JR列車/さ行
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- 「スーパー」などの冠名が付いている列車名は(冠名がつかない列車名が存在したことがない場合を除き)その部分を外した項目に入れて下さい。
- 便宜上、国鉄時代の列車も含めます。
分割済み[編集 | ソースを編集]
さ[編集 | ソースを編集]
ざおう[編集 | ソースを編集]
- (初代)上野~山形
- 実は全列車季節列車だった(昭和50年代)。
- なので東北新幹線開業前の、百花繚乱状態だった上野発の優等列車の中では影が薄い存在だった。
- 蔵王駅は通過していた。
- (2代)米沢~山形
- 山形新幹線開業時に、米沢~山形間の快速として復活。
- ただでさえ「つばさ」が十何本も通過していく中にこの列車まで加わって、通過駅の虐げられ感が半端なかった。
- さすがに蔵王駅は停車していた。
さかり[編集 | ソースを編集]
砂丘[編集 | ソースを編集]

- 平成になってからも、交換駅通過時にタブレットのスロー&キャッチを行っていた(因美線内)、
時代遅れ奇跡の列車。- たまたま撮影していた鉄ちゃんが取りそこねたタブレットをタブレット授受の運転士に渡しに行った動画があって、それを行った鉄ちゃんがつべで英雄になっている。
- もちろん自動化されなかった(タブレット閉塞・腕木式信号機)ので、これが廃止されるまでは乗客がほぼいなくても交換駅には必ず駅員がいた。本当に昔を感じさせる光景だったとか。
- 国鉄の函館本線山線(長万部~小樽)や天北線など廃止路線もそうだが、智頭急行の建設が進んでおり、合理化への投資は優等列車がなくなり最小限で済むようになるまでされなかったのだろう。
- 急行列車としては珍しく、JR化後に増発されている。
- 智頭急行がなかった時代は、これで鳥取へ行く人も多かったらしい。智頭急行が出来て、役目をスーパーいなばに取られた。
- 最も「いなば」の設定は智頭急行開業から3年後
- 智頭急行がなかった時代は、これで鳥取へ行く人も多かったらしい。智頭急行が出来て、役目をスーパーいなばに取られた。
- 気動車急行で最後までグリーン車が連結されていた珍しい列車。
- 「たかやま」とかもそう。
- JR四国がキハ185系を持て余していた頃、購入してキハ58系を置き換える噂があったらしい。
さざなみ[編集 | ソースを編集]

- 内房線の特急。
- わかしおと違って安房鴨川までは行かない。臨時でも千倉まで。
- 千倉から先は外房だし距離的にも・・・ねぇ。
- わかしおと違って安房鴨川までは行かない。臨時でも千倉まで。
- 君津~館山で全く停まらないのは竹岡と那古船形だけ(一部区間が各駅停車になるもの除く)。
- 特急停車駅がまばらなので、なにがどこに止まるかはっきりしていない。
- 要するに、飛び抜けて大きな街が無いんですな。平等に扱おうとすると、複雑な千鳥停車にするか、いっそ君津から館山までノンストップにするしかない。
- 君津-館山ノンストップ特急があっても良さそうだが、この区間には追い越し設備のある駅がひとつもないので、先行の鈍行に追いつくような特急は走らせられないのでした。
- 単線区間で特急が鈍行を追い越すダイヤは存在するぞ。
- 毎年1月末の館山若潮マラソン向けの両国始発の臨時さざなみ91号、93号は君津~館山間ノンストップです。
- この2本はマラソン参加者輸送のため、全席指定。
- なぜか富浦にはすべての特急が停車する。
- 255系時代は「ビュー」がついていた。
- 2015年3月のダイヤ改正で、定期列車はすべて君津止まりに。
- 東京湾アクアラインの影響が直撃している。
- 京葉線経由にしたことで、東京駅の立地の不利も鉄道にマイナスになったとか。
- 千葉駅を経由しないのも痛いとか。
- だからなのか、臨時が出るときはほとんど新宿発着(そういう列車自体は昔からあったようだが)。
