JR列車/は

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  • 便宜上、国鉄時代の列車も含めます。
  • 「スーパー」などの冠名が付いている列車名は(冠名がつかない列車名が存在したことがない場合を除き)その部分を外した項目に入れて下さい。

分割済み[編集 | ソースを編集]

ハウステンボス[編集 | ソースを編集]

JR列車/ま行#みどり・ハウステンボスを参照

白山[編集 | ソースを編集]

白山色の489系
  1. 上越新幹線開業後もしぶとく北陸新幹線長野開業時まで残った上野~北陸の連絡特急。
    • 元は急行で、後述する「白鳥」の登場まで上野と北陸を信越線経由で結ぶ唯一の優等列車だった。
  2. 長野~直江津は「あさま」とともにこれが走っていたのだが、長野新幹線開業時に巻き添えで廃止。
    • 2002年まで「みのり」があったが定着できなかった。
    • 長野~金沢間のローカル特急として残す術は無かったのだろうか...
      • 長野新幹線開業直後には、福井~長野間に臨時特急「信州」が時々走ったが、定着できなかった模様。
  3. 489系はこの列車のためにあった!
  4. 国鉄時代「はくたか」とはライバル関係にあった。
    • 上越新幹線開業で軍配は「白山」に挙がった、筈だったが1997年に立場が逆転してしまった。
    • かつてのライバルが新幹線アクセス特急として大活躍し、更に新幹線列車の愛称にまで昇格するのを、草葉の陰からどう見ているのだろうか?(文体は寺本光照氏の著書風で)
  5. 実質、金沢発着のあさま号であった。
    • そのためか本数が少ないにも関わらずL特急扱いだった。逆に「北越」は本数が多かったにも関わらず最後までL特急扱いではなかった。
    • 全ての「あさま」が停車する小諸や戸倉を通過するなど、あさまの上位的位置付けの時代もあったが、国鉄末期には差異は無くなっていた。
  6. 客車急行時代は峠の釜めしを買わせるため輸送力や牽引定数の都合により食堂車が連結されなかった。
    • 電車化・特急格上げで晴れて連結→普通車に置き換え→復活→再度廃止→ラウンジ&コンビニエンスカー登場と目まぐるしい経過を辿る。
  7. 民営化直後はオイスターホワイトに薔薇色の窓回りと細い上沼垂色の帯だった。
    • かつては電気釜顔も短期間で存在していたが、ATSか何かの事情でボンネットに取り替えられてしまった。
      • 電気釜よりボンネットが長く生き残ったのが485系雷鳥とは逆だった。
    • 民営化後に国鉄色から塗り替えられたものは概して似合わなかったが、これはなかなか似合っていたと思う。特にボンネット型。
    • 乗車時間が長かったためか、民営化後のリニューアルでラウンジカーが組み込まれた。

白鳥[編集 | ソースを編集]

  1. 昔は大阪-青森間の長距離特急、今は青函連絡特急。
    • 大阪と青森を12時間ぶっ通しで結ぶ姿は感慨深かった。
      • もちろんぶっ通しで乗る客というのは極めて特殊。乗務員は新潟で交代してた。
      • 青函連絡船が満員御礼だった頃ならともかく、少なくとも1980年代以後は区間乗車のひとがほとんど。
    • 昔も青森発着の時間を青函連絡船に合わせていたので、走る区間が変わっても実は役割は変わってない。
    • さらに大昔は秋田駅 - 青森駅 - 鮫駅を通る準急だった。
  2. どこの白鳥かは由来が変わっている。
    • 名前の由来として青森県の浅所海岸に飛来するハクチョウ、北海道の大沼に飛来するハクチョウ、新潟県瓢湖に飛来するハクチョウなどがある。
      • その割には瓢湖の沿線がある水原にはいかず(新潟経由)、北海道の大沼にも行っていない。(函館止まり)
        • 最初は羽越本線経由だったのでセーフ。
  3. 高崎線で最初の特急。
    • 信越線(碓氷峠区間含む)を通る初の特急でもある。
      • 上野から直江津・金沢経由で大阪へ行く遠回り特急だったが、さすがに通しの客はなかったようで後に「はくたか」に分離された。
        • 12両編成で営業する食堂車が2両もあるという珍特急ともなっていた。
    • 大宮駅を通過していたのは特筆される。上野の次は高崎。
  4. 能生駅を一躍有名にした。

