長岡市
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長岡市の噂[編集 | ソースを編集]
- やたらとガーガー言ってる。
- 消雪パイプがえらい勢い。
- 長岡市の人は,県庁所在地になれなかったことで,今でも新潟市を仇だと思っている。
- 長岡市の人は、戊辰戦争で新政府側について長岡を敗北に追い込んだ県内の新発田市(「しばたし」と読む)を、裏切り者としていまだに恨んでいる。
- 新発田(勤王が藩是)も村上も佐幕とは距離を置きたかったようだけど脅しが一番効くところだもんね
- 廃藩置県の当初は真ん中に県境が存在し、下の方は柏崎県だった。
- 長岡県ではなく、柏崎県。理由はもちろん長岡藩が朝敵となったから。
- いや、長岡藩がなくなった直接の理由は朝敵になったからではない。一旦は減封の上で赦免されたけど、その後破産して行政権を返上→政府管轄の領地として柏崎県に組み込まれたというのが正確。
- いやいや、やはり朝敵だったからでしょ。ほとんどが焼け野原状態なのに、朝敵として七万四〇〇〇石(実収10万石以上)から二万四〇〇〇石(実収一万石)という最大の石高減を強いられた長岡藩は破綻に追い込まれ、政府からは救済も与えられず見捨てられる形で終りを迎えました。これが官軍の報復的処置の結果です。
- 一つよくある間違いやミスリードに利用されて佐幕の純然たる仲間扱いされてるけど、長岡は武装中立という手段を取っていた。つまり討幕にも佐幕(むしろ西洋思想を取り入れてた)にも味方せず長岡が向かいたかった先はスイスのような独立国家と小説「峠」で語られる
- つまり新潟州のモデルは長岡独立国を考えた河井継之助にある。もし筋通りに、岩村精一郎ではなく、黒田清隆(黒田が鵜殿団次郎に向けて、戦争の回避を促す手紙を送ったそうな)や山県有朋との会談が果たされたの結果は違っていたのかも。しかし信濃川注ぐ長岡の風土が生んだ奇才は後世にいい考えを残したと思う。
- 新政府軍の岩村と行われた小千谷会談を失敗させ、長岡を完全に佐幕に引き込むために、会津藩士が陰で動いていたらしい
- いや、長岡藩がなくなった直接の理由は朝敵になったからではない。一旦は減封の上で赦免されたけど、その後破産して行政権を返上→政府管轄の領地として柏崎県に組み込まれたというのが正確。
- 長岡県ではなく、柏崎県。理由はもちろん長岡藩が朝敵となったから。
- 柏崎も新潟も幕府領では?
- 長岡市の人は、戊辰戦争で新政府側について長岡を敗北に追い込んだ県内の新発田市(「しばたし」と読む)を、裏切り者としていまだに恨んでいる。
- 長岡市の人は,新潟市にあるものと同じかそれ以上のものを作りたがる。(美術館,博物館,大学,放送局etc)
- 柏崎市の人は,長岡市にあるものと同じかそれ以上のものを作りたがる。
- 長岡高校と長岡大手高校の教師・年配OBは対立している。
- って↑を書き変えたのどなたー。私が書いた↓(いつのまにそんなことに・・昔は兄弟校みたいで、特に長高男子と大手女子は理想のカップルといわれたのに・・。)のコメントつじつまが合わなくなっちゃったじゃないですか。最初「長岡高校と長岡大手は対立している」でしたね。
- ↑の方へ。申し訳ございませんでした。長岡市のノートに自分の意見を書いたので読んでいただけたら嬉しいです。by変えてしまった本人
- いつのまにそんなことに・・昔は兄弟校みたいで、特に長高男子と大手女子は理想のカップルといわれたのに・・。
- 今の生徒は対立はないが、教職員および40代以降のOBの張り合いがすごい。遥か過去から因縁が続いていたようだが、生徒にとってはどうでもいいし、お互い友達として仲良くやっている。
