阪神タイガース/暗黒時代
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※暗黒時代の外国人選手についてはこちらへお願いします。
暗黒の17年間の噂[編集 | ソースを編集]
- 1992年に優勝を逃したのは「八木の幻のホームラン」のせいだと今でも主張する。
- その元凶はラッキーゾーンの撤去だったりして。
- 「あれが入ってたら、優勝してたかも…」
- 2015年にホームラン性の打球が「忍び返し」に当たった誤審でこの「八木の幻のホームラン」を思い出した人も。6時間26分の最長試合が終わった日からちょうど23周年だった。
- 抑えの田村勤が左ヒジ痛で離脱したのが激痛だった。
- 「中継ぎ課」「神のお告げ」「F1セブン」など、この時代の阪神を語る上でネタに欠かさない。
- この当時を知っているファンは、今でも「F1セブン」の7人が言える。
- 正確には「F1エイト」で赤星、藤本、沖原、上坂、平下、松田、高波、田中の8人だが、既に全員阪神を辞めている。
- ノムさんが田中秀太を入れ忘れてしまったので、「F1セブン」になってしまった。
- 川藤がコーチを2年間やっていたことを知っている。
- 守備走塁コーチって・・・。
- 川藤もアキレス腱断裂するまでは、俊足強肩の外野手として1軍の代走守備要員だった。
- ひどいノックだったらしい。
- 外野へと打ち上げたらスタンドイン→川藤「おら取りに行かんか!気合で!」
- 守備走塁コーチって・・・。
- オマリーと関川と野田が移籍先で大活躍。
- しかし、関川・久慈の代わりに獲得した矢野・大豊もチームに貢献。
- 矢野輝弘は暗黒時代から抜け出すのにも貢献した。
- 矢野が正捕手になったのもチームが後に強くなったきっかけの一つだった。
- 矢野が出て行って久慈が代わりに入った中日が突如優勝し、久慈がまた阪神に戻ったら突然阪神が優勝した。どっかの本では「不幸な矢野と幸運な久慈」と揶揄されていた。
- 矢野はグリーンウェルと同じ背番号を背負ってしまった。(背番号39)
- 矢野が移籍してきた当初、活躍できなかった時ファンに「関川返せ、久慈返せ!」と野次られたらしい。
- トレードされた当初は矢野はあまり期待されていなかったため、関川や久慈が出たことを恨めしく思ったものだが、最終的には矢野が一番活躍した。
- 大豊はそこそこ活躍したが、ノムさんと喧嘩して阪神から出て行った…。
- 矢野も関川も引退後はコーチとして迎えられたが、その手腕はお世辞にも上手とは言い難い。
- その矢野がのちに1軍監督に就任するほどチームに馴染めたのは大きかった。
- 矢野輝弘は暗黒時代から抜け出すのにも貢献した。
- 放出した選手は活躍するという嫌なジンクスがあった。
- 2000年代末から2010年代初頭にかけての「横浜を出る喜び」と似たようなものか……
- 00年代の優勝後も含め「出て行って活躍」と一口に言っても、ファン的に「逃がした魚は大きかった」「裏切られて悔しい」と「出て行って寂しいけど出世出来てよかったな」の正反対の2パターンある。当時の阪神は前者の方が目立ってしまった・・・。
- しかし、関川・久慈の代わりに獲得した矢野・大豊もチームに貢献。
- FAで獲った石嶺と山沖・・・。
- 松永も入れようや。
- 奴はトレードできてFAで出て行った。典型的な失敗トレード。
- 松永は日本のFA宣言者第1号。
- モミーは阪神好調時代に来たからか、阪神での成績があんまり良くなくても責める人は少ない。
- A井さんは・・・危ないな。
- 「優勝争いができるチームへ行きたい」、一応優勝争いはしているから、ある意味夢は叶っているのかw
- 結局、辛いさんは優勝も日シリでの出番もなくそこのファンを逆撫でした古巣に戻る事に
- 阪神に行く時の経緯が経緯だったので、古巣のファンは案の定彼が戻った当初反応に困ったようだった。
- 後には阪神時代が黒歴史のようになってしまった
- A井さんは・・・危ないな。
- 石嶺は衰えから外野の守備がしんどくなっていた。
- 山沖は阪神大震災後に怪我が悪化して一度もマウンドに立てなくて残念だった。
- 松永も入れようや。
- 「3連戦のうち1つくらいは勝つだろう」と思って3試合のチケットを取ったら、3試合とも完封負け。
- 阪神ファンのBUCK-TICKの樋口豊も経験したことがあった。
- 19時からの野球中継が始まったとき、既に先発投手は降板。
- 紳助が「阪神戦は18時から放送せえへんと先発投手が誰だかわからへん」と言ってたなあ。
- 後述するが、先発どころか敗戦処理まで7時の段階でKOされていたこともある。
- 4番の打率が2割5分・・・。
- 3番だけど、バースは86年に.389も打った(シーズン日本最高打率)。
- あのイチローよりも高いので、この当時を覚えているファンにとっては彼(バース)を誇りに思える。
- まあ、2000年のイチローは長期離脱さえなければ間違いなく記録更新していたんだろうけど。
- あのイチローよりも高いので、この当時を覚えているファンにとっては彼(バース)を誇りに思える。
- 一方で新庄と桧山が巨人の清原と年間三振数を競っていた時代も……
- 90年代後半だとシーズンで途中帰国する外国人選手のお約束ポジション。4年か5年くらい毎年のように帰ってしまってたと思う。
- 3番だけど、バースは86年に.389も打った(シーズン日本最高打率)。
- そういえば、たけし軍団にも負けたなあ。
- その翌日、日光猿軍団と試合させようや!とか冗談を言った思い出がある。これで本当に試合やって負けた日には・・・。
- ちなみにその翌年に阪神は2位になった
- 弁護すると、本来とは違うポジションを守ってた・・・というのもある。野手がピッチャーやったりとか。←弁護になってるかどうか微妙だけど。
- ダンカンいわく「帰りにブルペンをチラ見したら軟式球山積み。メッチャクチャ本気じゃねーかよ!と思った」だそうだ。まぁ選手が本来のポジション守ったら、いかに軟式でもたけし軍団ボロボロだったろうけど。
- 中野猛虎会会長職的にはどんな気分だったんだろう?
