荒川 (関東)
(隅田川から転送)
荒川の噂[編集 | ソースを編集]

- 埼玉を代表する川。
- 越えられない壁。
- 埼玉の場合、東側の方が栄えてる。昔は入間県の方が栄えてたが
- ここを境に文化が変わると言われている。
- 和光市民が他の埼玉県民に優越感を抱く根拠のひとつ。
- その和光も丘みたいなの越えるから一部からdisられてる。西武池袋・新宿線・武蔵野線・八高線の方が。
- 東武本線民は北千住周辺以外の足立区には優越感を持っている。北千住までは埼玉と。荒川渡ってやっと都内だよな?wって
- 下流部の橋は1km以上もある。中国並み
- 最後の荒川河口橋は確かレインボーブリッジに次ぐ東京で2番目に長い(高いだっけな?)橋で徒歩でも渡れる。転落防止用の金網などは張っていないので割とスリルがある。
- 1つ上流側の清砂大橋は、並走する東西線が強風のため、橋上で脱線転覆したこともあります。風の強い日は気を付けましょう!
- 中流(埼玉県内)にも1kmオーバーの橋がいくつかある。実は日本全体から見てもかなり長大橋の多い川。
- 最後の荒川河口橋は確かレインボーブリッジに次ぐ東京で2番目に長い(高いだっけな?)橋で徒歩でも渡れる。転落防止用の金網などは張っていないので割とスリルがある。
- 荒川を越える鉄道は必ず地上に出て鉄橋を渡る。
- 例外は埼玉高速鉄道。
- 田舎と都会の境界線。
- イルカが迷い込んだぞ。
- ゴマアザラシのゴマちゃんらしきものが観察されたかも、戸田あたりかな?もういないね、東京湾まで行く、水上バスは廃業?武蔵野線駅から歩いていけないし値段高かったからね
- 荒川には水上バスも運行されている。
- その昔、志木の秋が瀬から葛西臨海公園に向かっていた路線があったもののいつの間にか潰れた。
- 路線バス「荒川土手」
- その昔、志木の秋が瀬から葛西臨海公園に向かっていた路線があったもののいつの間にか潰れた。
- 東京の赤羽と埼玉の川口を結ぶ新荒川大橋の近くに、岩淵水門といわれている赤い水門があり、そこから有名な隅田川が流れ始める。
- 現在の水門は「赤水門」とは別。
- 荒川の川岸と堤防のあいだは、野球場とかゴルフ場とかいろいろな運動施設があり、かつ荒川の土手を延々とサイクリングができるようしかるべき措置がなされている。
- 旧大宮市(現さいたま市西区)には、西遊馬公園という有名な公園が荒川の近くにあり、その附近には礼儀正しい生徒が多くて有名な高校がある。
- さいたま市内の某高校のマラソン大会の終点がその西遊馬公園であり、マラソンを完走して疲れきった生徒たちは、園内に於いて無料のスポーツドリンクを賜った後に、友だちと一緒に近くの山田うどんに於いて食事をするのが定番である。
- まさかAKB48の長老さんがいた高校?
- 東京の板橋区と埼玉の戸田市は荒川で接しており、御互いに仲睦ましくする事を目的として、毎年花火大会を共催している。
- 埼玉の川口には、荒川を経て東京湾という美しき大海原へと至るクルーズをする小さな舟を停留させる為のマリーナがある。
- 板橋区側じゃなかったか?
- いや、非常に足立区に隣接している川口市にマリーナはある。
- 板橋区側じゃなかったか?
