阪神・淡路大震災
経過観察
このページは、テーマがサイト趣旨に沿っていないか、もしくは荒らされやすいと考えられるため経過観察中です。
今後の経過によっては保護が検討されたり、削除検討の対象になることもあります。
ただしテーマについての設立趣旨や投稿者間の管理方法のあり方によっては観察対象外とします。
本件に関するご意見などはトークページへお願いします。
このページは、テーマがサイト趣旨に沿っていないか、もしくは荒らされやすいと考えられるため経過観察中です。
今後の経過によっては保護が検討されたり、削除検討の対象になることもあります。
ただしテーマについての設立趣旨や投稿者間の管理方法のあり方によっては観察対象外とします。
本件に関するご意見などはトークページへお願いします。
- 1995年に起きた、日本の歴史に残る大きな地震である。
- この年には、大阪市の人口が爆破的に増えた。
- すでに神戸市は震災前の人口を上回っている。
- 震災前はたしか、100万人を超えてなかったような気がする。
- 震災前から神戸市は100万都市です。
- しかし、被害の少なかった沿岸東部・有馬の人口が伸びたのに対し、沿岸西部では未だに震災以前の人口に戻っていないのが現状。
- そして発生から四半世紀経った時点で市民の半分が震災を知らない。
- 震災前はたしか、100万人を超えてなかったような気がする。
- 阪神大震災に関する本などは、今でも多く出版されている。
- 図書館に行くと、必ずと言っていいほど震災の本がある。
- この地震がきっかけで世の中が耐震に取り組むようになった。
- しかしそれは官公舎、企業などの話で一番大きな被害があった兵庫県でさえ、費用などの面から民間住宅への耐震補強はほとんど進んでいない。
- たくさんの家が崩壊したのにも関らずパナホームの家だけは潰れなかったらしい。
- うちはパナホーム。よかった…。
- 一条工務店も潰れなかったらしいです。
- 住友林業も潰れなかったと聞いています
- この震災がきっかけで日本の景気が悪くなった。
- 例:阪急電鉄・ダイエー・etc..・etc..
- 以後学生の就職難や派遣労働の規制緩和など働きにくい環境になっていった。1994年以前はバブルが崩壊したといってもまだ余韻が残っていた。
- あらゆる意味でこの1995年は歴史の転換点だったと思う。
- 東京の地下鉄で前代未聞のテロ事件が起こったのもこの年。
- 本当に1995年は日本にとって良い事が何もない一年だった…。
- Windowsとインターネットの普及もこの年から始まった。
- 世相的にみれば昭和と平成の境目は1989.1.7ではなく1995.1.17だったかもしれない。元号こそ平成になっても1994年までは世相的には昭和の延長みたいな部分がまだ残っていた。
- 2年後に消費税が上がったのも、間接的にはこの震災による税収の落ち込みと復興財源を確保するためである。
- 例:阪急電鉄・ダイエー・etc..・etc..
- やくざが始めて人様のお役に立った。
- 国からの救援物資より、山口組からの救援物資の方が早く届いたらしい。
- 海外メディアには「日本は政府自治体よりマフィア(山口組)とカルト教団(PL教団)が炊き出しに積極的だ」と報道された。
- 実は、物資の量もコッチの方へ行ったほうが数多くもらえた。
- こうなったのは、災害派遣命令を出すのを渋った某社会主義者と、圧力に屈したK知事の影響もあると思う。
- 自衛隊がなかなか出せなかったのは当時の法の不備が原因なので首相が眉毛の人でなくても同じだったかと。
- 有事において法の不備がどうとか言ってる時点で、論外。為政者とし大事なのは、有事のときには全責任を自分が負うと明言して必要となる措置をとること。
- だいたい震災発生後ものんびりおうちでくつろいでから官邸へ行き、いつもどおりの執務どころか、山花貞夫らによるお家騒動対応をやってた時点で、村山富市は為政者として失格だ。
- 有事において法の不備がどうとか言ってる時点で、論外。為政者とし大事なのは、有事のときには全責任を自分が負うと明言して必要となる措置をとること。
- ある意味、自然災害を利用して大量殺戮を行ったと言っても過言ではない。そういう意味では規模は向こうのほうが遥かにデカイが、文化大革命で大量殺人を指導した毛沢東や、政敵をシベリア送りにして殺したスターリンら世界のアカと通じるものがある。
- 因みに自衛隊の出動要請は、当時の兵庫県知事でも首相でもなく、県庁消防交通安全課の一人の係長の独断により発出されたものだったと言われている。
- この係長のおかげで、助かった命も多くあったことを鑑みると、このことは表彰され讃えられこそすれ、貶められることなど考えられないが、何故か翌年の異動で、この係長は淡路県民局へ左遷された。
- 自衛隊がなかなか出せなかったのは当時の法の不備が原因なので首相が眉毛の人でなくても同じだったかと。
- 民団と総連が組んで救援活動をしていたという証言もある。
- しかし起きたことが皆悪いことばかりという訳ではない。某ラノベもこの地震がきっかけで誕生した。
- 淡路夢舞台も、この地震のおかげで今のような立派な公園になっている。
- あそこは関西国際空港の埋立てに使う土砂を採取した場所で、震災とは無関係では?