- スポーツ新聞は「阪神13位」とこの事象を報じた。むろん、PLや智辯和歌山にも負けるのではないか、と揶揄されていたときにも同じ表現が使われた。
- なおマスコミを中心に暗黒時代の阪神は「ダメ虎」と表現することが最も多かったと思われる。
- たけし軍団に負けた試合で監督をやったのは、当時まだ現役だった岡田彰布。あのとき、この試合から22年後、彼が文句なしの日本一監督になるとは、誰も想像していなかっただろう。
- 開幕戦は捨てゲーム、もしくは相手チームに対するボーナスステージ。
- とある年の開幕戦、1回の表先頭バッターがヒットを放ち、「今年は行ける!」と思ったが、その後一人のランナーも出せずにボロ負け。
- 和田がヒットを打つも、攻撃的2番の桧山がゲッツー、そのままパーフェクトでゲームセット。
- 1998年4月3日の横浜戦のことです。阪神は川村丈夫に1安打完封されました。(横浜、19年ぶりの開幕完封)
- 開幕戦の最多失点は17点(2001年ごろ)。でも巨人相手じゃ無理ないな…。
- とある年の開幕戦、1回の表先頭バッターがヒットを放ち、「今年は行ける!」と思ったが、その後一人のランナーも出せずにボロ負け。
- 一時阪神の選手はオールスターのファン投票で新庄だけでチームの9割超の投票を獲得していた
- そして2001年のオールスター投票では阪神の選手に1票も入らなかった
- 「1票も」はサスガにない。1人もファン投票で選ばれなかったって事でしょ?
- 新庄が一番辛かった試合は1997年の時、成績不振だったのにオールスターのファン投票で2位になって出場したオールスターゲームだった。セリーグ応援団から大バッシングを受けたから。
- チームの弱さは初期の楽天と良い勝負
- 2008・09年のベイスでもいいでしょう。
- その後の2年も90敗前後の戦績となり、遂に……となってしまったことを考えれば、まだ阪神のほうが良かった気がする。
- 暗黒時代の阪神より悲惨なのが2016年のオリックスである。(オープン戦、交流戦、二軍、一軍、全部最下位。もちろん、プロ野球史上初。)
- 2008・09年のベイスでもいいでしょう。
- 松井在籍時の巨人に「30点」取られて敗北した
- 2003年8月のオリックス-ダイエーによる1-29がセパ分裂後新記録だったことからも分かる通り、戦後に1試合30失点(得点)はないはずだが。
- 戦中なら阪急-南海で阪急が32得点やってるけど。
- 3連戦で計30失点ってっこと(2005年日本シリーズの33失点のように)?
- 2003年8月のオリックス-ダイエーによる1-29がセパ分裂後新記録だったことからも分かる通り、戦後に1試合30失点(得点)はないはずだが。
- 「巨人vs阪神」の伝統の一戦が「巨人vs中日」にとって変わる噂が絶えなかった
- 阪神が完全に強くなりだす前の巨人-中日の開幕戦の時、テレビで「このカード(巨人-中日戦)は球史に残る名勝負が多い」と歴代の巨人-中日戦の特集をしていた。
- そのテレビの特集では、阪神のことがすっかり忘れられている感じがした。
- 巨人・中日の名勝負特集なので、阪神のことは忘れられててもおかしくなかった。
- そのテレビの特集では、阪神のことがすっかり忘れられている感じがした。
- 中日がナゴヤ球場からナゴヤドームに移転する年のオフにナゴヤ球場で中日の球団創設60周年記念を兼ねて中日・巨人のOB戦が開催されていた。ここでも伝統の中日・巨人戦と呼ばれていた。
- 最近は「巨人vs広島」みたいな気がする。
- 阪神が完全に強くなりだす前の巨人-中日の開幕戦の時、テレビで「このカード(巨人-中日戦)は球史に残る名勝負が多い」と歴代の巨人-中日戦の特集をしていた。
- 弱体化し過ぎて阪神身売りの噂が絶えなかった
- 甲子園優勝校にも負けるのではないかとも毎年のように噂された。
- PLより弱いのはお約束だったもんなぁ
- 村○ファンドによって一過性の暗黒時代がもたらされた事もある。
- 天罰下り済み。
- 旧ブレーブス親会社の傘下に入ってしまったので、今なお暗黒と見ている人もいるらしい。
- 梅田で便乗商法するようになったことも影響している。
- 周りはみんな半袖の時から始まるストーブリーグ
- それも着出した頃。
- 「鯉のぼりを下ろす頃には…」
- ドラフト会議終了時に翌々年の構想を練っていた。
- 早ければ梅雨明けと同時に、来年のことを考え始めるが、4番とエースピッチャーには、まだ見ぬ新外国人を指名する。
- FA予定者、メジャー帰国予定者も。
- 「甲子園球場をPL学園の本拠地にするよ」とマンガに書かれていた。
- そのPLも今は…。
- ピッチャーが好投している時に限って、打てない打線
- でも、打線が爆発すると投手陣が大炎上。
- 「明日も勝~つ!」は、当然禁句だ。
- 日ハム時代も見事に発動。何故か所属チームではなく、阪神に。
- 1999年、巨人槙原の敬遠球をサヨナラ打にした時に言ったら、翌日は敗戦、本人は5打席無安打(しかも3打席連続三振)……。同じ年、巨人戦で決勝本塁打を打ったときに懲りず発言したら、次の日から怒涛の12連敗。
- また、「優勝です!」と1992年に言ったら見事ヤクルトに優勝を取られた。
- その92年、当時の監督も遠征に出る前に「今度戻ってくる時は大きなお土産を持って帰りたい」とビッグマウスをかまして逃がしたのには失笑。
- 桑田佳祐に「今年の阪神は8位」と言われた事がある。当然、反論も出来ず・・・。
- ちなみにこの御仁はアンチ巨人。巨人が負けた日のラジオでは「松田(巨人ファンのドラマー)ざま見ろ」とよく言う。
- 「週刊ベースボール」の読者投稿コーナーでも、「あったら怖い」に「湘南シーレックス(2000年から2010年までの横浜の2軍名)に抜かれ、7位に転落する阪神。」と書かれていたこともあった…(その頃横浜はAクラスを謳歌しており、阪神の成績回復に合わせるかのごとく暗黒時代に突入)
- カラオケで六甲おろしを歌うと、映像に出てくるのは85年のV戦士
- その映像を見て、85年を懐かしく思う。
- 2021年現在ならカラオケの六甲おろしの映像に2003年・05年のV戦士が出てくるが、優勝のブランクが当時に並びつつあるので見て懐かしみつつつ悲しくなる。
- 藪の一発病、今岡のやる気のない走塁、桧山のセカンドゴロ量産は、暗黒時代後期を語る上で欠かせない。
- 今岡は併殺王としても君臨。どんだけチャンスつぶすんや!