- 東京から木更津までの横断道路経由での距離は、東京から蘇我までの鉄道のそれと大差ない。その先も高速が開業しており既に対東京では役目を失っている。
- 外房線の「わかしお」はまだ10往復以上が残っていることを考えるとその差は大きい。
- 京葉線経由にしたことで、東京駅の立地の不利も鉄道にマイナスになったとか。
サロベツ[編集 | ソースを編集]

- ダイヤ的には、かつての天北線経由急行「天北」を引き継いだ格好になっている。
- 大人の事情により、一時旭川~稚内間の無名快速に置き換えられていた。
- (キ)サロは連結されていない。
- どころかキロも連結されていない(つまり普通車のみ)。
- ただ、指定席車には窓側コンセント設置。座席もJR世代と同じものに換装され、車両が古い割にはちゃんと近代化はされてる。
- もうじき、JR北海道副社長によるキハ183系の引退発表と同時にこの種別の特急が廃止される可能性が…。
- 結局2017年春の改正により旭川〜稚内間に短縮され、車両はキハ261系を使うことになった。
- 札幌駅まで行かなくなった分はライラックを旭川駅で対面乗り継ぎさせることで対応するとのこと。
- 結局2017年春の改正により旭川〜稚内間に短縮され、車両はキハ261系を使うことになった。
さんべ[編集 | ソースを編集]
- いったん分割した列車と再びくっつく、という離れ(?)技を披露した。
- 長門市~下関間で山陰本線経由と美祢線経由の列車。両者の所要時間に殆ど差がなかったため可能だった。
- 「再婚列車」と呼ばれたとか。
- 当時のダイヤは確認していないが、さらに山口線経由もあったようだ。
- 分割後再併合が廃止されてから米子~(山陰本線経由)~下関~(山陽本線・鹿児島本線経由)小倉の急行になった。
- 夜行もあり、真冬の福岡から三瓶山(さんべの愛称の理由)などにスキー客を運んだ。
山陽シティライナー[編集 | ソースを編集]
→#シティライナーを参照。
サンライナー[編集 | ソースを編集]
- 岡山~福山間の快速列車。
- かつては「SUNライナー」だった。
- いつのまにか全列車東福山駅に停まるようになった。
し[編集 | ソースを編集]
シーサイドライナー・シーボルト[編集 | ソースを編集]

- 「シーサイドライナー」は長崎~佐世保間の快速列車。
- 車両はキハ200系とキハ66・67系を使用。専用塗色で統一してキハ66・67のくたびれ感を覆い隠している。
- 内装は殆どいじっていないのでキハ66・67に当たると座席のくたびれ感が…あからさまに落胆する人もいる。
- 一時「シーサイドライナー」の特急格上げ版である「シーボルト」も併存していた。
しおさい[編集 | ソースを編集]

- 停車駅が多すぎ。ひどいところで、八日市場、間1駅(干潟)、旭、飯岡のほぼ各駅停車。
- 成東-銚子間各駅停車の特急は要らない。単なる時間と電車本数の無駄。
- 錦糸町の特急券売機で自由席券を銚子まで買ったら、車内検札で「お客様、申し訳ございません。この列車は成東以降普通列車扱いなので、特急料金の払い過ぎになっております。恐れ入りますが、銚子で払い戻しを受けてください」といわれたことがあった。
- その運用は2015年3月で終了。これによってE257系は定期では銚子へ来なくなった。
- 現在は上り4号(佐倉駅始発、E257系10両編成、全車自由席)を除き、全ての定期が255系に統一されました。
- 特急しおさいは船橋に止まるべき。
- 船橋と錦糸町を特急で交互に止めたら良いと思う。
- 成東-銚子間各駅停車の特急は要らない。単なる時間と電車本数の無駄。
- 銚子から指定席に乗ると、自由席に移動するよう言われる人をよく見かける。特急=自由席という発想の狭さに、東総の人の良くない点を感じ、恥ずかしくなってしまうのは考えすぎだろうか?
