阪急京都線の車両
現役車両[編集 | ソースを編集]
3300系[編集 | ソースを編集]

- 40年選手だが、今なお京都線ではかなりの勢力を維持している。
- しかも本来の使命ともいえる地下鉄堺筋線乗り入れに現在も運用されている。
- 2012年現在、廃車は1両も無い。
- 2014年から廃車が始まったが、登場から47年間も1両も廃車がなかった方が奇跡。編成単位では2016年3月の3320Fから廃車が始まった。
- ぞろ目車番「3333」が存在する。
- 3309編成にありますね。
- この編成には下記の3956号車も組み込まれている。
- 3309編成にありますね。
- 発車及び停車時にモータが爆音を発する。
- 地下駅では特によく響く。市交66系と同時発車するとやかましいことこの上ない。
- 66系がトレブリーな“耳痛系”の爆音なのに対し3300系はロー~ミッドが豊かで“耳で聞く”というより“身体で感じる”爆音。どちらにしてもやかましいのは変わらないが。
- せめて添加励磁制御化改造でも出来なかったものだろうか。
- 66系がトレブリーな“耳痛系”の爆音なのに対し3300系はロー~ミッドが豊かで“耳で聞く”というより“身体で感じる”爆音。どちらにしてもやかましいのは変わらないが。
- これに対しかつての乗り入れ相手だった大阪市60系は乗り心地は悪かったもののモーター音は静かだった。
- 地下駅では特によく響く。市交66系と同時発車するとやかましいことこの上ない。
- 冷房化前は前面の車掌側に手動の方向幕がついていたが、地下鉄乗り入れ時にしか使用されず、阪急線内で運用される時は標識板を掲げていた。
- 5300系も同様。こちらは中間に挟まった先頭車に現存している。
- 冷房改造は大阪市交との絡みで最後に施工されたが、その代わり全車両が冷房改造と同時に方向幕が装備され、補助送風機としてスイープファンも付くなど当時新造されていた7000系と同レベルになった。
- 本系列の冷房改造完了(1986年3月)で阪急は大手私鉄では2番目に冷房化率100%を達成した。
- あくまでも自社車両でのこと。乗り入れ車も含めると大阪市60系の非冷房車引退を待つ必要があった。
- 本系列の冷房改造完了(1986年3月)で阪急は大手私鉄では2番目に冷房化率100%を達成した。
- 3950形は阪急では最後の非冷房車でなおかつ阪急唯一の冷房準備車として製造された。
- 登場時既に5300系が登場していたため、それに準じた仕様になっていた。そのため車体断面が他の3300系と異なる。
- 非冷房時代は屋根のモニターが他の3300系と比べて少し高かった。
- 3950形は昭和54年製造のはずだが、3956号車には何故か「ナニワ工機 昭和42年」の銘板が車内についている。
- 番号的に3000/3100系の京都線verと誤解されがちだが、実際は5000系の京都線verといっていい。
- 実質中間車として使用されている車両のほとんどがいわゆる“運転台撤去車”である。
- そのため連結部に立席スペースがやたらと多い。ちょっとした車掌気分を味わえるせいかお子様には結構人気がある模様。
- 3350・3850形の90番台Mc車は(3300・3400形)の電装解除車。
- 電装解除された当初は元の車番のままだったが、冷房改造と同時に改番された。
5300系[編集 | ソースを編集]


- 5100系の京都線バージョン。地下鉄堺筋線乗り入れのため寸法は3300系と同じ。
- 前期タイプと後期タイプで冷房装置が異なる。
- 編成内で混在していることも多い。
- 後期製造車は神宝線の6000系や京都線特急車の6300系と同世代だが、堺筋線乗り入れの関係かワンハンドル運転台や電動式方向幕は採用されなかった。
- 登場から暫くは堺筋線乗り入れを行わず、1979年の堺筋急行運転開始の時から乗り入れるようになった。
- 8連だったため、普通での堺筋線乗り入れは平成になってから。
- 天下茶屋延長前後には6連での普通乗り入れも見られた。
- 当初は3300系と同じく前面に手動の方向幕がついていた。
- 現在も中間に組み込まれている先頭車には残っている。
- 現在は全編成電動式方向幕の設置は完了しているが施工時期により大型幕のものと小型幕のものとがある。8連は全て大型幕だが7連は5301Fと5311Fが大型幕で他は小型幕。
- 手動方向幕は原則、堺筋線直通の運用のみで使用されていた。本線運用では方向幕は空白表示にし、行先票を用いていた。
- 例えば梅田発河原町行き急行の場合、“急/河原町”の方向幕は使用せず空白表示にして急行用の行先票を用いていた。側面の行灯は“急行”のみ点灯。