- 今岡がノムさんに嫌われた理由がよく分かる。
- ノムさんがいなくなった後、今岡は阪神の優勝に貢献できるほど成長した。
- むしろノムさん的には出番を充分与えた方だったらしいが、今岡本人は「野村さんとはやはり合わなかった」と語っている。
- 藪は引退した後、亀山みたいに激太りしてしまった。頼むから、痩せてくれ。
- 1992年の成績は2位ではなく「準優勝」である
- この年のセ・リーグは首位から最下位までのゲーム差がわずか9という大激戦(というよりダンゴレース)だった。だから成績的には大したことは無いのだが、それでも「準優勝」である
- 常勝の中日が最下位。阪神と中日の立場が逆転した年だった。
- この年のセ・リーグのペナントレースは、1998年のパ・リーグに共通する。
- その98年のパ・リーグも、首位から最下位までが僅差の大混戦だった。
- 98年の成績を12球団総合で順位化した場合、阪神は18連敗したロッテからも10.5ゲームも離されている計算に…
- 18連敗した後のロッテは強かったんです。
- 2015年のセ・リーグも92年のセ・リーグそっくりのペナントレースだった。5位と6位の中日と横浜(大洋・DeNA)以外全て同じ順位でしかもヤクルトが対阪神戦で14年ぶりの優勝決めたという共通点がある。
- ヤクルト優勝の際は甲子園で胴上げを見る羽目に。場内は帰れコールだったらしい。
- ちなみに98年の横浜、02年の巨人(試合は相手のサヨナラ暴投で勝ったが)の際はそんなことなかった。
- ヤクルトのときは優勝争いしてて、その年は色々とお互いあったからな。
- 02年巨人胴上げ時は甲子園球場長を中虎会長&代行が脅迫して逮捕→有罪
- 2017年はなんと阪神ファンが広島の優勝を祝福していた。胴上げを目の当たりにした阪神ナインはベンチで絶句状態だったけど。
- いずれにせよ1973年の巨人優勝時の大暴動には敵わない。
- ヤクルトの監督だったノムさんに帰れコールを浴びせたんだぞ。その後、阪神の監督になる事を知らずに・・・。
- ちなみに98年の横浜、02年の巨人(試合は相手のサヨナラ暴投で勝ったが)の際はそんなことなかった。
- この年のセ・リーグは首位から最下位までのゲーム差がわずか9という大激戦(というよりダンゴレース)だった。だから成績的には大したことは無いのだが、それでも「準優勝」である
- 再建請負人のノムさんですら再建失敗。おまけに嫁の不祥事まで。
- ただ赤星や井川らが育ったのは事実。もちろん、2003年の優勝は移籍組が活躍したからというのもあるが。
- 赤星や井川らが育った事については、今最近の強めの阪神の基礎や土台を築き上げたとしてノムさんの功績は大きいかも。
- ただ赤星や井川らが育ったのは事実。もちろん、2003年の優勝は移籍組が活躍したからというのもあるが。
- 最下位が指定席。
- 最下位ではなく、「6位入賞」である。
- もし80~90年代当時から交流戦があれば、間違いなく12位の常連だった。
- とは言うものの、2001年以来17年間シーズン最下位を経験していなかったりもする(2017年現在)。そう考えると昔と比べると強くなった。
- 最下位ではなく、「6位入賞」である。
- 巨人を3タテしただけで、その3タテした試合のビデオが売られたらしい。
- 2リーグ分裂~99年までの甲子園で巨人を3タテした全カードの映像集だった。ここで訂正。
- こういうのを見て憂さを晴らしていたのだろうか・・・。
- 実際、1度でも巨人を3タテできたら、半年はその話題で盛り上がれた。
- 暗黒末期の頃、阪神タイガースの人生ゲームが売られたらしい。
- 私、持ってます。
- 山田勝彦の打率=山田の身長。
- この人が出て行ってから東邦高校はセンバツ優勝、阪神は18年ぶりの優勝、日ハムは44年ぶりの日本一。
- 「4番ファースト藪」ってありましたよね???
- 2000年ごろの、遠山と葛西のワンポイントスイッチに似てる…。
- 2000年の4月頭ぐらいに藪が4番ファーストで偵察オーダーに入った。4番に偵察とか言ってはいけない。
- 99年前半戦の快進撃には、野村監督の人形が作られたらしい。
- その年は首位に短期間だったもののなったことがあった。
- そのときに飛び込んだファンがいる。
- 1999年ということもあって、ノストラダムスに絡めて「ノス虎ダムス」なんて本も刊行された。恐怖の大王はノムさんとサッチーだったとか。
- ちなみに純金製。
- 値段は100万円。月亭八方さんが買っちゃった。
- 何となく暗黒時代の阪神って今のベガルタと共通点ありそうな気がする
- 何年だったか忘れたけど、村山が長嶋から疑惑のHR打たれた展覧試合と同じ日に、岡田がガリクソンから逆転満塁HRを打って、大騒ぎになったことがある。
- 平成元年のことだった。天覧試合の30年後だった。
- 13ゲーム差をひっくり返される大失態。暗黒臭がしてきたorz。
- 「若手育成に失敗」、「贔屓で起用した選手が小さくまとまった」育成面でも暗黒臭がする。
- この辺、2006年ごろのアンチ巨人による巨人批判と共通していないか?
- かといって、ここで岡田が辞任すると吉田辞任後の阪神と同レベルになりそうな……
- 2009年、予想以上のペースで懸念が現実化しつつある。
- もし真弓監督がここで解雇されてしまえば、1987年の吉田解雇後の流れが復活してしまいそうな気がする。監督に全てをなすりつけてフロントが変わろうとしないのであれば、打開は不可能だろう。
- しかし後半盛り返し、9月に入るとCS出場が射程圏に入るほどになっていた。
- 絶対負けてはいけない試合で連敗。ついに暗黒の門が開いたか?
- 優勝争いの反動とは言え、09年から何度も暗黒に逆戻りするかもしれない心配があった。当時のせいか強くなってきても悪いところ探しや自虐の癖がある阪神ファンは未だに多い。
- 広島も1996年の時、巨人に11.5ゲーム差をひっくり返されて優勝を逃した。もしかしたら、2016年も・・・。
- しかし、そんなこともなく優勝決定。新井さんの笑顔は阪神ファンにどう映ったのか・・・。
- 「若手育成に失敗」、「贔屓で起用した選手が小さくまとまった」育成面でも暗黒臭がする。
- もしサッカーのようなシステムだったら8部リーグ辺りまで降格していたかも知れない。
- 阪神だけ1軍を他球団の2軍にし、2軍は3軍として草野球専門球団にしたらどうか…って話を飲み屋で当時はしていたと、暗黒時代を懐かしむファンから聞いたことがある。
- 上にもあったが91年にたけし軍団に2軍が負けたので、プロ野球界の面子を保つためにはこれもしょうがない・・・って。じゃあ翌92年の戦績は何なんだ?