はくと[編集 | ソースを編集]

京都駅にて
初代「白兎」
  1. 京都から山陰方面への急行列車だった。
    • 大阪発の「だいせん」程需要が無いと思われたのか、S61年の特急格上げによる消滅までずっと1往復だった。
  2. 急行→快速(鳥取~倉吉)→普通(倉吉~出雲市)と3段階に変化していた時期がある(快速・普通は愛称なしだったが)。
  3. 京都口の急行の中でも「丹後」より1ランク上の存在で、S50年代前半まで、園部どころか亀岡まで通過していた。
2代「スーパーはくと」「はくと」
  1. 智頭急行の列車なのに大原以外はJRの線路を通っており一見するとJRの特急っぽい
    • 大原以北ではなく、智頭以北の間違いでは?
      • 大原駅以外はJRの駅しか停車しない。
  2. 新快速JR京都線神戸線では何気にライバルと化しているらしい。だが停車駅と所要時間の影響で現状況に転機が訪れるのも時間の問題だろう。
    • 特に三ノ宮-倉吉はJR特急が遅い為、スーパーはくとが事実上の甲特急となっている。京都-三ノ宮は新快速との競合でやや苦境と言った所か?スーパーはくとも厳密に言うと電車ではないのに速さは新快速に引けを取らない。
      • 大阪駅を20時台に発車する下り最終のスーパーはくとは、大阪→明石・姫路とか三宮→姫路などで帰宅の足として利用する通勤客も案外多いとか。
    • これは凄いと思う。正しくジェットカーが長距離用に使用されてる感じがして乗ってて気持ち良い。正に超快速と呼ぶに相応しいと思う。
      • 事実、明石駅を神戸方面に向けて223系快速と阪神8000系直通特急が同時に発車したが、やや遅れて発車したスーパーはくとがすぐに両方ともブッちぎった。
  3. 見た目はJR特急よりも格好良い。だが振り子式の為、区間でスピードにむらがある。
    • ちなみに、この車両はJR西日本ではなくなぜかJR四国2000系がベース。
    • そもそも当時JR西日本には振り子式気動車が存在しなかった。
    • 683系4000番台(通称ヨンダーバード)を見ていると余計にそう思う。
  4. スーパーはくとのエンジンの音で、駅のアナウンスが聞こえにくくなる。
  5. 5両か、6両で運行している。6両だと号車表示が鳥取・倉吉方面より「1-2-増2-3-4-5」となる。
    • 「増2」は「まし2号車」と呼ぶ。自由席の増結車。
      • 指定席の増結車では?
    • 「増1」とかならかつて寝台特急「日本海」でも存在したのを覚えている。
  6. 大学のセンター試験前日には「ビクトリーはくと」というすごい名前の臨時が走る。
    • 鳥取大の一般入試日だろう。センター試験に遠方から参加する奴はいない。
  7. 気動車ながら隣を走る阪急電車山陽電鉄の電車をぐいぐい追い抜く姿が運が良ければ見れる。
  8. 車内のモニターで運転席からの映像を映してくれる。
  9. 特急でスーパーなのに単線を走る。だがそれがいい。
    • スーパーひたち「俺だって…」
  10. 車両の所有は智頭急行だが、起終点ともJR西日本の駅のため、実際にはJR西日本の鳥取鉄道部に常駐し管理もJRに委託されている。
    • でもJR線走行分はJR西が車両使用料を払っている。
  11. 実は160km/h対応らしい。もし160km/h運転が実現していたら日本の気動車では初めての快挙となっていた。
  12. 車両の色がなでしこジャパンのユニフォームとそっくり。
    • というよりサッカー日本代表のユニフォームの色とも似ている。
  13. 鳥取出身の漫画家谷口ジローのサインが前面に書かれた車両が存在する。
  14. 山陰の子どもたちはこれを本気で新幹線だと思っているらしい。
  15. かつてはキハ181系使用の無印の「はくと」もあった。
    • スーパーはくと用車両が増えたため3年で姿を消した。
    • 無印の方はJR車だったので、JR西としては智頭急行車を使う「スーパー」に払う車両使用料を減らすためにも必要な存在だったが、所要時間や車両サービスの面で差があり過ぎた。
    • 車両使用料の件は岡山発の「いなば」がその役目を引き継いだ。
  16. 1990年代、湯村温泉の旅館組合の青年部が湯村温泉や浜坂にお客さんを呼び込むための方策として、はくとの一部を鳥取で切り離し浜坂駅へ乗り入れさせるという構想をぶち上げたことがあった。
    • この構想を聞いた兵庫県知事も「はくとは自分たちが株主になっている智頭急行のものだから検討してみる」と前向きな回答をしていた。JR西日本も前向きに検討していたらしいが、浜坂で大学用地の取得絡みで揉め事が起きた余波で頓挫。

