NEC
NECの噂[編集 | ソースを編集]

- 日本電気。略してニチデン。
- NECと言えばPC-9801、と考える者は未だに多いと思う。
- Windows95発売以前のPC市場は、98にあらずんばPCにあらず、であった。
- 黒船(日本語対応DOS/V機)到来により、10年と経たずに1メーカーに成り下がった。
- それでもTOWNSやX68に比べれば大健闘だったと言える。互換機潰しさえやってなきゃどっちが勝っていたかはわからない。
- Windows95ではなくWindows3.1だと思う。あるいはMS-DOS 5.0。
- 95だな。3.1はまだ前触れでしかなかった。何となく付属はしていたが、実際はDOS向けの98ソフトがメイン。
- 黒船(日本語対応DOS/V機)到来により、10年と経たずに1メーカーに成り下がった。
- その盛者必衰の物語は、DTMミュージシャンが初音ミクに語り継がせる。
- そしてH98や98NXなどの亡霊が取り付き、耳を引っぱる。
- そのときの傷を隠すため、初音ミクは耳当てをしている。
- DOS/V機が日本で発売された頃のNECの社長だか会長だかのコメント「あんなフロッピードライブが1台しかないパソコンが売れるはずがない」
- まだまだハードディスクが高価だった頃のお話。
- 当時はFEPの辞書をフロッピーに入れていたから、まったくの妄言というわけでもない。
- 本体(メインボード)、CPU、HDD、FDD、メモリチップ、OS、モニタ、プリンタ、etc...とにかく丸ごと1台のPCを1メーカーで作ったのは世界でもここだけ。
- Windows95発売以前のPC市場は、98にあらずんばPCにあらず、であった。
- スパコンを安く売ったらアメリカに怒られた。
- アメリカが高くて低性能なスパコンをつくってただけなのに、八つ当たりされたという説が有力。
- しかも自国スパコンが遅くて使えないので、現場の人間はこっそりNECのものを借りていたというオマケ付き。
- IBMをスルーしてアメリカ本土で富士通とメインフレーム売り込み合戦をやっていた。
- アメリカが高くて低性能なスパコンをつくってただけなのに、八つ当たりされたという説が有力。
- VALUESTARに水冷を搭載したり、割と独自路線を進んでいるようだがイマイチぱっとしない。
- 独自路線が行き過ぎると、独自規格や相性問題が出てくるのでほどほどにしてほしい。特に98NXは黒歴史。
- 一般的なDOS/Vマシンと違いAドライブがHDDであったため、知らない者が使うと混乱に陥った。
- HDDのことは固定ディスクと呼んでいた。
- それに対してフロッピーディスクは飛翔ディスクと呼んでいた。
- 結構あっさりデータが壊れた(飛んだ)ので、あながち間違いではない。相性の悪いブランドは一箱(10枚)につき、1~3枚くらいは使い物にならなくても「いつものこと」だった。
- 人によって良質、粗悪ブランドの評価はまるで違っていて、これを相性と呼んでいた。
- ノーブランドのディスクを買うと磁性体が2枚以上入っている「当たり」を引くこともあった。
- コンピューター系の部活では、壊れたディスクを誰が一番遠くまで飛ばせるか、投げて遊んだものだ。
- 大事なデータは必ずコピーをとって置く必要があった。フロッピーの全盛期を知る人はバックアップの大切さを良く知る人々。
- 結構あっさりデータが壊れた(飛んだ)ので、あながち間違いではない。相性の悪いブランドは一箱(10枚)につき、1~3枚くらいは使い物にならなくても「いつものこと」だった。
- 98NXのHDDはCだろう。
- 一般的なDOS/Vマシンと違いAドライブがHDDであったため、知らない者が使うと混乱に陥った。
- 独自路線が行き過ぎると、独自規格や相性問題が出てくるのでほどほどにしてほしい。特に98NXは黒歴史。
- 『NEC=パソコン』というイメージが定着したせいで、一般家電(テレビ・冷蔵庫など)の存在が分からない状態に。
- 部屋の蛍光灯がNEC製だった
- TV-454/455は名機
- ビデオやオーディオ機器も有名。ただし家電事業末期においてはほとんどの白物はサンヨーなどのOEMであった。
- 欽どこを見ていた人はNECのテレビに親しみが沸く。
- 最近他社がやばいせいでなにかと話題になる液晶ディスプレイも実は作れるのだが、個人向けはほとんどが他社のIPS液晶という・・・
- 放送局のマスター装置を製造し、多くの放送局に納入しているものの、放送事故が多いという噂も。
- 大阪・毎日放送の設立に参加しており、現在も大株主として名を連ねる。
- NECとMBSというと真っ先に「野生の王国」が思い浮かぶ。もっともこの会社もスポンサーだったけど。
- こいつの最大の使命は、ここから望める富士山の眺望を阻害することで商敵の士気を挫くことである。
- StarOfficeというサービスがあるが某オフィスソフトと勘違いされる。
- その某オフィスソフトはアジア(特に日本)ではStarSuiteに改称することを余儀なくされた。
- 死ぬほど使いにきぃ。担当者でてこい。サイボウズの方が10倍まし。うちの担当者NECからいくらもらったんだろう??