- 堺筋線直通の急行の場合は「堺筋 急行」と行灯が点灯していた。
- 梅千直通の場合、梅田、北千里の方向幕はせず空白表示にして行先票(緑のアレ)を用いていた。
- ただしごくまれに行先票の都合がつかなかった場合等、例外的に本線運用で方向幕を使用したケースもあった。
- だから「梅田」も入っていたらしい(何かの本で見た)。
- 例えば梅田発河原町行き急行の場合、“急/河原町”の方向幕は使用せず空白表示にして急行用の行先票を用いていた。側面の行灯は“急行”のみ点灯。
- 手動の方向幕は最初は白地に黒文字だったが、天下茶屋延長を機にローマ字入りの黒字に白文字に変更された。とはいえこれと前後して電動式方向幕の取り付けが始まったのでこれが見られたのはごく短期間だった。
- 阪急の車両としては初めて電気指令式ブレーキを採用した。但しワンハンドルマスコンは採用されなかったため、電気指令式ブレーキの車両としては唯一2ハンドル運転台となっている。
- 最後に製造された5890号車はスイープファンを装備するため、他車と車内天井が異なる。
- 同様の形態は6300系6330Fや7000系7010Fにも見られたが、前者は廃車、後者はリニューアルされたため現存するのはこの車両のみ。
- 外観もクーラーが少し中央に寄っている。
- 実は一時期電機子チョッパ制御の試験車が存在したことがある。
- 5863号車。この車両での試験終了後編成としての実用試験車2200系が登場した。
- 阪急京都線初のTD平行カルダン駆動方式車両。
- 京都線車両はこれまで車番の末尾が1から始まっていたが、本系列より神宝線と同じく0から始まるようになった。
- 2019年に入ってとうとう廃車が発生(写真の5306F)。先輩3300系がまだまだ生き残っているのに。
- 物持ちの良い阪急だからそう思うのだろうが、よく考えると登場から45年以上が経過している。他社なら廃車になっていて然るべきだろう。
6300系[編集 | ソースを編集]


- 2010年2月、ついに6300系が京都線特急から引退したが、今から思えば阪急最後の正統派特急車だった。後継車の9300系は3扉で外観も神宝線通勤車の9000系とあまり変わらないので特急車という感じがしない。
- 京阪間の各線で2扉転換クロスシート車が運行されていた時代が懐かしい。
- 2011年春、6両編成が京風にリニューアルされる予定。
- 京町家をイメージした車内は、京阪特急にも引けを取らないレベルの内装となっている。
- 勿論特別料金は不要。
- JR九州とかだったら間違いなく特急料金や座席指定料金をとられるレベルだな。
- 車内の照明も電球色の蛍光灯を使っている。
- 勿論特別料金は不要。
- このリニューアルで、6300系が特急よりも上の種別「快速特急」として再び京都線を走る事になった(土・休日限定だが)。
- 引退からわずか1年ちょっとで復活するとは…。
- しかも快速特急は淡路~桂間ノンストップ。
- 阪急はまだ6300系の事を見捨ててはいなかったのである。
- 京阪旧3000系と同様、関係者の思い入れが強かったのだと思われる。
- 定期運用のない平日などには団体臨時列車に運用されることもある。そのため車内には座席番号が付されている。
- リニューアルされた。通称「京とれいん」
- 車内の化粧板は阪急の車両としては珍しくマホガニーの木目模様ではない。ドアは黒っぽい木目模様。
- 京とれいんデビュー当時の鉄道誌などを見てみると、どうやら2011年3月11日にもお披露目会をやっていたらしい。(直後に日本が大変なことになるとは…)
- 京町家をイメージした車内は、京阪特急にも引けを取らないレベルの内装となっている。
- シートがフカフカで凄く座り心地が良かった。
- でも横幅は現在の水準からすると少し狭かった。
- 阪急一の花形車両だったのも今は昔。
- 停車駅が増え始めた辺りから、6300系の存在感も薄くなっていった様な気がする。
- それでも長年、京都線ユーザーに至上の優越感をもたらした車両であることは間違いない。
- デビューから本線特急引退まで、十三~中津間で淀川を渡る際に神宝線の乗客がこの車両を羨ましげに見上げるシーンはおなじみだった。
- 特別料金不要なのにもかかわらず、車内には公衆電話が設置されていた。
- これに刺激されたのか、京阪8000系は当初から公衆電話装備で登場した。もっとも現在は撤去されているが。
- 末期は公衆電話があるのに携帯電話オフ車両というかなり謎な状態になっていた。
- その公衆電話は8連運用終了まで撤去されずに残っていた。
- 果たして使用する人がいたのか…?