- 鷲崎健のMCデビューのきっかけでもある。
- 藤原紀香が女優としてメジャーになるきっかけでもあった。
- 阪神梅田~山陽姫路間の直通特急(1998年運行開始)も震災で阪神・山陽両社の利用客がJRに流出して減少したことが直接の運行開始のきっかけであった。
- しかし元被災者に対して、「起きた事が皆悪い事ばかりではない」などと言うのは絶対に止めておいた方が良い。
- なんて、書いても無駄。言ってもやる奴はやるし。
- あくまで「皮肉」に留めておくものである。この震災に留まらず、各種の災害・事件・事故に言える事であるが。
- 災害を見て喜ぶキモオタは、どんなところにも居る。そしてそういうのを養護するヤカラも居るんだから言っても無駄である。
- あくまで「皮肉」に留めておくものである。この震災に留まらず、各種の災害・事件・事故に言える事であるが。
- なんて、書いても無駄。言ってもやる奴はやるし。
- 一個だけ、被災者目線でこれに該当することがあるとしたら、家族や隣近所の人のありがたみとか自衛隊や警察、消防の人らの懸命さを垣間見れたことだと思う。
- 淡路夢舞台も、この地震のおかげで今のような立派な公園になっている。
- 「日本の建築物は地震に強い」という神話をあっさりと砕いた。
- JR西日本がいち早く復旧し、阪急電鉄や阪神電気鉄道の乗客を移行させた。
- それまでは代行バスが各地で活躍していた。
- 渋滞は酷く、阪神間に5・6時間を要するのが普通だったという。
- ちなみにこれの復旧に関わったのはJR東の旧仙台鉄道管理局の関係者。彼らは宮城県沖地震の東北新幹線の倒壊の際に復旧のノウハウを知っていたために早く復旧できた。
- 仙台の人に感謝やね。あの復旧は、初期の大規模な災害復興の1つとして、希望の光となっていた。その意味でもホンマにありがとう。
- ちなみにこれの復旧に関わったのはJR東の旧仙台鉄道管理局の関係者。彼らは宮城県沖地震の東北新幹線の倒壊の際に復旧のノウハウを知っていたために早く復旧できた。
- 渋滞は酷く、阪神間に5・6時間を要するのが普通だったという。
- 全通するまでの間、あの手この手で阪神間代替ルートを模索した。大阪・三田・谷上・新神戸とか、大阪・住吉…徒歩…(阪急)御影・王子公園…徒歩…灘・三ノ宮とか。
- 駅間徒歩連絡の時代、神戸市の神社の境内を大量の通勤通学客が通っていたといわれている。
- この震災が契機で、阪神線「青木」の正しい読み方を知った人も少なくない。震災後、大阪側から最も早く神戸市内に食い込んだのが阪神本線であり、その神戸側暫定終点が青木駅だったため。
- 新快速の「住吉」・「灘」行きなども全通前にはみられた。
- スーパーはくとが運休になり、開業僅か1ヶ月強で智頭急行は試練に直面した。
- ただ、後のJR福知山線脱線事故発生の遠因になったのも事実。
- それまでは代行バスが各地で活躍していた。
- 当時は全線非電化だった加古川線や播但線までも代替ルートとして活躍した。
- 明石海峡大橋はこの地震で、橋の長さが1mも延びた。
- しかしまだ道路部分の建設が始まっていなかったお陰で、被害は殆ど無かった。
- 地元民は今でも在京メディアの当時の報道姿勢を恨んでいる。
- 「東京じゃなくて良かった」と発言したり、至る所から煙の立ち上る神戸市内の映像を見て「温泉街みたい」と発言したり…。
- 確かに、神戸は本物の温泉街ではあるんやけどね。
- あの野郎は、最後まで謝罪撤回せず死んでいったそうな。T紫T也許すまじ。
- 必死で人を助けようとしている被災者に「何か一言」等と無神経にマイクを向けるレポーターもいた。
- 被災者がインタビューを断ると「こっちはわざわざ遠方から来てやってるのに!」等と言い残していく取材関係者もいたとか。
- 生き埋めになった人達の叫び声をかき消したのも、上空で爆音を立てながら飛んでいた取材のヘリコプターだった。救出活動の邪魔はするわ、ヘリで爆音立てて声はかき消すわ…、これでは元被災者の人達から恨まれて当たり前。
- さすがの在京メディアも東北や新潟の地震の時はそんな非常識なことはしなかった。