- 因みに98年に18連敗した球団も阪神と試合した翌年の92年、同じようにたけし軍団と戦って負けたんだが。
- 2005年にはこの両球団が日本シリーズで対決した。
- 弱小だった両チームが強くなって、当時を知るファンにとっては「変わったなぁー」と思えた。
- 2005年にはこの両球団が日本シリーズで対決した。
- また、ノムさんが社会人野球のシダックスの監督になった時に、阪神2軍と試合してシダックスが勝った。
- しかし一方で、2軍は1軍が最下位常連だった時期に優勝や日本一を経験したりしている。それもノムさんが1軍監督だった頃(1999年と2001年)。そのときの2軍監督は岡田。
- 阪神の珍プレー特番でもよく取り上げられた。
- 「阪神二軍日本一、野村阪神首位一日」と締めくくった1999年。
- 「阪神の選手は1.5軍ばかりだった」ともよく言われた。
- その当時のチームを見て、「もし1軍と2軍をそっくりそのまま入れ替えたら…」と想像するファンも。
- ネットのジョークサイトにもこんなネタが投稿された。
- 2009年3月、暗黒時代になった原因と言われたカーネル人形が24年ぶりに発見される。
カーネル人形は見つかったが… - 呪いが解けるのか、それとも眠りを妨げられたカーネル人形の呪いが増大するのか・・・。
- 2003年と2005年に優勝している以上、呪いのことは「日本一出来ない理由」として今後は語られるのかと思っていたが……既に海に流されていてもおかしくないと思っていたので、発見は正直驚き。
- その後、オープン戦では阪神災難続き・・・。
- ファラオの呪いのように掘り起こしたのがやっぱりマズかったか?
- 対巨人戦でも2008年から引きずって11連敗・・・
- やっとストップ、しかし前監督7敗は自分のせいなのに全部現監督のせいみたいに言っていた・・・。
- OBの無責任な現体制批判も暗黒復活の兆しかなぁ。
- 遂に暗黒末期の監督相手に借金記録を久々に二桁とさせられた……これで最下位チームとはまだゲーム差ありってのが信じられない。
- 今年(2009年)はカーネル人形発見に加え阪神なんば線の開業で奈良方面からの観戦も便利になったことなど明るい話題もあっただけに成績低迷は残念だ。
- 結局4位。
- 終いには、赤星引退という嫌なニュースで1年を締めくくった・・・。
- カーネル人形は阪神なんば線開業を祝っていたのかも。
- 結局4位。
- カーネル人形が今どこにあるかと言えば、甲子園とかではなくケンタッキーの日本法人の本社のある東京らしい。
- オープン戦とペナント戦は全く別物だった。
- オープンで無駄に力を使っていた。
- それでペナントで力が出なかったかも。
- オープン戦では調子良かったのに、油断していたのかペナント戦では振るわなかったり。
- ペナントレースに突入しても「まだオープン戦」などと言っていた。
- オープンで無駄に力を使っていた。
- 監督は常に口笛を吹いていた。
- あのノムさんも吹くようになった。
- 定位置につくことが確定すると、とたんに強くなった。
- シーズン終わりがけに連続安打とか……
- スタンドから「こんなとこで打つなアホ!シーズン中盤に打っとけ!」とヤジが飛ぶ。
- 確かに(強くなっている最近以上に)前半戦より後半戦の方が、印象に残る勝ち試合が多い。
- 最後の最後で勝ち続けて、同じ6位でも5位に近いとより一層来年への期待が膨らんだ。
- 酷い年はそれすらなく終盤に底が抜けたように勝率を落としシーズンを終えることもあった。
- 2016年は7連勝&甲子園での巨人戦3連勝で終了。正直、遅すぎる。
- 逆に言えばこれまで弱かったのに最後の最後で7連勝したとはまさにびっくり…。お陰でギリギリ4位に滑り込んだ。特にこの年は「超変革」で若手が台頭したこともあり少し期待を持てるラストとなった。
- シーズン終わりがけに連続安打とか……
- すべての出発点は掛布とバースの不遇引退・解雇だった。
- この1988年には球団社長の自殺まで・・・チームもフロントも空中分解した。
- そもそも掛布が88年に引退するきっかけとなった、86年に掛布が死球で左手を骨折し選手生命を棒に振っていたことが(本当の)始まりだった。
- 86年早々にストライクゾーンが拡大されて、強力打線が機能しなくなってしまったのが真の理由ではないかと思う。
- 他球団(特に巨人)にとって当時の阪神は、一番戦いやすいチームだったかも。
- 「楽勝」と思いながら余裕こいた奴も多かったかも。
- 現在の銀行球団と同レベルに見られていたのだろうか。
- 暗黒17年間(16年か18年という時もある)というが、巨人には17年間連続負け越しという記録も作ってしまった。
- 1990年ごろのファミコン雑誌には野球ゲームで「タイガースで優勝することはほぼ不可能」と書いてあった。
- 桃鉄でも「おおさか」が優勝すると特別臨時収入が出てた。
- 2015年8月19日の巨人戦で阪神が球団ワースト記録である1イニング12失点をやってしまった。しかも、40年ぶりに更新。(1975年8月26日の大洋戦で1イニング11失点。)
- 2016年9月6日、甲子園での巨人戦で4-2で阪神が負け、これで今季、甲子園での巨人戦7敗1分け(球団ワースト記録)。しかも、8月は26年ぶりに甲子園で1勝も出来なかった。
- 更に追い打ちをかけるかのように矢野の悲劇の再来まで起きてしまった。この試合は広島の優勝、しかも本拠地での胴上げがかかっていたのでカープファンからも悲鳴があがった。(但しこの2日後に優勝決定)
- 2016年9月8日の甲子園での巨人戦で球児が新人の青柳の活躍(8回途中3安打)をぶっ壊して敗北。
- 阪神電車の株主総会、財務や経営のことはほとんど議題にならず、タイガースの事が主な議題となる。
- 勿論本社の財務・経営、タイガース以外のレジャー関連、その他モロモロについては、質疑応答もあるしヤジのひとつも飛ぶ。しかしタイガース関連の質疑応答に比べれば大したことないレベル。
- 今の株主総会でもタイガースの話題が全体の多くの割合を占めている気がするが。特に不振シーズンのあととかは。
- この辺りは、阪急阪神ホールディングスに移行しても変わらず。
- もはや、株式総会という名のファンミーティングである。
- 近鉄ファンにバカにされる。
- 近鉄もタイガースと同じで、強い時と弱い時の差が激しかったと思う。
- オリックスファンからもバカにされてたはず。
- 阪神なんば線の開業前、西大阪線延伸計画と呼ばれていた頃の鉄道関係書籍に「これができれば日本一弱いプロ野球球団の親会社同士のレールがつながる」と書かれた。
- 阪神がそして強くなったと思ったら、近鉄が消滅した……
- なお、その本の作者は阪神 vs 近鉄の日本シリーズが西大阪延伸線(→阪神なんば線)全通時に実現してほしいと作中でコメントしていた。
- ちなみに阪神なんば線開業後、一度もリーグ優勝していない。
- 日本シリーズならCSで優勝して1回出た(2014年)。しかし結果は…(ry。
- 白線の内側までお下がりください
- 日本シリーズならCSで優勝して1回出た(2014年)。しかし結果は…(ry。
- 「死のロード」の前に、とっくに死んでいた・・・
- 優勝できないのを死のロードのせいにしがちなファンが多かったが、現実にはオールスター前に定位置だった。
- 甲子園から大阪ドームに避難する阪神より、東京ドームを都市対抗野球で追い出される巨人の方が影響があるのではないかという疑惑もあるが、結局負けている。
- この17年間、阪神以外のセ・リーグ5球団全てリーグ優勝を果たしていた。
- いかに、当時の阪神が弱かったのかがよくわかる。
- その中には38年ぶりの球団もありましたけどね……
- 1974年~2005年のロッテや1981年~2006年の日本ハムも、優勝のブランクの間に相手チーム全部に優勝されていた。
- もし92年に優勝していたら、90年代の10年間に6球団全てが優勝したことになった。そう考えると尚更惜しかった。
- ちなみに10年代の10年間に6球団全てが日本シリーズに出場したことならあった。
- これだけ弱い時代のことがネタになる球団は、阪神以外は無いかもしれない。
- どこだったか忘れたが、1シーズンに100回負けた球団もあるのに。
- いやそれもタイガースじゃないの?