白馬[編集 | ソースを編集]

  1. 金沢~松本間の急行。大糸線全線を走破する唯一の優等列車だった。
  2. 「しらゆき」の廃止に伴い、やはり廃止されたが、スキー客向け季節列車「白馬銀嶺」として一時復活した。
    • 同じスキー列車の「シュプール白馬」は関東発なので全然別物。

はこだてライナー[編集 | ソースを編集]

  1. 北海道新幹線が函館に乗り入れなかったために設定された「新幹線リレー号」。
  2. 元祖「新幹線リレー号」は東北新幹線大宮暫定開業の産物で、3年でお役御免になったが、こちらは(多分)恒久的措置。
  3. グランクラスから降り立った人がオールロングに詰め込まれるのは切ない…と思ったが、元からグランクラスの客は新函館北斗駅からタクシーでも使うか。。。
    • せめて半室uシートでもつけてくれれば。
      • 普通列車でも20分程度で終点に着くので需要はあまり無いと思う、基本3両なのでクロスシートつけても良さそうだけど。
  4. 開始当初わざわざ電車で運行する必要性あった?「北斗」の間合い運用で運行できるだろうと言われた。
  5. 快速だけではなく各駅停車の便もこれを名乗る。車両の愛称と言ってはダメなのか。

はしだて[編集 | ソースを編集]

現在の特急は実は3代目。

  • 初代を見たり乗ったりしたことのある方は結構なお年になる。
(2代)福井~天橋立など
  1. 大社」の壮大なロマンのかけら。
  2. 宮津線が第三セクターになってからも急行のまま乗り入れていたが、流石に無理があった。
  3. 快速格下げ後に目撃した列車が、キハ23の単行になっていたのにはドン引きした(そこまでやるか、酉)。
(3代)京都~天橋立など
  1. 電化区間の天橋立までしか行かない電車特急と、旧「タンゴディスカバリー」を編入したDC特急からなる。
    • DC特急の方は車両は変わらずKTR車(KTR8000形)を使用しているので、わかっていてもつい「タンゴディスカバリー」と呼んでしまう。

はちおうじ・おうめ[編集 | ソースを編集]

  1. 中央ライナー・青梅ライナーを特急に格上げした。
  2. 東京都内の地名が冠せられたJRの定期特急列車は初?
  3. 中央線特急の中でおそらく初めての、全列車東京発着。

はちまんたい・八幡平[編集 | ソースを編集]

初代「はちまんたい」
  1. ヨンサントオで盛岡~秋田(花輪線経由)「よねしろ」を改称して登場したが、3年半程で「よねしろ」に出戻り。
2代「八幡平」
  1. 花輪線の快速列車だった。
    • 要は「よねしろ(2代)」の敗戦処理列車。
    • 当初は「よねしろ」から引き継いだ弘前行の列車もあったが、高速バス「みちのく号」(盛岡~大館)にすら追い詰められていた状況で「ヨーデル号」(盛岡~弘前)に歯が立つ訳もなく…
  2. 松尾八幡平駅は停車するのに、八幡平駅は通過していた。
  3. いつの頃からか廃止されていた。
    • JR東日本の施策で地方交通線に快速までも切り捨てようとしている。
      • これもやる気のない施策の1つに挙げられてる。