- シルバーの帯がトレードマーク。
- トレードマークはやはり白ハチマキだろう。かつては6300系しか纏っていなかった塗装だ。
- 後に他系列にも白ハチマキは波及したけど、8000系/9000系以外はステンレスの飾り板が付けられていないのでどうもサマになってない気がする。
- 白ハチマキは実はスイスの登山電車を参考にしたらしい。
- 前面貫通路の周りもシルバーになっているが、こちらは8000・9000系列でも採用された。
- トレードマークはやはり白ハチマキだろう。かつては6300系しか纏っていなかった塗装だ。
- 1編成だけ界磁チョッパ制御車(7300系と同じ制御装置)がいた。
- 6330F。6300系他の編成よりも遅い1983年製造だったが、皮肉にも他の編成より早く廃車されてしまった。
- 車齢が若い上に錆びないアルミ車体だったのにも関わらず早死してしまったのだが、やっぱり制御装置&WN駆動という独自の構造が引き金だったのか…
- この編成だけ両端がMc車(他はTc車)。さらに車内の作りも他の編成と少し異なっていた。特に連結面の引き戸は阪急では初めて大型ガラスを採用した。
- これを京とれいん編成に改造していたら、115km/h運転も出来たかと思うと勿体無かったなぁ。
- 「京とれいん」の構想がもっと早くに出ていたら間違いなくこれが改造されていただろう。
- これを京とれいん編成に改造していたら、115km/h運転も出来たかと思うと勿体無かったなぁ。
- 6330F。6300系他の編成よりも遅い1983年製造だったが、皮肉にも他の編成より早く廃車されてしまった。
- 京阪旧3000系と同様、最後まで3扉化やオールロングシート化は行われなかった。
- あらゆる意味で京阪旧3000系と比較される本系列であるが、大半の車両が1990年代前半に引退した旧3000系とは対照的にこちらは2000年代後半になっても特急運用を続けた。そうこうしているうちに特急の停車駅が増加し2扉では運用が苦しくなって3扉の9300系で置き換えられた。
- 8連時代は原則として特急専用だったが朝ラッシュ時には長岡天神・桂→河原町の普通運用に入ったりしていたほか、たまに急行(現在の快速急行)に運用されることもあった。
- 3編成が4両編成に短縮されて嵐山線に転用された。
- とはいっても単なる転用ではなく、車内は徹底的にリニューアルされた。座席はクロスシートが9300系と同じものに交換されたが1-2の3列配置。
- リニューアル前は小石模様の床敷物を使っていたが、実は白とオレンジの2種類の色が存在した。
- トップナンバーの6350×6両はほぼ原型のまま正雀車庫の奥で眠っているが、果たして再起することはあるのだろうか?
