隋
隋の噂(一般)[編集 | ソースを編集]
- 小野妹子らが持ってきた日本からの手紙に対して皇帝がブチキレた。
- 冒頭に「YO!煬帝!」と書いてあったのが原因らしい。
- 中国における受験戦争勃発。
- ずっころばし,かつ,ごまみそ。
- あっという間にできてあっという間に滅んだらしい。遣隋使として日本から出発したのに、着いた頃には隋終わって唐の時代。仕方なく「遣唐使として参りました」と言ってお茶を濁す。
- 荒れた中国を統一はしたが、調子に乗って高句麗を攻めようとしてボロ負けし、滅ぶ。
- 人民に溝を掘らせたのが運のつき
- キムチを狩りに行ったのも関係している。
- 文帝は皇后に寵妃を殺されて、泣きながら家出した。
- 臣下に叱られて仕方なく家に戻ったw
隋の皇帝[編集 | ソースを編集]
文帝[編集 | ソースを編集]
- 孫の静帝(北周)から禅譲を受けて皇帝に。
- この時、静帝は9歳。ほどなく死亡。文帝の孫殺しの容疑、限りなくクロに近いグレー。
- ついでに北周の皇族や政敵を皆殺し。裏ではかなりダークなことをやっている。
- 無類の恐妻家。
- 奥さん(独弧皇后)に隠れて女官のひとりとねんごろになったが、バレてその女官は殺されてしまった。
- 奥さんは女癖の悪い長男(楊勇)に我慢ならず、皇太子の座から外すように文帝に要求。文帝、多少は楊勇を弁護するもあえなく屈服。
- 代わりに次男の楊広を皇太子に。文帝一世一代のミス。
- 奥さんの死後、のびのびと女遊びを始める。
- 皇太子にした楊広、文帝の寵姫に横恋慕。
- 寵姫の訴えにより、文帝激怒。
「親父の女に手を出そうとするとは、あやつは我が子ながら畜生のようなヤツ。独弧め、我を誤れり!」 - 早速皇太子を楊勇に戻そうとし、使者を立てるが、使者の復命の代わりに、楊広がぬっと現れる。
- しばらくのち、楊広により、文帝の崩御がアナウンスされる。楊広、代わって帝位に就く(煬帝)。
- ちなみに、息子に殺されたか否か、に関しては今でも論争が絶えない。隋の歴史を編纂させたのはあの唐の太宗李世民だから、必要以上に楊広を悪し様に書いている可能性もあり、なんともいえないのだが。
- 寵姫の訴えにより、文帝激怒。
- あまり知られていないが、高句麗へキムチ狩りにいって大惨敗を喫したことがある。
煬帝[編集 | ソースを編集]
- ↑というわけで、煬帝の父殺しの容疑、限りなくクロに近いグレー。
- 別に暴君というわけではなかったが、浪費家ではあった。
- 遊覧船を浮かべるために運河を造ったというのは誤解。しかし、できた運河に遊覧船を浮かべたのは事実。
- 南方に滞在中、華北地方で叛乱が頻発しはじめると、面倒くさくなって放置。帰る気が全然ないらしいのにブチ切れた近衛軍のクーデターで殺される。
- 実は地球征服を企んでいたらしい。(ノート参照)
- 削除されてしまいました。残念。
- なんでこの人は「ようだい」なんだろう。
- 「ようてい」と読んでも別に間違いではないらしい。が、頭の硬い先生のテストで「ようてい」と書くとバツをつけられるかも。
- 隋で付けられた諡は明帝。煬帝ってのは唐が彼を貶めるために付けたもの。
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