の城、石段も結構幅がある。
- 石垣とかが残っている(発掘復元?)。
- 天守閣を復元したものは近くの「信長の館」にある。
- あと伊勢戦国時代村に外見だけならあったはず。
- 「信長の館」の裏山は観音寺城。
- 城を造るために石仏の類いも石垣とかに使った、と言われる。神仏も恐れない所行、とか言われるけど信長以外もやってるんだよな。
- 2006年頃から入場料をとるようになった。
- と同時に百々橋口が閉鎖された。
- 大手道から百々橋口あるいは逆に抜ければちょうど見回れて良かったのに
- と同時に百々橋口が閉鎖された。
- 城址は摠見寺のもの。
- 摠見寺を建立したのは、他でもない信長。
- 城は燃えたが、寺の三重塔や二王門は当時のまま現代まで残っている。
- 三重塔は石垣に使った石仏の類い同様、他所から持ってきた。そのため、安土城本体より古く1454年製。
- 燃えたのは、本丸と天守だけで、「その他部分はしばらく機能していた」という研究もあるそうだが、さて・・・。
- 織田家代々の墓みたいな感じでもある。
- 織田信長公本廟と織田信雄一族の墓がある。
- 安土駅からは1.5kmほど歩く。
- その後、本丸まで高低差100m以上ひたすら登るので、ちょっとした運動になる。
- これなら、能登川駅からでも大差ないんじゃ?と思って歩いてみたら1時間かかった。
- 駅前でレンタサイクル借りていけば楽。そんなに高くないし。
- 眺めが凄くいい。
- 琵琶湖一望
- 築城当時は三方が湖面だったのでもっと凄かったと思われる。
- ここだけ天守じゃなくて天主。
- 天主は7層建て。
- 6層目は八角形になっている。仏教の世界観を表現したらしい。
- そして自分はその上に暮らす。御仏といえど、自分より下ということらしい。
- 6層目は八角形になっている。仏教の世界観を表現したらしい。
- 天主の瓦は赤かったらしい。
- 近年の研究では、青瓦が、焼失時に赤く変色したという説も提唱されている。
長光寺城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:近江八幡市
- 瓶割り柴田。
- 湿原地帯で水も流れているのに、そんな必要があるのか?と言う研究もある。
- 観音寺城の支城の一つらしい。
- 金剛寺城とは、それほど離れていない。
膳所城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:大津市
- プカプカ浮いていた。
- 実は、坂本から湖上を流れてきたという噂。
- このせいで、年間の維持費がものすごかったんだとか。
- タヌキミクス第一号の城。
- トラが一発噛んだ城の一発目。
- タヌキの子分が常駐していたという噂。
- 明治の破壊措置命令適用第一号の城でも在る。
- その後遺物は神様に取られた。
- 因みに神様というのは膳所神社の神様のことな。
- その後遺物は神様に取られた。
- お花見スポットでもある。
- 明治の頃、石垣の一つ一つにいたるまで全て売り払ったらしい。
- いや、上にも書いたけど神様にパクられたらしい。
- 戊辰戦争後に明治政府にかけられた税金が高すぎて、売り払わざるを得なかったとか聞いたが・・・。実際どうなんだろう???
- 妙に気になって調べたら、どっちも正解みたい。神様の分とオークションの分を別々に取っておいたんだそうな。
- 戊辰戦争後に明治政府にかけられた税金が高すぎて、売り払わざるを得なかったとか聞いたが・・・。実際どうなんだろう???