- わかしおの勝浦以南やあやめの佐原以東など途中駅から普通列車・全車自由席になる列車が多いせいで全区間特急の列車でも同じようにしてしまう人が多いのかもしれない。
- 外房線から東金線経由で成東に着く電車と接続をして、待ち時間なしで特急用車両で銚子の方へ行ける電車がある。乗り鉄的には嬉しかった。
- ただ入学試験でもあった日だったのか中学生か高校生が特急用の車両に押し寄せてデッキまでギュウギュウで大変だった。人出が予想される日は臨時でちゃんと車両交換してあげて欲しい。
- 銚子方面は高速道路が整備されていないせいか、房総特急の衰退にもめげずにどうにか存続している。
- わかしおにも同じことがいえる。
- ソルトライノー
しおじ[編集 | ソースを編集]
- 新幹線開業後に新大阪ー下関を走った特急。
- 全列車交直流電車化されるまではパーラーカーを連結していた。
- 最初は全室だったが後に、開放室部分は普通席に改造された。
- 181系以外にも485系や583系も使われていた。
- 同じ名前の列車が小田急にも存在していた。小田急のほうは江ノ島線の臨時特急。
シティライナー[編集 | ソースを編集]
- 広島駅近郊を走った快速列車。
- 運行開始当初は「山陽シティライナー」だった。
- 「シティライナー」と言えば117系の愛称として有名だが、この列車に117系が使われたことは多分ないはず。
しなの[編集 | ソースを編集]

- 初の振り子式電車を使った特急。
- 地味にキハ181も初めて運用された列車。
- 中央西線区間でカーブが多いため。一部では「デビルしなの」と称されているらしい。
- 最近車内販売が廃止。今でもこれに関する駅のアナウンスが多いくらいの衝撃。
- 昔はスキー客、今はビジネスや観光客の輸送。
- しかし平日日中はガラガラ。自慢のパノラマグリーンが悉く乗客0人のことも。
- 大阪まで顔を出す列車がいる。 大阪発のしなのは日本一長い昼行特急となっている。
- 日常的に増結が行われている。多客とかそういうことではなく、単に走行距離の都合。申し訳ないが平日の8両や10両はガラガラである。
- 通常の6両編成であっても4両+2両が入ったり、これに増結して4両+2両+2両や4両+2両+4両となる場合もある。
志摩[編集 | ソースを編集]
- 京都~伊勢・志摩(鳥羽駅)を結んでいた急行。
- 東海道線→草津線→関西線→紀勢線→参宮線と、ハシゴしながら走っていた。
- 実は、運行当時は京都発・近鉄の伊勢志摩特急より、所要時間が短く、運賃・料金とも安かった。
- 三重県では唯一近鉄に対抗できる優等列車だったのに、廃止になったのは惜しまれる。
- 現在でも「快速みえ」でさえ近鉄に善戦しているのだから、このスジは編成と料金を工夫すれば、復活させても充分に採算が取れると思うが。
- 東海と西日本に分かれているうえに柘植〜鳥羽が非電化だから、両者ともやる気ないんだろうなあ。
- 廃止された改正がまさに国鉄分割民営化を前提とした時だったのが全てを物語っている。
- 三重交通の津・四日市~京都線はこのルートを辿っている。
- 東海と西日本に分かれているうえに柘植〜鳥羽が非電化だから、両者ともやる気ないんだろうなあ。
- 大元をたどると参宮快速。近鉄の前身となる参急の開通に対抗し、大阪や京都から乗り換え無しで伊勢まで直通することを売りにした。
- その当時は特急よりも速かったらしい。参急は上本町発着だったから、北の大阪駅から発着する快速にも利はあった。
- 京都からだと京都・大和西大寺間は当時奈良電であり、最低でも八木で1回乗り換えが必須だったからなおのこと。
- 戦後も姫路から鳥羽まで直通し、1等車も連結していた。
- その当時は特急よりも速かったらしい。参急は上本町発着だったから、北の大阪駅から発着する快速にも利はあった。
- 参宮線では実は最後の定期急行列車だった。
- 名古屋方面からの「いすず」は当時まだ亀山経由ということもあり、近鉄特急(名伊)の餌食になり真っ先に消えていったが、こちらは上述の経緯から生きながらえた。