はつかり[編集 | ソースを編集]

  1. 伝統ある東北特急の名前なのに結局東北新幹線の列車名に昇格できなかった。
    • 新青森開業時の愛称公募ではぶっちぎりで1位だったのに。
      • はつかりじゃ遅いというイメージしかなかったのでやむを得ず九州から奪うことに。
      • それならなすのやあおばより長距離の各駅停車タイプとしてはつかりを復活してほしいと思う。
    • 上野ー青森→盛岡ー青森→盛岡→函館で八戸開業で消滅した。
  2. スーパーはつかりは黒歴史。
    • なぜわざわざ2年後新幹線開通するとわかって導入したのか。
    • E751系の扱いが不憫。函館行かせてあげようよ…。
      • 貫通扉がないから無理なのでは。
        • 485系3000番台は走れるよぉ!
    • 2021年に全区間3セクによる復活運行が行われた。
  3. 客車からディーゼルカーに変えたばかりの頃は故障が頻発したため一部で「がっかり」と揶揄された。
    • キハ80ボンネットタイプは別名「はつかり形」
  4. 485系の原型時代は583系も定期運用についていた。
    • 485系が入ったのは73年以降のことで、電車化当初は583系のみで運用されていた。

はと[編集 | ソースを編集]

  1. 東海道線時代のつばめの相方。
    • つばめは後に新幹線の種別にまで抜擢されているにもかかわらず、こちらは今まで一度も再利用された事が無い悲運の列車名でもある。
      • やはりハトじゃありふれすぎてて雰囲気がないということなのだろうか…。
    • 昼過ぎに始発駅を出るのが特徴。
  2. 『つばめ』同様新幹線開業前に電車化され、新幹線開業後は西へ西へと移り九州行き特急へ変貌を遂げた。
    • 実は電車化と同時に『つばめ』に吸収されたため、1年余りの空白期間がある。
  3. 作家の内田百閒が一番好きだった特急らしい。
    • 内田百閒の『阿房列車』にも登場する。

はなさき[編集 | ソースを編集]

ヘッドマーク
  1. 釧路~根室間の快速列車。
  2. 50年以上同じ区間を走り続けている先輩の所に割り込んできたあげく、今ではその先輩より本数が多いという・・
    • はなさき:1往復、ノサップ:0.5往復(2016年現在)
  3. しかし、愛称の由来となった所の最寄駅は廃駅…
    • もっとも、その花咲駅に停車したことは一度もなかったかと思うが・・

はまかぜ[編集 | ソースを編集]

  1. 専ら兵庫県内移動用の特急。
    • 鳥取までこれで行こうとする物好きがいるのか…。
    • 大阪~和田山間の距離・所要時間は福知山線経由の「こうのとり」と比べても長い。但し運賃・特急料金は距離の短い福知山線経由で算出される。
    • でも走る車両は川崎重工業ではなく新潟トランシス製。
  2. かつては、金沢から能登の柴垣海岸まで直通する行楽列車の愛称だった。
    • 北陸鉄道に乗り入れる唯一の列車だったが、印象は薄い。
  3. キハ181系最後の定期列車
  4. 国鉄時代は播但線内は無停車だった。
  5. 餘部橋梁を渡る唯一の特急。
  6. 西日本のチケットレス政策に伴いまさかの全車指定席化。
    • しかも定期券が使えなくなり、さらにさらに走行区間が走行区間だけに乗車前に指定券を買えないケースが後を絶たないため非難轟々だとか…。

はまゆう[編集 | ソースを編集]