- 日本だったら史上最低勝率と最多敗数は真珠球団が達成しています。
- 1961年の103敗と1958年の勝率.238。日本のシーズン100敗以上は1961年の近鉄が唯一。
- セ・リーグだと最多敗数と最低勝率は大洋の1955年。99敗かつ.238。
- 1リーグ時代は.214(イーグルス)なんてのもあった。最も試合数が60もないが。
- 南海とダイエーのほうがBクラス年数は長かったのにそんなにネタにはならないしなあ。まあ生卵はやばかったけど。
- 確かに南海・ダイエーは20年間Bクラスにいたし、暗い話題と言えば生卵事件くらいしか思いつかないが、明るい話題も少ない気がする。
- セ尊パ卑の時代だったのが理由ではないかと思う。セリーグのタイガースとパリーグのホークスとでは、注目度が現在以上に違っていたと思う。
- 阪神は.331が球団最低勝率だから、勝率.331で100敗となると50勝101敗で勝率.331となるが、阪神戦が年間に151試合以上組まれたことは1リーグ・セリーグ共に無い、尚2014年現在の最多敗戦数は1995年の84敗。
- どこだったか忘れたが、1シーズンに100回負けた球団もあるのに。
- どういうわけか、この時代の野球ゲームでも、1シーズンプレイすると阪神は必ず最下位になる。
- スタメン9人のうち6人の応援歌が、ヒッティングマーチ2番。
- 1962年、1964年と優勝をしてから21年間優勝をしていなかったのでもしかしたら今度優勝するのは2005年から数えて21年後かもしれない。そこからまた18年間優勝できなくなるかもしれない。
- 日本一にいたってはハレー彗星接近の前年の1985年。次の阪神の日本一は次のハレー彗星接近の前年である2060年になるかも知れない。
- 2016年のカブス世界一により、108年後の2093年まで優勝できないのではという話も…
- 日本一にいたってはハレー彗星接近の前年の1985年。次の阪神の日本一は次のハレー彗星接近の前年である2060年になるかも知れない。
- TV番組でアナウンサーが「阪神もっと頑張ってくださいよ~」と言っていたが本音は逆であった。
- 巨人ファン?
- アナの贔屓チームと優勝を争っているチームが阪神に負けることを期待しているとか…
- 東京ドームでの巨人戦だと放送時間延長どころが逆に放送時間の半分も経たないうちに終わってしまったらしい。言うまでもなく巨人の勝ち。
- 優勝がなくなってからの試合は「親善試合」だ。
- 最下位が決まってからじゃないの?
- 親善試合になると何故か勝ちだす。しかも記録をまでこさえたりしだす始末。
- 2008年のV逸以来、暗黒突入の噂がしばしば現れたが、2012年7月になってもう冗談視できなくなってきた……
- その時から言われる戦力老朽化、若手の不在は全く解消せず。2009年・2011年と4位も2回経験。成績はヤクルト以下に。
- ついには5位に。CS進出も厳しくなった状況。阪神ファンの心境はいかに。
- 掛布・バースの1988年の不遇解雇に似た匂いまで最近は……ここの項目に書かれる伝説が増えるかもしれない。
- 金本・城島引退、コバロリ戦力外と、いくら成績が酷かったとはいえベテランを一気に切ったら戦力が崩壊しそう。球児は間違いなく出ていくし、鳥谷もまだ分からないのに。
- 鳥谷は残留。でも平野が……
- 金本・城島引退、コバロリ戦力外と、いくら成績が酷かったとはいえベテランを一気に切ったら戦力が崩壊しそう。球児は間違いなく出ていくし、鳥谷もまだ分からないのに。
- 挙句、フロントは若手育成よりオチメの選手に大金を払って獲得って……
- 一部では、骨董品商売とまで言われている。
- そして2013年。前半こそ巨人との2強を形成していたものの、9月に入り大失速。なんとか2位になるもCSではホームで広島に連敗。最悪な形でシーズンが終わった。
- 2014年シーズンは前半こそ良い流れだったが、8月後半から失速状態に。CSまで持つのだろうか?
- このチームは毎年前半はいいのだが、後半に入って失速する傾向がある。
- 広島・巨人をストレートで降してセリーグ優勝し日本シリーズへ勇躍進出。しかしあまりにも残酷な終戦が待っていた・・・。
- このチームは毎年前半はいいのだが、後半に入って失速する傾向がある。
- ベテランの選手とオ・スンファンがいなくなったら、戦力は一気に落ちると思う。
- 2015年の阪神、藤浪が好投してるのに打線が沈黙、不調で態度が悪すぎるメッセンジャーとマートン、打てない新井と江越。今度こそ暗黒時代に突入するかもしれない。
- 2014年の日本シリーズで、武田・大隣コンビに翻弄された後遺症か?