- 高低差のほとんどない関東平野を流れるため水は四方八方どこでも流れる。なので洪水のたびに氾濫する(していた)荒れる川。だから「荒川」。
- ホンダエアポートって冠水しないのかな。しても平気なのかなあ。そもそも河川敷に飛行場ってのがすごい。
- 河川敷にってことなら富山空港もそうなので別段すごいってほどのことでもない。
- ホンダエアポートって冠水しないのかな。しても平気なのかなあ。そもそも河川敷に飛行場ってのがすごい。
- ちなみに川幅日本一。最大で2.5km以上。
- 自転車で、河口までサイクリングする際は、羽根倉橋までは、左岸の自転車道のほうが走りやすく、サイクリングロードも整備されているが、羽根倉橋から右岸に渡ったほうが今度 は右岸の方が道が整備されているため、走りやすい。(左岸はこの橋から先は、急に道が無く なり水門によって道を塞がれるため。
- 上流から下流に向かって走る場合だね。下流から上流を目指す時は秋ヶ瀬橋か羽根倉橋まで右岸を走る。
- 岩淵から先が人口河川なんだけど、あの流域面積で人口河川とは正直驚く。
- 日本で一番きれいな川の一つ。
- この川に掛かるとある橋のたもとに変人が大量に住んでる。
- これの事ね。ちなみに橋のモデルは千住大橋らしい。
- 良々。
- 荒川越えたら東京じゃないよと言われる。
- そもそも羽越の人にとっては、荒川と言ってもここじゃない。「一級水系本流の」を付けようがそれは変わらない。
- 一級水系の本流で唯一被ってしまった。
- 他が被っていないのは、やはり一級水系とやらを決める際に色々整理したのだろうか。んでここは整理ミス、と。
- 同音の一級河川本流だと那珂川(茨城・栃木・福島)と那賀川(徳島)、千代川(鳥取・岡山・兵庫)と川内川(鹿児島・宮崎・熊本)がそれぞれ被る。福岡・佐賀両県に跨がる那珂川は二級河川だ。
- 他が被っていないのは、やはり一級水系とやらを決める際に色々整理したのだろうか。んでここは整理ミス、と。
- 一級水系の本流で唯一被ってしまった。
- 荒川沿いは意外と観光スポットが豊富。
- 葛西臨海公園、彩湖道満グリーンパーク、秋ヶ瀬公園、上尾丸山公園、榎本牧場、桶川空港、北本自然観察公園、吉見総合運動公園、荒川運動公園、川の博物館etc。
- 秋ヶ瀬公園、上尾丸山公園、榎本牧場はバーベキュースポット。
- 榎本牧場は土曜スペシャルの源流点を目指す旅で取り上げられた。
- でもやっぱり一番は秩父・長瀞。
- 荒川河口橋の西行き側(下流側)に歩道はある。が、橋の両端には歩道に通じるスロープも階段もない(非常用か?)。
- 全体で特に正式な通り名は無いが、都内の左岸堤防横を走る新荒川葛西堤防線はマイナーだが小菅~江北まで片側二車線(右折レーンは多いが)なため、環七や中央環状渋滞の抜け道としてはかなり有効。
- 1968年に利根川分水路が完成してから熊谷市で利根川からの水が合流するようになった。よって群馬・長野(臼田町の一部)からも荒川へ水が流れる。
- 千代田区は全域が荒川水系の流域。意外にも港区にも荒川水系に属す地域がある。
- 荒川区はむしろ隅田川沿いだ。かつて荒川駅だった京成押上線の八広駅(墨田区)は荒川に近い。
- 東京都に入ると武蔵野台地の縁に沿うように流れている。
- 大昔には、堀切の辺りで利根川とも合流していた。両河川の水を一挙に集めて東京湾に流し込んでいたのは、当然だが荒川放水路ではなくて隅田川。そらしょっちゅう洪水を起こしますわと。
- 荒川沖駅はこの川の流域にない。
荒川水系の川[編集 | ソースを編集]
神田川[編集 | ソースを編集]

- 関連地域:東京都
- 桜の時期はキレイだが臭いはどうにもならない。
- 有名な日本料理の達人が生息しているらしい。
- 単身者向けの間取りは三畳が基本。
- そんな単身者が女連れ込んでイロイロヤッたという曲が歌になったが、なぜかそれを四畳半フォークというらしい。勝手に1.5畳、約2.5平米増やしてるしww
- 巨人が優勝しても誰も絶対に飛び込まないし、飛び込みたくない(特に神田橋近辺)
- あんな川(↓参照)なのは道頓堀も一緒。
- それこそカーネルおじさんになる。
- 道頓堀よりも飛び込みにくいと思う。理由は以下のとおり。
- 浅草橋の辺りは、隅田川の屋形船が所狭しと岸に横付けされてるんで、上がろうにも上がれない。
- それなら御茶ノ水付近はといえば、落差がデカ過ぎて飛込みの選手も間違いなく嫌がるレベル。
- じゃあ神田橋の辺はリーマンたちの視線が強いし、飛び込もうもんなら視線が突き刺さる。ただでさえ巡回中の警官が他より多いし……