しまねライナー[編集 | ソースを編集]
→JR列車/あ行#アクアライナー・石見ライナー・しまねライナーを参照。
しまんと[編集 | ソースを編集]
- 高松~高知の四国内都市間輸送列車。
- 基本編成は3両。
- 2両のこともザラ。
- 基本停車駅・・・高松・坂出・宇多津・多度津・善通寺・琴平・阿波池田・大歩危・大杉・土佐山田・後免・高知
- 「南風」と連結運転。
- 瀬戸大橋線開通前はこの列車が「南風」だった。ちなみに「しおかぜ」と「いしづち」の関係も同じ。
- 「しまんと」と、いうくらいなら、予土線経由で宇和島まで走らせてほしい。
- 同じ区間を走る高速バスに負けてるせいか、本数が少ない。
- 似たようなポジションの「いしづち」は全日にわたって運行されているのに対し、これは朝晩のほんのわずか。
- それどころか、高松方面からの南風との接続列車も快速サンポートである。
- やはり高松⇔高知の需要がないのだろうか…。
- それでも瀬戸大橋線開通直後よりは多くなってたりする。
- 高速バスが有利すぎる状況。バスは正規料金が3500円(2020年7月時点)で2時間強。JRだと正規料金が指定席付けると5000円超えるし、金券ショップでうまいこと格安券見つけてもバスとあまり差がつかない。それでいて、実は時間もあまり変わらんとあってはねぇ……
- 似たようなポジションの「いしづち」は全日にわたって運行されているのに対し、これは朝晩のほんのわずか。
- 気づけば土讃と土佐くろを全線走破する唯一の列車となってしまった。
- 南風の系統分割もしまんとの本数が少ないのも「車両が足りない」のが原因。
しもうさ[編集 | ソースを編集]
→JR列車/ま行#むさしの・しもうさを参照。
しもきた[編集 | ソースを編集]
- (初代・2代)盛岡~大鰐など
- (3代)八戸・青森~大湊
- こっちの方がより愛称にふさわしくなったと言える。
- 「うそり」時代はほぼ青森発着だったが、今は殆ど八戸発着になっている。
- 八戸の方が新幹線との接続上都合がいいからだろうが、下北半島が旧南部藩領だった事情もあるかも。
- さらに、野辺地駅の配線の都合上の理由も。青森方面からだとスイッチバックしなければならないから。
- 八戸の方が新幹線との接続上都合がいいからだろうが、下北半島が旧南部藩領だった事情もあるかも。
しらかみ[編集 | ソースを編集]
- 秋田~大館間の快速として登場した。
- 白神山地の豊かな森のイメージとは真逆の、走るプレハブの寒々しい車内…
- なので愛称を五能線を走るリゾート列車が奪い取ったのは当然だと思う。
- それでもスピードや停車駅は特急と遜色なかったため、「かもしか」の客をかなり奪ったとか。
- 実はほぼ同区間を運行していた「よねしろ」よりも停車駅が少ない。
しらさぎ[編集 | ソースを編集]
- 雷鳥・サンダーバードが大阪方面へのアクセス特急なのに対し、こちらは名古屋方面へのアクセスに特化している。
- スーパー雷鳥用の485系が転用された後、一時期塗装が独自のものになった。
- そして置き換え後はまた雷鳥に戻るために国鉄色になった。
- この名残りなのか、現在使われている683系もこの時の塗装をイメージした帯になっている。
- なんとなくJR東海をイメージしている気が。
- オレンジ色の帯は東海の意味なのだろうか。
- なんとなくJR東海をイメージしている気が。
- 485系グレードアップ車を用いていた時代は「あおさぎ」と呼ばれた。
- 北陸新幹線開業後に使用車両が退化した。そのため現在は座席においてコンセントが使えなくなっている。
- 元々普通車では車端席しか使えなかったから別に・・・
- 北陸新幹線の敦賀延伸でサンダーバードと共に廃止の危機に瀕している。
- 一部から存続を求められているがどうなるのだろうか。
しらゆき[編集 | ソースを編集]
- 初代
- 金沢と青森を日中で結んだ急行。
- 途中で糸魚川まで大糸線経由で松本に行く列車も連結していた。