(初代)天王寺・京都・名古屋~白浜
  1. 天王寺発は現・「くろしお」のご先祖様。
  2. 京都発は、奈良線、関西線、和歌山線経由で紀勢本線に乗り入れ。
    • 一時期は、桜井線もかましてしたこともある。
    • 当時は天王寺駅の阪和・大阪環状連絡線がなく新大阪経由は不可能だが、特急「あすか」も使った阪和・関西連絡線があったので、こっちを使った方が早かったような気がする。
  3. 名古屋発は、関西線経由、奈良で京都発に連結で運用。
    • さすがにこれでは、南回りの旧・紀伊一周くろしおと時間があまり変わらない。
  4. 和歌山で、天王寺発と京都・名古屋発を併結。三頭立てで白浜に向かっていた。
(2代)鳥羽~紀伊勝浦
  1. 伊勢志摩発南紀行きという、中途半端なスジを走っていた。
    • 観光地発観光地行きで、当時はそれなりの需要があったのだろうか。
  2. 鳥羽発の時刻は朝だったので、名古屋から利用するのは困難だが、早朝の近鉄特急からどうにか乗り継げた。
  3. 1985年に廃止。しかし、後年に臨時特急「鳥羽・勝浦」として一時復活。
    • キハ85のワイドビューを使ったが、人気が出なかったか、すぐに消えた。
    • もうちょっとましなネーミングはできなかったのか。

はまゆり・陸中・銀河ドリーム号[編集 | ソースを編集]

  1. 三陸釜石・宮古と県都盛岡を結ぶ快速列車。
    • もともとは急行陸中で、格下げされた今もリクライニングするキハ110が混ざってたりする。
      • JR東日本が地方交通線を主体とする優等列車設定に対するやる気の無さを象徴しているが、その分、車両の質は特急形に匹敵するレベルである。
      • 他路線なら普通列車に格下げされてしまうものだがこんな列車が残っているのも、釜石にある日本製鉄のおかげなのかもしれない。
      • はまゆりの1・2号車が0番台だった場合乗車券だけでリクライニングシートに乗れる。
  2. ルーツは上野と宮古を結ぶ急行だった。
    • 花巻から種別が変わり準急で走っていた。
    • その後仙台発秋田行きの急行になった。三陸関係ないじゃん?いえいえ、ちゃんと釜石線も走ります。
      • 仙台から釜石線、山田線、花輪線経由で秋田に向かう超大回り列車だった。
    • 更に道中で5本の列車と分割併合を繰り返す、とっかえひっかえを行っていた。
      • その分割併合相手も道中分割併合していたり分割してからも分割併合していたり最早なにがどうなのかわからない。
    • はまゆりが運行開始した時点で陸中の廃止フラグが立っていた。
  3. 急行陸中はかつてガス欠で立ち往生したことがある。
    • 何年か前に北上線でもあったね。しかも真冬だったから、救援の列車が来るまで乗客は寒い思いをしたという・・・
  4. キハ110系に統一された直後には花巻発の銀河ドリーム号も運行していた。
    • 夜行列車でも夜行バスでもない。
    • 1991.03改正で新設された、花巻→釜石下り1本のみの急行列車。
      • しかも釜石着は22:57とほぼ深夜。
    • 当時既に高炉の火も消え工業面で衰退一途だった釜石市に、こんな完全ビジネス対応の列車設定・・正直疑問だった。
      • 案の定次の改正で廃止。結局1年持たなかった。

はんだ[編集 | ソースを編集]

  1. 門司港~小倉~(折尾の短絡線)~直方~伊田~日田~由布院を運行。
    • 当時の筑豊の主要駅をめぐる。
  2. 車両は当時最新鋭のキハ66.空気ばね・転換シートと特急に引けを取らないという意見と、ロングがあるので遜色に極端に評価が分かれる。
  3. 愛称の由来は「飯田高原」。由布院の近くのリゾート地である。
    • 学校で金属を溶かして線をくっつけるのではない。
    • 愛知県半田市を通るわけではない。

ばんだい[編集 | ソースを編集]

  1. 上野~喜多方間の急行だった。
    • 特急「あいづ」が1往復しかなかったため、特急時代になっても磐越西線の主力だった。
  2. 新幹線開業後程なくして郡山発着の快速に格下げされたが、JR化後も初期の頃は455系に半室グリーン車を改造投入するなど、テコ入れもされていた。

JR列車
新幹線 新幹線(東海道・山陽・九州)
在来線(昼行) あ~お/か~こ/さ~そ/た~の//ひ~ほ/ま~も/や~わ
在来線(夜行) あ~こ/さ~の/は~わ
ジョイフルトレイン /か・さ/た~わ
偽モノ JR列車/ジョイフルトレイン