- 2016年に大阪方先頭車の6350を除いて解体されたそうです…。噂によれば部品確保用だったとか。
- 寸法は全阪急車両の中でも最大。
- 車体幅は京都線仕様(2850mm)で全長は神宝線と同じ(19000mm)ため。
- そのため堺筋線には乗り入れられない。
- 十三のホームドア導入決定でついに京とれいん編成にも死刑求刑の予感が…
- ただし、列車を存続させるのであれば十三通過にすれば問題ない。
- 7000系仕様も運用追加でこの仕様は通過で対応予定。
- 2019年1月のダイヤ変更で京とれいん用編成は「快速特急A 十三通過」なる種別に抜擢へ。
- 7000系仕様も運用追加でこの仕様は通過で対応予定。
- ただし、列車を存続させるのであれば十三通過にすれば問題ない。
- 8連時代にはドア脇に補助椅子が付いていたが、ラッシュ時に使うロック機能は最終の6330Fにしかなかった。
9300系[編集 | ソースを編集]


- 6300系の後継車両。
- 早い話が6300系を引退に追いやった車両。
- なので、6300系好きな方々からは嫌われているらしい。
- でもその6300系は京とれいんで頑張っている。
- 嵐山線の方向板車を廃車に追いやった張本人でもある。
- 確かに6300系よりは座席数が少なくなってるからな…。
- なので、6300系好きな方々からは嫌われているらしい。
- 早い話が6300系を引退に追いやった車両。
- JRの新快速と同じ3扉転換クロス車だが、内装はJRの車両など問題にならない位の豪華を誇る。
- 「京都線の特急用車両=2扉オール転換クロス」という常識を覆した車両。
- 座り心地の良いシート、間接照明、自動の貫通路扉などなど、その設備はJRの下手な特急よりも良い。
- それでも京阪特急の車両には敵わないが…。
- 意外とシートピッチは京阪8000系やJR223系よりも広い95cmもある。特別料金不要の車両としては破格の広さ。
- そしてこの車両もあの「A-train」がベースだったりする。
- この車両の欠点は「前向きで人と向かい合わないシート」が1両あたり8カ所しかない事である。6300系の頃は26カ所だったから、3分の1以下。JRや京阪の3扉車と比べても少なすぎる。内装云々は新車なら当たり前の事なので、この欠点の方ばかりが大変目立ち、結果としてさんざんな酷評を浴び続けながら、今日も9300系は走り続けるのであった。
- 阪神9300系並びに8000系リニューアル車も同じ。
- この座席配置は見知らぬ人と向かい合わせになる確率が高い。JR223系でも向かい合わせの席に座ってしまうことがよくある。
- 実は座席モケットはアンゴラ山羊の毛を使ったゴールデンオリーブではない。阪急の車両としては異例。
- そのためか座り心地も阪急としては固い。
- 1次車と2次車のみ、方向幕が幕式になっている。
- 側窓の天地寸法も以後の車両と比較してやや大きい。
- 車内の案内表示機も1・2次車はLEDで3次車以降がLCD2画面。
- 3次車のLCDは方向幕に準じたフォントになっている。
- 鉄道の日にデビューした。
- どう考えても狙ったとしか…。
- 一部の車端部に設置されたロングシートについては賛否両論。
- 需要の変化を考えると仕方がない様な気もするのだが。
- 何気に、堺筋線に入れるような装備がちょっとだけされてたりする(無線切換スイッチが第1~5編成に搭載)。寸法もおk。
- この車両を使用して関空アクセス用の堺筋線直通特急を走らせる計画があったため。だが大阪市交がクロスシート車の乗り入れを頑なに拒否しているので、この車両による関空アクセス特急計画はお流れになってしまった。
- 似たような車両が京阪にも登場した。
- ここも側窓がそっくりの車両を投入した。
- 実は梅田寄りに2両を増結できる仕様になっている。
- 登場時には7300系2両を増結した10両編成の運用もあったが、現在は行われていない。
- 1次車(9300F)のみ前照灯周りが他の編成と異なる。
- それ以外にも車内の仕様(連結面の貫通引き戸の窓の形状など)が一部異なっている。
- 京阪8000系がプレミアムカーを連結したが、その成否次第でこれにも…?
- 車内Wi-Fiは付くようになった。
- 液晶がよく故障している。
- 平日の特急・通勤特急の梅田方から5両目は女性専用車両。((停車駅が然程変わらない)快速急行と土休日ダイヤにも導入しろ!)