- 秋田で青森と仙台を北上線経由で結ぶ急行と連結していた。
- 廃止されるまで電車が使われず気動車のままだった。
- 交直流急行型電車が無かったためらしい。
- 一部区間を非電化線区直通の急行と併結していたから。
- 実は廃止ではなく、何と特急「白鳥」(1・4号)への格上げだった。
- 交直流急行型電車が無かったためらしい。
- 2代
- 「リゾートしらかみ」の登場時に、名前が紛らわしくなった秋田~大館間快速「しらかみ」が改称して復活。
- 初代の運行区間をほんの少しだけ再現していた。
- 3代
- 北陸新幹線開通後、新潟県内の特急として復活。
- 金沢方面からの接続を主眼に置いているので信越間の移動利用には向かない。素直に列車より速い高速バスをドウゾ。
- これも初代の運行区間を少しだk(ry
- 正直そんな早くないし快速に格下げしてもよさそう
- 2022年より1往復減少。
しれとこ・しれとこ摩周号[編集 | ソースを編集]
- 釧網線内を走る快速。
- この列車は2代目だが、初代もほぼ同区間を走る急行だった。
- 快速とは言え、通過する駅は3駅のみ。
- しかもそのうち2つは当初2017年の廃駅候補に挙がっていた。このままだといずれ1駅しか通過しない快速になる悪寒…
- 2018年3月改正時にこっそり「しれとこ」→「しれとこ摩周号」に改称。
- 過去に弟子屈駅を摩周駅に改称させた弟子屈町の仕業か?
信越[編集 | ソースを編集]
- ホームライナーであったらくらくトレイン信越に代わって新設された全席指定の快速列車。
- 急行きたぐにの代替で朝に新潟行きで運行されていたおはよう信越もこれに統合された。
- JR東日本はホームライナーの特急化を推進しているが、地方では特急では採算が取れないのか、快速になった。
- 特急化するといなほの二の舞になるから?
- 信越だが、長野県内の運行はない。
- 土日は長岡までガラガラ。
信越リレー妙高[編集 | ソースを編集]
→JR列車/ま行#妙高・信越リレー妙高を参照。
新幹線リレー号[編集 | ソースを編集]
- 東北・上越新幹線が大宮までしか来ていなかった頃の妥協の産物。
- 185系がメインだが、475系とかも使われた。
- グリーン車は全車優先席みたいな扱いだったらしい。
- 東日本大震災により福島・仙台で運転されたことも。583系も最後の花道とばかり動員された。
- あかべえ色485系も動員されていた。
- 活躍の場所が水没してしまっていた仙台空港直通用E721系もお手伝いしていた。
- E721系500番台8両編成なんぞ金輪際見られないであろう。
- 活躍の場所が水没してしまっていた仙台空港直通用E721系もお手伝いしていた。
- あかべえ色485系も動員されていた。
- ウィキペディアによると他にも3種くらいある模様。
- 快速「むさしの」の前身となる列車が馴染み深いか。
信州[編集 | ソースを編集]
- 長野を走る点では変わらないが時代によって運行区間が違う。
- 初代は長野~名古屋の急行で特急「しなの」の前身。
- 初代の特急格上げ後は長野~上野の急行となって20年以上走った。
- 1985年に「あさま」に格上げされ廃止。
- 長野新幹線開業後に長野~金沢間の臨時特急として復活。
- そして最近長野県内の通勤特急としてまた復活した。
- 今度の改正で定期列車になる模様。
信州リレー[編集 | ソースを編集]
- 高崎から185系(200番台)で碓氷峠を越えて長野まで走った快速。
- 特に上りは高崎で上越新幹線に接続することで、高崎線に特急「あさま」が入る余地がない朝ラッシュ時に東京に着けるようにした、というのがミソ。
新特急ホームタウン高崎[編集 | ソースを編集]
- 前橋でなく少し手前の高崎止めというだけで、この列車だけ何故か「新特急あかぎ」を名乗らず別愛称だった。
- 高崎支社の妙なこだわりが感じられた。
- なお新特急ホームタウン高崎は平日のみの運行で、休日はあかぎ(高崎止まり)。
- ヘッドマークのイラストが何故か高層ビル群だった。高崎のイメージってそれ?