- いや、上にも書いたけど神様にパクられたらしい。
箕作城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:東近江市
- 観音寺城の支城らしい。
- 佐々木六角承禎が本拠にしていたそうな。
- 別名を箕作山城。
- 清水城とも言うそうな。
観音寺城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:近江八幡市
- 安土城の南側にある。
- この城にとって、北側の安土山は、土塁のようなモノで、この城の姿隠しのような扱いだったそうな。
- ある研究に依れば、佐々木六角の本家が居た場所らしい。それによると、しょせん承禎は分家だそうな。
- そのため、織田信長は安土に築城して入ったんだと。
- 最終的には、主がなくなったことで荒廃したと言うことになるらしい。
- 当時としては、周囲の支城群をも含めると、かなりの大規模な城郭になるというらしいが、さて・・・。
- 某ゲームでは何故か伊賀の城として登場。
- 初期の信長の野望は大名の領地を無理矢理 国にわりあててるからなぁ。近江北部の浅井氏が近江全域、割を食って六角氏が伊賀に押し込められてたのでその六角氏の居城が伊賀に…
佐和山城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:彦根市
- 彦根城からJRを挟んで反対側にある。
- 今じゃただの山。
- 松原内湖があってこその要害佐和山城なのに、松原内湖を埋めた以上、そう言われても仕方ない。
- 石田三成滅亡後、徹底的に破壊されたと言われている。
- 近所に、テーマパークみたいなモノがある。
- 佐和山城址は基本的に何にもない。
- 琵琶湖線に乗って東側を見てれば佐和山城跡という看板があるので、佐和山がどの山かはわりと分かりやすい。
- この看板の建ってる場所からは彦根城全体が目線に近い高さで見渡せる。
- 琵琶湖も見える。
- この看板の建ってる場所からは彦根城全体が目線に近い高さで見渡せる。
- どう行けば山頂に辿り着けるのかは分かりにくい。
- 案内通り進むと墓地の中を通過することになる。
- 琵琶湖線に乗って東側を見てれば佐和山城跡という看板があるので、佐和山がどの山かはわりと分かりやすい。
- 石田三成が佐和山城で過ごした時間は意外に短い。
三雲城[編集 | ソースを編集]
所在地:湖南市
- 猿飛佐助のパパが最後の城主を務めていたらしい。
- 城の石垣は大半が水口城に使われたと聞いているが、その割には結構残されている。
- 遺構も結構残されていて枡形虎口なんかも当時の形そのまんま。
- 山城だが、ちゃんと階段も整備されていて、ものすごく歩きやすい。森林浴には持ってこい。
水口城[編集 | ソースを編集]
所在地:甲賀市水口町
- 改修をしているがそれをやったのは、小堀遠州。庭以外にも手を出してたんすか。
- 二条城から移築された御殿があったらしいが、バラされて競売に掛けられていて、今はもう無い。
- 水口藩という外様の持ち物であったが、藩主が本丸御殿に入ることは一度もなかったという。
- 曰く、この城は徳川家からの預かり物ゆえ、それを使うのはならんと言う事だったそうな。家康の父親も岡崎城時代にそんなことやってた気がする……
金剛寺城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:近江八幡市
- 佐々木氏の同族、六角と京極が争いを繰り広げていた城の一つになるらしい。
- 六角が、観音寺に移るまでの本拠であったとかなんとか。
- 足利義材の六角討伐の時の陣所になった城。
- でも、今はなぁ~~~~~~~んにも残ってない。
- 詳しい場所も何もわからず、地名があるのみと言っていい状態らしい。
- 場所的には、長光寺城の近くに当たる。
- 近江電鉄でも一駅くらいの距離。
水茎岡山城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:近江八幡市
- 本来は、岡山城と言うらしいが、水口にも同じ名前のがあるため、水茎岡山城となるそうな。
- 別名尾山城と言うらしい。
- 足利義澄最期の地として有名。
- 一応、一通りの遺跡は残っているが・・・それだけ。
- ほとんど文字通り「藪の中」。
- 近江佐々木六角の家臣伊庭氏の被官の九里(くのり)氏の城。
- 要は、足利義澄は、家臣の家臣のそのまた家臣の城に匿われていたと言うことになるようだ。
隠岐城[編集 | ソースを編集]
所在地:甲賀市甲賀町
- 隠岐の島に、あるわけではない。
- しかし、隠岐守になりたいが為に、家名も地名も城名も変えてしまう辺り、かなりの強者である。
- 佐々木隠岐氏の城。
- 今となっては、お寺の境内の一部。
京都[編集 | ソースを編集]
田辺城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:舞鶴市