- いらない。むしろ「全廃しろ!」。フェミニズムなどというヤクザ集団がいなければ、こんな意味のない制度に端から用は無い。
- なんか有料座席指定サービスを始めるらしい。
過去の車両[編集 | ソースを編集]
新京阪鉄道P-6形[編集 | ソースを編集]

- 元はと言えば対岸の会社が今の京都線を立ち上げた時に造られた車両。
- 国鉄燕号をブチ抜いた伝説を作った電車。
- 果ては名古屋まで計画もあった為、長距離運行も意識した設計になっていた。
- 昭和初期としては破格の今でも通用する寸法(というか、今の京都線の規格と似たりよったり)と重量のため、さほど改造することもなく昭和も末期に差しかかるころまでのかなりの期間にわたって運行できた。
- 現在は116号車が正雀車庫に動態保存されている。イベント時には車庫内で運転が行われるが営業運転でも実現しなかった900系900号車との連結も見られる。
- 他に101号車の運転台部分も同じ正雀車庫に保存されている。
- 200馬力級の電動機で50トンの重厚長大な車体を引っ張っていた。日本最初の本格的インターアーバン電車である。
- そのおかげで、新幹線軌道地盤の足固め役も兼ねていたらしい。
- 阪急になってから作られた1550型という中間車も存在したが、車体スタイルは920系に似ていたため、他の100系とは異なっていた。
200系[編集 | ソースを編集]
- 京都線が京阪電鉄だった時代に製造された車両。
- 外観は京阪線の旧1000形の流れを汲んだ流線型が特徴だった。阪急では珍しい流線型の車両。
- 座席がふかふかだったらしい。
210系[編集 | ソースを編集]
- 電動貨車の機器を流用して新造された小型車用で、610系の京都線版と言った感じだった。
- 前面は610系トップナンバーと同じく非貫通3枚窓だったが、窓がHゴム支持となっている点が異なっていた。
- それ故3両1編成しか存在しなかった。
- 廃車後先頭車は広島電鉄に譲渡され、宮島線で運用されていた。
700系[編集 | ソースを編集]
- 戦後の復興期に作られた規格形電車。
- そのため、側窓は阪急としては珍しい2段窓だった。
- 同時期に同じ京阪神急行によって製造された京阪1300系と酷似していた。
- 末期は京阪時代に製造された初代1300型を改造した中間車を組み込んでいたが、デザインが全く異なっていた。
710系[編集 | ソースを編集]
- 810系の京都線版。
- 登場時は窓枠がマルーンに塗装されていたなど微妙な違いがあった。
1300系[編集 | ソースを編集]
- 1010・1100系の京都線版。
- こちらも片開き扉を持つ最終形式であった。
- 格下げ後は阪急最大の歯車比を誇っていた。
- そのためか、冷房化された1970年代以後は京都線ではなく千里線や嵐山線で運用されていた。
- 編成替えの過程で余剰となった一部の中間車は宝塚線に転出し、1200系に組み込まれていた。
- こちらも2300系登場後の1961年まで製造されたが、1010・1100系と異なり前面窓と連結面の窓には全てHゴムが付いている。
2300系[編集 | ソースを編集]

- 神戸線2000系の姉妹車両。
- 神戸線2000系は能勢電鉄に譲渡されているがこちらは現在も阪急で現役。
- 2000系とは異なりこちらは行先表示器の取り付けなどの更新工事が行われた。
- 当初は定速制御などを備え「人工頭脳電車」などと言われたが冷房改造の際7300系と同じ制御装置に更新された。
- 2000系と異なり回生ブレーキは残された。
- 1両だけAFEチョッパ車が存在していた。
- 東武9000系や20000系と同じ方式だが東武以外ではこの1両だけだった。既に廃車されている。
- 2012年現在最も古い車両で製造後50年が経過している。
- 実は一時期神戸線で運用されたことがあり、山陽電鉄の須磨浦公園駅にも入線している。
- 車体幅は神宝線車両と同じなのでそれが活かせた。3300系以降の京都線車両よりは狭かったため後にドアステップが取り付けられ神宝線への乗り入れはできなくなった。
- 阪急としては東海道新幹線の仮線を走った最後に残った車両になる。
- 2301-2352は2000・2300系のトップナンバーだからということか、正雀で保存されている。だが雨ざらしになっているためかかなりボロボロになっている。
正雀車庫に保存されている2352号車 - 2000系の2050号車は六甲駅の事故で廃車になったので…。
- 最近化粧直しされ綺麗になったが、車籍は抹消されてしまったので本線走行はできない。
- 1960年製造の2301-2351と2302-2352のみ側扉が2000系初期車と同じ合わせ目の縦の銀帯がなく窓枠が太いタイプ。
- 他に2311号車の先頭部が三田市内の民家に保存されている。
- かつては、最後まで顔面整形されてない方向板の車が嵐山線で活躍していた。
- コンプレッサーはD-3-NHAを搭載していた。今はのせでんに乗らないと聞けない。
- 遂に全面引退が公式に宣告…。