- 交流戦ではセ唯一の勝ち越し、6月以降は問題孕みながらもAクラス続き。8月は首位。むしろ交流戦まで好調だったDeNAが「どうしてこうなった」。
- 2016年、阪神は中日のビシエドにやられ放題。
- あまりに打たれるので「阪神ご自慢の」とまで言われてしまう。
- 鳥谷とゴメスが阪神の勝ち試合を壊しまくるし(しかも、金本監督は鳥谷をスタメンから外そうとしない。)、広島にやられすぎて、「阪神銀行」と呼ばれるようになった。
- そしてホームでは巨人に散々カモにされるという。いつしか最下位の中日の足音がすぐそこに。
- そして2018年、来るべき時が来てしまった。雨天順延による過密日程もあった上に、終盤は特に中日とヤクルトにボコボコにやられた。広島V3の影の立役者になった他、3年続いた由伸巨人には、11球団では唯一シーズン勝ち越しが一度もなしという不名誉な記録、そして平成最後の12球団の最下位というオマケまでついた。しかしながら、横浜にだけはやたらに強かった。
- その時から言われる戦力老朽化、若手の不在は全く解消せず。2009年・2011年と4位も2回経験。成績はヤクルト以下に。
- 20年間も負け越しを続けるMLBパイレーツがせめてもの慰め?
- なお、そのパイレーツは2013年にプレーオフ進出。「弱いっちゅーの」状態から脱出した。(後半古ネタ)
- ミンキーモモでも、阪神低迷がネタにされたことがある。
- 最も、その年は暗黒時代唯一のAクラス入りをしたが…
- 既に過去のもののように言われているけれど、ホールディングス化によって補強が可能になっただけで、ピッチャーと小兵選手以外は外様で塗りたくっているのが現状。生え抜きだけで見れば暗黒時代と然程変わりはない。
- ピッチャーにしてもメッセンジャーとスタンリッジという助っ人に依存している部分は大きい。補強にしても近年急速に金が使えるようになったので、巨人の様に金の使い方を知らない。巨人が本物の金持ちなら、阪神は成金そのもの。最も深刻なのは有望な生え抜き野手が出て来ないこと。巨人との差は生え抜きの差と言っても過言ではない、と思う。
- FAで補強するにしてもほとんど上手くいっていない。2014年には福留と西岡を獲得したが役立たず…。成功したのは金本くらい。
- 城島と言い、最近はメジャー帰りを獲得して失敗する傾向がある。
- 福留と西岡が来たのは2013年だよ。1年目は活躍してたし、その後の負傷や事故は予測できるものじゃないから獲得失敗の域ではないと思う。
- その福留も事故直後から大不振に陥るも、後半戦辺りから復活してCSでも大活躍、翌年はチーム全体が貧打に陥り逆に福留が野手で唯一の希望となってしまった。
- 最初は若い西岡に期待をしたものの、蓋を開けてみたら西岡は故障続出で期待外れ。むしろ福留の方が活躍した。
- 福留と西岡が来たのは2013年だよ。1年目は活躍してたし、その後の負傷や事故は予測できるものじゃないから獲得失敗の域ではないと思う。
- FAなら新井は間違いなく成功だし、補強と言ってもトレード獲得して阪神で覚醒した選手が多いから金の影響だけじゃないはず。
- 新井は微妙だな…。阪神ではそれほど活躍しなかった上に古巣の広島に戻ると水を得た魚のように大活躍し、2016年リーグ優勝の原動力になったのだから。
- 城島と言い、最近はメジャー帰りを獲得して失敗する傾向がある。
- スタンリッジはソフトバンクに移籍しました。オ・スンファンと引き換えに。
- これが阪急との経営統合の結果みたいに言われているが、もしこれがなかったら、あるいは阪急以外と経営統合していたらどうなっていたか?と思ったりもする。
- 外様だろうと阪神の選手なんだから、生え抜きだけ見て変わりないってのは違う。
- せっかく強くなったのに未だにここ一番で弱いし、10年代の阪神は戦力あるのに勝てないのが玉に瑕。優勝争いの反動やそれまで頼り過ぎた主力から若手への世代交代で安定しないことに不安が絶えないファンも。
- 水樹奈々が阪神ファンに転向したのは、清原が巨人に移籍したことで「巨人はズルい」と感じたことが理由だが、残り11球団の中から阪神に傾倒したのは「情け」だとか。
- 清原FA時、「縦縞を横縞」発言でも獲得できず「巨人の金にやられた」と負け惜しみを言ったが、ふたを開けてみたら阪神の提示額(3.5憶)の方が高かった。
- 暗黒の象徴となる監督といえば、中村負広。
- 阪神を題材とした人物名あてクイズでも、普通なら名前には入らないだろう「負」という字が彼の問題の選択肢にはあったとか。
- オマリーがヤクルトへ入ったのは実は彼との対立があったからとか。92年に2位となった時の監督なのに未だに阪神ファンには嫌われる……
- 阪神GM就任で暗黒突入を覚悟したファンが多かったとか。
- そんな中でドラフト(や補強)は岡田・真弓両監督時代よりかなりマシになった。
- 4.の事象の多くに彼が絡んでいたとか。
- 阪神GM就任で暗黒突入を覚悟したファンが多かったとか。
- 暗黒請負人、塩谷とともにオリックスでもその暗黒っぷりを発揮。
- オリックスも当時の暗黒阪神と同じで誰がやっても勝てるチームではないのだが、案の定重ねて評価を落とす。
- 最悪評価の原因は1991年のあのドラフト…1位指名の萩原(大阪桐蔭高)が大問題。何でまたこの選手を「掛布2世」と評価して背番号31を与えたのか…
- 1991年の夏の高校野球・決勝で、あの「4日連投で満身創痍だった」沖縄水産・大野(→九州共立大→巨人→ダイエー)から本塁打を打った当人。
- 夏の高校野球で日程・健康問題の議論が長く停滞した原因は、プロ側の阪神が、このドラフト1位指名を間違いと認めたくないから、と考えて正解。
- 2位指名の久慈はその次の年に新人王、4位指名の桧山も長く活躍したのだけれども……。
- 1991年の夏の高校野球・決勝で、あの「4日連投で満身創痍だった」沖縄水産・大野(→九州共立大→巨人→ダイエー)から本塁打を打った当人。
- そんな彼も、2015年9月23日に逝去(合掌)。
- 中村監督の次の監督は誰だか思い出せない。思い出せないほうが幸せという声も……
- 新庄引退宣言……
- 1998年の時、阪神の優勝を願う番組をやったけど、その日の試合で阪神はいきなり相手に9点を取られてしまった。
- 読売テレビでのこと。
- 85年阪神優勝特集の後に阪神戦中継のスケジュールだったが、7時の放映開始時には9失点(それも読売巨人戦)。先発どころか敗戦処理の中継ぎも2人ノックアウトされた。結果は12-0の完封負け……
- 伊良部のおかげで暗黒時代を抜け出せた。