- 阪神淡路大震災の時の失敗が生かされているのは言うまでもない。
- 新潟でも非常識なことはしてたよ。勝手に立ち入ってはダメなところに入ってそれで帰れなくなったから救出されたりとか、ボランティアと称して取材したりとか。在京メディアは自分たちが被害を受けなければどうでもいいらしい。
- 東北でもやってたよ。救助活動をヘリの爆音で邪魔する行為を。しかも、官房長官に緊急会見でそれ言われた途端、民放各局一斉(なぜかNHK以外)で、スタジオに戻すという隠蔽工作。
- メディアの地震に対する報道姿勢はこの地震を境に一変。
- それまでの地震報道は、無駄に恐怖心を煽ったり、やたら大げさに被害状況を伝えたりと、ワイドショーのネタみたいな扱いでしかなかった(特に民放)。おそらく阪神淡路大震災の時もそんなノリで在京局は取材に出掛けたのだろう。
- 根本的にあまり変わっていない気がする。
- それまでの地震報道は、無駄に恐怖心を煽ったり、やたら大げさに被害状況を伝えたりと、ワイドショーのネタみたいな扱いでしかなかった(特に民放)。おそらく阪神淡路大震災の時もそんなノリで在京局は取材に出掛けたのだろう。
- 一方、地元の神戸新聞が震災の当日に夕刊を刊行し、数日後には記事一面を死者数など暗い報道から復興へ向けて明るい内容に切り替えたことは、今日でも語り草となっている。
- 神戸新聞グループは、読者が何を求めているかを知ろうと常に努力しているからね。デイリー然り、サンテレビ然り。
- 神戸新聞は震災のその後を伝える資料として十二分の機能を果たしている。震災関連の正平調(社説コラム)はネットでの閲覧無料で開放してくれてるし。
- デイリースポーツも一面が震災関連だった。
- 夕刊が刊行できたのは、京都新聞のおかげ。
- この震災をきっかけに在阪メディアの自主制作比率が高まった。
- 「東京じゃなくて良かった」と発言したり、至る所から煙の立ち上る神戸市内の映像を見て「温泉街みたい」と発言したり…。
- 地震から数週間後、焼け野原になった街をバックに記念写真を撮るアホが多数出現し、さらに被災者の気持ちを逆なでした。
- その後の日本の被災地でも、同じような輩は続出している模様。
- 不当に高い価格で物を売りつける悪徳業者も出没した。
- 当時の週刊朝日によると米10キロ5万円、水1本3000円など。
- 震源地の淡路市北淡町には、今でも当時の断層が保存されている。
- 今ではこれが旧北淡町最大の観光資源に。地元の人は正直複雑な心境らしい。
- 近くには奇跡的に崩れなかった家も保存されている。
- 神戸市民にとっては、三宮の阪急ビルが倒壊したのが最大の衝撃だったらしい。
- 今なお新しいビルが建たず、空虚な姿をさらし続けているのが、神戸と阪急の没落を示しているようで居た堪れなくなるとも聞いた。
- 他にも第一勧業銀行や中国銀行の神戸支店、神戸栄光教会などの名建築が失われた。
- グシャグシャに潰れた旧居留地十五番館(重要文化財)が復元できたのは奇跡だと思う。
- 三宮にあった喫茶店「5時45分」が倒壊を免れ、店名が偶然にも震災の「1分前」ということもあり話題に。
- JR西日本は上にもあった通り、JR神戸線へ阪神・阪急と山陽電気鉄道の客を移行させたが、その傍らで山陽新幹線の客を航空機に奪われた。
- この年、阪神タイガースは相変わらずの低迷球団(ちょうど60周年なのに60勝出来なかった)だったが、イチローがいたオリックス・ブルーウェーブはリーグ制覇、一躍市民の希望の星となった。
- この年のオリックスは、神戸のみならず全国の注目を一時的に集めたと思う。今と比較すると……
- この8年後の2003年には、阪神(とダイエー)がぶっちぎりで優勝し、オリックス(と横浜)がダントツの最下位になるという正反対の立場になった。
- 阪神競馬場が使えなくなったので、中央競馬の阪神開催は京都競馬場で代替された。
- 宝塚記念でライスシャワーの悲劇が起きた。
- この年の暮れにはマヤノトップガンが大活躍し、震災からの復興を目指す人々を勇気づけた。
- 馬主が神戸の人。
- 冠名「マヤノ」は摩耶山が由来。
- 馬主が神戸の人。