- 1960年登場なので55年間活躍したことに。まさに大往生。
- 何気に製造時期をはじめ最後まで残ったのが支線区ではなく本線の7両編成だったこと、最後まで回生ブレーキが活用されたことなど対岸の会社のこの系列と境遇が似ているように思う。
- 1960年登場なので55年間活躍したことに。まさに大往生。
- 阪急で最後まで広幅貫通路が残った系列。
- 但し冷房化の時に2両に1ヶ所狭幅の引き戸付きに改造されている。
- かつてはドア開閉の時に発するドアエンジンの音がうるさかった。
- 後にやや静かな音のものに交換された。
- 2340・2390番台の中間車は同時期に製造された神宝線の3000系と同じくドア間の座席が短くドアエンジンも異なる。
- 冷房改造後は2800系の中間車を組み込んでいた編成もあった。
- T車だけでなくM車もあった。制御装置を撤去した2800系の中間M車のモーターを2300系の制御器で動かしていた。
- 冷房改造後の2300系は2800系との連結ができなくなったはずだが、モーターが同じなのでこのようなことができた。
- T車だけでなくM車もあった。制御装置を撤去した2800系の中間M車のモーターを2300系の制御器で動かしていた。
2800系[編集 | ソースを編集]
- 対岸の会社が新車を投入した事に刺激されて、2300系をベースに造った2扉クロスシート車。
- 但し京阪1900系とは異なり両開き扉を採用。両開き2扉セミクロスシート車という点では小田急2320形に次ぐものである。
- 転換クロスシート車に限定すれば日本初。
- ドア脇には補助椅子が設置されたが、何気に京阪よりも採用が早かった。
- 但し京阪1900系とは異なり両開き扉を採用。両開き2扉セミクロスシート車という点では小田急2320形に次ぐものである。
- しかしまた対岸の会社が冷房カラーテレビ搭載の新車を投入した事で、6300系に押し出される形で特急運用を追われた。
- その際に3扉ロングシート化改造されたのだが、これが後年老朽化を加速させてしまう命取りになってしまった。
- 特急車ゆえに走行距離が長かったことや、2300系と異なり制御装置が更新されていなかったことも要因。
- それ故2300系との併結はできないはずだが、全廃直前に2300系の中間M車として組み込まれていたことがある。
- その中間M車は制御装置が撤去され、2300系の制御装置で2両分を制御していた。モーターの機種が同じなのでできた芸当。
- それ故2300系との併結はできないはずだが、全廃直前に2300系の中間M車として組み込まれていたことがある。
- 阪急の車両としては最初に冷房改造されたが、他の車両とは異なり風洞の形状が逆さ富士型になっていた。
- 1973年製造の2891~2897は最初から冷房車として登場したが、早い車両ではわずか15年で廃車された。
- 色々たらい回しにされた挙句、兄貴分と言うべき2300系よりもあっさり早く全車廃車解体。
- 若干先輩である対岸の会社のが天寿を全うして引退したのとは対照的だった。
- 方向幕取り付けや内装更新も行われなかった。
- 実は一部の中間車が神戸線に配置されていたことがあり、5000系や5200系の中間車として組み込まれていた。
- さらにそのうちの1両は阪神大震災の後、震災で被災廃車となった車両の穴埋めのため暫定的に3000系のM車として利用されていた。
- 1995年のサヨナラ運転ではオール2800系の8連で神戸線への入線を果たしている。
- 5000・5200系に組み込まれて神戸高速線に入ったこともある。
- 1両が福知山市内で民家として使われていた。
- 実は富山地方鉄道へ譲渡される計画があったらしい。
- 実際にはロングシートだったため座席を調達する必要があった。その座席を調査したところ京阪旧3000系のものが見つかったことから計画が変更され、京阪旧3000系の方が譲渡されることになった。
- ほぼ本線特急での運用がメインだったが、実は試運転で高架駅時代の天神橋駅への入線実績がある。
- 2814Fのみは空気バネ台車を履いていた。
- 台車の構造は京阪1900系のそれと似ていた。
- 後で組み込まれた2884・2894号車はコイルばね台車で製造された。
- それが幸いして同編成は特急用として残った最後の編成となった。
- 側面の2連窓が阪急の車両としては異彩を放っていた。
- 格下げ後は中央の2連窓を潰して両開き扉を新設したため、その両側は戸袋窓になっていた。
- 8200系登場までは阪急の両開き扉の車両としては唯一の戸袋窓装備車両だった。
- 改造にあたっては同じように2連窓を持つ近鉄6431系(後の430系)も参考にしたらしい。
- 格下げ後は中央の2連窓を潰して両開き扉を新設したため、その両側は戸袋窓になっていた。
- 実は阪急初の界磁チョッパ制御車が含まれていた。
- 2847号車。
阪急電鉄 |
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