- 最期まで「新特急」が付いたままだった(もしかして唯一?)。
す[編集 | ソースを編集]
すいごう[編集 | ソースを編集]
- 同じ成田線をを走る「あやめ」よりも古くから走っていたのに、あやめに乗っ取られて消滅してしまった。
- 行先は違うがどちらも佐原から先は各駅停車なので、最早愛称を別にする必要すらなくなっていたのだろう。
- 末期は東京→佐原・銚子→佐原→東京という変則的な運用だった。
- 準急として設定以降、1985年3月のダイヤ改正で佐原から先各駅停車になるまで、水郷(すいごう)なのに水郷駅(香取と小見川の間の駅)は通過していた。
- 沿線の小見川などは高速道路は通ってないけど佐原までできちゃったしそこから先は高速の需要すらないので…。
スイフト・タウン[編集 | ソースを編集]
- 現在の宇都宮線通勤快速を平日以外にも走らせるために快速につけていた
- 愛称がなくなって通勤快速になってもしばらく毎日運行だった。
- 高崎線に快速「タウン」という似たような列車が走っていた。
スーパードラゴン・むろね・からくわ・さかり[編集 | ソースを編集]
- 我田引鉄で名高い大船渡線を走っていた快速。
- 列車名の由来が路線の線形というのは唯一ではないだろうか。
- 説明されないと分からない列車名というのもねぇ…。他の列車はヘッドマーク等見ればパッと分かるだけにねぇ。
- 沿線の池や湖・沼から龍が出たという伝説からとった、ならまだしもねぇ。
- 説明されないと分からない列車名というのもねぇ…。他の列車はヘッドマーク等見ればパッと分かるだけにねぇ。
- 「スーパードラゴン」になる前は「むろね」という名前だった。
- この「むろね」、元々は仙台発着の急行で、東北新幹線開業後にに快速格下げのうえ大船渡線内に閉じ込められた。
- 東北新幹線が無い時代に「スーパードラゴン」と同じく大船渡線内だけを走る「からくわ」という急行もあった。
- 当然大半の利用客は東北本線の特急や急行から乗り換えてくる訳で、料金の二重取りになる迷惑な列車だった。
- 同時代に盛岡から大船渡線内に乗り込む「さかり」という急行列車もあった。
- 但し東北本線内は「たざわ」に連結、大船渡線内は下りは「むろね」連結、上りは普通列車で急行「さかり」として単独で走る区間は0という、まさにコバンザメのような列車だった。
すずいし[編集 | ソースを編集]
→JR列車/た・な行#てしおがわ・ピヤシリ・えんれい・すずいし・かえで・ながやまを参照。
すずらん[編集 | ソースを編集]
- 初代
- 急行時代は函館駅まで行く列車だった。
- 山線経由の「ニセコ」に対しこちらは海線(室蘭本線)経由と棲み分けたが、向こうが撮り鉄の憧れの的だったのにこちらはさほど目立たない存在だった。
- 2代
- 室蘭駅と札幌駅を結ぶ特急列車。
- 北海道内で走っていた「SLすずらん号」は室蘭線ではなく留萌線を走っていた。
- 室蘭線室蘭口の電車はこれだけ。
スペースワールド号・三井グリーンランド号[編集 | ソースを編集]
- いずれもJR九州が鹿児島本線の博多近郊で走らせていた快速。
- いずれも811系の専用仕様の車両を使用した列車のみ愛称が付いていた。そのため同じ区間の快速でも専用車を使用しない列車は名無しだった。
- 特にスペースワールドや三井グリーンランドへの入園客を考慮したダイヤでもなかった。
- 「三井グリーンランド号」に至っては荒尾まで行かない(荒木折り返し)列車だったり、荒尾に着くころには日付が変わっている列車まである始末だった。
せ[編集 | ソースを編集]
せたな[編集 | ソースを編集]
→JR列車/あ行#アイリス・せたなを参照。
せなみ[編集 | ソースを編集]
- 新潟~村上間の快速列車だった。
- 由来は村上市近郊の温泉地から。
- 何を血迷ったか、束は1993.12改正で運転区間たかだが60km程のこの列車を特急「いなほ」に格上げしてしまった。
- そして案の定コケた。
- それ以来、JR東日本の短距離特急は成功しないというジンクスがついてしまった。
- 今思えばらくらくトレイン村上の先祖ともいえる存在だった。
仙山[編集 | ソースを編集]
- 民営化当時は仙台~山形間の快速列車にこの名前が付けられていたが、いつの間にか名無しになってしまった。
- 自由席オンリーの快速には列車愛称の存在意義がなかったからでは?