- 死者6400人以上を出した大災害だったが、発生が早朝だったため被害が拡大しなかったという見方もある。もしあと数時間遅れて発生していたらもっと被害は拡大していたと考えられる。
- 阪神間鉄道・道路の被災状況を見れば、あれが通勤時間帯だったらと想像するだけで冷や汗が出てくる。
- 甲陽園かどこかで新幹線の高架が落ちていた場所にも列車が差し掛かり大惨事になっていたはず。
- もし昼間に起こっていたら帰宅困難者が多数出て大問題になっていた。
- 阪神間鉄道・道路の被災状況を見れば、あれが通勤時間帯だったらと想像するだけで冷や汗が出てくる。
- 震災の1ヶ月ほど前に上映開始した『ゴジラvsスペースゴジラ』では、スペースゴジラがポートタワーやメリケンパークを破壊するシーンがあった。これを虫の知らせと感じた人も少なくないはず。
- 札幌やら鹿児島やらもボッコボコにされてましたがな。
- むしろ1カットだけで済んだあたり被害は少なくなってしかるべき。
- そういえば平成ゴジラには神戸・大阪が舞台の話はない。
- 大阪は「VSビオランテ」でゴジラに襲われてますよ。(OBPがスーパーX2との決戦でめちゃめちゃになった;)
- ちなみに95年12月に公開が予定されていた「VSデストロイア」は、被災者に配慮して公開を延期するという話もあったらしい。
- 犠牲者の中には前日の16日にゴジラの映画を見た子どももいた。
- 震災は成人の日が1月15日から1月第2月曜日に移る遠因ともなった。
- もし地震発生が3日以上早かったら被災地では成人式を開催できなかった可能性が高い。
- この地震にはこの企業が深く関わっていたとの疑惑がある。
- 「この地震を予言していた」と主張する怪しい人もよく見かけるが、真偽のほどは不明。
- 本当に予言していたのならなぜ発生前に発表しなかったのかと問い詰めたい。
- 「この地震を予言していた」と主張する怪しい人もよく見かけるが、真偽のほどは不明。
- 諸外国では、今でもまだ神戸には地震で倒壊したビルや焼け野原になった場所が残っているもんだと思われている。
- 実際に神戸を訪れた外国人は、その復興ぶりに驚嘆するらしい。
- 当時の惨状を少しでも知りたいなら神戸港の震災メモリアルパークへ。
- さすがの北朝鮮も、あの惨状には嘲笑うことができなかったらしい。
- その隣の国の連中は「天罰」なとど言って大顰蹙を買った。
- 厳密には新聞そのものが書き立てたんじゃなく、新聞を配り歩いた者の中にそういう輩がいたらしい。
- いや、どっちも正解。書いてあった記事を大声で読みながら配り歩いたそうな。知り合いの在日韓国人が韓国人として恥ずかしいとほざいてた。そんなん、わしらは家なくなったり、友人の葬式やらで、忙しいてどうでもええ時期に。
- 厳密には新聞そのものが書き立てたんじゃなく、新聞を配り歩いた者の中にそういう輩がいたらしい。
- その隣の国の連中は「天罰」なとど言って大顰蹙を買った。
- 神戸港はかつて東洋一の港だったが、震災の影響で一気に没落。今は閑古鳥が鳴く寂れた港となっている。
- このことから、県内の小中学校では1月17日(曜日により前後あり)に避難訓練と震災学習をするのが慣例行事となっている。
- 村山内閣が倒れる要因だった。
- 倒されても仕方ないわ。社会党と自民党の所属議員で神戸に居ったのが早く自衛隊出して救助してくれって電話で頼んだのに、昼過ぎにワイドショーで空撮映像見るまでなんもせんと官邸での~んびりと寝とったんやから。
- 自衛隊を出すように言ったのはさきがけの高見裕一議員だったらしい。これについて村山の感想「高見は大げさだ」。
- しかもそんな杜撰さで被災地・被災者の味方気取りでは怒るのも当然でしょうが。
- あんとき、もっと早く自衛隊の災害派遣がされとったら死者数が半減してたという試算もあるくらいやし。
- 犠牲者の大半が即死だったらしいからいくらなんでも半減はしない。
- 半減は極論だとしても、犠牲者を減らせたのは事実。因みに石原慎太郎は、あのときもっと早く自衛隊を出せていたら、2,000人は救えただろうと意見している。
- 関東大震災や東日本大震災みたいに火災や津波の犠牲者のほうが地震の犠牲者より多いという訳ではない。