- 大手教師は「打倒長校!」とか言ってるけど今の生徒は冷ややかに聞き流す。あと大手教師は必要以上に長高の話を持ち出すが生徒はいい加減やめてほしいと思っている。対する長高OBも大手に対して「俺らの歴史には敵うまい」と挑発している。
- どちらも私服高校だが、長岡高校は地味目、長岡大手高校は華やか。
- 今では地味や華やかなどといった差はほとんどない。
- 卒業式は今や長岡高校の方が派手だと聞いた。
- 長岡高校の卒業式でパンダの着ぐるみを着て出た人がいるらしい。
- そんな格好をする人はまず居ません。長岡高校は袴、振袖、スーツが一般的。卒業式はやっぱり大手高校の方が派手。被服科は生徒の8割がコスプレとも取れる格好してますよ。他、普通科もイブニングドレスとか多いです。言っちゃ何だけど男子もホストっぽく見える人が多い。
- 2002年位の卒業式にパンダの着ぐるみを着たらしい人の友人から聞いた話なんで…真偽は分かりません。
- そんな格好をする人はまず居ません。長岡高校は袴、振袖、スーツが一般的。卒業式はやっぱり大手高校の方が派手。被服科は生徒の8割がコスプレとも取れる格好してますよ。他、普通科もイブニングドレスとか多いです。言っちゃ何だけど男子もホストっぽく見える人が多い。
- 長岡高校の卒業式でパンダの着ぐるみを着て出た人がいるらしい。
- 卒業式は今や長岡高校の方が派手だと聞いた。
- 長高は男子が多く大手は女子が多いため、雰囲気に差がでるのでは?
- 長高も男子より女子のほうが多い。雰囲気の差は過去のイメージが大きいのではないか。
- 1980年代前半はまだ長高の男女比は5:1くらい、圧倒的に男子が多かった。二年時には一学年10クラスのうち4クラス(3クラスだっけ?訂正求む)が男子のみのクラス通称『男組』として編成された。運動部員男子は8割以上が男組にふりわけられていた。なお男組級長は手錠のまま中国拳法を操るうれいを帯びた美男だった・・・わけではない。
- 昔大手女子の制服がかわいかったなぁ。
- 長高も男子より女子のほうが多い。雰囲気の差は過去のイメージが大きいのではないか。
- 今では地味や華やかなどといった差はほとんどない。
- 両校に修学旅行がないのは、以前何かあったらしい。
- 噂では、何十年も前に両校の生徒が駆け落ちしたとか。
- 20年くらい前は大手は修学旅行があり、長高はなかったので駆け落ち説は嘘かと。
- 「NG!」で謎が解明されてます。
- 噂では、何十年も前に両校の生徒が駆け落ちしたとか。
- 「ちょうこう」の呼び名をめぐり長岡高校と長岡工業高校も微妙に対立?
- 一般的には長岡高校を「ちょうこう」、長岡工業高校を「こうぎょう」と言う場合が多い。
- 長岡高校に対抗して長岡向陵高校ができた。そして…。
- 向陵は大手を模試で抜いて着々と成績を伸ばしている。
- 立地条件が災いしているのか最近実績は停滞気味。
- 工業と向陵は発音が似てて紛らわしい。
- 向陵は大手を模試で抜いて着々と成績を伸ばしている。
- 大手の男子は長高に入れない男子だが、女子の場合あまり無理をせず大手を選ぶ傾向もある。
- って↑を書き変えたのどなたー。私が書いた↓(いつのまにそんなことに・・昔は兄弟校みたいで、特に長高男子と大手女子は理想のカップルといわれたのに・・。)のコメントつじつまが合わなくなっちゃったじゃないですか。最初「長岡高校と長岡大手は対立している」でしたね。
- 長岡向陵が甲子園に出たことは、すでに市民の頭の中の消しゴム。
- 甲子園で松井秀喜と対戦した事も消しゴム。
- コミケのことを「オカケット」と言う。
- それはイベント固有の名称です。コミケ=オカケットとは誰も思っていないはず…。
- 「にな」と言うとんでもなくにおう郷土料理がある。
- にいな(煮菜)では?