- ただのヘドロ川。どこを探しても情緒は見当たらない。
- 情緒が欲しけりゃ井の頭池に行って鯉(神田川水源)
- 途中で下水処理水が大量に合流するらしい。水源由来の水は実はほんのわずか。
- でも一級河川。ルールによって定められたこととは言え、「なんだかなあ」と思ってしまう。
- 川沿いのどこを歩いても、赤い手ぬぐいをマフラーにして歩いてる二人組なんていません。
- 24色のクレパスで、全然似ていない彼女の似顔絵を描くカップルもいません。
- 貴方は~ もう~ 忘れたかしら~♪
- 神田川を渡る大久保通り(末広橋)の脇に、"神田川"の歌詞を刻んだ石碑が作られている。作詞したのは、ここではないと思うが。
- 3項目の投稿が無視されてる…
- 2番の後ろの方の歌詞じゃネタとして分かりにくいのも仕方ない。
- 神田川の始まりは井の頭公園である
- 東京中に神田川だと勘違いされてる川がある
- 暗渠になってしまった「春の小川」(河骨川)よりマシ。
- ひとたび大雨があると溢れることで有名。
- この川の治水工事は江戸時代から始まったが、今でも治水対策の難しい川。このため調整池や分水路が多い。
- 地震などの災害で道路が寸断したり渋滞した時は、神田川の水運で救援物資を運ぶようになっている。その為の船着場が、各所に用意されている。秋葉原近辺なら、昭和通方面の和泉橋・区役所出張所の裏。
- 秋葉原駅は神田川の水運を当てにして造られた貨物駅が創始。よって秋葉原と言う街自体が、神田川に支えられて形成されたと言って過言でない。
- 某ゲームにて「仲間がダウンしたから復活のための注射を打とうとしたが、間違えて手榴弾投げて肉骨粉にする」こと。理由を知りたい人は「神田川 うるふぇん」でググれ。
- 隅田川との合流部は完全な屋形船のボートターミナル。まるでどこぞの駅前のタクシーかという感じでキレイに縦列停船。
浅草橋より - そのターミナル部の先にあるのが柳橋。昔は柳橋芸者相手に茶屋でイチャつき、気分が乗ってきた所で、屋形船で隅田川を航行するというのが粋だったらしい。
- 一方無粋でも構わんという今風に言えばタダのヤリチンもいて、彼らは全く違うやり方をとるのである。
- なんでも、予めチャーターした舟に予め芸者を呼んでおいて、自分が来るや、舟も動き出す。そうして舟が川を遊覧する間中しっぽりやるなんてことをやっていたんだとか。
- でも多分そういうヤリチンと呼ばれている者も、そこに至るまでに長い信頼を築いてこなければ、無粋な真似が許されるような関係には至らなかっただろう。そう考えればヤリチンという表現は語弊があるかもしれぬ?
日本橋川[編集 | ソースを編集]

- 最近、常盤橋の復元工事が為されているらしい。でも「できたとて」と思わなくもない。
- 因みにそのすぐ南に、三菱地所さんの手で日本一の高さのビルができるらしい。完成すれば三菱地所を見に行こうとする人は出るだろうけど、橋を見に来る人はその10000分の1も居ればいいなということになるに違いない。
- 上はほとんどずっと首都高が走る。
- 日本橋の真上の部分がアジアハイウェイ一号線の起点。
- もしこの世に道路がアジアハイウェイだけしか無ければ、逆走してきた車は、即刻この川へドボンする。
- 地下化するらしいが...。
- 日本橋を流れる川だから日本橋川なのか、日本橋のかかる川だから日本橋川なのかは不明。
- 旧麹町区・旧神田区の境界。
- 東京ドームの正面から分岐してスタートしている。
- ビジター側から歩道橋を渡らないで手前の階段を下りてJRに向かうと、信号を渡った先に分岐点がある。
隅田川[編集 | ソースを編集]

- 関連地域:東京都
- 深川辺りの特集番組で「江戸の情緒・屋形船」と常に紹介される。しかし、地元住民は天麩羅ばかりだしやがる屋形船には乗らない
- 一応河川敷はあるが、なぜか川の支流ごとに階段で区切られているため、自転車で河川敷を回るのは難しい。
- 自転車の乗り入れは禁止されているはず。
- 新大橋の近くにある芭蕉座像は、夕方になると90度ほど向きが変わる
- 川が汚いため、注目点が橋に移る
- 青い屋根の家が多い。
- 隅田川に架かる橋には同じ構造のものが無く業界では「橋の展覧会」と呼ばれている。
- 関東大震災からの復興事業で多彩なデザインの橋が建設されたのが始まり。
- 江戸初期には千住大橋しかなかったとは信じられない。
- 総武線にのり寝ていても、隅田川にさしかかると臭さで目が覚めると言われた時代があった。
- その後住民の活動により幾らかは改善された。少なくとも川がくさいということは無い。
- 多分、その当時は国鉄の電車の窓があくタイプだったことも影響してそう。