- 暗黒脱出の功績なら金本、赤星、井川、矢野あたりのほうがはるかに大きいと思う。
- 特に日本人でも外国人でも長打者が無い貧打線を解消する一要因となった金本。勝負強さと練習熱心さは他選手にもかなりの影響を与えたと言って過言でない。
- 暗黒脱出の功績なら金本、赤星、井川、矢野あたりのほうがはるかに大きいと思う。
- 亀山努が活躍したのは1992年の時だけだった。
- その後、亀山はケガで試合に出れなくなったり、遅刻常習犯になってしまった。(目覚まし時計12個でも起きなかった。)
- これだけ低迷しながらも、「完全最下位」(最下位+他の5チーム全てに負け越し)はほとんどなかった模様。
- 暗黒時代真っ只中の1996年のシーズン末期には日本プロ野球史上初の1イニングに2本の満塁ホームランを達成したりもしている。
- しかもその日は85年の優勝バッテリー・中西と木戸の引退試合だった。暗黒末期の01年の和田豊と同様、優勝メンバーの引退で時代の流れを感じた日だった。
- 2強3弱1問題外と言われた。
- しかしTBS時代末期の横浜と異なり、勝率4割下回って独歩状態(横浜で言うべ・リーグ状態)になることはあまり無かった。
- 87年から02年までの16年間に最下位は10回もあったが、勝率3割台は5回である。野村時代は3年とも4割を確保していた。
- 一方、横浜→DeNAは02年から15年の14年間に10回最下位になり、そのうち7年で3割台を記録している。
- しかしTBS時代末期の横浜と異なり、勝率4割下回って独歩状態(横浜で言うべ・リーグ状態)になることはあまり無かった。
- 水島新司の野球漫画「ドカベン プロ野球編」の10巻には岩鬼正美(当時ダイエーに在籍)の夢の中として阪神とダイエーの日本シリーズが描かれていた。
- ちなみにこの場面が描かれたのは両球団とも最下位だった1996年。まさかこの7年後に阪神とダイエーの日本シリーズが実現するとは思わなかった。
- その日本シリーズの中で舩木と猪俣が岩鬼から2打席連続ホームランを浴びていた。
- 暗黒時代真っ最中に連載された漫画「国民クイズ」では「『阪神の攻撃だけ9アウトしないとチェンジにならない』という特別ルールで阪神が17連勝」というのが描かれていた。
- 1999年に放映されたアニポケにてタイガースをモデルとしたエレブーズなるチームが登場。サトシ曰く「でもエレブーズって確か万年最下位のチームじゃん」。
- やはり1999年年末に放映された格付けチェックプロ野球版(ダイエー・中日・横浜・ヤクルト・阪神)ではMCの内藤剛志が「↓野球オンチ」と言う矢印を付けられまくる中浜田雅功の「阪神は万年最下位状態なんですよ」に対しての矢印が「↓それだけは知っている」。
暗黒時代のファン[編集 | ソースを編集]
暗黒時代のマスコミ[編集 | ソースを編集]
トークに、阪神タイガース/暗黒時代に関連する動画があります。
- 「猛虎!破竹の2連勝!」とデイリースポーツに書かれる。
- 阪神が3連勝しただけでも奇跡と言われていた。
- キャンプの50m走のタイムが1面になった事もあるぞ。
- デイリーはこの時期の阪神に慣れたのか、阪神の戦果を大本営発表みたいに報道できるようになった。それは今も変わらず。
- そんな感じで尽くしてくれてる、デイリーに対して、最近の阪神はつめたい。暗黒時代もず~~っと見守ってくれてた唯一の新聞なのに。
- 阪神が3連勝しただけでも奇跡と言われていた。
- デイリースポーツの一面に「坪井4の2、行けるぞ新人王!」とでっかく書かれ、その下に小さく「チームは5連敗」と書かれていたことは内緒だ。
- 一応、特別表彰はして貰えた。川上憲伸・高橋由伸・小林幹英と争ったから(新人王は川上)
- 彼の新人最高打率記録は未だに破られていない。
- 彼に限らずルーキーは活躍していた。
- 坪井は横浜DeNAの打撃コーチになった。
- でも、いつの間にか忘れられていく。
- 一応、特別表彰はして貰えた。川上憲伸・高橋由伸・小林幹英と争ったから(新人王は川上)
- 「や~ってくれたね~、タイガース~♪家庭円満、タイガース~♪」
- 「ランランランラン黒い星 ランランランランまた増えた」
- 負けソングの方が聞く機会が多かったことは秘密だ。
- 勝ったときしかこの「プロ野球イレコミ情報」は見ていなかったので、前者の曲しか頭に残っていないという人もいる。
- せっかく連勝してもそれがズームインのない金・土の試合で、日曜日は負けて結局月曜日は負けソングなんてお約束も。
- 勝ったときしかこの「プロ野球イレコミ情報」は見ていなかったので、前者の曲しか頭に残っていないという人もいる。
- 負けソングの方が聞く機会が多かったことは秘密だ。
- このコーナーで「85年の優勝がきっかけで阪神ファンになったら…、大乃国(康:第62代横綱)が横綱になったのでファンになったら…。そして僕の仇名は疫病神に決まりました」という視聴者のハガキが紹介されたことがある。
- 「負ける気せんね」と「ハイハイ敗」って言うのか。曲は聴いたことあるが、曲名があるとは知らなかった。
- 「なんぎやなぁ」は1987年の流行語。しかし本当の難儀はここから16年も続いた。
- 1987年、「一昨年の優勝が嘘みたい…」という台詞も流行った。この台詞の通りだった。
- ともに現在、読売テレビの「すまたん」でズームイン時代同様に使われている。
- 「ランランランラン黒い星 ランランランランまた増えた」
- 東スポが「阪神1位!!」と見出しを書いたが「評論家によるセリーグ最下位予想」のことだった。
- 正確には「阪神 断然トップ 最下位票」。1991年2月5日号の1面見出し。
- サンテレビの夏休みちびっ子解説者にまで、ダメ出しを受ける
- エイプリルフールで「阪神優勝!」と会見したら、その年最下位になったらしい。
- 1998年のこと。87年から2001年まで15年中10年が最下位と言う惨状だったから、吉田監督も関係者もみなやけくそだった。
- 同年放送された「テツワン探偵ロボタック」のある回で、敵キャラが虎ファンで「今年は優勝だタイガース!バッティング対決」というものをやっていた。
- さらに、その回に出て来た暗号が85年のスタメンの背番号。
- その2年前に放送されていた「激走戦隊カーレンジャー」のある回でも、虎ファンのメンバーが阪神のハッピを着て「今年こそ頼むで」と神社に願掛けに行っていた。
- そのメンバーは「何年待たせれば気が済むんねん」と半分キレていたのは言うまでもない。
- で、18年ぶりのリーグ優勝を果たした時の「爆竜戦隊アバレンジャー」では、メンバーに虎ファンはいたのだろうか…