- 「にな」と言う人も「にいな」と言う人もいる。
- 県央でも食うてるすけに中越ら辺の郷土料理だがいのし。
- 好みに合えばお酒のつまみやご飯のお供にいいらしい。
- にいな(煮菜)では?
- 宮内は別扱い。
- 下々条も更に扱いは別である。
- 「しもげじょう」と読む。「げげじょう」ではない。
- いや、合併前の旧市外と太田地区はもっと別扱い。
- 地元民は隣町の摂田屋を「せったや」ではなく「せったいや」とよむ。もともと宿場町で文字が摂待屋→摂田屋と変化したらしい。
- 下々条も更に扱いは別である。
- 市町村合併ゲームで無茶な形に。
- 大花火音頭の「どぉしょいのぉ~」のメロディが瞬時に浮かぶ。
- 旧市内人口20万人足らずなのに、自動車学校が4つもあったが、一番安泰だと思われていた学校が閉校してしまった。
- その内中越と文化が経営統合した。もう一つの学校はあまり人気がないようだ。
- 名がオカシイ。
- 名がをかし(風情がある)
- ただし、これは地元住民の前では禁句である。
- 名がをかし(風情がある)
- 住んでるだけで原子力給付金がもらえる。
- 数千円で命が守れると思うな。全然刈羽や柏崎の比ではない。
- 長岡祭りの花火はすばらしい。
- 正三尺玉は長岡の誇り。
- 今や目玉のポジションをフェニックスに奪われつつある。
- 消防本部が移転したため、2010年から三尺玉打ち上げ時のサイレンがなくなった。
- 長岡市民の夏は長岡まつり大花火大会で幕を閉じる。8/4以降は消化試合。
- 他地域民だが、BSの長岡花火中継を見て、ウチの地域の花火大会は子供の鉄砲遊びレベルだと思った・・・ぜひとも長岡花火を生で見たい。
- 正三尺玉は長岡の誇り。
- 司馬遼太郎の小説で河井継之助は全国的に有名になったが、市民の河井継之助に対する感情は微妙。
- 長岡駅ビルにスターバックスコーヒーができた。長岡も都会っぽくなった。
- 太平洋戦争開戦時の日本海軍連合艦隊司令長官である元帥・山本五十六海軍大将の出身地。山本五十六記念館と復元された生家が建っている。
- 山本五十六記念館には、前線視察の途中、ブーゲンビル島上空で山本長官が戦死した際に搭乗していた一式陸上攻撃機(一式陸攻)の左主翼(戦後、同機が墜落したブーゲンビル島のジャングルから回収されたもの)も展示されている。
- 新潟駅前のバスターミナルの「長岡」のローマ字の綴りが「ngaoka」になっていた。修正されたかは知らない。
- 2007年5月現在、未だに修正されていない。おそらく修正する気も無いのだろう、新○交通は。
- 長岡弁の「(ん)がー」に掛けてるのでは。
- この前(2008年6月)見に行ったら直ってた。発車番線の整理ついでに直したようで、残念。
- 2007年5月現在、未だに修正されていない。おそらく修正する気も無いのだろう、新○交通は。
- シュークリームが39円で売っている(時期がある)。
- 美松ね。
- 確かに1個39円だが、1個では売ってくれない(最低1箱10個入り)。
- その時期(2月)になると大手通のその店の前の歩道には行列が出来る。2列だったか4列で並ぶのは寒いので辛い。
- 長○高専生(特に寮生)御用達。高専用語集という全国の高専で使われている用語を集めていたサイトが昔あったが、しっかり「みまシュー」という用語が載っていた。
- シュークリームの数え方は基本的に箱単位。
- 新幹線からやたら目立っていた吉原組のビルはもうすぐ姿を消す予定。
- 高野不動産のCMでお馴染みの長岡弁。
- どうでもいいが、「使える新潟弁」というCDまで出た。
- 新保さんが頑張ってるんだから
- どうでもいいが、「使える新潟弁」というCDまで出た。
- 長岡市出身のモデル西山茉希が有名になっても故郷を大切にしてくれている事が誇りである。
- ついでに中村真衣がJSS長岡に所属し続けてくれたことも誇りである。
- 米百俵と小林虎三郎も忘れないで。