- 国鉄時代は何とグリーン車付きの急行だった。
- 快速になってからはいつの頃からか停車駅がバラバラになっていた。
- 特快便のほか、実質区間快速便もあったが、後者では列車種別として区間快速は設定されなかった。
千秋[編集 | ソースを編集]
- 仙台と秋田とを結ぶから、「千秋」。あれ?
- 「仙秋」ではなく、秋田市内にある千秋公園から採ったとのこと。ひねくれてる~~。
- 「ちあき」ではない。
- この急行は陸羽東線経由だったが、当時仙台と秋田の間は北上線経由の急行「きたかみ」が最短で結んでいて、この列車での仙台~秋田間の利用価値は…
川内エクスプレス[編集 | ソースを編集]
- 2011年、ホームライナーを格上げして登場。
- N'EXみたいな別称はつけられない。
- 「快速」オーシャンライナーより停車駅が多い。
- 新幹線に乗客が流れたのを理由に、2016年で廃止されることになった。
- 普通が50分・940円。特急が44分・1560円。新幹線が12分・1790円(※九州ネットきっぷ利用の場合)。在来線同士の比較でも、普通列車のほうに分があるような。
- 新幹線部分開業によって鹿児島本線に特急未走行区間ができたが再び全区間に特急が走るようになったのはこの列車の運転が始まったから。
- 列車廃止と有明の短縮・減便で結局特急が全く走らない区間が復活し、さらに広がった。
仙台シティラビット[編集 | ソースを編集]

- 露骨な新幹線誘導のせいで高速バスが大繁盛している福島~仙台間からお客を取り戻すために送り込まれた刺客。
- 元々は極稀に走っている名無し快速だった。
- 日曜・休日だけ運転の仙台16:30発福島行き無名快速が発祥。
- 元々は極稀に走っている名無し快速だった。
- 最盛期は定期便3往復、臨時便3往復。
- 臨時便とは言うが、季節列車の設定を3ヶ月おきに毎回行う事実上の定期便。
- 唯一701系で運行される1号はある意味伝説の列車だった。
- 福島を発車する前に、黒磯発普通として使われ、仙台到着後に、一ノ関行き普通として使われる、つまり黒磯発区間快速一ノ関行きの一部。
- 始発で東北方面へ首都圏から在来線の旅をすると十中八九のせられる。
- 福島を発車する前に、黒磯発普通として使われ、仙台到着後に、一ノ関行き普通として使われる、つまり黒磯発区間快速一ノ関行きの一部。
- 臨時便が消滅し、やたら停車駅が増え速達性に疑問が生じ、挙句の果てにヘッドマークも引剥がされもはや風前の灯という印象。
- それでも18きっぷシーズンだけは非常に混雑する。
- 2021年3月のダイヤ改正で消滅。各駅停車に格下げの上、白石で系統分断。
セントラルライナー[編集 | ソースを編集]
そ[編集 | ソースを編集]
そうま[編集 | ソースを編集]
宗谷[編集 | ソースを編集]
- 昭和4~50年代は函館から稚内まで半日ほどかけて走る急行だった。
- 勾配に強いとは言えないキハ56だったのに、何故か山線経由だった。
そらち[編集 | ソースを編集]
- (2代)札幌~滝川
- 電車特急が120km/h(当時)で疾駆する札幌~滝川間を、キハ40で走った情けない急行列車。
- 「狩勝」「ちとせ」と同時に廃止された(厳密には「狩勝」は格下げ)が、両列車と違って最終日も殆ど注目されなかった。
JR列車 | |
---|---|
新幹線 | 新幹線(東海道・山陽・九州) |
在来線(昼行) | あ~お/か~こ/さ~そ/た~の/は/ひ~ほ/ま~も/や~わ |
在来線(夜行) | あ~こ/さ~の/は~わ |
ジョイフルトレイン | あ/か・さ/た~わ |
偽モノ | JR列車/ジョイフルトレイン |