- 細川幽斎(藤孝)が関ヶ原の合戦の際に西軍に取り囲まれたが、古今伝授が途絶えるのを恐れた朝廷による勅命で開城したところ。
- 細川幽斎はたった500人そこらで守っていたのに、攻める西軍は2万人も費やしたバカ試合。最終的には、一応開城することにはなるけどそのために2月も掛けている。西軍はアホとしか言いようがない。
- 細川幽斎がいかにすごい戦国大名兼文化人だったかがよくわかるな。
- そりゃあ攻め手が幽斎の弟子だからねぇ…師匠相手にフル攻撃は心理的に無理なんで「形だけ城を囲みますよ~鉄砲も撃ちますけど空砲ですからねぇ~」で内情は「師匠に向かって降伏しろとは言わないが勅命かなんかで開城!で終わって欲しい」と願ってただろうと想像つく。
- 舞鶴城とも呼ばれ、舞鶴の地名の元になった。
- 城の形を鶴が舞う様に例えた物だが、この異称を持つ城は多すぎる。
- 甲府城、福岡城、柳川城、唐津城など。
- 城の形を鶴が舞う様に例えた物だが、この異称を持つ城は多すぎる。
- 現在は門と石垣・塀があるだけで中は普通の公園。広々としてウォーキングできるような公園ではなく、住宅地とかにある遊具とかがあるやつの少しだけ広い公園。
- 他には、庭園の痕跡とか、天守台の跡とか。「古今伝授の松」と言われても、なかなかピンとこない。
- 庭園くらい復元したらいいのにね。天守閣造るのと比べたら安上がりだろうし。
- 他には、庭園の痕跡とか、天守台の跡とか。「古今伝授の松」と言われても、なかなかピンとこない。
二条城[編集 | ソースを編集]

- 所在地:京都市/中京区
- 世界遺産。
- 現在正門になっている東大手門の前にはバスが大量に止まっていることが多い。
- 占領期には目の前の堀川通から軽飛行機が飛び立つ様を見ることができた。
- JR二条駅は千本通にあるので正門まではちょっと歩く。
- 現存するものは徳川家康が築いた。
- それ以前に足利義輝が今の平安女学院の辺りに築いた城も「二条城」と呼ばれる。
- 幕末・明治期には天守台に火の見櫓が建っていたらしい。
- 南側にも門があるが堀を渡る橋がないので現在は役に立っていない。
- ドラマなどのロケにも使われる。
- こまめに換気しないとすぐに痛むらしい。
- 二の丸御殿内の障壁画の劣化を防ぐために普段は障子が全て閉められている。
- 近年一部の建物がアライグマによる被害を受けているという。
- 毎年8月の「京の七夕」の際には夜にも入場できる。
- しかも無料。
- 城内の葵紋入りの瓦や金具は明治維新の際に多くが菊の御紋入りに取り換えられたが一部換え忘れているところがあるらしい。
- 元離宮と銘打つわけだから、それは、そうだろうねぇ。
- 昭和30年代中頃に天守閣の再建構想があったがその後立ち消えになった模様。
- 京都の労働運動関係者にはメーデーの集会が行われる場所としてもおなじみ。
- 言うまでもなく大政奉還が行われた場所。
- 江戸幕府初代将軍徳川家康が将軍就任の辞令を受けた所であると同時に、江戸幕府の最後の将軍徳川慶喜が将軍職の辞表を書いた所。
勝竜寺城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:長岡京市
- 細川家の居城
- ガラシャさんも住んでいたそうな。
- 一度応仁の乱の折に西軍の畠山義就にパクられ、松永久秀や三好党が占拠するなど、紆余曲折を経るが、織田家の力で細川幽斎の代で城主に返り咲く。
- 地下水100%の水道水を利用できるのがウリ。
- 汲み上げ施設を「ガラシャおもかげの水」と名付けるなど細川ガラシャに頼りっぱなし。
- 日本の歴史公園百選に認定されている。
- 実は近くの神社の境内に残っていた空堀や土塁跡以外は、全部消え去っていたのは秘密だ。
- 長岡京発掘調査の副産物的な形で再登場し、細部まで完全復元。
- 神社の境内は、美しい竹林が広がる。
- ただ、そのレプリカぶりが災いして日本百名城には選ばれなかった模様。
- 公園に入ると細川忠興ガラシャ夫妻がお出迎えしてくれる。ここでも、行政はガラシャさんに頼りっぱなし。
- 公園は桜の名所でもある。
- 実は近くの神社の境内に残っていた空堀や土塁跡以外は、全部消え去っていたのは秘密だ。
- 駐車場はあるが台数は少ない。
- でも、駅チカなので、お越しの際は公共交通機関でどうぞ。
- 毎週火曜日は定休日らしい。なのでガラシャ像も見られないし、中に入ってどうのこうのも出来ない。ただ外側を眺めて帰るだけになるのだが、正直それもいいんじゃねという感じという噂もちらほら。
- 勝竜寺城は実は安土城よりも先に天守閣を持つ城郭だったという説があるらしい。
亀山城[編集 | ソースを編集]

- 所在地:亀岡市
- 二人の謀反人を出した日本史上稀なる城。
- ちなみに、これは司馬遼太郎の街道をゆくにあったはず。
- しかも、相手はどっちも天下人。
- 大阪の北の護りでもある。
- 石垣は日本海に沈んだ。
- ここを払い下げられていた某宗教がクーデターを起こそうとしたのが露見したため。
- 因みに、謀反人の二人目はコレ。
- 清水建設がダイナマイトでどっかん!