- 犠牲者の大半が即死だったらしいからいくらなんでも半減はしない。
- そもそも被災者にとっては行政全般がろくに対応できていないとして怒りの対象だった。
- 小松左京や尼子騒兵衛も被災者の立場から批判していた。
- 行政全般が怒りの対象というのは的外れではないが、時が経って、その原因が村山内閣にあると理解した被災者は多い。
- 村山内閣「なにぶん、初めての経験だったものですし、早朝のことでもございますから、政府の対応は最善だった」
- 災害対応をはじめてのおつかいとかと同じくらいの感覚でやってたんだろうな。
- 倒されても仕方ないわ。社会党と自民党の所属議員で神戸に居ったのが早く自衛隊出して救助してくれって電話で頼んだのに、昼過ぎにワイドショーで空撮映像見るまでなんもせんと官邸での~んびりと寝とったんやから。
- この震災後ルミナリエを復興への希望と願いを込めて始めた。
- せやけど、東京もんが、ただ、キレイとか神戸みたいな所があんなことができるんだったら自分たちもやろうという極めて安易な理由でミレナリオとかいうのを始めたとか。
- 復興の名目だったはずなのに1・17までではなくてクリスマスシーズンだけやって実質ただの客寄せパンダにしてしまってるのが悲しいというか腹立たしいというか。まぁ報道で阪神大震災について触れてくれるとか、思い出すきっかけになるのはえぇねんけどさ。なんか釈然せんわ。
- この当時、中学生やった(小学生やったかな?)子がその後消防吏員になって、2011年の地震の時「あの時の恩返し」て意気込みで、東北に出動していった。
- 他にも、阪神・淡路の経験者の多くがその時に得たノウハウをもって、東北へ支援に出かけていった。
- 日本でインターネットが脚光を浴びたのも、この震災がきっかけである。
- 震災直後に神戸市の職員が災害写真をインターネット上にアップロードし、それを見た世界各国の人々から救済支援の申し出が相次いだ。
- 神戸市は既に震災の前年から市政情報をインターネットで発信していた。さらに市役所のコンピュータが破損を免れたため、スムーズに公開することができた。
- 震災直後に神戸市の職員が災害写真をインターネット上にアップロードし、それを見た世界各国の人々から救済支援の申し出が相次いだ。
- レバー式の水道の蛇口は、それまでは上に上げたら水が出るタイプと下に下げたら水が出るタイプとが混在していたが、この震災以降は上に上げる方式になった。物が落ちてきたときに、下げたら出るタイプだと水が出っぱなしになってしまうからね。
- なので、下げたら出る形式の水道があればおおよそ95年以前のものがほとんどかと。
- 日本初の震度7。以降中越地震と東日本大震災で観測されたのみ。(15.8現在)
- あと熊本地震も。がまだせ。
- なお阪神淡路の時点では現地調査がないと震度7と認定できなかった。
- 今ではそこまで大きく取り上げられているわけではないが土砂崩れによる死者も出ている。
- 地震発生の瞬間をとらえた映像としてNHK神戸放送局の様子が最もよく使われている気がする。
- 当時はABCも「おはよう朝日です」を生放送中だったがそちらの映像はほとんど見ない。
- 番組開始直後に地震発生して放送が中断したらしい。
- 神戸が本社のサンテレビは放送開始前だった。
- そもそも早朝の発生ということで本震の映像はあまり存在しない。
- 神戸市内のコンビニの防犯カメラが撮影していた映像から分析しようとする試みもあったがたいていのカメラがまともに記録できていなかった。
- 当時はABCも「おはよう朝日です」を生放送中だったがそちらの映像はほとんど見ない。
- この時には地震発生から4日以上閉じ込められながらも生還を果たした人もいた。
- 一説によると冬場だったため厚い布団で落下物から身を守れたのが影響しているという。
- 嘉門タツオも本震災を経験し、「怒りのグルーヴ 〜震災篇〜」という楽曲を発表した。
- 皮肉にも、その4年前には「やってミソ!」で、関西では地震が起こらないことを前提とした歌詞を書いていた。
トークに、阪神・淡路大震災に関連する動画があります。