- 一応アバレンにも野球ネタの回はあったが、阪神ではなくMLBだったはず。
- アバレ七変化(アバレイエローが次々とコスプレする)の回で「爆竜戦隊だけど星野阪神にあやかって」という台詞があった。
- 一応アバレンにも野球ネタの回はあったが、阪神ではなくMLBだったはず。
- 同年放送された「テツワン探偵ロボタック」のある回で、敵キャラが虎ファンで「今年は優勝だタイガース!バッティング対決」というものをやっていた。
- このエイプリルフールの優勝会見は同年の寅年にちなんだものだったらしい。
- 開催したのは球団ではなく日本外国特派員協会。エイプリルフールとはいえ外国の方もえげつない。
- いや、優勝したぞ!2軍が……
- 1998年のこと。87年から2001年まで15年中10年が最下位と言う惨状だったから、吉田監督も関係者もみなやけくそだった。
- 1995年にサンテレビジョンが阪神球団60周年を記念し、「今年の阪神はいつ60勝するか」と視聴者クイズをしたら、130試合中46勝しか出来なかった。
- そして「出来ない」と書いた視聴者が実際にいて、正解となったらしい・・・
- 途中から、「ホームラン60発はいつか」に変更してクイズをまた出したとか。
- 2008年にサンテレビは「優勝時の岡田監督の胴上げ回数」を視聴者クイズとして流し、この伝説の続きを作った。いい意味じゃないだろうが・・・
- この年は阪神・淡路大震災があり、同じ関西球団のオリックスがリーグ優勝して神戸市民を勇気付けたのに対して、西宮市に本拠を置く阪神は前年の戦績を大きく下回って4位から6位に転落、明暗がはっきり分かれることになった(それでも人気までは逆転しなかった)。
- 尚、阪神がリーグ優勝を果たした2003年、当のオリックスはぶっちぎりの最下位…
- 逆にオリックスが最後に日本一となった1996年、近鉄が最後に優勝した2001年は共に阪神が最下位だった。
- 志村けんのコント番組でもネタにされたことがある。
- タイガースの選手扮する志村と田代まさしに、オーナー扮する桑野信義が球団移籍を通告するもの。
- 桑野は志村がヤクルトへ、田代が読売へ行くのを命じたが、野球をするわけではなく、志村が乳飲料配達を、田代が新聞配達をするというオチ。
- 「珍プレー好プレー」では阪神一球団だけで番組の半分くらいになるほどのネタができた。
- 1989年6月2日の巨人戦の8回裏で原が打ったボールが阪神の応援席に入って、ホームランになった後、阪神ファンがそのボールを原に向かって投げたら、原がキャッチして内野スタンドに返した場面が面白かった。
- 20年ほど前の関口宏のクイズ番組で、「今年優勝しないと思う球団は?」という調査があって、12位から2位までは紹介されたが、関口には「1位はお分かりだと思うのであえて紹介しません」と言わてしまった。言うまでもなく1位は阪神だった。
- 「クイズ1○○人に聞きました」か?
- 『100人に聞きました』で阪神が次に優勝するのは何年後というのがあって、1位は『永遠に見られない』。TBSに苦情電話をしたのは言うまでもない・・・
- フジテレビのプロ野球ニュースで人気を博した佐々木信也氏が、十数年ぶりにテレビに登場した時のこと。開幕直前とあってインタビュアーがペナントや順位等の予想を尋ねたところ、佐々木氏に「セリーグについては阪神の6位はほぼ決定的」と簡単にまとめられてしまった。
- 1995年6月、新庄のホームランになりそうな球を応援旗で叩き落した事件の数日後、サンデーモーニングで、評論家の定岡正二が「あの大きな旗を球場に持ってくること自体が、間違いなんです!」と言っていた。
- 同じ放送で、ケント・ギルバートが「こういう事件は残念ですが、阪神ファンこそ本当のファンですね。」と言っていた。
- その放送で、定岡の「あの大きな旗を…」の発現の前に関口宏が「(旗を)あんな真ん前で振ってちゃダメだよね。後ろで振ってちゃ良いけど」と言っていた。
- さらに定岡は「根本的に、一部の人は野球を見ずにただ騒ぐ為に来てるんです!」と完全に(一部の)阪神ファンを“批判”していた。
- まあ、定岡はそもそもアンチ阪神で有名だったからほっとけばよろしい。
- しかし定岡には甲子園で準完全試合を喰らったこともある。先頭打者の北村が初球を見事に右翼線へ2塁打を放ち、「今日はいけるでえ!」と大歓声が上がるも・・・その後は何と27人連続で1人の走者も出せず完璧に抑えられしまい、0対1で完封負け(打者28人、四死球も0、残塁は初回先頭打者の1人のみ)であった。
- 中村監督(当時)が審判に猛抗議し、試合が終わっていないのに怒り狂ったファンがゴミやメガホンをグランドに投げ捨てた。しかも横浜スタジアムで相手は唯一のお得意先だったから、怒りはさらにヒートアップ。
- 9回表で1点ビハインド。ホームランになれば同点の展開だった。
- 太鼓を投げたり、応援席から降りてきた奴がいた。
- 同じ放送で、ケント・ギルバートが「こういう事件は残念ですが、阪神ファンこそ本当のファンですね。」と言っていた。
- 『アサヒグラフ』1992年10月30日増大号のタイトルは「幻の優勝!ああ阪神タイガース」。優勝してないのに優勝特集記事が出るという珍事だった。
- 2008年の「Vやねん!タイガース」と同様、当時を知るファンの間ではいまだに語り草。
- 神戸新聞が2000年1月1日に初夢企画として「阪神優勝」の記事を掲載。85年度のスコアに基づいた巨人・阪神の甲子園戦シミュレーションを行った。でも現実はその年最下位。
- 記事下部に書かれている「戦評はフィクションです」の断り書きが涙を誘う。
- ちなみにその2年前の正月には、「サッカーW杯で日本、奇跡の優勝」という初夢記事が掲載された。
- 85年以前も含め、サンスポのパロディの「サンカイスポーツ」なるものが存在していた。「阪神優勝」を祈願した(というよりフィクションとして本当に優勝したかのような)内容の記事だった。
- 大阪在住で阪神ファンの広告デザイナーを中心にカンパで製作されたもので実際に優勝した85年にも製作されていた。
- 阪神の長期低迷は他の国にも知れ渡っている模様。
- アメリカでは「セオ・エプスタインが次に救うべきチーム」と取り上げられたことも…
- TBSラジオ「コサキン」の「意味ねぇ~これはすごい!」で「阪神タイガースはあんなに弱いのに、6位より下になったことが無いから凄い!」というネタが紹介された。
阪神タイガース |
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