- 一般人が入ることは困難を極める。
- 例の某宗教が規制をかけているため。
- 堀尾忠晴がこちらと勘違いして他所の城を壊したため、二度と間違えないように地名を変えたとかいう曰く付きの城。
- 一説ではその時のことが祟って伯耆米子藩が断絶になったという説も。
伏見城[編集 | ソースを編集]
- 城主は近鉄→京都市。
- 近鉄が手放した時に天守も解体予定だったが、市民の要望で残された。
- 近鉄時代は天守の内部が一般公開されていたが、京都市に移管されてからは耐震性を理由に非公開となってしまった。
- 城下町の伏見の町名が結構面白い。
- 桃山井伊掃部西町やら桃山町板倉周防やら桃山町金森出雲やら……
- ザギンは元々ここにあった。
- ギロッポンがココにあったかは不明。
- タヌキの子分の鳥があの世へ飛び立った所。
- 映画撮影のため大坂城に変身したことがある。
- 慶長元年頃、一度地震で全壊するが、少し移動してさっさと再建。
- 現在の天守が建っている場所は秀吉時代と結構ずれている。
- オリジナルの跡地は明治天皇の伏見桃山陵の敷地になっている。
- 京都駅ビルの屋上からもよく見える。
- 城があるエリアは、かつては猿山地区と呼ばれていたらしい。城主の容姿を皮肉っているようにしか見えへん。
笠置山城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:相楽郡笠置町
- 笠置という山城の町にある。
- 偶然の一致にしては出来すぎな気もする。
- ガンダーラの人から妙な人気を博しているらしい。
- あぁ、後醍醐か。わかりにくいわ!
- とりあえず、妙な巨岩が多い。
- 今は、古刹になっていて、きちんと整備されている。
- 奈良側から行ったほうが楽。下から上がるのはキツイわ。
- 三方を木津川、布目川、打滝川の形作る深い谷があるお陰で、城としては最高の形状になった。しかし後世史跡として見物に行くにはそれがアダとなった気がしなくもない。
福知山城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:福知山市
- 明智秀満が拠点としていた北丹の城。
- 外観は木材なども多用され、史実に忠実で結構見応えのある感じだが、実は鉄筋コンクリート造り。
- 再現するにあたっては、松平時代の資料その他をベースに忠実に再現したとの事である。
- 別名を、横山城や八幡城、臥龍城だとか言うらしい。
- でも、多分現地民でも知らない。
- 割とこじんまりとした感じの城だが、明智光秀ゆかりの城として猛アピール。
- でも実は明智光秀は福知山城主になったことはない。築城はしたけど。
- 意外と見落とされがちだが、市役所裏の小山は福知山城の縄張りの一部。
- 伯耆丸というエリアだったらしい。因みに、ここから本丸を見たら、カメラにその全景が収められる。
御土居[編集 | ソースを編集]
- 所在地:京都市内
- 豊臣秀吉の京都防衛策の一つ。
- とは言え、堤防の役目も果たしている所がある。
- 聚楽第や二条城の外郭を成しているという指摘もある。
- 戦後の開発ブームで全滅しそうになるが、民間の底力もあって、所々で現存している。
- ただの草ぼうぼうの土塁のあとでは、確かに破壊したくなるのは、わからないでもない。
- 北野天満宮境内にある遺構は時期によっては梅や紅葉と同時に楽しめる。
- 江戸時代には上で高級竹の栽培が行われていた。
- 一部は京都駅のホームに転用された…わけではないらしい。
- その部分の土塁は駅建設以前に撤去済みだった模様。
淀城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:京都市伏見区淀
八木城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:南丹市
- 丹波三大山城の一つらしい。
- ちょっとの間だけ、キリシタン大名の内藤如安の居城だった。
大阪[編集 | ソースを編集]
- 大阪の城へ
兵庫[編集 | ソースを編集]
奈良[編集 | ソースを編集]
郡山城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:大和郡山市
- 豊臣秀長(秀吉の弟)の城というイメージ。
- 自分は洞ヶ峠の筒井さんのお家というイメージが強いんだが。
- 堀とか石垣とかが残り、建物もある。奈良県では一番お城っぽい城。
- 近鉄乗車中に横を通り抜ける。
- だが最寄りの郡山駅からは結構時間がかかる。
- 実は大坂の陣の時、一時的にではあるが豊臣方が支配していたらしい。
- しかしすぐに豊臣方はなぜか意味もなく郡山城を捨て大阪へ退却したとか何とか。