- ドラマ「ストロベリー・オン・ザ・ショートケーキ」で滝沢秀明と深田恭子が遭難したのは、長岡市営スキー場
- 見ていた人が「そんなところで遭難してんじゃねぇ」とツッコミを入れたらしい
- 昔ながらの長岡市民は、「新潟市(または、新潟市内の近郊の市町村)に対して「対抗意識」を持っている」との話を聞いたので、「新潟市の話題」について(できれば)振らない方が賢明かも…。(主に、旧・長岡市民に対しては)
- 大手高校には、「大手高校=軍隊学校」と称されるほどの体育がある。
- イチローの初ホームランは悠久山球場。
- ちなみに相手投手は野茂英雄。
- 桜の美しいお堀や川などの水辺や整った町並み、意外に多い喫茶店、三大銘菓(越の雪)などのお菓子、夜景の綺麗な高台の八方台、悠久山の桜、温泉地、戊辰戦争や長岡空襲・山本五十六のミュージアム、田中角栄…観光資源は多く新潟市より観光地化出来そうなのに、現状目に見えて実感出来ないのは残念。
- 市域では長岡城址(長岡駅)、与板城、などの城跡が有名だが蔵王堂城(現在の金峯神社の境内)も、お堂やお社が並ぶ中、お堀や土盛りなど立派な城跡を残している。長岡開府の地とも伝えられる場所で町中に隠れた名スポットの一つだと思う。
- 境内には北越戦争の銃弾も刻まれているというご神木の大ケヤキがある。
- 長岡駅前のイトーヨーカ堂丸大も閉店してしまった。居抜きで地下の食料品売り場だった所に地元スーパーのマルイが出店した。
- これで大手通り周辺から大型店が姿を消した。
- 2012年に市役所が駅前のアオーレ長岡に移転した。幸町の庁舎は別館扱いである。
地域別(旧市内)[編集 | ソースを編集]
宮内[編集 | ソースを編集]
- 長岡の生姜醤油ラーメンの発祥、青島食堂が有名。
- 宮内駅周辺に2店舗あるほか少し離れたところにもう1店舗。
- 駅前にも1店舗ある。
- 他にも有名無名問わず多数のラーメン屋が存在し、県内有数のラーメン激戦区。
- かつては上組が本体?だったがいつしか宮内が本体になる。
- 戦前の村の名前も「上組村」。町制のときに宮内町になったが。
川崎[編集 | ソースを編集]
- 戦後になって宅地化が進んだ地域。
- 川西地区の古正寺周辺と並ぶロードサイド店が集まるエリア。
- ここにある中学校は「東北中学校」。だが東北地方とは関係ない。
関原[編集 | ソースを編集]
- 昭和の大合併のとき、かなり最後の方まで残ってた地域。
- 「関原まつり」は割と大規模な花火大会がある。
- 関原まつり自体も市内では結構大規模な祭、
- 長高の分校(現存しない)があったり車学があったりと旧市内の中では別格。
- 電話局や集配郵便局もあるが交番はない。(駐在所はある)
- 昔は電車も通ってたが駅は町外れにあった。
- バスの行き先にある「関原経由」で聞くことが多い。
大島[編集 | ソースを編集]
- 「おおじま」と読む。
- 市内各地にある手描きの看板で有名な松田ペットがある。
- 中学校区が長岡へ併合後南中→西中を経てようやく大島中として独立。
- 長岡市内唯一のナルスがあった。
- 深才村の一部だったが長生橋で繋がってた大島だけ一足早く長岡と合併、その後長岡の市街地として発展した一方深才村本体(深沢、才津)は農村のまま。
- 今では古正寺地区を擁する商業地域にもなってる。
- 長岡花火の川西側観客席はここ。
悠久山[編集 | ソースを編集]
- 公園とか球場とかいろいろある地区。
- 悠久山公園は市内随一の桜の名所。あとサルぐらいしかいない動物園がある。
- 長岡の殿様を祀る蒼紫神社があるのもここ。
- かつての栃尾鉄道の起点。今はバスの営業所になった。
- ちょっと奥にいくと長岡高専がある。
編入した自治体[編集 | ソースを編集]
山古志[編集 | ソースを編集]
- 地震の後、県外の人が気付かないうちに山古志村と合併していた。
- 山古志村を合併して補助金GET!