- 今ではケータイのNEC。
- ダイキン工業はかつての兄弟。
- 持ってるスポーツクラブ(ラグビー、バレー)は強豪。
- バトミントンのスエマエもここ所属
- 男子バレーは主力選手の移籍や成績低迷などが原因で09年になくなってしまった。
- 経営側が色々訳ありらしく、それもあってこれまでのスポーツチームも容赦なくつぶれていったとか…。
- 陸上部にはあの和田正人が所属したが、廃部がきっかけで芸能界入りした。
- 経営側が色々訳ありらしく、それもあってこれまでのスポーツチームも容赦なくつぶれていったとか…。
- 以前まで、エロゲ移植などのギャルゲーを販売していた、今では親会社が代わり、一部事業がガンホーに移った。
- NECインターチャネル? むしろNECアベニューの方が濃かったと思うなぁ。
- これとか。あとテニプリのCDもここと関連あったような。
- NECと言えばNECアクセステクニカのAtermも忘れてはいけない。価格は高いが、品質は良い。
- 光インターネット接続サービスのレンタルルータは大半がここのOEM品。その証拠に、Wi-Fi対応機種はNEC独自のWi-Fi端末自動設定機能「らくらく無線スタート」が付いている。
- Windows旋風で被害を受けた企業その2(その1はIBM)。
- しかし、そのNECはWindowsのPC-98シリーズへの移植を積極的に行っていたのだが。
- PC事業は中国企業に買われ、もはやNECとは到底言い難い状況だが、現状の経営状況を見ると本体まで飲み込まれるのもそう遠くなさそうな・・・
- 業績も長年ビミョーな状態が続いていたが、2020年3月期決算では過去最高益を更新。
- 5Gの整備やパソコン更新需要などが要因とか。過去最高益更新は23年ぶりとのこと。
- 業績も長年ビミョーな状態が続いていたが、2020年3月期決算では過去最高益を更新。
- 昔は硝子事業もあった。これは「日本電気硝子」のことであるが、「NEC硝子」とは言わない。
- ただし、NECは日本電気硝子の株をわずかには残しているが、関係は希薄となった。
- 住友グループ
- 三井住友銀行の勘定系システムはNECを使っていたりする。
- バザールでござーる。
- 驚くべきことに2023年時点でもサイトが健在で、更新もされているでござ~る。
- カレンダーがまだ作られていて、取引先に配布されているでござ~る。
98ユーザーの噂[編集 | ソースを編集]
- PC-8801時代からの移行組世代(N88-BASICをそれなりに使った)、MS-DOS全盛世代、Windows黎明期世代に区分できる。
- おおむね86~V30組、286~386組、486~Pentium組ってとこか。
- DOS5~Win3.1時代がこの世の春だったのかなぁ。
- Win3.0ですでに画面の狭さとメモリの高価さが露呈していた。
- DOS5~Win3.1時代がこの世の春だったのかなぁ。
- おおむね86~V30組、286~386組、486~Pentium組ってとこか。
- EPSON-PC(98互換機)ユーザーとは犬猿の仲(?)。
- 互換性に劣るH98ユーザーに反エプソン原理主義過激派が多かった。その頭目とおぼしきキモヲタ店員が当時の祖父地図の最上階に屯していた。
- 一太郎、Lotus1-2-3などの単体オフィスソフトがデファクトスタンダードだった。
- 後ろのCバススロットを使い切ってしまうユーザー続出(これはエプソンも同様)。
- サウンドボード、SCSIボード、GAボード、増設メモリ……あ、埋まった。
- この当時、メモリが専用スロットに装着するSIMM→DIMMになったり、サウンドやLANの標準搭載が当たり前になるとは誰も思っていなかっただろう。
- つーか今で言うと、メモリを増設するためにPCIを使ってるようなもんだもんな。
- 上位クラスのサウンドボードを積んで、より多数の和音を使うのがステータスだった。
- スピークボードとか。86音源にプラスすると別次元の音場になった。
- ローランドのMIDIとか積んでたりすると神扱い。
- 逆に言うとそれだけCバスは使いやすかった。本体開ける必要なかったし。
