長崎屋

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長崎屋の噂[編集 | ソースを編集]

こんなことになるとは…
今はなき瓢箪山店
  1. 平塚で創業された事は案外知られていない。
    • ごめん、平壌と読み間違えた。
  2. モータリゼーションを全く考慮しない事業展開をした結果、負け組中の負け組になってしまった。
    • 某所では巨大な駐車スペースを持つ(しかもその上駅のドまん前)ショッピングセンターのキーテナントになり、地元系スーパーを3店舗ほど潰した。
    • ダイエー西友ニチイも同類。ワンマン経営も共通。
  3. サンバード
    • 5・4・3・2・1…とカウントダウンしたりはしない。
    • そりゃ「サンダーバード」だ。長崎屋のプライベートブランドですな。
      • 「サンバード」という名称自体「サンダーバード」を意識したのだろうか…。
    • 初めて「サンダーバード」という名前を聞いた時、真っ先に長崎屋を思い出してしまった。
    • 店の電話番号も「3810」でサンバードを強調。
    • 同じマークの衣料品店のほうは残っていたりする。
  4. 「長崎屋のサンバード」の歌は、「祖師谷ーズ」のテーマソングでもある。
    • ♪サン、サン、サンバード~ 長崎屋~のサンバード~♪
  5. どっかの店舗で火災が起きた。
    • 尼崎市ね。倒産の遠因になったとも言われるけど。
    • 本社ビルも失った。自分に関係のない話だがこれを知ったとき桃鉄で新本社ビルを手放した時の秘書のような悲しみを感じた。
      • 本社を火事でなくしたというのは痛いね。さらにこれで色々風評被害も出て、質も悪化して客も来ない・・・って、マイカルダイエーとやはり似ている。
        • その火災は、ニチイが入っていた大阪千日デパート火災、後にダイエーとなった熊本太洋デパート火災から15年以上経っていたのだが。
  6. 広島にはスーパーマーケットのスパークの関連会社で、同名の高級食料品専門店があるが、資本関係は全くない。
    • 京都には片仮名で「ナガサキヤ」というお菓子メーカーがあったがこちらも無関係。こちらも後に倒産した。
  7. 北海道一部地方では「長屋」と略される。
  8. ドン・キホーテに買収された
    • 近所の長崎屋がドンキになったが、ここを見るまでまさか本体ごと買収されていたとは気づかなかった。
    • 本社の移転した本八幡店は業態転換しないであろう。すぐ近くに第一家電から転換したピカソがあるため。
      • 本八幡店、1階と地下はまずまずお客が入っている(バスの時間待ちも含め)が、2階~3階の衣料品はどう見ても不採算だね。昭和の時代そのままの雰囲気ですな。懐かしい&悲しい・・・(by下記15.の投稿者)
      • とうとう本八幡店もドンキになってしまいました。合掌。
    • 荒川沖店もおそらく安泰と思われる。っつか、せっかくスーパーとしてそこそこ客入ってるのにディスカウント店化したらかのジョイフル本田に潰されること間違いないし。
      • メガドンキ化後2015年1月にそれが現実になってしまった。
    • 浦和店はあの火災があった店から300メートル位しか離れていない場所にある。
    • ただ、ドンキのイメージがあまりにも×××だったので、これによって地方の年配客を中心に離れた人もいると思われる。
    • だがドンキに転換した店舗は大半が(法人としての)長崎屋が運営していたりする。
      • 長崎屋運営のドンキはロゴマークが残されていたりと所々に名残を見かけることがある。
    • 八戸の長崎屋にもドンキが入った。でも、屋上の看板は長崎屋の『N』マークのままだ。
    • 現在ではドンキのPBである情熱価格も取り扱っている。
  9. 長崎屋といったら十条。十条といったら長崎屋。
  10. 元ふとん屋。