- 山古志地区は、合併直後は「長岡市古志」だったが、いつのまにか「山」が付いて、「長岡市山古志」になった。もっと地名を大事にしようヨ。(山古志村は「古志郡」だったのを知っていますか?)
- 山古志という名前自体、NHKで放送した連続テレビ小説の舞台になったから。
- 村名の由来は「古志郡の山間部」だからという安直なものだった。
- ちがいます。近世の古絵図に当地域を指して「山古志郷」の地名が残っています。由来が特定できないくらい昔からの地域通称です。
- 最近では、例の2004年の地震の際のとある一家と飼い犬たちに関する実話を描いた、映画「マリと子犬の物語」でも有名になった。
- その震災で有名になった山古志村の最後の村長の長島さんは衆議院議員に大出世、その上に母校の東洋大学の理事長にも就任。
小国[編集 | ソースを編集]
- そういえばチャーザー村(林家こん平師匠の出身地)も長岡になったのか…。
- こん平さんは確かにそう発音していたが正しくは千谷沢村と書くらしい。
- 一旦小国町になってから長岡市に
- 故郷をアピールしたいのが必死で却って哀れだった→こん平さん
- たまに「チャーザー村ってどこ?」と聞かれると困った。
- 確かに。これらの人は、(昔の千谷沢村が)「小国町に合併される前の」生まれの人かもしれない。(今の長岡市に合併されたのは、つい最近の話なので・・・。)
- 千谷沢村が分村して小国と越路に合併したのが1957年、こん平師匠の生年は1943年。なのでこん平師匠もその一人なのだろう。
- 千谷沢村の千谷とは小さな谷が集まるところと言う意味らしい。小千谷の千谷も同じような意味らしい。そう思うと、綺麗な湧水がこんこんと湧いていそうなイメージになる。
- 千谷沢村が分村して小国と越路に合併したのが1957年、こん平師匠の生年は1943年。なのでこん平師匠もその一人なのだろう。
- 確かに。これらの人は、(昔の千谷沢村が)「小国町に合併される前の」生まれの人かもしれない。(今の長岡市に合併されたのは、つい最近の話なので・・・。)
- 越路の千谷沢と区別するため、現在の住所表示は「長岡市小国町千谷沢」。
- こん平さんは確かにそう発音していたが正しくは千谷沢村と書くらしい。
- おぐに森林公園が観光のメッカ。
越路[編集 | ソースを編集]
- 駅:来迎寺駅
- 千谷沢という地名は、旧・小国町だけでなく、旧・越路町にも存在する。
- 理由は旧々・千谷沢村が二分割されて越路と小国に編入されたため。
- 「長岡市千谷沢」と表記する場合、旧越路町側を指す。
- 柏崎市との境界にある塚山峠の下を貫く信越本線の塚山トンネル。ここも、鉄道写真撮影ファンの聖地の一つである。
- とてつもなくデカく派手な稲荷神社がある。
- 宝徳稲荷ね。
- 知りたい人のために紹介すると宝徳大社稲荷とはこんな感じである
- ちなみに十一月に行われる、ここのろうそく祭りもすごい
- 宝徳稲荷ね。
- 南長岡ガス田があり、帝国石油・石油資源開発が採掘を行っているが意外と知られていない。
- 宝徳稲荷のすぐそばにも採掘場があって、夜になると建物の明かりが綺麗
- 伝説の某シャンソン歌手とは関係はあるのか?