- 子ガメのように別な増設ボードを載せられる増設ボードがあった。
- サウンドボード、SCSIボード、GAボード、増設メモリ……あ、埋まった。
- 当時高校生だった自分は、高価な機械を壊してはならぬと、フタを空けるだけでもビクついていた。
- そしたら想像以上にえらく頑丈で、20年近く経っても動くというのは大したものだ。さすがはバブル以前の工業用機械(≠家庭用PC)。
- 動態保存も兼ねて、Xv13にWindows2000積んで24時間マラソンやってもらってます。CPUはK6 III 333MHzに換装してるけど。P2P&こいつに必要なファイル突っ込んどいて家族のPCメンテナンスするときに使う。
- 現在でも、工場の機器制御用や役所の古いアプリケーションの動作用PCとして現役。
- そのためか、AT互換機(DOS/V)上で動くハード/ソフトのエミュレーターも多数出ている。
- 防塵・防振で工場にも置ける「ファクトリーコンピュータ FC-98シリーズ」なるものも販売されていた。
- CUIは扱えて当たり前で、AUTOEXEC.BATやCONFIG.SYSは一から書ける者も少なくない。
- AUTOEXEC.BATやCONFIG.SYSの編集で、2進数の計算やメモリのチューンを覚えた者も少なくない。
- もう忘れた。
- 自分の作業環境や日本語FEP環境をきっちり揃えることができた達成感は、他に換え難かった。
- 98最終期のOS(MS-DOS6.2だったかな?)でメモリの自動計算ツールが出たが、「邪道だ」「計算が甘い」とあえて使わない猛者もいた。
- 車のATに対するMT派の意見のようなもの。
- その頃までDOSをカリカリ使ってた人からみれば、DOS5で構築した環境をわざわざ壊す理由がない。
- アッパーメモリにジグゾーパズルのように常駐物を格納し、メインメモリを600KB以上開けると喝采された。
- でも結構無理があるので、500~550くらいが普通だった。
- RAMディスクをメインメモリに300KBくらいとって圧縮解凍のテンポラリドライブにすると、その超高速ぶりに大興奮。当時のFDDやHDDに比べてだけど。
- このあたりの情熱の原動力には、かなりの割合で「エロ」が含まれている(当時はエロゲも98全盛)。
- ALICE-DOS等ゲームメーカー独自のDOSもあった。
- 某有名漫画誌の連載作品に、AUTOEXEC.BATやCONFIG.SYSの内容紹介コーナーがあるものもあった。
- 起動ディスクを作るのは負けた気がする。
- AUTOEXEC.BATやCONFIG.SYSの編集で、2進数の計算やメモリのチューンを覚えた者も少なくない。
- この頃のゲームには、98の動作クロックを変えるとか、専用の音源ドライバが付属とか、妙に気合の入ったものがあった。
- マシンの挙動を変えるアプリなんて、今じゃウイルス扱いされそうだ。感染力がないけど。
- マシン側でクロックダウン機能のついた奴もあった。ゲームによってはクロックダウンしないと高速すぎてプレー不能になってた…。
- 古い機種だと、マシンの設定用にディップスイッチ(ペン先で切り替える極小のスイッチ群)が付いているものもあった。マニュアルを見ないと意味が分からないうえ、誤って隣のスイッチまで切り替えてしまったりと、とにかく面倒だった。
- 現代のPCユーザーが聞いたらどれ程のハイエンド機かと思うほど高価だった。
- 9821になって劇的に価格帯が下がったのを苦々しく思っていた。
- と思っていたら、9821で定価100万円の機種が出た。
- 安くなったとはいえ、一式そろえたら新卒の給料2ヶ月分飛んだなあ。
- バイトやめたときに、今までのバイト代全部吐き出して新マシン(9821)を買った。26万くらいだったと思う。
- 一大決心で買ったら、直後に新型が発表されて悔しい思いをした……これはどんな買い物でも同じだね。
- 逆に考えるんだ「エロゲーマシンが安く買えるようになって良かったな」と考えるんだ。
- その9821の前の時代だけど、定価215万(税抜)のマシンがあったと言って信じるかねぇ。厳密には9800シリーズと言えないけど。
- 9821になって劇的に価格帯が下がったのを苦々しく思っていた。