- 実は最後の城主は柳沢吉保の末裔だったりする。
- 本丸内には柳沢家の先祖を祀った神社もある。
- 冬になると堀に野鳥が多くやって来る。
- なお金魚は棲息していない。
- 石垣には平城京の羅城門の礎石から転用された石も使われているとか。
信貴山城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:平群町
- 松永久秀が平蜘蛛の茶釜ごと爆死したところ。
- 日本で始めて天守閣を設けた城だとか。
- でも今は建物はなにもない。
- 麓の朝護孫子寺の方が有名すぎる。
- その朝護孫子寺。奥の院があるところ(信貴山頂)も、信貴山城の一部だった。
- 建物等はなにもないが、縄張りがよくわかるように整備されている。
- かつて、といっても平成20年頃は、下草が生い茂る杉林で、縄張りすらよくわからなかったが、いまは下草が取っ払われ、階段等も整備され、そういうのが好きな人はそれなりに楽しめる。
高取城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:高取町
- 日本三大山城の一つ。
- ホントに山城。高取駅から歩き始めると結構登るよ。ハイキングのつもりでどうぞ。
- こんな山の上に、と言うところに立派な石垣。
- 郭も複数あるので史跡好きには楽しい。
- こちらも豊臣秀長の手による。
筒井城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:大和郡山市
- 筒井順慶まで7代の居城とは言うが、なぁ~んも残っとらん。
- 松永滅亡後、大和郡山城以外の大和の城を破却したらしいから、当然かも知れない。
小泉城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:大和郡山市
- 筒井VS小泉の反目の末、最終的には片桐貞隆(片桐且元の弟)が城主に
- またの名を片桐城。延々と明治維新まで片桐家が当地を治めた
- その後も1957年に至るまでこの地域だけ大和郡山市とは別扱い(生駒郡片桐町)
- 城郭は明治の廃城令で壊され、いまは片桐の屋敷と堀と石碑しかない
和歌山[編集 | ソースを編集]
和歌山城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:和歌山市
- 紀州徳川藩70万石の平山城。
- 豊臣秀長が築き→秀吉家臣の浅野長政のセガレ・浅野幸長と弟の長晟が改修し→紀州徳川家が入部という流れ
- 天守閣は他の建物とつながっている。連立式とか言うらしい。松山城も似た感じ。
- 城の近くにある信号機器の箱は天守閣をイメージした形になっている。
- 空襲で焼失した建物を再建する際に地元出身の松下幸之助がかなり資金を出したらしい。
- 御殿をなにわに持ってかれた。
- それは戦後に米兵が失火で焼いてしまった。
- 紅葉渓庭園の紅葉は見もの。
- 徳川頼宣だったかがこさえた。
- 御橋廊下も見ものである。
田辺城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:田辺市
- 海に面して城から直に海に出られる構造だったらしい。
- 今では石垣と城門がちょこっとくらいしかない。
- 天守はなかったはずだが、天守を作ろうとしているらしい。
新宮城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:新宮市
- 平山城。石垣はしっかり残ってた。
- 元々は紀州徳川藩の家老のお城。
- 堀内家の城じゃなかったかなぁ・・・。
- 堀内氏の屋敷跡は速玉大社より少し南に行ったとこらへんにあったと思う。堀のある屋敷に住んでいたから堀内氏。(堀は残ってなかったと思うけど)
- 堀内家の城じゃなかったかなぁ・・・。
- 城の小山の下をJRがトンネルでぶち抜いて行ってる。
- 因みにそこは和歌山県内ではごくわずかしかないJR東海管轄区間である。
- 新宮の観光施設としては熊野の新宮(熊野速玉大社)はおろか、徐福の公園にも知名度負けてる。
- またの名は丹鶴城。
太田城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:和歌山市
- 水攻め喰らった城として有名。
- この城のあったころは、ぬかるみだらけで、水攻めに向いた城だったらしい。
- しかしなぁ~んも残ってない。
- ただし、移築山門一つ近所の寺の山門としてある。
- JR和歌山駅から近くにある。
- 城跡の石碑が駅付近の寺の中にある。という方が正確か。
- 意外と、和歌山城から近い。