- 残念ながらその方は東京出身。一頃自分もそう信じて疑わなかった。
- 戦時中に疎開してきたからだよ。
中之島[編集 | ソースを編集]
- 中之島見附ICは旧中之島町。
- 市内の場所によっては、こっちの方がずっと近い。長岡東バイパスに繋がっているし。
- レンコンで作ったワインがある。
- 大口レンコンですね。
- 秋になると農業祭という行事で日本一大きい(今も?)おにぎりを作っている。
- ちなみにカカシコンテスト的な事もやってる。
- ギネスに認定されているみたい。
- 中之島中学校の敷地面積はムダに広い
- 剣道部が地味に強い。
- プールが50m。
- 入澤記念庭園がある。日本初めての医学博士の池田謙斎(入澤圭助)など医学会に貢献した入澤一族の生家の跡。
- 平 頼盛(池大納言)が落ち延びてきたと伝えられる地域、五百刈(中之島見附ICのあたり)がある。そのことが縁で重臣たちがこの地区の開拓にあたり中ノ島の村々の基礎を築かれたのだとか
- この平 頼盛の奥方が頼盛を追い、糸魚川の現在、親不知と呼ばれるところで子を亡くしたという話から、糸魚川市の親不知と言う地名が生まれたのだとか。それまで、親不知は「かんばら」と呼ばれていた。
- 杉之森薬師堂薬師如来像という、ありがたい如来さんの像がある。
- 原信の本社は中之島にある。
- 水道はなぜか見附市上下水道局から供給されている。
三島[編集 | ソースを編集]
- 合併前は新潟県三島郡三島町(さんとうぐん みしままち)と、宮城県登米郡登米町(とめぐん とよままち)並みにややこしい場所だった。
- 全日本丸太早切選手権大会。
- 小木ノ城という山城へ車で登っていける。天気のいい日に行くと付近の山里や日本海・佐渡がきれい
栃尾[編集 | ソースを編集]
- 湧き水を汲めるが、地元民に「変な菌がいるから危ない」と言われる事がある。
- とりあえず、変な菌はいなくとも、変なプレイをするアベックはいる。
- 杜々の森では見た事も聞いた事もない。他の湧き水か?
- とりあえずあぶらげ(油揚げのこと)くらいしか印象が無い。
- スーパーであぶらげを買ったことが無いらしい。
- 大抵豆腐屋で買うのだと思われる
- たまに道端に雉(きじ)がいる。
- 食した事がある人もいるという。
- 長岡市に編入された自治体の中で唯一の旧市。
- その割に話題に乏しい…。
- ものすごく景気の良かった昔があったらしい。軽鉄道まで通っていたらしいがそれも過去の話。
- 栃尾鉄道(栃鉄)ね。一旦見附方面へ出て長岡駅へ向かう路線。
- 旧栃尾駅はバスターミナルとなった。
- 栃尾鉄道(栃鉄)ね。一旦見附方面へ出て長岡駅へ向かう路線。
- 昔は3万人の人口があったが今の栃尾地域は2万人を切っている。
- 一応、国道290号線から252号線経由で福島へ行く事が可能(夏季の間のみ)。そのためにここを通過するドライバーも多少はいる。
- この辺から青苧が道端に目立ち始める。これを糸にしようと思った昔の人はすごい
- 上杉謙信の旗揚げはここ。
- 「トチオンガー」というヒーローが最近話題になった。その正体は豆腐(油揚げ)屋である。
- その店は国道351号沿いにある。