  11. 熊谷(消滅)・・・鴻巣(メガドンキ化)・・・僕の思い出がまた消えてゆく・・・(ただし前を通っただけの思い出)
    • 北鴻巣店の建物のやつれ具合とトイレの便器が伊奈製陶(ina)製というところに奥ゆかしさを感じたのだが。
      • あと非常誘導灯が色あせて青っぽくなってたような気もした。
      • 吹き抜けでは色々な催し物をやっていて、段差の無いエスカレータからの眺めも荘厳だったのだが…今じゃ単なる陳列スペースの一つでしかなくてレイアウトも味気ない。フードコートも無くなってしまったし…
  12. クレしんの映画ヤキニクロードの中で長崎屋っぽい看板が見えたりする。
  13. 自分が小学生の時大阪の千林にもあったけど20年以上前につぶれた。今はその場所がパチンコ屋。
    • 千林のほかにも京阪沿線では寝屋川や枚方にもあったけど全部なくなった。いまや大阪で残ってるのは瓢箪山くらい。
      • 瓢箪山店は閉鎖。関西圏では弁天町のドンキと岸和田の長崎屋だけ。兵庫県以西は全面撤退。
        • だって、他と同じ商品でも、こっちのほうが高いんだもん。
    • 京都の繁華街、四条通に面した場所にも堂々と店舗を構えていた。
  14. シンボルマークが漢字の「瓦」に見えるのは自分だけか?。
    • 私には「凡」に見える。
    • 因みにあのマークは鳩をモチーフにしているらしい。真ん中にある点が目。
      • そう言えばスーパーのシンボルマークって鳩が多いような…。ニチイやイトーヨーカドーも鳩がシンボルだし。
  15. 昭和40年代が最も栄えていたのではないか?本物のデパートが無かったので長崎屋が「デパート」だと信じていた。だってお好み食堂でお子様ランチもあったし。(by神奈川県A市出身)
    • 昔のスーパーは最上階にレストランがあり、屋上に遊園地があるのが普通だった。
    • 長崎屋ではないが、近くのニチイに「ショッピングデパート」と書かれていて、スーパーではなく百貨店だと信じていた。
  16. 2012年12月現在、残り9店舗(うち4店舗が北海道)。風前の灯…。
    • 北海道・東北・新潟はかなりあったのに。
    • 2017年現在小樽・室蘭・帯広・中標津・八戸・勝田・岸和田・高知にしかない。
  17. ほとんど知られていないが、サンクスは元々ここの系列だった。
    • 正直ドン・キホーテよりサークルKが引き取った方が(ry
      • 親会社のユニーも衣料品が出自だし、ぴったりだったかもしれないね。
      • 結局ユニー(ファミリーマートに買収されたけど)とドンキが提携して、なんやかんやでユニーと長崎屋は一緒になりそうだが…。
    • サンクスの「サン」はサンバードの「サン」であった。
  18. 品揃えはどちらかと言えば衣料品が中心で、食料品を扱っていない店舗も多かった。他のスーパーではあまり扱っていなかった呉服も扱っていた。
    • 食料品は他社に委託する店舗も多かった。
  19. 倒産する前は「Big-Off」なる、まるで現親会社のようなディスカウント店舗も展開していた。
    • ちなみに尼崎で火災事件を起こした店舗はBig-Offだった。
    • いわばダイエーで言う「トポス」みたいなものかな。
  20. 今はなき和歌山店は1971年に開店した当初は当時ブームだったボウリング場があった
    • CITY!WAKAYAMAになった後もずっとあったが、2016年、ボウリング場閉鎖...
      • なお、↑の商業施設はもはや店舗が松源(地元スーパー)しかないも同然。さながら「紀州のピエリ守山」である。
  21. 創業者は岩田氏。創業以来倒産するまでずっと岩田氏の独裁政権だった。
  22. 長崎市はおろか長崎県へ進出したことがない。
  23. 平塚市創業とあって店内の消火器は相模川対岸の茅ヶ崎市に本社を置く宮田工業(現・モリタミヤタ)製。

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