- 場所中は駒形橋-両国橋墨田区側のコーポブルールーフが撤収する
- 水上バスはいつも学生で一杯だ。
- 「ヒミコ」をデザインしたのは銀河鉄道999のデザイナーらしい。
- 松本零士。
- 「ヒミコ」をデザインしたのは銀河鉄道999のデザイナーらしい。
- 現在は北区の岩渕水門から下流を「隅田川」と呼んでいるが、1965年までは千住大橋から下流を「隅田川」、上流を「荒川」と言っていた。(現在の荒川は「荒川放水路」だった)
- さらに荒川放水路完成までは河口まで「荒川」、別名「大川」(通称として一部が隅田川とも呼ばれていたらしい)。両国橋がかけられたとき、「大川」にかけられたので「大橋」という別名がつき(ちなみに今の位置とは少しずれている)、その下流に橋をかける際に「大橋」より新しいので「新大橋」と名付けられた。
- 北区に於ける岩渕水門の色は赤色である事により、岩渕水門のことを赤門と称されてもいるらしい。また、岩渕水門の附近に於いては新荒川大橋が架橋されており、東京の赤羽と埼玉の川口との境界を結び付けている。
- 江戸から明治にかけては、川の水が飲めたらしい。
- 今でも東京の水運の中心。観光船による人はもちろん、木場からの生木、ゴミを積んだ貨物船まで。
- ちなみに都立の高校は「墨田川」と表記。能の演目は「角田川」と表記。
- 歌に出てくるような隅田川の風景は今そこにはない。
- ゆえに、川を見ながら「は〜るの〜うら〜ら〜の〜・・・」の唄を口ずさむとかなり哀愁を感じられる。
- 伊勢湾台風の教訓をもとに、堤防のかさ上げや護岸工事が行われたため。
- 隅田川の花火大会は、戦前はもっと下流、新大橋−永代橋の辺りで行われていた。
- スポンサーが永代橋(茅場町)近辺にあった置屋の旦那衆から浅草に移ったため。
- 毎年4月中旬は「早慶レガッタ」開催。両国橋〜桜橋の3200mで争われる。
- この川を境に街の雰囲気がいっきに変わる。地価も跳ね上がる。
- そもそも17世紀までは武蔵と下総の国境だった。
- 「両国橋」という橋の名前が名残をとどめている。
- そもそも17世紀までは武蔵と下総の国境だった。
- 隅田川というとおのぼりさんは例のあのビルを思い出す。
- 隅田川=東京23区のイメージが強いが、実は埼玉県も流域に含まれている。
- 春のうららの川。
- 武蔵水路の建設理由に隅田川水質浄化も立派な理由として入っていた。魚の住めない悪臭の川。youtu.be/hLLoRPApyyM
- 地味に平安文学にも出てくる。
- 在原業平や菅原孝標女も渡ったことがあるという。
- 前者はフィクションで実際には渡ってないという説がある。
- 在原業平や菅原孝標女も渡ったことがあるという。
- セーヌ川や四万十川と提携しているらしい。
- 昭和20年3月10日の未明には地獄と化した。
- 水を求めて川に殺到した多くの人々が犠牲になってしまった。
- その中には大相撲の人気力士だった豊嶌もいた。
- 低い水温や水面で燃える油により人的被害がさらに拡大した。
- 水を求めて川に殺到した多くの人々が犠牲になってしまった。
亀島川[編集 | ソースを編集]

- 日本橋川が隅田川との合流地点を迎える直前で、日本橋川から分岐。新川地区を本土から隔てて島にしているだけの僅かな川。
- 流石に都心部だけあって、僅かな区間に、大小5つもの橋が掛けられている。
- 日本橋川からの分岐口、隅田川への合流地点、つまり入口と出口双方に水門を設けて、完全に閉め切る事が出来る。
- 入口の日本橋水門は、地下鉄茅場町駅を出た目の前にある霊岸橋から間近に見られる。出口の亀島川水門も、鉄道駅は近くに無いものの、南高橋から間近に見られる。
- これでも一級河川。
- それ以前に運河だと思われているフシがある。
- 隅田川寄りの2つの橋、『高橋』『南高橋』は、一見苗字の様だけれど「たかばし」と読む。
- 高橋の袂にぽつんとJR八丁堀駅の出入口がある。
黒目川[編集 | ソースを編集]
- not目黒川
- 東久留米を起点に新座を通り朝霞で新河岸川に合流する。
落合川[編集 | ソースを編集]
- こちらも東久留米が起点。そして東久留米の端で黒目川に合流する。
- 水が綺麗で、水遊びをする場もいくつか整備されている。
- というか多摩の23区寄りにある市なのに湧水から流れているのがまず凄い。
- 東久留米市の水の綺麗さのイメージは大半がここが担っているといっても過言ではないと思う。
- 黒目川も結構綺麗な川だけどね。
関連項目[編集 | ソースを編集]
- 荒川アンダー ザ ブリッジファン
- 利根川(中川ほか)