- 十数年前まで栃尾にはTSUTAYAや書店なんかもあったが今はもう…
- 合併と共に警察署も無くなった。
- コンビニがかなり少なく、セブンイレブンが2店舗しかない。あとYショップが1店舗。
- 秋葉大権現を祀る神社がある。
- 秋葉大権現というと徳川一門が地元の神様として全国に広めたために遠州秋葉山の秋葉神社が有名だが、江戸時代の裁定で、あっちは「今の根本」と定義されているのに対し、こっちはより元祖・本家感の強い「古来の根本」と定義されている。
- ほだれ祭という奇祭がある。
- ルーツになるお祭りは江戸時代にあったらしいが、今みたいなのになったのは昭和末期。目的は過疎化対策らしい……
- 過疎化対策ねぇ…… 意味深やね……
- ルーツになるお祭りは江戸時代にあったらしいが、今みたいなのになったのは昭和末期。目的は過疎化対策らしい……
- 小京都感がある。古い町並みは残っていないが、湧き水は豊富で山に囲まれ、冬は寒い。
- 雁木通りの街並みは小京都とは違うけど、味がある。
- 常安寺は上杉謙信が創建した寺院。
- 一度は上杉家について、会津若松、ついで米沢へ寺ごと移るも元禄14年に当地に帰ってきた。
- 奥の院は総欅造り。越後のミケランジェロこと石川雲蝶と熊谷源太郎の2人が8年間の歳月をかけて彫った和様と唐様の折衷式で土台から破風まで彫刻で埋め尽くされている。彫刻具合が素晴らしすぎて長岡市の文化財に指定されている。
小貫[編集 | ソースを編集]
- 阪神電鉄を創業した外山脩造は小貫の名家の出。
- 羽黒神社は源義経家臣の佐藤継信、忠信兄弟の母の乙和御前が2人の戦死を嘆き悲しんで建てた神社という伝承がある。
- 境内の庭園は外山脩造が私財を投じて造ったものらしい。というか羽黒神社を今の形にしたのも外山家だとか。
寺泊[編集 | ソースを編集]
- 佐渡までの航路が通じる港町。多分合併で長岡に編入された市町村の中では知名度はトップクラス。
- 新潟を巡るバスツアーの定番スポット。
- 昔は北前船の寄港地だった。ここの白山神社に当時の廻船が描かれた絵馬が奉納されてるらしい
- 実は新潟市と隣接しているのはここ。
- 大河津分水の河口がここ。でもその分水を由来とする分水町の合併先は燕市。
- 寺泊で売っているカニの殆どはロシア産である。
- だいたい本ズワイの地場ものがあの値段で買えるわけねーっつーの。
- 一応地場ものの魚もあるのだが、メジャー所が無いため、派手好きの観光客は素通りしてしまう。
- 観光客がベニズワイを本ズワイと混同して買うという、北陸ではお約束の光景も見られる。
- 山を背に寺が並ぶ良寛ゆかりの地の一つで、我孫子市と並び「北の鎌倉」とも言われる。佐渡の金を江戸に運ぶ際の荷降ろしの地でもあるためか、かつてはそのように呼ばれていた。
- 「野積ドリームランド」、開園から数年で潰れて近場に広告だけが残っているという皮肉…。
与板[編集 | ソースを編集]
- 新潟中越地震直後に、長岡から新潟方面に抜けるルートとして通った人も多い…はず。(規制があまりない国道が通っていたため)
- 素直に「よいた」と読めるのだが、なんだか素直に読む気がしない地名。
- 何故に?
- 昔、「与板見附新潟を逆さから読んでみろ」というのが流行った影響もあるのではないか
- 「よいたみつけにいがた」・・・・・・・ほほーっ、なるほど
- そのセリフが流行った記憶はないが、相手によっては望ましい場合も…。
- 「よいたみつけにいがた」・・・・・・・ほほーっ、なるほど
- 2009年大河ドラマの主人公直江兼続ゆかりの地。
- しかし直江兼続は春日山城下にいる事が多かった為、与板には殆どいなかった。むしろ↓の井伊家の方が地元民に認識されている。
- 地元では大河ドラマに向けて盛り上がりを見せている。
- が、北銀前の看板も撤去された。
- 江戸時代前期には長岡藩と同様に牧野家、中~後期に井伊家(彦根藩の井伊家の別流)が治めていた。
- その流れで、井伊直政が神君伊賀越えの功績で徳川家康より下賜されたという孔雀の陣羽織(孔雀尾具足陣羽織)が町の歴史民俗資料館にて展示されている。
- 与板藩井伊家の存在を知らなかった私は、その話を聞いたとき、なんで越後平野の縁にある小さな町に、そんなもんが流れ着いたのかと思った。
- その流れで、井伊直政が神君伊賀越えの功績で徳川家康より下賜されたという孔雀の陣羽織(孔雀尾具足陣羽織)が町の歴史民俗資料館にて展示されている。
- とりあえず打ち刃物製造と大判焼が有名。
- 与板大仏が多少話題に。
- 新潟に二つある小京都の一つ
- 浄土真宗西本願寺派の新潟別院があるため
- ちなみに加茂が北越の小京都なら与板は越後(新潟)の小京都と(正式には)言われてる。何かしらの区別があったらしい
- …なんだけど、小京都の名前で期待して観光とかに来ても、名所旧跡とかは無いのでがっかりする。
- 徳昌寺や社殿に小林源太郎の彫刻がされてる都野神社には行ったかい?まぁ色々目立って観光地化されてないし、良寛に興味ないとつまらんし、総合案内サイトだとか案内看板もないからわかり辛いものね。せめて越後交通寺泊線が(跡でも、または月潟駅みたいに往時の面影を醸し出してみるとか)残っていれば風情があったろうに。あとは上に書いてある与板大仏をもう一度作るとか、与板出身の三輪晁勢の絵を一所に集めて常設とか、色々…
- なぜか本与板城と与板城の二つ山城跡がある。
- お隣の燕市分水ほどではないが良寛さんの歌碑が沢山
和島[編集 | ソースを編集]
- モー娘。久住小春の出身地。
- 例の人は、テレビ東京系のアニメ・「きらりん☆レボリューション」に出演したのだが、それに気付かない新潟県民も少なくない。(by.東京都民)
- 良寛和尚の終焉の地。モー娘。の久住が出る前は、この人が和島の有名人だった。
- ドラマ化もされた漫画「夏子の酒」のモデルとなった久須美酒造もここ。
- 亀乃翁旨いけど高いよ亀乃翁
- 和島は久住性が多いイメージがある。
川口[編集 | ソースを編集]
- 関連項目
- 中越地震で震度7を記録するも発表の遅れで小千谷十日町に話題をもっていかれた不運の町。
- 震災のおかげで町の財政はボロボロ。そのため長岡市に合併してもらいたかったが、間に小千谷市が挟まっているため合併できず今に至る。
- 小千谷市と一緒に長岡に合併してもらいたいという声もいまだ根強い。
- 2008年を目処に長岡との飛地合併を予定しているとか。
- 2009年3月31日、長岡市と合併。
- 「新潟/魚沼」のテンプレではなぜか長岡と隣接している。
- 何とか直した。
- 小千谷市と一緒に長岡に合併してもらいたいという声もいまだ根強い。
- 震災のおかげで町の財政はボロボロ。そのため長岡市に合併してもらいたかったが、間に小千谷市が挟まっているため合併できず今に至る。
- 高速バス利用者にとっては「越後川口サービスエリア」で知られる。
- 関越自動車道上り「越後川口SA」のレストランは「カンコー」(田中角栄系)がやっている。一方、下り「越後川口SA」は「高崎弁当ーたかべんー」(中曽根康弘系)。つまりは“政治”というわけ。
- テレビドラマ「高校教師」の最終回のロケに使われた駅は越後川口駅。
- 魚野川にかかる新しい橋建設中。
- 地元地銀の大光銀行の支店があるが名前はなぜか「越後川口支店」。「川口支店」は県外の埼玉県川口市にある。
- 川口市に支店があるのは、昔積極的に県外に進出して営業していた頃の名残。
- 道の駅も川口市に先を越されたためか「越後川口」を名乗っている。